先月、明月院の紫陽花を見に行こうと思い立ち、北鎌倉に行きました。
ほぼ地元と言っていい場所なので、午後にぶらりと。
多少の人混みは覚悟していったけれど、線路沿いの道を左折してすぐに『最後尾』のプラカードに出会うとは予想外であった
私は運がいいのかいつも比較的空いている中でここの紫陽花を見ることができていて、以前台風の後の夕方に訪れたときは貸し切り状態なこともあったので、長時間並んで人混みの中で見る気にはなれず。
そんなわけで回れ右して、近くの円覚寺へ。
昨年値上がりした拝観料(300→500って上がりすぎじゃない?)に「まったく世知辛いねえ」と思いながら境内へ入ると、空いていて気持ちがいい
ふと見ると、お、松嶺院が公開している
ここは公開しているときと、していないときがあって。
100円(お庭の整備料)を払うと拝観できるのだけど、山門脇の目立つ場所に位置しているのに何故か全く目立たず、観光客の殆どは素通りしていく。
入ると案の定、出張ビジネスマンらしき男性が一人だけ。
ここは「遍路みち」として一周できるようになっていて、季節の草花を楽しむことができます。
こんな風に塀越しに眺める山門や仏殿も、風情があっていいですよね。
足元には、可愛らしい紫陽花の鉢植えがいくつも
ここには何度か入ったことがあるけれど、もしかしたら紫陽花の季節に入るのは初めてだったろうか。
と、脇の扉から庭師の方が。
「紫陽花の鉢植え、色んな種類があって綺麗ですね~」とご挨拶すると、「育てた鉢を並べてみました」と。
そして「上の観音様の所からの眺めが一番いいんですよ。甍が見下ろせて」と。
なんか甍(いらか)って良い響きだな。
井上靖の『天平の甍』の浪漫が浮かぶ
なぜ「禁煙」の文字がこんなに大きいのだろう
この紫陽花も装飾花が八重桜みたいで素敵。
ここから上りの階段になります。
上りきったところにある観音様の辺りからの眺め。
写真右手の塀の内側の細い道が、今歩いてきた道です。
静かで、気持ちがいい
観音様の隣は、円覚寺の墓所。
ここには作家や女優さんなどのお墓とともに、オウム真理教事件の犠牲者である坂本弁護士一家のお墓もあります。
私が訪れるときにはいつもお花が供えられていて、この日もお花がありました。
墓誌には3人のあまりに若い年齢と全て同じ年月日が刻まれていて、改めてどのような事件であったのか、現実感をもって迫ってきます。
坂本弁護士は職場もご自宅も横浜でした。
その事件が起きたのは1989年、私が13歳のとき。
その後の教団の選挙活動や連日のテレビ出演、松本・地下鉄サリン事件、坂本弁護士のお母様の横浜駅前での署名活動など、私はあの頃の空気を今も鮮明に思い出すことができるけれど、今の若い世代はそれを知らないんですよね。
教団が「信教の自由だ」と主張すると、坂本弁護士は「人を不幸にする自由など許されない」と答えたそうです。私も完全に同意します。
と同時に、なぜあの教団があれほど多くの信者を生み出したのか、なぜ彼らは麻原のもとに集まり入信してしまったのか、その原因の一端は日本という国の社会にもあったのではと私は思っています。それを省みることなく自分達とは異なる異常者の起こした特殊な事件として片づけてしまうこと、そこから何も教訓を得ることなく事件を終わりにしてしまうことは、坂本弁護士も望んでいないだろうと思う。
坂本弁護士の遺体が発見された新潟県上越市にたつ慰霊碑の背面には、司法修習生だった頃に書かれた『一年生』という題の文章が刻まれているそうです。自閉症の青年の家庭教師をしていたときの経験を踏まえて書かれたもので、「『声なき彼らのような人々』の心を汲み取るような仕事がしたい」と。
遍路の道は、最初の入口の場所に戻ります。
先ほどの庭師の方がいらして、私が「こんなに素敵な所なのに、殆どの方が素通りしていてもったいないですね」と言ったら、「ご縁がある方が入られるんですよ」と。
「縁」って面白い言葉だな、と改めて感じました。
”いつかの人生”からの風が一瞬吹き抜けたような、ちょっと不思議で、ちょっと儚い、でも決して心地悪いものではない、そんな感覚を覚えたのでした。
※坂本弁護士の碑文の全文は、「救う会」の瀧澤弁護士のHPで読むことができます。