風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

天城 湯ヶ島

2022-07-20 11:20:08 | 旅・散歩

先月、ブロック割を利用して湯ヶ島に行ってきました
皆さま、湯ヶ島ってどこにあるかご存じですか?
静岡県伊豆市の天城にあります。
現在静岡の県民割を利用できるのは、静岡、新潟、富山、石川、福井、長野、岐阜、愛知、三重、神奈川、山梨の在住者。
中部地方の県が並ぶ中に一つだけ関東地方の我が県が混ざりめっちゃ違和感を放っておりますが、実は神奈川が隣接しているのは東京、山梨、静岡なんですね~。箱根の山を越えるとそこは静岡!


ずーと自粛していたので、関東の外に出るのは2年半ぶりです。
お隣の県なので鈍行でも行けますが、今回はちょっと贅沢して踊り子号で。
友人が空いている車両を予約してくれたので、乗客も一車両に数人だけでした。新車両で快適


ランチは道の駅「天城越え」の名物、猪丼
天城は地域をあげてのジビエ推しです。
肝心のお味は、、、やはりケモノ臭い
以前湯ヶ島で買ったコロッケはそうでもなかったのだが。
お新香がのってるワサビ型の器が天城ぽいですね。



湯ヶ島はお気に入りの旅先で何度も訪れていますが、今回の旅の目的の一つは井上靖ゆかりの地巡り
井上靖は湯ヶ島の出身で、彼の作品に登場する風景が今もあちこちに残っています。
といっても私は彼の作品はこれまで『天平の甍』しか読んだことがなく(感想はこちら)、作家自身に興味を持ったのは役所広司さん&樹木希林さん主演の映画『わが母の記』を観てから。
今回の旅行にあたって彼の自伝的小説『しろばんば』と映画の原作となった随筆『わが母の記 ~花の下・月の光・雪の面』を初めて読んだのですが、『しろばんば』は子供時代の鮮やかな情景描写や繊細な心理描写が中勘助の『銀の匙』と似ていて驚いた。ああいうタイプの小説が他にもあったとは。『銀の匙』+米映画『スタンド・バイ・ミー』÷2=『しろばんば』という印象
同時に『しろばんば』も『わが母の記 ~花の下・月の光・雪の面』も、客観的で冷静な筆致が新聞記者出身の人が書くような文章だな、とも(全く悪い意味ではなく)。司馬遼太郎さんのような。と感じてから思い出した。この人は新聞記者出身なのだった。毎日新聞社で山崎豊子さんの上司だったんですよね。彼女に「橋は焼かれた」と言ったのが井上さん。

道の駅「天城越え」の中にある伊豆近代文学博物館では伊豆に関係する作家の資料が展示されていて、そのメインが井上靖です。


子供時代に”おぬい婆さん”と住んでいた土蔵の模型。


同じく、土蔵の二階の部屋の再現。


博物館の中庭には、湯ヶ島から移築された旧邸(医者に貸していた母屋)があります。明治23年築。
今回この家の前で蛇に遭遇し、友人が写真を撮ってネットで調べたところ、ヤマカガシという毒蛇でした。日本のヘビの中でも最も強い毒をもっていて、天城全域に生息しているそうなので、行かれる方はご注意を。


内部は、映画で八重(樹木希林さん)が住んでいた家とよく似ていました。二階は見学不可。

それからバスで湯ヶ島に移動し、天城会館の前で下車。天城会館は、井上靖が通っていた湯ヶ島小学校の跡地にあります。小学校は場所を変えて最近まで存続していましたが、2013年に閉校になりました。
湯ヶ島は、町全体が『しろばんば』の舞台。とても小さな町なので、天城会館の観光案内所でいただいた「しろばんばの里散策マップ」を見ながら徒歩で周れます。
「すのこ橋」は修善寺から来るときにバスで通ったので、まず「馬車の駐車場跡」に行き、旧道入口から「旧道」に入り、「旧邸跡」へ。今は道がアスファルトに変わり当時の風景がそのまま残っているわけではありませんが、自分の足で歩いて距離感と空気感を感じられるのが何より楽しい


旧邸跡(先ほど道の駅で見学した建物の移築前の場所)。土蔵のあった場所もちゃんとわかるようになっています。
しかしあの建物はここに残しておいた方が絶対にいいのにな。取り壊されるよりは移築の方が百倍マシだけど、家というのはやはり町も含めてその家なのだと思う。
写真左手の布で補強された木は、いわゆる「あすなろの木」。
母屋と土蔵の位置関係は、こちらのマップがわかりやすいです。以下は抜粋。




旧邸から「上の家」へ。
こちらは、今も当時の場所に残されています。実際に歩くと旧邸の目と鼻の先で、距離の近さに驚く。
その途中の右手にある角地(写真中央)が、「雑貨屋(幸夫の家)」の跡地。
この交差点は、子供達の遊び場だった「四つ辻」。


「上の家」(母八重の実家。本家)。明治6(1873)年築。
公開は不定期(月4日程度)なので、事前確認必須です。
内部は、『しろばんば』を読んだ人ならとても楽しい。
靴を脱いで上がると、小説の中で本家の人達が食事をしていた居間。その奥の縁側から外を見ると、随筆『わが母の記』に登場する「アメリカさんの家」が向かいにあります。マップには載っていないけれど、スタッフの方が教えてくださいました。また、昔のアルバムも見せてくださいました(アメリカさんの写真や当時の建物など)。
急な階段を二階に上がると、肺病のさき子が寝ていた部屋、襖越しに会話をした場所、おしな婆さんの嫁入り道具、おぬい婆さんの葬列を見送った窓、子供達がさき子を覗こうとした柿の木などが見られます。窓からうっすら富士山も。


見学後は、談話室で梅ジュースと小麦饅頭をご馳走になりました
梅ジュースは冷たく、小麦饅頭は熱々で、どちらもとっても美味しい
とお伝えしたら、お饅頭は朝から皆さんで作ってくださった手作りとのこと
朝に家を出て、この頃にはだいぶ疲れていたので、ほっと一息つくことができました。

「上の家」で思いのほか長い時間を過ごした後は、スタッフの方に教えていただいた「光一の家(本屋)」と「営林署跡地(しろばんばの里公園として近々完成予定)」を見てから、廃校となった湯ヶ島小学校のグラウンドを突っ切って(敷地内には井上靖の詩碑や、洪作とおぬい婆さんの像や資料室があります)、「弘道寺」へ。


「弘道寺」と向かいの蓮。
弘道寺は、安政4年(1857)、初代アメリカ総領事のハリスが日米修好通商条約を締結するため江戸に向かう途中で宿泊した寺。その旅程については、こちらのブログ様が詳しいです。


その隣の「天城神社」。さき子と中川先生のデート場所。ユーモラスな表情をした狛犬がいます。
予定時間をだいぶ過ぎてしまっていたので、一旦湯ヶ島温泉にある宿に行き(ここから徒歩数分)、チェックインを済ませました。それから「湯道(ゆみち)」へ。


狩野川沿いの「湯道」。
今は散策路として整備されていますが、洪作達が「西平の湯」に向かった道もこのあたりかな。


男橋から狩野川の下流方面を望む。奥にかかっているのは、落合楼村上(営業中)と眠雲閣落合(閉館)を繋ぐ橋。
眠雲閣落合は廃墟がまだ残っているので、昼間でも薄気味悪いです。窓に人影が見えちゃったらどうしようとか。


映画『わが母の記』のロケでも使われた吊り橋。
手前の赤い屋根は、落合楼村上の我楽多亭。


森を抜けたところにある、「湯本館」。


「湯本館」正面。
川端康成が『伊豆の踊子』を執筆した宿で、趣のある建物です。
ちなみに川端は井上靖の祖父と囲碁を打つため、「上の家」をしばしば訪れていたそうです。


「湯本館」のすぐ隣は、共同温泉「河鹿の湯」。


「河鹿の湯」は、『しろばんば』では「西平の湯」として登場します。小説に登場する場所には必ずこの形の案内板があるので、わかりやすかったです。


「河鹿の湯」の裏を流れる狩野川。


狩野川を渡って、宿のある出会い橋の方へ戻ります。
水が綺麗で、気持ちいい


女橋。その奥は男橋。
猫越川と本谷川がここで合流して狩野川になります。それぞれの川にかかる女橋と男橋が一つに繋がっているので、「出会い橋」。


猫越川を挟んで眺める今夜の宿。
ここの川床が好きで、いつもこちらに泊まります。


これは冬の季節に行ったときの写真ですが、夜の川床。


宿の温泉で汗を流し、夕食処へ。
こんな感じで猫越川を間近に眺められます。
川のせせらぎと風に、日常の鬱憤が消えていく。。。命の洗濯って絶対必要。。。この宿は一人旅の方もウェルカムで、この日も中年の男性がお一人でのんびり川床を楽しんでおられました。半屋外なのでコロナを気にせず食事ができるのもいいところ。


ここはご飯も美味しい(コロナ禍で少々レベルダウンした感も無くもないが)。
天城のアマゴの刺身、わさび鍋、鹿肉などのジビエ料理もいただけます。


今の季節は天然鮎の塩焼きと鮎ご飯も
ところで、天城の特産の一つに椎茸があります。江戸時代に全国で初めて椎茸栽培を成功させたと云われる天城の石渡清助は、井上靖の父方の先祖。石渡家の椎茸栽培は靖の祖父の代まで続いて、『しろばんば』にも石守林太郎として登場しています。

食後は、蛍を見に出会い橋へ
宿のすぐ裏なので、浴衣のままでOK。
蛍は色々な所で見たことがありますが、天城の蛍が一番数が多くて元気もいい。
ピークを過ぎた6月下旬でしたが、雨上がりの暑い夜、新月近くという好条件だったため、今回も沢山の蛍が飛び交うのを見ることができました。

一時間ほどすると蛍達はおうちに帰っていき、空も曇ってきたので我々も部屋に戻り、宿からのお夜食のおにぎりとお持ち帰りにした夕食のデザートをおつまみにして、しばし酒盛り(お酒は友人が自宅から持ってきてくれました。瓶なんて重いのに、いつも有難う)。
そうこうしているうちに日付が変わる頃になり、窓から外を見るとすっかり雲が晴れて、満点の星空が
慌てて友人と外に出ると、久しぶりに見る天の川
もうすぐ七夕のこの日、天の川を挟んで向かい合う織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)もはっきりと見ることができました。
と偉そうに書いてますが、私は織姫がベガで彦星がアルタイルであることを知らず、友人が教えてくれました。重ね重ね感謝。。。
星を見ているとき、名残りのホタル一匹とタヌキの姿がありました。


翌朝の部屋からの眺め。
下を流れるのが猫越川。奥に見える山は井上家のお墓がある熊野山かな。


朝食も川床で。
アマゴの干物や、わさび丼など。
わさび丼は、摺りおろした山葵と鰹節をご飯にのせて醤油をかけて食べる食べ方で、安曇野の大王わさび園でもいただいたことがありますが、これが美味しい!生の山葵さえあれば、自宅でも作れます。


朝の川床も気持ちいい


チェックアウト後は、世古橋を渡る南側の湯道(ちなみにここは梶井基次郎が散歩した道)から熊野山の西側を北上し、市山まで歩きました。


市山にある、東京ラスクの伊豆ファクトリー。
私はラスクは買いませんでしたが、建物内の朝市で、新鮮な山葵の茎とズッキーニと地元の方が作った山葵漬けを購入。「今から月ヶ瀬の道の駅に行くので、どうしようかな」と私が迷っていると、おばちゃん曰く「あそこはここの2~3倍の値段よ!」と。本当にそのとおりでした。


道の駅「月ヶ瀬」の近くでは、『しろばんば』の田んぼアートを見ることができました(これも友人が教えてくれた。感謝)。洪作少年とおぬい婆さんと富士山ですね。


帰りは鈍行で。乗り換えの修善寺駅にて、三島行きの電車をパチリ。レトロな色合いが可愛い
三島駅では、乗り換え時間にご当地グルメ「みしまコロッケ」を食べてみました。意外と売っている店が少なく、駅前のヴィドフランスで購入。玉葱の風味がしっかりあって美味でした。

久しぶりの関東圏外への旅行、心からリフレッシュすることができました。
第7波がくる前に行けたのもよかった。
やっぱり旅はいい
湯ヶ島、観光客が少なくのんびりできてオススメです


◆◆◆オマケ◆◆◆


ピンクで囲った家が「アメリカさんの家」。表札は今も井上さん。個人宅なのでもちろん見学不可です。画像はgoogleストリートより拝借。わかりやすく「洋館」には見えないけど、「上の家」と比べると確かに明らかに洋館ですね。


講談社文庫『わが母の記』巻末より。
この写真でお二人がいるのは、土蔵の裏の一段高くなっている部分(昔は「田んぼ」で、今は芝生になっている部分)かなと。この写真の頃には土蔵はなくなっていて、母屋だけがありますね。

最後に、『しろばんば』より抜粋を。
ここ数年ず~っと鬱々している私なので、自然とこういう部分の抜粋になります 

洪作は言われるままに土蔵を出た。洪作にも、おぬい婆さんはもうそう長くは生きないのではないかと思われた。洪作は暫く庭を歩き廻りながら、この世は憂(う)きことが多いというような試験問題の文章があったことを思い出し、実際に人生というものは憂きことが多いと思った。犬飼が狂ったことも憂きことであったし、おぬい婆さんに老衰がやって来つつあることもまた憂きことであるに違いなかった。洪作は久しぶりで若くして他界した叔母のさき子のことを思い出した。さき子もまた憂きことの一つであった。人生というものが複雑な物悲しい顔をしてその夜の洪作の前に現れて来た。
(『しろばんば』より)





井上靖年譜(井上靖記念館)
湯ヶ島のマップ(かかりつけ湯協議会)
湯道のマップ(伊豆市観光情報サイト)
小説しろばんばの舞台・上の家(伊豆市観光情報サイト)
天城 文学と旅(天城温泉郷観光ガイド)
「上の家」パンフレット

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