風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

佐野洋子 『神も仏もありませぬ』(2003年刊)

2022-05-08 13:07:12 | 




というわけで、佐野洋子さんのエッセイを初めて読んでみました。佐野さんが60代前半のときのもの。
谷川さんを通して私が感じていた佐野さんの印象は、「洞察力に優れていて歯に衣着せぬ物言いをするけれど、実はとても繊細で可愛らしい人」というものだったけれど、このエッセイから感じた佐野さんも想像以上の可愛らしさだった。
もちろんご子息の広瀬さんが「一緒にいるのは3日が限界」と仰っていたのはそうであろうなぁと物凄く想像できるけれど(婦人公論2020年11月)、子供のような純粋さや全力投球さが魅力的な人だな、と。
また谷川さんが夫婦だった頃に「(実は)佐野洋子は完全な鬱気質」と仰っていたのも(『国文学』1995年11月号)、そうであろうなぁと想像できる。

この本は佐野さんが一時期住居兼仕事場としていた北軽井沢での生活を中心に綴った短編エッセイ集で、”衿子さん”と”フルヤさん”からいただいた手作り蜂蜜を大切に大切に愛する《それは、それはね》の佐野さんなんて、本当に可愛い。ちなみにこのお二人は、谷川さんの最初の奥様である岸田衿子さんと植物画家の古矢一穂さんのこと。佐野さんが谷川さんと離婚した後に北軽井沢の谷川さんの別荘の隣に自身の家を建てて住んでいたことは知っていたけれど、ご近所の衿子さんとも親しくお付き合いをしていたんですね。谷川さんによると、衿子さんもかなり自由奔放な方だったようです(そう仰る谷川さんも、相当自由奔放な人だと私は思うけれど)。衿子さんは、佐野さんの半年後に亡くなられています。

真っ暗闇のなか一人で手作り温泉に四苦八苦しながら入浴に行くエピソードも、とても可愛い。そんな佐野さんにお友達は「あんた、普通じゃないよ」とバッサリ言う。そして「あんたの人生とまったく同じじゃない。やたら突っこんで傷だらけになってさあ」と。そうなんだよね。佐野さんの行動って、どこかそういう切ない健気さみたいなものを感じさせられることが多い。先ほどの蜂蜜のエピソードもそう。

古道具屋の「ニコニコ堂」の息子さんの”ユウ君”は、長嶋有さんのこと。ということは、読後にネットで知りました(長嶋有さんを存じていなかった…)。

この本の最初の話は、佐野さんの88歳の痴呆のお母さんの話。佐野さんのさりげない文章が、沁みた…。この本だけ読んでいるとそうとはわからないけれど、佐野さんとお母さんの関係は若い頃は決して良好とは言い難いものだったようで。それについては『シズコさん』という本に詳しいようなので、ただいま図書館で予約中。

 いつか四十二歳と答えられて、ショックを受けたが、大笑いしたものだ。意地悪く私は云った。「そうか、私、母さんより年寄りになったんだ」。あの時はまだ私の名前を時たま口にしていた。私が子である事が時々はわかっていた。あの時母は明らかに混乱した。あの時から私は母に年齢を確認させる事をやめた。私がどこかの「奥様」であろうと、「そちらさま」であろうと、この人の中で私はどこかで動かぬ子として存在していると感じる。四歳。今日私は笑わず、しわくちゃの四歳を見て「ふーん」と思う。そういう事なんだよなあ、四歳。

(中略)

 そして、六十三歳になった。半端な老人である。呆けた八十八歳はまぎれもなく立派な老人である。立派な老人になった時、もう年齢など超越して、「四歳ぐらいかしら」とのたまうのだ。私はそれが正しいと思う。私の中の四歳は死んでいない。雪が降ると嬉しい時、私は自分が四歳だか九歳だか六十三だか関知していない。
 呆けたら本人は楽だなどと云う人が居るが、嘘だ。呆然としている四歳の八十八歳はよるべない孤児と同じなのだ。年がわからなくても、子がわからなくても、季節がわからなくても、わからないからこそ呆然として実存そのものの不安におびえつづけているのだ。
 不安と恐怖だけが私に正確に伝わる。この不安と恐怖をなだめるのは二十四時間、母親が赤ん坊を抱き続けるように、誰かが抱きつづけるほか手だてがないだろうと思う。自分の赤ん坊は二十四時間抱き続けられるが、八十八の母を二十四時間抱き続けることは私は出来ない。

(『神も仏もありませぬ』《これはペテンか?》)

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1990年に谷川俊太郎と結婚した。1996年に離婚。1998年から2003年にかけては北軽井沢に転居。

2003年に紫綬褒章受章。2004年、エッセイ集『神も仏もありませぬ』で小林秀雄賞を受賞。2004年には乳がんの摘出手術を受けたが、骨に転移。エッセイ集『役にたたない日々』(2006年刊行)の中で、がんで余命2年であることを告白。2006年、母シズ死去(享年93)。2008年、長年にわたる絵本作家としての創作活動により第31回巖谷小波文芸賞受賞。

2010年11月5日午前9時54分、乳がんのため東京都内の病院で死去した。72歳没。最後のエッセイ集のタイトルは『死ぬ気まんまん』であった。
(wikipedia)
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佐野洋子プロフィール(公式ページ)