前夜遅くにみゆきさんの『ホームにて』を聴いていて寝不足だったので、在宅勤務の昼休みに寝ようと思ったのに仕事が超絶忙しく、それでも無理やり早退してオペラシティへ。
【べルリオーズ:序曲 ローマの謝肉祭】
オケは、東京音楽大学付属オーケストラ・アカデミー。指揮は、チョン・ミンさん。チョン・ミョンフンさんの息子さんなんですね
この演奏、とっても楽しかった。このアカデミーは4月に開講したばかりで、今日はその第一期生の初演奏会とのこと。募集要項では30歳以下となっていたけど、音大の院生さんとかが多いのかな。普段メジャーオケを聴くことが多い私だけど、若いオーケストラもいいものですね~。全く怖気づいていなくて、勢いがあって。特にこういう祝祭的な曲にはピッタリ。指揮者の特徴なのか、盛り上げるところは思いきり盛り上げても、統制はちゃんととれていて美しかった。
コンマスさんは出てきたときから他のメンバーと貫禄が違うと思ったら(人種も違うけど)、帰宅してから知りましたが、ゲストのヴァイオリニストさんだったんですね。ウィリアム・チキートさん。後半のブラームスのソロも美しかった。コロンビア出身とのこと。
【シューマン:ピアノ協奏曲イ短調op.54】
アルゲリッチが舞台に登場した途端、客席から爆発的な拍手。ファンは3年間待ち望んでいたんだものね
初めて生で見たアルゲリッチは、映像で見ていた本当にそのまま。
この協奏曲でのアルゲリッチは若い奏者達を見守っているような、引っ張っているようなそんな雰囲気で、思いきりオケに顔を向けながら演奏するこの感じを私は物凄くよく知っている。そう、ニューシティ管弦楽団とベートーヴェンのピアノ協奏曲を演奏したときのツィメルマンとソックリ。
まだ成熟していないオケの音はベルリオーズと違いシューマンには合っていない感じもしたけれど、アルゲリッチにももう少し突っ込んだ演奏をしてほしかった気もしたけれど、それでも若い彼らがアルゲリッチを前に怯むことなく演奏していて、この子達は今日の彼女との共演から沢山のものを吸収して、クラシック音楽の未来に花を咲かせてくれるのだろうな、と。それはアルゲリッチの願いでもあるのだろうな、と。だから今日の演奏はこれはこれでいいのだ、と感じました。
今日の席は3階R2列の真ん中あたりで、アルゲリッチの表情もよく見えました。とても魅力的な笑顔。
初めて聴く彼女の生音は、やはり生で聴かないとわからないことがある、と改めて感じました。もちろん音色も美しいし色彩豊かなのだけど、アルゲリッチのピアノの特徴ってそれだけではないのだな、と。音の推進力と生命力がすごい。全く力まずに弾いているのに、生きている音がピアノから流れ出てきて、その音の個性がオケを含めたその曲全体の個性に自然となってしまうような、そんな不思議なパワーをもった音。どんなにテンポが揺れても、どんな音も、全ての音が自然な音楽に聴こえる。彼女の体は音楽でできているのではなかろうか。ていうかもはや音楽ではない何ものかというか。面白いなあ。凄いなあ。
そして、この人は半年前のフレイレの最後の時間を深く知っている人なのだな…と、そんなことを思いながら聴いていました。
【シューマン:幻想曲集op.73】
【ショパン:序奏と華麗なポロネーズ op.3(アンコール)】
【ショパン:チェロ・ソナタ ト短調 op.65から 第3楽章 ラルゴ(アンコール)】
この3曲は、ミッシャ・マイスキーのチェロとの共演。マイスキーの生演奏を聴くのも、私は初めて。
今日は何故かチェロが低く聴こえて(あるいはピアノの方が高いとか?)、ピアノとチェロの音の高さが合っていないように感じられてしまい、最初の方は音楽に集中できなかったのが残念でありました。でもそういう感想はただの一つも見かけなかったので、やはり私の耳が不安定なのかも 引き続き絶対音感狂い中by老化です。
それはそれとして。
面白いデュオだなあ。音もリズムもそれぞれに表情豊かで個性的で、一見バラバラに好き放題弾いているように聴こえるのに、実はしっかり呼吸が合っている。マイスキーは客席を向いていて二人はアイコンタクトも殆どしていないのに、これほど「それぞれが自由に弾いて、でも合っている」演奏を何故できるのだろう。やはり二人の長い間の信頼関係ゆえなんでしょうかね。
力まず、自由自在で、色気があって、今そこで生まれたばかりのような音楽が聴こえてくる。長い経験を積んだ人にしかできない、大人の演奏に感じました。先ほどまで聴いていた若いオケの演奏(言い換えればまだ硬い演奏)とのギャップが凄くて、楽しかったです。
なんとなくこのお二人はアンコールはやってくれないのではと思っていたのだけど、2曲もやってくれて嬉しかった。舞台に出てくるときも去るときも、舞台上ではないかのように普通に会話している二人(大物感)。
このアンコール曲、ショパンの曲だということは帰宅してから知ったのですが、『ライヴ・イン・ジャパン』という二人のアルバムからの2曲を弾いてくださったんですね。
どちらもすごくよかったなあ。。。。。今日の演奏、アンコールのこの2曲が一番感動した。二人とも、しなやかで、自由で、色っぽくて。でも気取っていなくて。気軽に最上級のワインがふるまわれているような、そんな感じを覚えました。
op.3の躍動感も素晴らしかったけど(二人とも意外やこういう曲が似合う~)、op.65の音の空気にすっかり魂をもっていかれてしまった。。。。。寂しい、というのとも少し違う、言葉にできない静かで深くて温かい演奏だった。これは3楽章なので本来はこの後に明るい4楽章が続くのだけど、この曲で最後であるような静かな静かな終わり方でした。私は聴きながらフレイレのことを思っていたのだけれど、二人の優しい演奏に心が少し救われました。帰宅してからショパンの曲だったと知り、さらに救われた気持ちになれた。アルゲリッチが10代の頃に初めて聴いたフレイレの演奏がショパンで、彼が最後の夜に弾いていたのもショパンだったそうなので…。
(20分間の休憩)
休憩時間に3階から2階のホワイエを眺めていたら、平野啓一郎さんがお一人で立っていらしたのだけど、顔も見えず、後ろ姿の頭の形だけで平野さんだとわかって吃驚である。彼のファンなわけでもなく、特に変わった髪型や体型でもないし、その時は平野さんとアルゲリッチの繋がりも知らなかったのに。念のためtwitterで確認したら、やはりいらしていた。
【ブラームス:交響曲第1番ハ長調op.68】
ツィメさんのときと違い、休憩時間で帰ってしまうファンが少なくてよかった。
演奏については、個人的にはもう少しふくよかな音のブラームスが好みなのだけど、今日のような元気いっぱいの若々しい演奏も、これはこれで良かったな。ただもう少し最後に向けてじわじわ盛り上がっていく演奏の方が好きではある。今日の演奏は全楽章がクライマックスのようで、最後の方は耳も痛くなってしまった
ブラームスの音楽って、明が暗に打ち克つというより、明も暗も抱えながら心の中に収めて生きた人の音楽に感じる。私は、人生については、終わりよければ全て良しとはとっくに思わなくなっていて。悲しい終わりを迎えたシューマンの人生にも、晩年には諦念を感じさせる音楽を作ったブラームスの人生にも、こういう前向きな音楽を作った時間が確かにあって、それも全て一人の人の人生なんだと思う。今日は真ん中にアルゲリッチ&マイスキーの演奏があったので、その二人と若いオーケストラの音や空気の違いを実感として感じながら聴いたので、四楽章のあのメロディの部分ではそういうことをぶわぁっと感じて、泣きそうになってしまった。それは若いオケの音だったからこその感動だったと思う。
しかし・・・この曲を作るのにブラームスは21年かけたのよね・・・。それを思うと、あちこちで表れるふとしたメロディーが妙に可愛らしく聴こえて、ニヤニヤしてしまう。ブラームス大好き。
演奏後は、客席からいっぱいの拍手
それに応えて、四楽章コーダのアンコール。若いっていいね~
来月もあと2回、アルゲリッチを聴く予定です。すみだホールのフレンズと、サントリーホールのクレーメルとのデュオ。
©別府アルゲリッチ音楽祭
©別府アルゲリッチ音楽祭
別府アルゲリッチ音楽祭終演いたしました!!
— 村上 加奈恵 Kanae Murakami (@Kanae_flute) May 16, 2022
シューマンのピアノ協奏曲で先生と音楽で会話でき、とても嬉しく幸せでした。
アルゲリッチ先生に直接「very good!thank you!」と言っていただけて本当に嬉しかった…!!
写真はフルートのみんなと!!
お越しいただいた皆様ありがとうございました💐 pic.twitter.com/JFf5ItLlXR
アルゲリッチ音楽祭無事終わりました。#アルゲリッチ#アルゲリッチ音楽祭 pic.twitter.com/qIGhrvmLP5
— 下山明莉 Akari Shimoyama (@_iamakaris_) May 16, 2022
フルートもオーボエもとってもよかったですブラボー
Chopin: Introduction and Polonaise, Op. 3 - Introduction - Lento (Live)
Chopin: Introduction and Polonaise, Op. 3 - Alla Polacca - Allegro con spirito (Live)
Martha Argerich & Mischa Maisky play Chopin - Cello sonata in G minor Op. 65, 3rd mov
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Odszedł Nelson Freire / Nelson Freire has passed away
フレイレが亡くなったときにChopin Instituteがこんな追悼をあげてくれていたこと、いま知りました。
説明文によると2007年のFestival Chopin and his Europeの演奏とのこと。
今回の演奏会の前夜にみゆきさんの『ホームにて』を聴いたと書きましたが、久しぶりに聴いたけれど、現実の故郷だけでなく、心の故郷、”今はもういない懐かしい人達がいた場所”、”かつてあった、でも今はもうない場所”、"帰りたいけど二度と帰れない、でもいつか還れるかもしれない場所”を歌った歌のようにも聴こえ、フレイレを思いました。
フレイレが22歳の時にバスの事故でご両親を亡くしていたことは知っていましたが、その事故が彼の演奏会に行く途中の事故であったこと(バスが高架橋から谷に転落したそうです)、そのバスに彼も一緒に乗っていて数少ない生き残りの一人であったことを、先日知りました。
現在や未来よりも過去の時間を思うことが好きだと、子供の頃が一番幸せなときだったと言っていたフレイレ。『精霊の踊り』を弾いていたときの彼も、そういう時間や人達を想っていたのではないだろうか。
ところで、Chopin Instituteのこの追悼映像にもアルゲリッチとの写真がいくつもありますね。2003年のドキュメンタリー映画でも彼女について語る場面が多くあるけれど、以下のNew York Timsが書いている場面もその一つ。フレイレに初めてジャズを聴かせたのはアルゲリッチなんですよね。それからすっかり夢中になってしまったそうです。
Whatever repertoire Mr. Freire turned to, he had a depth of tonal variety, a poetry of phrasing and a natural, almost joyous refinement.
In “Nelson Freire,” a 2003 documentary film, he is shown watching a video of a joyous Errol Garner playing jazz piano. “I’ve never seen anyone play with such pleasure,” he said.
“That’s how I found the piano,” Mr. Freire continued. “The piano was the moment, when I was little, when I felt pleasure. I’m not happy after a concert if I haven’t felt that kind of pleasure for at least a moment. Classical pianists used to have this joy. Rubinstein had it. Horowitz had it, too. Guiomar Novaes had it, and Martha Argerich has it.”
What about you, the interviewer asked?
Mr. Freire lit a cigarette, looked up shyly, and smiled.
(The New York Times, Nov 4, 2021)