【 売れる営業 】実務営業コンサルタント 島田安浩 アクト株式会社代表

「営業紙芝居×顧客LTV最大化」実践講座 
営業実務コンサルタント島田安浩が「営業で悩む人を無くす」ために情報発信

『 売れるように成ってからの変化。 』

2007年10月30日 10時29分41秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No16 )『 売れるように成ってからの変化。 』


11月にビックリするほど売上が上がってから、12月はやる気が思いっきり無かった!

なぜって、ボーナスが雀の涙だった!!

S社は、そう言うところもキチットしていた。つまり、売上に応じた、ボーナスなので、しかも、評価期間は上半期分なので、売れて無かったので出なくても自分の責任なのだが、そんなふうに考えられるほど大人でもなかった。

同期の連中と比較しても、中ぐらいだったので悪くはないが、先月はダントツだったのに「何で何だ!」と、訳の分らない怒りがこみ上げて仕事をする気に成れなかった。

そして、同期の売れて無い、O君と朝からパチンコ屋に並んだ!

実は、O君にとってこの行動は、普通にいつものことだったようだが、俺はビビりながら、でも頭に来ていたので、一緒にパチンコをした。

でも、O君との違いは、時々電話をしに表に出て、アポイントを取っていたことだった。

先月からの見込みの流れ込みや、以前の見込みなどあったので、頭に来たからと言って、営業を全くしたくないと言うほど、遊びに熱中できるタイプではなかった。そこまで、度胸も無かった…。

アポが入ると、「O君、俺チョット行ってくるわ~。」と言って、営業に行って、1時間ほどで戻ってきて、また一緒にパチンコをしていた。

会社に帰ると、俺はオーダー発表していたので、O君が「いつの間に?」って聞いて来た。

「昼間、出かけたでしょう!?」

「エッ、あの間に取ったんだ!凄いね~。」

O君は「ずるい」とかそう言う感覚が出ない人だった。ただ、本当に感心していた。

彼は、千葉大卒のエリートだった!営業など向いていなかった。

その1ヶ月はつるんで回ったが、1件も彼は飛び込みをしなかった。

イヤ、出来なかった!

イヤ、したくなかった!

本人が堂々と言っていたが、「そんなものが出来るなら、俺はもっと契約を取ってる!出来ないからこんな数字なんだ!」

ある意味凄かった!

彼に聞いてビックリしたが、入社以来、1件も契約を取っていなかったらしい。

でも、月に数件はオーダー発表していたが、それは全て上司が付けたオーダーだった!!

彼は、その後、総務に移動して、才能を発揮して、総務部長・社長室長などを歴任して20年務めて他の会社に移ったので、俺よりもず~と、ず~と、長くS社に勤めた。

超、頭の良い尊敬できるヤツだ!

話を戻すが、結局、12月もノルマを達成できてしまった。

と言うか、今までとは明らかに違ってきた。

何が違うかと言うと、契約を取れるのが普通に成って来た。

今までは、必死で追いかけて、契約がやっと取れたのが、遊んでいても取れるようなそんな感じに成って来た。

この月に、面白い出来事があったので、書いておく。

O君と別れて、新宿区にエリアを移した日の出来事だった。

相変わらず、仕事をする気が無かった俺は、喫茶店でモーニングを食べて、そのまま11時頃まで、喫茶店で時間を潰して、表に出た時に、驚くべき人物と遭遇してしまった!

当時、東京の統轄部長をしていたKさんだった!!

支社長の上に位置していた人なので、顔は見たことがあったが、話をしたことも無かった。

「逃げよう!」そう思った瞬間に、『島田やんか!』彼は関西の方だった。

『ここら辺回っていたんか!』

「ハイ!」嘘を付いた。

『そうか、…』彼が自分の腕時計を見たので嫌な予感がした!

『よっしゃ!少し一緒に回ろう!』『どこ行こか?』

「エッ!エッ!~~~!!嫌だよう~助けてくれ~K部長となんて回れないよ~!」心の中で叫んだが、もう逃げれなかった。

Kさんと3時間ほど一緒に回る破目に成った。

でも、非常に参考に成った。

以前も書いたが、俺は誰にも営業を教わったことが無いので、人の営業を見る機会が無かった。

Kさんは部長だが、交替でアプローチして俺に直販のやり方を見せてくれた。

体が大きく、身長も高いKさんが、関西弁で「こんにちわ~」と言いながら客先に入って、大きなカバンをお客さんの机の上に、バ~ン!と置いて話し出すと迫力があったが、顔はニコニコ笑いながら、怖そうだが、人が良いそんな印象を相手に与える人だった。

口癖が、「次は取れるで~次で決めよう~や!」だった。

11時から回りだして、13時前に、俺が飛び込んだ歯医者さんで、先生が82歳と言う高齢の方がいた。

対象機種が付いていて、話も聞いてくれて、契約が取れそうだったが、料金が折り合わなかった。

いつもなら、会社に電話する振りをしながら、値引いて契約を貰うのだが、後ろに部長がいたらそれも出来ないのでどうしようかと悩んでいたら、後ろから大きな声で、

『島田~値引いたら、エエやん!』

と部長自ら値引きの決裁をしてくれた。

その後、俺とKさん二人がかりで迫ったので、先生はあっけなく契約をしてくれたが、なにせ、お歳が82歳なので、通常はリースの対象外に成る。

息子さんとかも、普通に会社員なので、後を継がないみたいなので、導入しても仕方がないな~と思ったが、契約を頂いて、表に出て来た。

Kさんは大喜びしていた!

『やったな~おめでとう!』と握手して、元気にKさんは会社に戻って行った。

会社に帰ったKさんは、業務のみんなにかなり自慢をしていたようだった。

でも、俺は、一緒に回れただけで嬉しかったし、非常に勉強に成った。

俺には真似の出来ない、雰囲気だったが、前向きに1件1件回る姿勢には、ある意味感動した。

翌日笑ったのが、あの歯医者さんからキャンセルの電話がかかって来た。

息子さんが導入に反対されたようだった。

まあ、当たり前だよね~と俺は半分、予感があったので、気にはならなかったが、K部長は、前日かなり自慢しただけに、その日は非常に静かだったそうである。

俺の中での変化は、明らかに、数字が付いて来るように成っていた。

そんなに仕事をした感覚が無いのに、結果が自然とついて来るように成っていた。

この年の、年収(4月から12月)が年末調整の紙で来たが、300万程度だったように記憶している。

少なかった…、毎晩、飲みに行って、その後、カラオケに行っていたので、お金が残るわけが無かった。

翌年が、520万ぐらいだった、その次の年からは、600万以上に成った。

これが、多いとは思っていなかったが、大学時代の友達に会って飲みながら話をすると、この金額が異常に多かったようだ。

みんな、学校に先生をしていたので、300万程度だった。俺が、520万とか600万を超えるように成ったので、みんなが羨むと言うよりも、明らかに嫉妬していた。

それ以来、大学時代の友達と、お金の話はしなくなった。まして、S社が株式公開してしまったので、それからは言えなくなった。

26歳の若造の通帳に1000万以上の預金残高があった!

まあ、その金もどこかに消えて行ったが…。


皆さんにお知らせで~す!

11月9日(大阪)16日(東京)で講習会を開催いたします。

内容は、第一部:「売れる営業マンの常識は売れない営業マンの非常識」 
第2部:「劇的な効果をもたらす考え方」の2部構成です。

1部2時間ほどです。参加費用は1部5千円、通して7千円です。

現在、事前予約(http://www.cotucotu.com/anketkou.html)をしておりまして、事前の場合は通して5千円です。

ぜひ、席が無くなる前に(無くなると良いですね!)、お誘い合わせの上、上記アドレスから申込み下さい。(メールで直接でもOK)

場所や時間はこのアドレス(http://www.cotucotu.com/kousyukai.html)にて確認頂けます。

特に今回は、「お願いしない営業。」「楽しい営業。」に焦点を当てて講習会を実施する予定です。最近、クライアントさんとお話ししていて、一番の問題が営業に対する偏見であると感じております。「営業=押し売り」「営業は辛い」「営業は大変」「営業=罪悪感」などなど、パラダイムシフトが必要な人が非常に多いと感じています。

そこで、営業ほど素晴らしい職業は無いことを実感して頂けるように、パラダイムシフトして頂けるような講習会を短い時間ですが実施できればと考えております。

ぜひ、多数お誘い合わせの上(席は限られてますが…)今すぐ、http://www.cotucotu.com/anketkou.html より、お申込み下さい。

以上、よろしくお願い致します。

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アクト株式会社 代表取締役 島 田 安 浩
電話049-256-9421 FAX049-256-9431
HP http://www.cotucotu.com
mail shimada@cotucotu.com
メルマガ http://www.mag2.com/m/0000246022.html
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『 驚くべき契約数! 』

2007年10月28日 13時10分29秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No15 )『 驚くべき契約数! 』


11月に入って、本人が一番ビックリだったが、毎日のように契約が取れた!

五反田から大崎にかけて回っていたが、見込みに成ったところが、全て決まって行ったのだ。

決まり始めると不思議なもので、決まるのが当然と言うような気持ちに成って来る。

最初の週が3セット、翌週は8セットも決まった!一週間ではもちろん過去最高だった!!

管理に業電を入れる度に、係長のAさんから、「若しかしてまた取った?」と聞かれて、

「何でわかるんですか?取れちゃいました。」

「凄いね~!!」

っていう会話を何度したことでしょう。

結局、11月に17セットの契約が取れて、入社して初めてノルマを達成しました!

「嬉しかった!」

本当に嬉しかったです。

たくさん売れたのも嬉しかったですが、それ以上にノルマ達成と言うのは、入社以来の悲願でしたから、達成できて本当に嬉しかったです。

でも、不思議なのは、別に特別なドラマが無く、突然!売れるように成ったと言うことです。

「あっ、営業ってこんなもんなんだ!」

って感じたのを覚えています。

「社長様ではなく、社長!って言えば良いんだ!!」

これが、俺が感じた、売れるように成った時の悟りのようなものです。

後で聞いた話ですが、その月の『マン、オブザ、マンス』を取ったのが例のIさんです。(『マン、オブザ、マンス』とはその月で、一番多くのセット数を上げた人のことで、毎月、全国の営業マンが集まって表彰式をしていました。つまり全国で一番多く販売した日本1の営業マンです。当時のS社は業界トップでしたので、この表彰者はイコールまさに日本1番です!)

Iさんが、「島田結局何セットだったの?」って聞くので、「17セットでした。」って答えたら、

「エッ!失敗した!!俺と一緒だったんだ。そしたら、1セット翌月に回せば、島田がマンオブザマンスだったのに・・・。」

と言ってくれたのです。

同じセット数だと、売上の高い方が、選ばれるので、俺の方が売上が低かったのでしょう。

そのように気を使ってくれた、Iさんの気持ちも嬉しかったですが、それ以上に、日本で一番の人と同じセット数が取れたと言うことが嬉しかったです!

これもまた、非常に自信につながりました。

この月末で、俺は、毎晩続けていた、「トーク練習」を卒業しました。

良く続けたよね~そのお陰かも知れないね、こんなに契約が取れたのは。

人間は一つのことをやり続けると、やり方さえ間違ってなければ、ある日突然、急にできるように成ります。

これを、“量質転化”と呼びます。

例えば、右利きの人は左手で、箸を使う練習をしてみると体感できます。最初は上手くいかないで苦労します。

何日かやっていると、ある日突然、力が「スッ」と抜けた感覚で、右手と変わらないように食べれるように成ります。

営業でもそうでした。

やっと、普通に取れる営業マンに成長出来ました。

これで終わりかって?

まだまだですよ!

やっと人並みに成れただけです。

ここからが、スーパー営業マンへの道のりです。

次回からが第二部です。

『人のやらないことをする。』です。

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アクト株式会社 代表取締役 島 田 安 浩
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『 自信が付いた、五反田TOCビル! 』

2007年10月27日 19時59分31秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No14 )『 自信が付いた、五反田TOCビル! 』


丁度、10月に入った頃だった。

五反田を回り始めた時に、先輩から、「五反田でとても営業がしにくいところがある」と聞いた。

「どんなところですか?」

「行ってみれば分るよ、TOCビルって言うんだ。」

そう言われると、行ってみたくなるのが人情です。

五反田の駅を品川に向かって、右方面に降りて、大通りを真っ直ぐ結構歩いたところにあった。

「ここだ~。」入ってみて、直ぐに営業がしにくい理由が分かった!

まるで、デパートの中だった。

このビルは、総合卸売のビルで、大塚家具など大手の卸をやっている所が集まっていた。

「えっーーー  どうしよう!」

上から順番に回ろうと思ったが、中に入っているお店は、全部がガラス張りで、入ろうとすると目と目が合ってしまう。そして、向こうで何か嫌そうな顔でこっちを睨んでいるそんな気がして、入りずらいのである。

「ん~~~ん。」唸ってしまった。

しかも、普段直販で飛び込んでいる会社よりも大きく、取れそうな感じがまるでしなかった。

情けないことに、9時から11時過ぎまで、1件も飛び込めないまま、上から順番に見て回ることしかできなかった。

「情けないな~」自分で自分に向って、そんな声が聞こえた。

このまま歩いているだけでは仕方がないと、その時丁度、目の前にあった、文房具を販売している会社に飛び込んだ。

ここは、余り大きくないし、中から、こっちを見てなかったので、入り易かった。

確か電話機は3~4台しか使っていなかった。

丁度対象に成る機種を使われていたので、スンナリ商談が出来、しかも、契約が取れたのである。

「エッ!!!!」こっちがビックリだった。

その日は、勇気が出なくて、昼前にはじめて飛び込んだら~契約が取れてしまうなんて!良いのこんなんで~

って感じだった。

俺は、これに良く似た経験を何度もしている。

直販をやっていると、不思議とイキナリ飛び込めなくなる時がある。

ここのように、自転車屋さんなどで、目と目が合ってしまった時に、入れないで、そのまま通り過ぎてしまったり、順番に回っていて、突然、それまで平気で開けていた扉が、非常に重たい重たい鉄の扉に成って、開くことが出来なくてその前で固まってしまうのである。

そんな時に、俺は自分と約束をしていた。

後で、絶対にそこへ訪問すると言うことだった。

ある自転車屋さんでも、同じだった。目と目が合って、飛び込めなくて、そのまま飛ばして、何軒か回って戻って来て、飛び込んで商談したら契約が出来た。

あるビルで、直販していて、ある扉だけが、なぜか叩けない!どうしよう。

非常階段でたばこを1本吸って、気を取り戻して、勇気を出して飛び込んだら契約が決まった。

そんな経験である。

でも、約半日も飛び込めないまま、勇気を出して飛び込んだら取れたと言うのはさすがに初めてだった。

そのお陰で、何か自信が付いた。

なぜなら、みんなが難しいと言うところで契約が取れた。

それだけでも、誇らしかったし、自分に負けそうになったのを、克服して契約が取れたことが嬉しかったし自信に成った。

その後も、2週間ほどTOCビルを回ったが、本当に良いビルだった。

雨が降っても、1日ビルの中で過ごせたし、食堂も地下に入っていたので、そのビルの中で1日過ごせたのである。

何だかんだで、5件ほど契約が取れた記憶がある。

しかも、3件は結構台数も多く、過去最高の契約台数だった。

このビルを回ったお陰で、営業マンとして結構自信が付いて来た。

「俺も、結構やるじゃん!」

そんな気に成りつつあった。・・・


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アクト株式会社 代表取締役 島 田 安 浩
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『 営業の裏側! 』

2007年10月26日 17時03分24秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No13 )『 営業の裏側! 』


いろんな経験をした中で、徐々にみんなのやっていることが分かって来たのがこの頃だった。・・・

当時俺は、7セット/月ぐらいは安定し始めていたので、思いっきり取れないと言う方でもなく、チョット取れない方にランクアップしていた。(まあ、低いレベルだけど…)

でも、俺の中では、この頃には、みんなの秘密も知っていたので、全然焦らなくなっていた。

どんな秘密かと言うと、“天ぷらオーダー”のことである。

“天ぷらオーダー”とは何かと言うと、「揚げるだけ!」と言う意味で、オーダー発表をして、契約書を管理に対して上げるだけなのだ。(意味が分かんないよね!?)

つまり、完了はしない、インチキ契約のことである。

当時のS社は、営業が契約を取ってくると言うのは、リース契約書・受注伝票・設置図面などをお客様先で記載して、お客様の会社の代表印と銀行印を貰って、社長に記名捺印を貰わないといけなかった。その書類を、業務に提出する。

業務は翌日、お客様に電話をして契約内容の確認を取ってから、リース会社に審査を流して、承認が出てから工事日を決めて、仕入て工事すると言う流れである。その後、リース会社に書類を提出して、今度はリース会社から工事完了確認の連絡(検収と言います)をして、問題無ければS社に入金されるのです。

営業の仕事は本来、契約を取って、工事完了して、リース会社から入金があって初めて完了するのだが、そのように考えている営業マンは非常に少なかった。

まあ、ほとんど皆無だった。

なぜかと言うと、「3ポカ制度」も受注で実施していたので、契約が取れて、客先確認が終わると、その先は追及されなかったのである。

要は、「受注命!」の会社で、本来やるべき工事完了、そして、入金までを考えられるレベルじゃなかったと言えます。

また、天ぷらではなくても、売り方が粗いと、後でキャンセルが入って、結局は工事完了しないと言う契約もたくさんあったようです。

それがどうして分かったかと言うと、ある日の夕方、以前登場したとっても嫌いな先輩たちと合流したことがありました。

その日は、課の数字が全然出ていないために、“ロングラン”がかかっていました。

“ロングラン”とは、取れるまで上がって来るな!と言う意味で、言うなれば、「回り続けろ!」と言うことです。(本当に、S社ではいろんな変な言葉を作って、営業を面白おかしく演出していました。そこは感心します。)

その時に、「ここら辺に友達いない?」って俺に聞くんです。

俺は「何で?」って疑問に思い聞きました。

そしたら、「決まってるだろ!天ぷらを作るんだよ!」だって。

その時まだ、その言葉もやり方も知らなかったので「何ですか、それ~?」って聞いたら説明してくれました。

例えば、友達がAさんだとすると、Aデザインルームとか適当な“みなし法人”を作ってしまうのです。(みなし法人とは株式や有限登記はしていないが、法人とみなせる、個人事業主のこと通常は屋号があって、商売をしている。)

そして、みなし法人なので、個人印ですべて書類が作れるので、それで書類を作成して、翌日の電話がかかって来た時に、「契約しましたよ!」とだけ、言ってもらうというようにするのです。そして、その日の夜か、翌日に、お客様からキャンセルが入ったとして、キャンセル処理をして一件落着となるのです。

もう、ビックリしました!

何やってんの?・・・と開いた口がふさがらなくなりました!

そんなことをやっても何にもならないのに、馬鹿じゃないの?って真剣に頭にきました。でも考えてみると、良くそこまで考えるな~とある意味、感心しました。

当時、疑問に思っていたことがこれによって理解できたのです。それは、会社に個人別の受注と完了のグラフがあるのですが、ほとんどの人は、受注グラフばかり伸びていて、完了グラフは全然伸びていないのです。

どうも、それが不思議でならなかったのですが、一回、Iさんに聞いた時は、「翌月に流れているんだよ!」って尻尾を出さなかったのですが、これで分かりました!

みんな、多かれ少なかれ、天ぷらやキャンセルがあったために、受注が伸びて、完了が少ないと言う結果に成っていたんだと。

私は、逆でした。

完了がいつも伸びて、受注が若干少なかったです。

これは、月末のオーダーがいつも翌月に流れたためですが、私の場合は、天ぷらはもちろんありませんが、キャンセルも本当にない営業マンでした。

これも、そう言う悪いところを見せずに育ててくれた、Iさんのお陰でしょうが、見ようとしないで、モクモクと直販を続けて来た、俺って偉いな~と感じる瞬間でした。

他にも色々分かって来ました。

お客様に契約の書類をもらう時に、リース契約書を複数枚作っておく。そして、どうしても数字が出ない時に、保存しておいたリース契約書を活用して、以前電話機の契約を取ったところなら、FAXなどにしてオーダー発表をする。お客さんには確認だけお願いする。

その他、お客さまにお願いして協力してもらって、天ぷら契約をグルに成って作るってこともやっていたようです。

中にはとんでもなく悪いやつがいて、代表取締役印とゴム印まで作って、天ぷらを揚げていたヤツまで居ました!まあ、これを見抜いた、業務の担当も偉いですが、どうも、印鑑の形がいつも一緒だと、比較してみて分かったようです。

と言うような、闇の部分が見えて来たのです。

そう思うと、月に7セットの完了は、平均以上でした。

完了グラフでは、中間の上ぐらいの位置だったので、焦りも無く、仕事に集中が出来ていました。

まあ、良いのか悪いのか、みんなの創意工夫は凄いと感じましたが、俺は、天ぷらを揚げる気にはなれなかったな~。


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「 日常生活!? 」

2007年10月25日 18時40分16秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No12 )『 日常生活!? 』

当時の、S社社員の日常生活!?を書いておこうと思います。

まあ、全部のS社社員がこのような生活だったかどうかは、不明ですが、・・・

朝、7時には渋谷にある会社に着いてました。

当時、俺は「誰もしないことをしろ!」と言うIさんの言いつけ通り、トイレ掃除を進んでやっていました。と言っても、適当にやるだけですが、進んでやると言うのに自己満足がありました。

そして、S社には面白いルールがあって、朝、出社すると全員と握手をするのです。「おはようございます」のことを短縮して「ザイス!」と言いますが、「ザイス、ザイス」と言いながら全員と握手をします。

私は早く来ている方だったので、握手をされる側が多かったです。

これは、外で出会ってもやります。道玄坂で他の拠点の支社長と会ったら、「チワ~ス!」(こんにちわの短縮系)と言いながらやります。

その最中に、営業の準備ですが、バインダー1個で営業していましたので、少なくなったカタログと、契約書関係を補充するだけで、至って簡単でした。

その後、8時10分前から朝礼があったように記憶してます。

体操⇒オーダー発表⇒3ポカ⇒ヒーロー発言⇒課のトップ発言⇒支社長締め⇒社訓それが終って、「行くぞせ~の!」と言って、全員が1本締めをして、課の朝礼をしてから現場に行くのです。

大体、9時前には現場に着きますので、早い時や、腹が減ってる時は、モーニングを食べます。

俺は、会社に来る時に、何かおにぎりなど買って会社で食べることが多かったのであまりモーニングには入りませんでした。

そして、直販開始です!

一件目が重要です。と言うか、なかなか飛び込むまでに、勇気が必要なのです。

毎日やっているくせに、なかなか、踏ん切りがつかないものです。まあ、自分の心の中での葛藤ですが、1件飛び込むとその後は、次から次と行けるのですが、・・・

まあ、悩んでも仕方ないので、自分で開始と決めて5分以内には回り始めていました。

私は、9時から13時までを午前中の直販タイムにしていました。

なぜかと言うと、12時から13時は以外と社長が一人で留守番をしているケースが多く、邪魔な社員が食事でいないで、社長一人なので商談がしやすいケースが結構ありました。

だから、13時までは直販を続けていました。

途中の休憩は適当でした。

当時はまだ煙草を吸っていましたので、1時間ぐらいに1度は煙草休憩をしていました。当時は、ロングピースを止めて、キャビンマイルドを吸い始めていました。

例のやくざに追っかけられた頃から、夜、喘息気味でキツイたばこが吸えなくなって来てました。そこで、Iさんが吸っていた、キャビンマイルドに変えた頃でした。(前回も書きましたが、真似してました。)

私の場合は、必ず根元まで吸うので、1本で5分休憩が出来ました。

そして、また直販を繰り返します。

ただ、午前中1回と、午後から2回は電話でアポを取ることも実行していました。

昼休みは、13時から15時が平均的でした。

最初は、12時から13時でしたが、上記理由で、13時に変更し、毎晩、20時までは最低現場で直販していたので、徐々に昼休みが長く成って行きました。

それと、この時間帯は、社長が捕まえにくい時間帯なので、回っても成果が出にくかったので、休憩してました。

ですから、昼をどっかの定食屋に入って食べて、その後喫茶店に行くと言うパターンでした。

大好きな喫茶店は、ルノワールです。営業マンはみんな知っていると思いますが、もう、寝て下さいと言うような、ソファーがあってどんだけ寝ていても怒られない、営業マンのための憩いの場です。

今は、漫画喫茶などあるので、そこが休憩所に成っているでしょうが当時は、直販しているエリアで、くつろげる喫茶店を探すのもまた楽しみでした。

そして、15時からまた直販ですが、その前に電話をかけてアポイントを取ります。アポが入ればそこに行き、ダメなら叩き始めます。

そして、20時まで回り続けるのです!

今、考えるとよくやっていた!って感じです。

そして、会社に電話して、もう1時間回るかどうかが決まり、大体、21時から22時には会社に戻って、課の終礼をして、1日が終わります。

その後、どっかの居酒屋に繰り出して、食事兼飲み始めます。

2時間程度飲んで食べたら、スナックへ移動して、カラオケを歌います。

凄い!音痴でした!!・・・もう笑ってしまうぐらいです。

社会人に成って初めて、スナックなんかにも行くように成って、カラオケを歌い始めましたが、自分の音程が狂っていることにも気が付かなかったです。

最初は、なぜか俺が歌うと、拍手の音頭がバラバラになるな~って感じていましたが、徐々に、「俺の音程が狂ってるんだ!」と気付きはじめ、徐々に直って行きました。

まともに歌えるように初めてなった曲が、川島英吾の「酒と涙と男と女」です。

誰かが歌っていて覚えて、唄えるようになりました。

今でも、一番好きな曲です。

そして、終電で帰宅するか、間に合わなければ、渋谷のサウナかカプセルホテルに泊まると言う毎日でした。

俺は、ナンパが下手と言うかしなかったですが、S社の社員は非常に皆さんお上手でした。

ある人は、「店1件全部食べちゃった」とか冬は寒いので、ズボン下を掃くのですが、女の子に見られるとカッコ悪いので、渋谷のラブホテルの窓から捨てて、何日間も、その下の木にズボン下が引っ掛かって、風になびいていたとか活躍している人が大勢いました。

毎日、毎日、営業と酒と歌!?おねいちゃん!?と言う感じでした。

土曜は普通に営業していましたので、休みは日曜だけでしたが、日曜にデートしてても、窓越しに電話機を確認して、「あそこの電話機は狙える!」なんて言ってました。まあ、職業病ですね。

こんな毎日を送ったせいで、1年で15kgも太ってしまいました。

大学時代は、1日の半分は空手をしてましたが、運動をしていた人間が、急にしなくなって、不規則に食べ始めると、本当に太ります!

大学時代が、65kgだったのが、一時期85kgまで行きました。

大学時代の友達に、「島田は体も心も丸くなった」と良く言われました。

まあ、気が付いたら笑顔も出せるように成っていたので、本当に丸くなり、体型も丸くなって行きました。

当時は、頭の中は『営業』だけでした。

『どうやって契約を取るか?』そんなことばかり、考えていました。

夢の中でも営業をしてましたし、トーク練習をしました。

本当に無我夢中に営業の勉強をしていたそんな毎日でした。


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アクト株式会社 代表取締役 島 田 安 浩
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「 会話のスキル 」

2007年10月24日 17時59分07秒 | Weblog
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No11 )『 会話のスキル 』

今回は、実際の営業の中で、重要な会話のスキルがどのようにして付いて行ったのかという話です。

俺は、誰にも教わりませんでしたが、「盗む」ことは良くやりました。

今の若い連中にこんな話をしても、「何、言ってんの?」って感じでしょうが、全てのスキルは教わるものではなく盗むものだと思っています。

そして、盗むとはどういうことかと言うと、真似をしてやってみて、自分のものにすると言うことなのです。昔の習い事は全てそうでした。日本の絵画もヨーロッパの絵画も、模写をすることで技術を盗んで、その技術を自分のものに成るまで模写を続けて、そして、自分で描き、あがき、モガキ苦しんで、気が付いたら自分のものになるのです。

例えば、剣道で県大会で優勝するほどの腕前に成れたのも、強い人の真似をして、繰り返すことで、自分の技に成れたからです。

営業でも同様です。

「売れる人の真似」をするのです。

前回話したように、私の課には日本一の営業マンIさんが居ました。けれど、普通に教えたりは一切しない人なのです。

それで、私は何をやるかと言うと、ワザとヘタクソなトーク練習を同僚とIさんの近くでやるのです。それも、自分がうまく対応できなかった実際のアウトを言ってもらい、それに対してヘタクソに答えるのです。

何度かやっていると、Iさんは我慢できなくなって「そんなんだから取れないんだよ!」と言いながら、Iさんの言い回しで、お客さんに対する応酬をするのです。

それを、聞き洩らさないように、頭にイメージとして叩き込むのです。

そう、イメージです。映像で話している表情から、視線、身振り全てをインプットしないと意味が無いのです。

そして、それを現場で真似てみるのです。

しかも、アプローチからすべて、「Iさんトーク!」と自分で想像して組み立てて、表情も、声の質も、身振りも真似てやるのです!これは、勉強に成ります。

取れようが取れなかろうがそんなのは関係ないのです。実際に使ってみた時に、普段と違う反応をお客様が絶対にします。その反応を学ぶのです。

自分のトークでは、反応が鈍いところが、Iさんトークだと反応が良くなったとか、逆に反応が悪くなったなどを自分で体に刻むのです。

そして、この真似るのは、何も売れる人だけ真似るのではなく、自分には出来ない言い回しや、勢いのある人など真似ました。

同期のKと言うヤツが居ました。

こいつと初めて回ったのが、8月の中旬だったように記憶してますが、いきなりパチンコ屋に入ってパチンコを3時間ぐらいやったと思ったら、夕方6時ぐらいに「さあ~て、やっかね~!」と元気良く叫んだと思ったら、「こんにちわ~~!」と馬鹿大きい声で元気に回り始めました。当時、一番売上を上げていた新卒です。

遊んでばかりいるのかと思いきや、イザとなる時のアクセルの踏み込みが非常に良いです。

この、Kの真似も良くやりました。

また、Nさんと言う超スーパー営業マンが居ました。この人の真似も良くやったものです。

とにかく、1日の内、次はIさん、次はKさんなんてやりながら回るので、自分でも楽しく営業が出来た記憶があります。

このように真似をしながら、お客様の反応で、勉強をして行きました。

それと、もう一つ重要なのが、法則を見つけ出すことです。

これは何かと言うと、営業をしていると、○○まで話した時点で、断られるとかと言うパターンが出てきます。

そして、どんな時に、「断り文句」が出るのかという法則を見つけ出すのです。

難しそうに聞こえるかも知れませんが、実は簡単で当たり前のことです。

実際の例です。

「お世話に成ります。●●の島田と申しますが、○○の件で順番に回っていたのですが、社長さんはおいでですか?」と話した場合に、どこで、「NO」と言われるのかと言うことです。

まず、「お世話に成ります。」この段階で、NOと言う人は非常に稀です。なぜかと言うと、本当にお客さんが来たのかも知れないからです。

「●●の島田と申しますが、」ここで、「NO」が出てくることも無くはないですが、まだ、少ないです。なぜなら、用件を聞いてないから断る理由が無いのです。

「○○の件で順番に回っていたのですが、」ここで、断られるケースが一番多いです。例えば、「電話機の件」と言えば、「間に合ってる。」「交換した」「用はない。」「いらん」「ありがとね、さいなら!」などなど「NO」が出て来るのです。

最後の「社長さんはおいでですか?」というところで、居ないと言う場合もありますが、その場合は、本当に居ない場合もあるので、「NO」とばかりは判断つきません。

このような、良く断り文句が出る、箇所が見つかります。

そして、そこを改善するのです。

例えば、前回の場合なら、「お世話に成ります。●●の島田と申しますが、○○の件で順番に回っていたのですが御社の○○も●●をご利用ですか?」とか「お世話に成ります。●●の島田と申しますが、○○の件で順番に回っていたのですが○○は何台ご利用ですか?」と改善してみます。

これは、2つ要素があります。

1つは、点を取り除いた。つまり、間を開けずに次の言葉に移動する。と言う点!

これは、非常に重要ですが、日本人は相手が話している時に、遮って自分の話をしないタイプの人が圧倒的に多いです。つまり、間を与えなければ、「NO」は出ません。

2つ目は、答えやすい質問で終わると言うことです。

「電話機はNTTでご利用ですよね?」と聞かれれば、YESかNOしかないです。そのように誰でもわかる質問にして、次の話に続けるようにするのです。

このように改善すると、今までは、「NO」を貰っていたところで断られなくなり、もう少し話が出来るようになるのです。

これを、トークの初めから終わりまで、チェック見直しをするのです。

そうすると、「NO」を言われにくいストーリーが作れます。実は営業ではこれが非常に重要です。

なぜなら、「NO」を打ち消すのは非常に難しいので、『NO』を言われないに越したことなないのです。

そのように、トークを分解して、お客様の反応に合わせて組み直すことをすると、一言一言に意味を持たせながら話すことが出来るようになります。

自分で見直す前は、人から与えられたストーリーですが、見直したストーリーは自分で作ったストーリーなので気持ちの込め方が変わってきます。

このようにして、言葉の組み立て方と、話し方を学んでいったのです。

すごく細かい話ですが、ここは、売れるように成るには非常に重要なところです。実際、売れる営業マンは、すべて自分の言葉には理由があって使っています。

最初に意味のわからない布石を打って、それが最後に断られない重い重い布石となってお客さんが断れなくなるとか、全て計算するのです。

営業はお客さんとの心の詰将棋みたいなものです。

営業マンにとって、言葉一つ一つが非常に重要で重たいものです。

売れる営業マンほど、言葉を選んで使うものなのです。

参考にして頂ければ幸いです!

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アクト株式会社 代表取締役 島 田 安 浩
電話049-256-9421 FAX049-256-9431
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『 電話の活用 』

2007年10月22日 12時26分49秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No10 )『 電話の活用 』

若しかすると、これによって、格段と売れるように成ったのかも知れない。

8月に入った頃だった、新宿を営業して歩いていた時に、偶然、俺の課のトップ“当時日本1の営業マン”Iさんに出会った!

会うなりいきなり、ブン殴られた!「てめ~何で俺の見込みに飛び込んでんだよ~!!」って知らないよ!

こっちは、順番に直販しているだけなのだが、どうも、その日行く予定だった所に俺が直販で入って営業した為に、そこでの商談がダメになってしまったようだった。

でも、俺はそんなのどうでも良かった。

Iさんは、当時、毎日契約を取ってくる“オーダー製造マシーン”と呼ばれていた。(のちに一緒に会社を始めた社長さんで、俺が最も尊敬!?してる人です。)

そのIさんは、同じ課の俺と同行してくれたことは1回も無く、俺に営業を見せてくれなかった。

「こんなチャンスは2度と無い!」俺は、Iさんの後を追っかけた。

「てめ~、付いて来んじゃね~よ!!」何度も言われたが、後を追った。

当時、電話業界でこのような噂が流れていた。S社の営業マンを見つけたら、バッチを見ろ!赤バッチなら気にしなくて良いが、1~2件後を付けろ。

銀クロなら、10件は後を付けろ。

金クロなら、半日は後を付けろ。

銅バッチなら、1日営業しなくて良いから、後を付けてどんな営業をしているか勉強しろ!

その、銅バッチをIさんは付けていた。

S社は本当に、営業マンをその気にさせると言うか、営業マンが嫌がる仕組みを作るのがうまかった!先日紹介した「3ポカ制度」もその一つだが、今回紹介した、バッチの色もその一つである。

バッチは売上によって色分けされていた!

赤バッチが、新人、売れない営業=赤字社員
銀クロバッチが、まあ、黒字に成ったぐらいの社員
金クロバッチが、主任・係長クラスの売上のバッチ。
銅バッチが、トップセールスクラス。その上に、銀バッチ、金バッチとあったが、当時は役員が金バッチで、銀バッチは居なかったように記憶している。

俺は?当然赤バッチだよ!・・・バッチの色が変わった時は、本当に嬉しかった!

毎月、表彰式があるが、この時は、全国から営業マンが渋谷に集まって表彰されるのだが、500人以上いるので、何を見るかと言うとバッチの色なのである。

バッチを見て、赤バッチだと大したことないな~と見られ、銅バッチだと・・誰だ~すげ~となる。

まあ、話は新宿でのIさん尾行に戻るが、それぐらいに凄かったので、俺は離れるもんかって感じで、後を付けた。

そしたら、電話ボックスに入って、チィッチャナ手帳を開いてそれを見ながら電話を始めた。手帳を見ると、Iさんの字で会社名や電話番号が書かれていた。(他人が見ても良く分らない文字なのだが・・・)

何件か、かけた後で「アポが取れたから行くね!お前は、引続き直販してろ。」って言って、駅に向かって消えて行った。

実は俺はこの時まで、電話でアポイントを取ることには非常に消極的だった。

なぜかと言うと、自分で見込みだと思っている所に「社長居ますか?」って電話して、社長が出ると用件を聞かれて、「要らないよ!」って断られるケースがほとんどだったからだ。

だから、出来るだけ、直接訪問した。

まあ、結果は一緒だったが、電話で断られるのは、何となくもったいない感じがして嫌だった。

でも、目の前でIさんは電話してアポを取って営業をしていた。・・・つまり、その方が良い!と言うことだった。なぜなら、Iさんは毎日契約を取ってくるので、疑う必要が無かった。

即、実行した。

Iさんが出て来た後の電話を使って、電話番号が分かっている所に、何軒か電話した。しかも、電話のトークはさっき聞いていたので、そのまま真似をした。

どうも、電話では一切説明をしないで、社長がいるかどうかを確認して、居るようなら近くなので今から行きます!とだけ言っていたので、そのまま真似をした。

そうしたら、アポが本当に取れた!

どうも、今までは、電話で話し過ぎたようだった。

電話では、詳しいことは言わないで、とにかくアポ取りに専念する。そうすることで、商談に回数が増える。今、思えば当たり前のことだが、当時は新鮮だった。

その客先で契約が取れたかどうかは覚えていないが、お陰で、営業のやり方が全く変わってきた。

直販で、昔、回って直接社長に会えていないところにも、電話して、どんなに遠くても近くなのでと話して、アポを取って商談に行って、契約が上がるようになって来たのである。

特に実績が出せたのが、歯医者さんだった。

俺は、とにかく、1件も飛ばさないで回ることを、自分と約束していたので、お医者さんもキチンと回ったが、商談が出来たところは全くなかった。

でも、ノートには、物件(何を使っていたか)と電話番号は残っていたので、昼休みの休憩時間や、夜遅くに電話をすると、先生が電話に出てくれてアポが取れた。

しかも、どの営業マンも歯医者さんは苦手のようで、ほとんど話を聞いていない人が多かったので、簡単に契約が取れたのである。

それからは、直販して、見込みを作る時に必ず電話番号を聞くように努力した。

教えてくれない人が多いが、ノートを開いて、「電話番号は何番ですか?」とさも当然みんなに聞いていると言うようにすると、教えてくれる確率は高まった。

そのようにして、電話番号をゲットして、直販で疲れた時や、休憩時間に電話してアポを取るように変わって行った。

Iさん、ありがとう!この電話の活用は、非常にその後の売上に大きく影響を与えた。

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『 地道な練習と繰り返し! 』

2007年10月21日 12時52分21秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No9)『 地道な練習と繰り返し! 』

「 俺が最も自慢したいことをこれから書く! 」・・・威張るなって感じだね。(笑)

実は、入社以来毎日続けてきたことがあった。

これは、自分で「売れるようになった!」と思えた日まで、毎日、毎日続けた。

それが、トーク練習である。

「何~んだ、それだけ?」って思われるかも知れないが、毎晩、お風呂の中でやっていた。

どんなに遅くなっても、風呂に入らない時でも、疲れて寝てしまっても、夢の中でやっていた。

「本当か?」と思われるかも知れないが、本当に、毎晩、風呂の中、移動の電車の中、メシを食べながら頭の中で、そして、夢の中でやっていた。

ご存じのように、俺は営業に関しては劣等生で、自分でも売れる営業マンに成れるとも思っていなかった。ただ、過去の人生の中で、一生懸命にやって人並み以上に出来る様に成らなかったことは何一つなかった。

頑張れば、何でも人並みちょっと上には成れるという自信があった。

そして、一番嫌いなのが「自分に負けること!」だった。元々、営業では人と競うつもりはなかったし、同期80名の中で、最も売れない方だったし、元々社会人に成るつもりのなかった俺には、自分が営業してお客様(社長)と話していること自体が不思議でならなかった。

前回、書いたように、俺は武蔵野美術大学出身である。油絵を描いていた。

卒業と同時に、東京芸術大学の大学院の試験を受けたが落ちて、土方をしながら絵を描こうと、土方を毎日していた。言うなれば劣等生である。

親に「土方をさせるために大学まで出したんじゃない!」と人生最高に叱られて、仕方なく就職した。しかも、3月末に面接を受けた。しかも、Tシャツにジーパンに皮ジャンだった。

良く、採用したよね~しかも、髪の毛が茶髪だったので、研修前にわざわざ電話貰って、髪の毛を染めさせられたほどだった。(今は茶髪なんて珍しくないが、21年前なので、茶髪=ロック、不良。だった)

笑えるのが社会常識の無さだった!今でも写真を見て笑えるが、入社の研修に着て行った背広!・・・グレーにラメ入り・・・今、見ると本当に恥ずかしいが、当時は、「これぐらい地味な方が良い」と思って親に就職祝いで買ってもらった。(親も社会常識は無かったんだね。)

研修会場で初めて、リクルートスーツなるものが有る事が分かった!超、ビックリした。みんな紺かダークグレーのリクルートスーツに身を包む集団の中に、一人だけ、グレーにラメ入り、ネクタイは派手目の赤!・・・どうしようもないよね!

そんな俺だったので、人と競うと言うか比較するつもりも無かった。

でも、自分に負けるのは許せなかった。

だから、とにかく、毎晩トーク練習した。

「なぜ?」って出来ることってそれぐらいしかないし、とにかく、上手く話すことがなかなかできなかった。

友達と話すことは出来ても、言葉使いが良くないし、お客さんが皆さん会社の社長か代表者なので、今まで使ったことも無い敬語・謙譲語?まあ、丁寧な言葉を話さないと失礼になるのでとにかく練習した。

7月ぐらいの時に、さすがに上手くなったと自分で思って、テープレコーダーに録音して聞いてみたことがあった!・・・とんでもなくヘタクソだった!!

これでは、契約が取れない訳だと、また、気合いを入れ直してトーク練習に励んだ!

このトーク練習のやり方だが、別に特別なことは何もなく、基本トークを繰り返し声を出して言うのである。相手の答えは、基本的に“同意”しているパターンで、契約を貰ってありがとうございました。と言うところまで、何度も何度も繰り返しやるのである。

今に成って思うと、この毎晩続けたトーク練習の成果は実に驚くべきものだった!

以前の俺は、人前で話すことは超!超!苦手だったし、挨拶を頼まれても絶対に断るそんな人間だった。モット言うと、出来れば人と話したくないし、一人で何かやってる方が好きなタイプの人間だった。

その俺が、300人の前で講演会をやったり、○○会(お偉いさんが集まる会)の開会の挨拶や、中締めの挨拶など出来るようになった。

例えば、○○について1時間話して下さい。と依頼があると、原稿など作成しないで話せるのである。

なぜ出来るのかと言うと、トーク練習の要領で、「頭の中で組み立てるのである。」・・・たぶん出来ない人にとっては???ハテナマークが並ぶだろうね!

詳しく説明すると、○○について、頭の中で話し始めるのである。

そして、肉付けをしたり、別の話を付け加えたりを全て頭の中で行うのである。

もっとみんなはビックリするかも知れないが、聴衆の映像が目に浮かぶのである。聞いてる人が、この話をすると受けるの受けないの、チョット外した、これは受けたなど、映像として頭の中で浮かんで来るのである。

「何だ~変なヤツ!?」って思われるかも知れないが、講習会や研修会や講演などされている人で、原稿を見ないで話している人は、多かれ少なかれ、俺と同じようにされているんじゃないかと思う。

そんなことが出来るようになったのも、このトーク練習と、毎日の直販でお客様と何度も何度も会話をしたお陰だと思っている。

結局、営業って、その現場その現場で、お客様も違えば、現場の状況も違う。1回1回が、一つの劇!舞台のような感じだと俺は思っている。

その舞台で、俺は、営業マンという主役を演じている。どうせなら、売れる営業マンを演じたいし、出来るなら世界で一番の営業マンを演じたい。

お客様も、売れる営業マンと話したいし、売れる営業マンから購入したい。だったら、それを、その時その時に、演じ切れば、お客様に受け入れてもらえる。そんなふうに考えた。

でも、映画スターでもTVの役者さんでも、演じる時には何度も何度も練習をして、1シーンを何度も何度も取り直している。

それなのに、営業マンで、日本一・世界一の営業マンを演じようと、練習を欠かさない人が何人いるだろうか?

練習もしないで上手く成れるわけがない!

努力の数だけ成長する!

失敗の数だけ、経験が増える!

俺は、経験を通してみんなに伝えたいが、とにかく練習を欠かさないこと。これが売れるようになるには非常に重要だ!

相手を立ててやる必要はない。自分一人で、ブツブツトーク練習をすれば良い。最初は大きな声で、徐々に、ブツブツやっても良い、最後は言葉に出さないで出来るようになるし、夢の中で出来るようになる。

夢の活用は、必死に何かを求めたことのある人間だけが出来る。そんなふうに感じる。

結構、今回は真面目な話をしたね!

でも、本当に、トーク練習のお陰で、数多くの宝物を手に入れたと今でもやって良かったと心底思っている。

まあ、強制はしないけど、売れるように成りたければ練習は絶対にかかしたらダメだよ!


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『 100万ドルの笑顔が出来た“訳” 』

2007年10月20日 01時21分38秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No8)『100万ドルの笑顔が出来た“訳”』


俺の売りは『100万ドルの笑顔』である。

大体の人は、この笑顔の前ではイチコロである!

営業において、お客様から“NO”が出た時に、“YES,BUT法”を使うようにと習うのであるが、俺はほとんど使わない。・・イヤ、必要無いと言った方が正しいだろう。

「なぜ?」ってそれは、『100万ドルの笑顔』のお陰である!

昔、一緒に会社を立ち上げた先輩(社長)と同行して客先に入った時に、アポイントが取ってあったが、「電話の件ね!ごめんなさい、今は要らないわ。」と奥さんに言われた。

俺は『100万ドルの笑顔』でニコニコしながら近づいて、「こちらの電話機なんですけど・・」と話し始めて、気が付いたら契約を貰って出てきたのである。

客先を2人で出た、その時に、「分ったよ!島田が“YES、BUT法”を部下に詳しく教えない訳が、島田には必要無いからなんだ。」と社長が言った。

「エッ!?何ですか?」

「島田は笑って誤魔化して“NO”を打ち消して商談できるけど、普通の営業マンには無理だし、そんなこと出来るのは島田ぐらいのもんだよ。今度からはキチンと“YES,BUT法”を指導した方がいいよ。」

その言葉にビックリした。

自分で意識したことがなかったが、そう言えば“YES,BUT法”を使った記憶がないし、もっと言うと、あんなの“NO”だとも思ったことがなかったのである。

元々、アポイントを取る時は、超軽めで取って、現場で「忙しい!」「断ったでしょう。」「何だっけ?」「ごめんやっぱりイイや。」なんてのは、「おはよう!」と同じぐらいの言葉だと思っていたが、普通は笑って近づいて、自分のペースにもって行くのは神業みたいなものとは、その時まで気が付かなかった。・・・

まあ、この話は、8年後の社長と一緒に会社を立ち上げてからの話なので、話を元に戻すと最初からこの『100万ドルの笑顔』が俺に備わっていたわけではなかった。

もっと言うと、笑顔が出せなくて悩んでいたのであった!

元々、俺は体育会系、モット言うと武道派!小学校2年から剣道を始めて、小学校、中学校と団体で全国大会に出場した腕前だった。大学に入ってからは、空手を始めて、大学時代はとんでもなくガラの悪い、危ないタイプの人間だった。

笑顔ではなく、“ガン付け”“睨む”“気合い”などが目から出るタイプだったので、営業を始めても、お客さんを威嚇しがちだった。No3でも書いたが、本当にキレやすい営業には全く向かないタイプの人間だった!大体、大学も武蔵野美術大学だよ、油絵を描いていた芸術家!人は嫌いで、一人でキャンバスに向かうタイプで、しかも、武道派、どうしようもないでしょう!?

そんな俺が、『100万ドルの笑顔』を手に入れる、凄いドラマが7月の初めにあったのだ。

その頃は、早稲田辺りを回っていた。11時ぐらに外から見たら岩通の古い電話機を使っている○×興業とか言う会社があったので、いつものように「こんにちわ~」と入って行った。

中から、50過ぎのオジサンが出て来て、「要らない!出て行け!」と一方的に言うので、「でも、今お使いの・・」と言った段階で、「出てけって言ってんだろうがよ!」といきなり、肩をバーンと押されて突き出そうとした。

これで、こっちも頭に来て、「この野郎!何すんだ、やんのかコラ~」とまた怒鳴ってしまった。

普通の人は、俺にそう言われると尻込みするのだが、この人は全然違った。

「オモシロイ!やくざもんの俺に喧嘩を売るとは良い度胸だ!こっちは3度の飯より喧嘩が好きなんだ!こっちへ来い。」と言うので、脇のエレベーターの前まで一緒に行った。

いきなり、パンチとか蹴りとかを入れようとするので、営業用のバインダーで避けていた。その時、支社長が朝礼で話していた言葉を思い出した。「いいか!何をやっても良いけど、暴力沙汰だけはやるな~うちの会社は株式上場するんだから~。」と、その当時は株式上場の意味も知らなかったがとにかく手を出す訳にはいかないな~株式上場ってのを目指してるもんな~俺、会社名言ったけな・・・などと考えていた。

そこで、仕方なくよけていたが、チョットしつこいので謝ろうと思って「オウ、悪かったな!」って謝ったが、どうも、謝り方が良くなかったようで、余計エキサイトして手に負えなくなったので、咄嗟に一本背負いで投げて走って逃げた!

そしたら、「こら~待て!てめ~ぶっ殺す!」と叫びながら追っかけて来るではないか! もうビックリ!!!

300Mぐらい走って、建物の横に隠れていた。そうしたら、少しして「ハーハー」言いながらオジサンが来て、丁度そこにいたおばさんに「男が逃げて来なかったか?ぶっ殺そうと思っているんだが。」と聞いた、おばさんは「さあ?」と言ったので、そのおじさんは俺に気が付かないまま、真っすぐ通り過ぎた。

その隙に、裏から回って逆方向に逃げて、タクシーに乗り込んで、四ツ谷まで移動した。「ホッ!」としたせいか、タクシーの中で貧血になって、目の前がサーと暗くなった。意識がなくなるまでは行かなかったが、四ツ谷に着いてもフラフラしていたので、そのまま喫茶店に入った。

喫茶店で、「どうしよう?もう、営業辞めようかな~・・・」などと考えていたが、「このまま辞めるのは悔しい!辞めるなら売れるようになってから辞めたい!でもどうしよう???」と本当に考え込んだ。

営業を始めて、こんなに心底考え悩んだのは初めてだった!

何時間過ぎたか忘れたが、もう一度営業を整理しようと考えた。

その当時は、NTTが民営化して日が浅かったので、異常に電話屋さんが多かった。「石を投げると電話の営業マンに当たる。」と言われるほどだった。事実、午前中の11時に訪問したお客さんで、「ここに座れ!今何時だ、まだ11時だよな、お前で6人目だ!電話の営業マンは!!絶対に交換しないからもう来ないでくれ!」と言われるほどだった。

つまり、客先である程度粘らないと、話を聞いてもらえない市場だった。

そこで、粘るとお客さんはチョット頭にきて少し怒りながら「何だ!」とこっちを振り向く。そこで、何か俺がすることで、お客さんが笑ってくれたら商談が続けられるはずだ!!・・・???と悩んでいた。

・・・

・・・ 突然!頭の中でイメージが湧いた。映像としてハッキリ浮かんだ。

チョット頭に来たお客さんが「何だよ~!」って不機嫌そうに振り向いた時に、俺が“ニコー”って笑っている。それを見て、お客さんが笑顔に成って「何なの~?」って和んだ雰囲気が映像として見えたのだった。


翌日から『100万ドルの笑顔』が自然に出せるようになっていた!

もう、ビックリ!!って感じ。

それまでは、何度練習しても、自然な笑顔が出せなかったが、あのやくざ屋さんのお陰で、『100万ドルの笑顔』が出せるようになった。

人間は窮地に追い込まれるとどうにかなるもんだと言うことが体感できた出来事だった。

それ以来、お客様と喧嘩になることは勿論無くなったし、笑顔の和んだ商談が出来るようになった。

「やくざさん、ありがとう!」でも、怖かった~もう、あんな経験はご免です!

まあ、普通の人はこんな経験はしなくても笑顔が出せるようになると思いますが、笑顔は非常に強い武器になりますので、皆さん自然な笑顔が出せるようになりましょうね!



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「見込管理!?」

2007年10月18日 23時59分12秒 | Weblog
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No7)『見込管理!?』

「ホント、バカだったよ!」

『どうしたの?』

「俺が、回った後はおいしいんだって!チクショウ!!」

『何、怒ってんの?』

「俺の嫌いな先輩に言われたんだ!『島田の後は超オイシイヨ!』だって。」

『何でなの?』

「だって、1件1件キチンと回って説明してカタログまで置いてあるから、その後に行くと非常に商談しやすくて、ガンガン契約が取れたって!」

『それは凄いね!』

「凄いじゃなくて、悔しいだよ。」

『イヤ、凄いことだよ!だって、君の初回訪問が素晴らしいってことじゃないか。そのお陰で、他の人が契約取れたんだろ。』

「まあ、そうだけど。」

『だったら、2回目も君が再度回れば良いだけってことじゃないの?』

飲み屋で、嫌いな先輩に「島田の後はおいしいよ!」って言われた時は、非常にショックでした。

でも、一晩寝て冷めたら、考え方は上記会話に変わっていた。

「間違っていない!見込みの管理の仕方がチョットまずかっただけ。」って考えるようにした。

まず、見込帳を見直した。今までは、ノートに適当に書いていたが、定規を使って1ページに8件記入できるようにした。

そして、見込みの条件を、「やりそう」と言う勘から、「対象物件」に変更した。つまり、雰囲気や勘などは無視して、対象物件があれば見込みとしてノートに記載した。

物件名・台数・客先名・住所・電話番号・社長名・担当名など書けるだけ書いた。まあ、実際は物件と客先、住所しか書けないケースが多かった。

そして、社長と商談するまでは追っかけるようにした。以前は、社員に交換しないと言われても、「そうですか・・・」と納得していたが、俺が回ったあのエリアで契約が取れたと言うことは、俺が、「ダメだな」と判断したところで契約が取れたと言うことである。つまり、判断基準が狂っていたことになる。

だから、「社長に断られる」と言うのを判断基準にした。社長に断られなければ、見込であることは間違いない。そう言う見込みを「物件見込」と名付けた。

「物件見込」で実際に社長と話が出来て、考えておくよとなって初めて「見込」に昇格した。そんな感じでエリアを回るように変えた。

そうすると、ビックリするほど時間がかかった。なぜなら、社長に会えない客先がほとんどで、「物件見込」で社長と商談できないところが多数出て、他のエリアに動けないようになったからである。

逆に考えると、今までは「物件見込」に丁寧に説明して、カタログまで置いて、「また来ますね」と言いながら、行かないままでその次のエリアその次のエリアと移動しているだけであったことに気がつかされた。

もう一つ重要なのが、「時間帯」である。

社長を追っかけ始めたら、社長が会社にいる時間が、共通していることに気が付いた。午前中と午後4時以降である。その時間帯を「ゴールデンタイム」と呼んで気合いを入れて、社長を捕まえに動くようになった。

その他の時間帯は、対象物件の付いている会社を探す時間にあてた。

これによって商談数は倍増した!1日に3件平均は確保できるようになって来た。

まあ、決定力が弱かったせいで、まだ月に5件~6件しか契約は取れなかったが・・・。

あの、嫌いだった先輩今はどうしてるかな~。

インチキで、仕事しない、女好きな小心者だったが、その人のお陰で、見込みの管理の仕方が少しだけうまくなり、直販と言うものが少しわかって来たように感じた。

ちょっとひどい言い草だよね!でも感謝してます。あの人が、飲み屋で俺に言ってくれなかったら気が付かないことだったもんね。・・・


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「ある社長との出会い!」

2007年10月16日 21時59分31秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No6)『ある社長との出会い!』

俺がこの社長と出会ったのは、5月の終わり頃だったように記憶している。
その社長は、俺が営業に行ったら、「チョットお茶を飲み行こう」と言って俺を近くの喫茶店に連れ出したのだった。

その会社に行ったのは2度目で、余り見込みはなかったが対象機種が付いていたので通ったそんな感じだった。

喫茶店で、ホットコーヒーを頼んだ後でおもむろに「お前、うちの会社に来ないか?」ってその社長が言った。

「若いし、元気が良いし、なかなか骨のある顔をしている。」

「まあ、考えて欲しいだけど、島田君は営業は始めたばかりだろうから営業に関して参考になる話をしてあげよう。」そう言って社長が話し始めた。

昔、日本で1,2を争った二人の伝説の営業マンがいた。一人は、“切り返しのマサ”もう一人は“パチンコ玉のヤス”と言った。

“切り返しのマサ”は文字通り、どんなアウトでも、お客に何を言われても動じず、気が付いたら契約以外の道が無くなると言うぐらいに、考えて考えて営業を組み立てた人だった。

まあ、言うなれば、営業の天才と言っても良い人だ。

それに対して、“パチンコ玉のヤス”はコツコツ回るごく普通の営業マンだが、何が違うかと言うと、そのパチンコ玉にある。

たぶん、島田君はパチンコ玉のヤスのタイプだろう!

“パチンコ玉のヤス”は朝、出る時に6つのパチンコ玉を右のポケットに入れて出かける。そして、1件商談すると、右から左に移すんだ。そして、午前中にすべてのパチンコ玉が左に移ればそれでその日の営業は終わるし、夜中になっても、右にパチンコ玉が残っていれば営業をし続けるんだ。・・・

社長は、その後も自分の会社のビジネスに関してや、営業とは何ぞやというような話をしてくれたが、俺の頭の中には、“パチンコ玉のヤス”の印象が非常に深く刻まれた。

その当時、1日100件~200件飛び込み営業をしていたが、商談が出来るところが3件程度だった。この話は、飛び込み件数ではなく、商談数を決めて1日の仕事量を考えると言うことなのだが、その時は、単純に1日4件と決めてやってみようと思い立ってやり始めた。

翌日から始めたが、最初はパチンコ玉でと思ったりもしたが、もしパチンコ玉を上司に見られて変な誤解をされるのは嫌だったので、ノートに商談数を付けるようにした。

情けない話だが、初日で、“パチンコ玉のヤス”の夢は砕かれてしまった。

夜10時まで回ったが、2件しか商談が出来なかった。・・・

でも、この話は、俺の営業に対する考えに大きなヒントを与えてくれた。

「営業は確率である。」この考えは、この時はまだ確信してはいなかったが、何となく心の中で、そんなふうに感じ始めたきっかけを与えてくれた。

そして、1日1日契約を追うと言うよりも、商談数をこなすことを中心に考えるようになって来た。何となく、変化が現れてき始めた時だった。

だが、売れるようになるのは、もうしばらく、いや、かなり先のことである。・・・


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アクト株式会社 代表取締役 島 田 安 浩
電話049-256-9421 FAX049-256-9431
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「汗と機転で契約に」

2007年10月15日 20時42分36秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No5)『汗と機転で契約に!』

前回は、魔の3ポカに関して紹介しましたが、これからは、どのように営業を学んで行けたかと言うことを、紹介していきたいと思います。

5月の契約で、忘れられない契約があった。

初めての契約の近所での契約だったが、奥さん相手に商談をしていた。付いていたのは、ナカヨーの4年前の機種でボタン式の2回線用の電話機だった。

この機種の場合、リースアップしてもそれほど料金が変わらなかったので、「取れる!」と思って必死でトークした。

まだ、肌寒い時期だったが、商談をしていて次第に額から汗がにじむのを感じた。商談を進めていく途中で、今、使っているリースの月額と残金を調べなければならなかったが、奥さんは「分らないわ~」とそれが分らない様子だった。

「どうしよう?」営業を始めたばかりの時は、「そうですか、それでは調べておいて下さい。」と話して客先を後にしたが、もう、2か月目に入っているし、何か取れそうなそんな予感があったので、必死に方法を考えた。

「そうだ!引落し口座を見てもらおう。」

「そうですか~そうしましたら、リース料金が引き落とされている通帳はございませんか?そこに、金額と引き落としているリース会社名が載っているはずですが、・・・」

『チョット待ってね!・・・あったあった、これかしら?』と、わざわざ通帳を持って来てくれたのだった。

「そうですね、たぶん、日本信販とかからの引き落としだと思いますがないですか?」

『あ、これね!日本信販で落ちているわ。』

「ありがとうございます。それと、申し訳ございませんが、電話を貸して頂いてよろしいですか?月額リース料金とリース会社はわかりましたが、残金が幾らか分からないので計算ができませんので、・・」もう、汗だくになっていた。

客先でこんなに調べて貰ったこともなければ、汗だくになったのも初めてだった。

そして、電話を借りてリース会社に電話して、お客様名と金額等から残回数を教えてもらい、リースの契約番号も教えて貰った。

そして、計算してリース料金の提示をして、そのまま契約して頂けた。

今、考えると普通のことだが、当時は「こんなことを言って怒られないか」とか「そんなことしてもらったら失礼じゃないか」とか考えてなかなかそこまでのお願いが出来なかったが、実際にお願いしてみると、思った以上に普通に対応頂けて、問題無く調べることも出来たのである。

また、その後、私のジンクスになったのが客先で汗をかいた時は契約が決まるというものもこの時に生まれた!

たぶん、必死に営業に集中できた時に自然と汗が噴き出すのであろうが、なぜか、それ以降、汗をかいて話した時は決まって契約が取れたのである。

その時学んだことは、客先では“頭をフル回転させる”ことと“問題はその場で解決する”ことだった。

若しあの時に、「それでは調べておいて下さい。」と言って客先を出たら果たして契約がその後取れただろうか?たぶん無理だろう。

また、電話を借りてリース会社にその場で電話をしないで、後回しにしたらどうなったであろうか?これも、契約には至らなかったであろう。

問題や分らないことは何でもその場で解決すること、頭をフル回転させて、絶対に諦めなければ解決策は必ず見つかる!

この2つはその後の営業の場でも非常に役に立つ考え方となって、俺の頭に焼きついた。

そういう意味で非常に嬉しい契約だった。

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アクト株式会社 代表取締役 島 田 安 浩
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「3ポカ、道玄坂で?渋谷の駅前で??」

2007年10月12日 20時42分44秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No4)『3ポカ、道玄坂で?渋谷の駅前で??』

「真夜中の契約でチョットは順調に取れるようになったの?」

『世の中そんなに甘くないよ!魔の3ポカの日々が続いたよ。・・・』

前も話したように、S社には「3ポカ制度」と言う恐ろしい制度が存在した。どんな制度かと言うと、契約が取れないことを「ポカる」と言う言い方をして、3ポカとは3日間契約が取れないことを意味する。そして、3ポカ制度とは、2日間契約が取れないと3日目の朝から始まる『魔の儀式!』だった。

朝礼の時に、「3ポカやるぞ~」と支社長が声をかけ、2日間以上ポカが続いた人間が前に出る。

ポカの少ない順に並ぶのである。

そして、みんなの前で大きな声で「3ポカするな!3ポカするのは男じゃない、3ポカするのは人間じゃない、完全オーダーやるぞ!」と一歩ずつ前に進みながら、右手で拳を作ってパンチをする動作をしながら叫ぶのである。そして、みんなが聞いていて気合が入っていると判断すると拍手して席に戻っていいのであるが、みんなが拍手しないと、何度も何度もやらされるのである。

まあ、はっきり言って社内いじめだね!

なぜやるかと言えば、営業は気持ちの部分が大きいから、その気にさせて現場で頑張らせるためなんだろうけど、今やったら社会問題になるようなそんな制度だった。

しかも、朝早くから大声で朝礼をするので、渋谷では有名なキチガイ会社だった!

今だから話せるけど、その当時、毎日のように会社の連中で飲み歩いたが、「S社お断り」と言う店が何軒もあった!笑ってしまうような本当の話。

なぜお断りかと言うと、当時の平均年齢が23歳で非常に若かった。しかも体育会系のバリバリの営業マンが10人20人で飲みに行くと、喧嘩を始めたり、一気大会を始めたり、お互いに酒をかけ合ったりと収拾がつかない状況になって、最後には店の物を壊してしまうのである。・・・まあ、最低のモラルのない連中だった!

ただ、非常に熱い連中だったので、飲み会で男同士で泣いて抱き合ったり、「お前のために俺は殴る!」と泣きながら相手を殴ったりしていて、翌日からまた仕事に燃えることが出来た。・・・

話は、3ポカに戻すが、この3ポカが会社の中だけで終わらなかった!

5月の半ばに、7ポカリーチになった時だった!

「島田~!お前は東に行って朝礼受けて来い!」と支社長に言われた。

当時のS社は渋谷だけで、東京支社、東支社、西支社、中央支社と4拠点があった。他に、名古屋と大阪にも在って、全体で営業マンが500人近くいた。

そして、恐る恐る東に朝礼参加に行った。

すると、そこの支社長のMさんに、「表に行け!」と俺ともう一人、朝礼参加に来ていたヤツに言ったのだ。

「意味が分かんないな~」と思っていたら、大きなダルマを担いで、そこの支店の管理の人間がきて、「これで3ポカね~」だって!?

「エッ!どうするの?」と思ったら、ダルマの下に手が入る穴が開いていて、中に紐が付けてあって、そのダルマに右手を突っ込んで持てるようになっている。
そのダルマを右手で持って、道玄坂で「3ポカ」をしろと言うのだ!

朝、8時過ぎで、サラリーマンがたくさん道玄坂を歩いているその中で、ダルマを右手に持って「3ポカするな!3ポカするのは男じゃない!3ポカするのは人間じゃない!完全オーダーやるぞ!!」って道玄坂を下りながらやれということだった。

本当に信じられなかった!

一緒に来ていたKさんは、俺より先輩なので経験者だった。その人が先に、「道玄坂3ポカ」をやって見せてくれた。

大体、20Mぐらい先で、管理のAさんが待っているので、そこまでやり続けないといけない。つまり、何度も「3ポカするな!3ポカするのは男じゃない!3ポカするのは人間じゃない!完全オーダーやるぞ!!」って言いながら、右手のダルマでパンチをする!もう、バカバカしいし恥ずかしいしKさんのを見ているのも嫌だった。

そして俺の番がやって来た!

頭には、赤い鉢巻!右手にはダルマ!!本当にばかな恰好だ。そして、「7ポカするな!7ポカするのは男じゃない!7ポカするのは人間じゃない!完全オーダーやるぞ!!」って何度も何度も言って、どうにか、Aの所に辿り着いたら、

『お前何か言った?聞こえなかったからもう一回!』だって!絞め殺してやろうかと思ったが仕方なくもう一度やった!

悔しいし、恥ずかしいし、絶対に2度とやりたくなかった。

でも、その日も取れなかった!

翌日は、中央支店に送られた!・・・今度は何って思ったら、ここの支社長は、言葉によるいじめだった!!

散々、俺たちのことを、「存在価値ななくて、邪魔で、生きている価値がないとまで言いやがった!」後一言、言ったら『殴り殺す!』と思った時に、終わった。・・・昨日の道玄坂の3ポカの方がよっぽど良かった。・・・

そんな毎朝の地獄を経験しながら、早く売れる営業マンになりたいと必死で営業をする毎日だった。

俺は経験してないが、同期の人間に聞いた話によると、道玄坂の他に、渋谷の駅前でやる3ポカや、駅前にあった噴水に飛び込む噴水3ポカまであったようだ!

まあ、そこまでのことに耐えたから、現場で工場だろうが、病院だろうが、お店だろうが気にせず飛び込み営業ができるようになったのかもしれない。

ただ、6年その会社にいたが、『3ポカ』だけは好きに成れなかった!

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「大ゲンカ!夜中の契約。」

2007年10月12日 01時01分39秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No3)『大ゲンカ!夜中の契約。』

「初めて契約が取れてから順調に契約が取れた?」

『そんなに世の中甘くないよ!』・・・

また、「3ポカに日々に逆戻り」だった。

最初の月は、第1週目が先輩に同行してもらい、次の週から一人で回るというのがこの頃の新卒への指導方法だったようだ。それと、入社前に2週間事前研修があった。この研修は、最初の1週目が研修施設で、知識を詰め込ませるという研修で、夜は毎晩飲み会だった。2週目は自衛隊の練馬駐屯基地で体験入隊をした。結構、そういった研修が流行っていたようで、大学で空手ばかりしていた俺には非常に楽しい体験だった。

さて、入社後の話に戻るが、第1週目の同行してくれたのはCさんで非常にまじめだった。全然取れなかったが、朝から夕方まで全然休まずに回って見せてくれた。俺は、この人のお陰で、真面目に回ることを覚えた。今の俺があるのは、この人のお陰と言っても過言ではない。

でも、取るところは見せてくれなかったが、・・

2週目は、自分で回ったが全然取れずに、3週目が仕事をしないTさんと同行だった。そして、木曜にファーストオーダーが取れた。

翌週になって、また一人で回ったが、木曜か金曜か忘れたが、どっちかで1セット取れただけでその月は終了した。たった2セットの契約だった。

その頃の平均セット数が、10セット/月だったので、全然取れていない。役立たずの赤字社員だった!

5月に入って、相変わらず一人で回っていたある日のことだ。

確か、品川の工場地帯を回っていた。

いつものように、取れないまま夕方8時になって会社に電話をした。そしたら支社長が「どうだ?」って聞くので、いつものように『まだです!』って答えた。(ダメですとか、取れませんと言ったら怒られるので、何時でも「まだです。」と答えた。)

「そうか、どうせ島田はダメだから上がって来い!」と言われて電話を切られた。

この、「どうせ島田はダメだから」と言うフレーズにカチンときた!
『チョット待てよ!どうせダメだからは無いだろう。こっちだって必死にやっているのに!!』

頭に来た!初めて支社長の命令を無視して、そのまま営業を続けた。「チクショウ!絶対取って見返してやる!」そう思いながら営業を続けた。

そして、日通工の古い電話機を使っている工場に入った時だった。非常に社長がよく話を聞いてくれたのだが、奥さんが脇で邪魔をしてきた。

まあ、そんなことはよくある話だが、俺は、今度は奥さんを攻めた方が良いだろうと、奥さんに対してトークをした時、いきなり社長が怒り出した!

「エッ!何で??」って感じだったが、興奮した社長が、「テメェ~出て行け!!」って俺の肩を手で押した。

その瞬間に、今度は俺が切れちゃった!

「ワリャ~いまココどついたろ!ヤルんか!?」と怒鳴ってしまった。

どうも、剣道に空手と武道の道を進んできたせいか、普段はおとなしいのだが、手を出されると黙ってられずに切れてしまうのだ。

そうは言っても、手を出したりは絶対にしないのだが、一旦火がつくと、なかなか消えずに、怒鳴り続けて、奥さんが泣きそうな顔で「許して下さい!」って間に入って来たので、「今度会ったら、ただじゃおかないからそう覚悟しとけ~。」と言って、表に出た。

さっきまでの威勢の良さは、表に出た途端に消えて、虚しさと寂しさが心を包んだ。しかも、もう夜の9時過ぎなので、真っ暗!5月初めでまだ肌寒いし、暗いし、何だか泣きたくなって来た。・・・

そうは言っても、会社にはまだ帰りたくないので、営業を続けようとした。

でも、今度は飛び込む“勇気”がなかなか出ない!

また、喧嘩になったら、怒られたら、などなど考えてしまう。飛び込めないまま30分以上が過ぎて行ったが、このまま飛び込まないのは自分に負ける気がして、勇気を出して1件飛び込んだ。

そうしたら、うちの会社で扱っている電話機が付いていた。「いつもお世話になります!S社の島田と申しますが、・・」

『この前、電話機を交換してもらったけど調子良いよ!お兄ちゃん遅いのに大変だね~』と励ましてくれた。

これで、元気付いた俺は、そこを後にして「よし!このまま駅まで明かりが付いている所にすべて飛び込んだら帰ろう!」と決めて歩き出した。

まあ、そうは言っても夜の10時過ぎなので、そんなに開いてはいない。そうこうしてある建具屋さんに飛び込んだ。

「こんにちは~S社の島田と申しますが、今お使いの電話機の件で回っていたんですが、こちらは・・。」と入ったら、目の前に黒電話が付いていて、社長が一人で仕事をしていた。

「ダメだ~」心の中で叫んだ。なぜかと言えば、黒電話はレンタル料金が安いので、ビジネスホンに交換するとかなり使用料が高くなるので交換してくれる人はほとんどいないからである。

『この電話使ってるよ。』

「あっ、黒電話ですね!2階にも別の電話機は付いているんですか?」

『付いてないよ、これだけだよ。』

「そうですか、今度の電話機なんですけど、2台3台と設置でき、内線で2階や3階に回すことが出来るんですよ!」(どうせダメだけど、言うだけ言っておこう)

『エッ!?ちょっと待って、内線で回せるって、3階と電話で話せるってこと?』

「もちろんですよ。」

『チョット待ってよ!今3階に弟が住んでるんだけど、毎朝、お袋が階段を上って起こしに行くんだけど、それが電話で出来ちゃうの??』

「そうですよ、電話で出来ちゃうんですよ!」

『それいくら?』

「月々○○円の7年リースですけど。」

『やってくれ!』

「えええっ!決まっちゃった!!!!」超ビックリだった。まさか決まると思ってなかったし、今何時だ?って夜中の11時15分じゃない!?

書類を書きながら、「そう言えば会社に電話してなかった。」と思い出して、電話を借りて会社に電話した。

「お疲れ様で~す、島田です。」

『オオ、てめ~どこにいるんだ!』支社長が怒ってる!?

「今、客先です。」

『エッ!?』

「契約書を書いているところですが、・・・」

『・・・し、っ渋い!』支社長が?マークで、その後、感動していた。

会社に戻ったのが、12時ぐらいだったが、支社長と課のトップが待っていてくれた。

チョット嬉しかった。今、思い出しても目頭が熱くなる。

その後、3人で居酒屋に行って、サウナで泊まった。

非常に大変で、感動できた一日だった。・・・

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「初めての契約!」

2007年10月10日 11時30分14秒 | Weblog
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No2)『初めての契約!』

その日も、仕事をしないTさんと現場に行った。そしていつものように、モーニングを食べ、くだらないスキーの話を聞かされ、昼飯もそこで食べて13時になってやっと解放された。

そして、1件目に小さな工場に飛び込んだ。

社長と奥さんが二人でやっている工場だった。何をされている工場か覚えていないが、奥さんは赤ん坊を子守りしながら、仕事をされていた。

使っていた電話機は、NTTのプッシュ式のホームテレホンをレンタルされていた。

・・・その後、どのように話して、なぜ契約が取れたのか覚えていないが、『初めて契約が決まった!』

入社して初めての契約だった。

事前に同行してもらって先輩が契約するところを見たこともなかったので、本当に初めて契約するのを見た現場が、この契約だった。

しかも、自分一人で取れた単独オーダーだったので、本当に「嬉しかった!」
でも、どうすればいいのか分からなかった。

電話を借りて、会社に電話して、業務のK課長代理に聞きながら契約書を書いた。

リース契約書、受注伝票、設置図面。会社のゴム印を借りて作成し、記入して、記名・捺印をもらった。

契約書を作成するだけで、30分以上の時間がかかったように記憶している。

やっと、契約書が出来た時に、K課長代理が「オーダー発表する?」って聞いてくれた。

『オーダー発表!』この言葉は、憧れで夢にまで見た言葉だった。

当時、俺が務めていたS社では契約が取れると、会社に電話して『オーダー発表』をする仕組みになっていた。「何という会社で何を何台契約してもらいました」と云う報告を業務部にする。そうすると、支店に帰ると、支店のホワイトボードにもオーダーが記載されている。そして、翌日の朝礼の時に、みんなの前でオーダー発表をしてみんなに拍手してもらえるそんな仕組みだった。

俺は、入社してからず~と拍手する側で、オーダー発表をしたことはもちろんなかった。しかも、S社では『3ポカ制度』と言う恐ろしいものがあった。

それは何かと言うと、契約が取れないことを「ポカる」と言う言い方をして、3ポカとは3日間契約が取れないことを意味する。そして、3ポカ制度とは、2日間契約が取れないと3日目の朝から始まる『魔の儀式!』だった。

そう、本当に嫌だった!

朝礼の時に、「3ポカやるぞ~」と支店長が声をかけ、2日間以上ポカが続いた人間が前に出る。

ポカの少ない順に並ぶのである。

そして、みんなの前で大きな声で「3ポカするな!3ポカするのは男じゃない、3ポカするのは人間じゃない、完全オーダーやるぞ!」と一歩ずつ前に進みながら、右手で拳を作ってパンチをする動作をしながら叫ぶのである。そして、みんなが聞いていて気合が入っていると判断すると拍手して席に戻っていいのであるが、みんなが拍手しないと、何度も何度もやらされるのである。

俺は、先週1週間ポカっていて、今週もず~とポカっていたので今日で「10ポカリーチ」だった。(当然土曜も働いていたので、・・)

朝、朝礼の時に「10ポカするな!10ポカするのは男じゃない、10ポカするのは人間じゃない、完全オーダーやるぞ!」と何度もやらされて出て来たので、『オーダー発表』と言う響きは心地よく、夢のようだった。

『オーダー発表します!でも、何を言えばいいんですか?』「会社名と型番と台数だよ」

『○○工業株式会社で、N208が2台です。』

「オーダー発表します!東京支店第3課、島田、ファーストオーダー!N208、2台オーダーおめでとう!!」とK課長代理が大きな声で電話の向こう側で叫んでいるのが聞こえ、周りでたくさんの人が「おめでとう!」と言いながら拍手しているのが聞こえてきた!

感動だった!『これが、オーダー発表か!』非常に嬉しくて、非常に興奮した。

興奮覚めやらぬなか、社長と奥さんに握手をして、赤ちゃんの頭を撫ぜてその会社を後にしたことを今も鮮明に覚えている。

「やった!契約が取れた。」

嬉しさと、ホッとした感じだった。

その後、営業したのか遊んでいたのか覚えていないが、翌朝の朝礼は覚えている。

当時、ファーストオーダーを取った社員への「おめでとう!」は少し度が過ぎていたように思うが、でも嬉しい痛さだった。それは何かと言うと、みんなで「おめでとう!」と言いながら背中に手形を付けていくのである。

つまり、背中を、平手打ちするのだが、支店の社員が30名もいるので、もう、凄まじいことになるのである。

オーダー発表で前に出て、「N208が2台決まりました!」と言うと、みんなが駆け寄ってきて、背中を捲り上げて、「おめでとう!」と言いながら、手の平で熱い1発をペシィ!ペシィ!っとやっていくので、痛いやら嬉しいやらで大変だった!

この契約が、俺の営業人生の始まりで、本当に嬉しい経験になった。

ただ、そのまま順調に売れるようには成れなかった。・・・