生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

汚れと禊

2012年11月15日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
日本文化での「汚れと禊」は、とても重要な精神文化です。過日、故郷の長岡に墓参りにいってきました。長岡藩歴代藩主のお墓が悠久山公園の蒼柴神社の境内にあり、そこも歴史散歩をしたのですが、帰路、ふと神社の正殿を見ますと若い女性たちが神主さんからお祓いをしてもらっている風景を見ました。あ、あ、これも良い事だなあ、と思いました。汚れと禊の場面、何をお祓いしてもらったかは不明ですが、私にはそう見えて美しい場面だ、と一人感心したわけです。彼女たちは清々しい気分で神社を後にした事でしょう。:<心の世界を飛び回る:222>

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日本人のアイデンティティー

2012年11月14日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
私たちの勉強会で「日本人のアイデンティティーについて」を勉強します。飛鳥奈良時代の古事記、万葉集から、平安時代の源氏物語、鎌倉時代の平家物語まで、色々と楽しみます。そうした先輩達が生み出した文化が、いつのまにか日本人のアイデンティティーとなり、現代社会にまで残る6つの日本人のアイデンティティー、つまり汚れと禊、恥の文化、甘えの構造、もののあわれ、幽玄美、わび・さび、の6つです。この事について暫く思索してみましょう。この6つは現代人に病理をもたらす場合もあるでしょうが、案外、病理でなく、日本人の美意識として扱えば、健全な精神として人間を美しくする要素でもあります。時々この6つの意識を病理と勘違いして薬を飲ませる事例がありますので、この問題を暫く考えてみましょう。:<心の世界を飛び回る:221>

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「神は愛なり」は我が人生での刺激的命題!

2012年11月13日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
私が信じている魂論は「魂は永遠不変のもので、老いる事もなく病むこともない、自由意思を所持し、感覚的なものも理解し、臨終と共に身体から離脱する知的生命体である」という定義をしています。誰が言い出した、とか、その根拠とは何か、などと聞かないで下さい。とにかく、そう信じているのです。この信じ方をすると人類の歴史での「神は愛なり」という定義を本当かなあ、と私の正中線を揺るがすのです。この自問自答が私の生きる喜びです。多分、死ぬまで、この自問自答は続くでしょうが、この錯乱と統合が私にとり何とも言えない快感なのです。哲学の源、自己成長のエネルギーでもあります。神は愛なり、本当かなあ、という疑問はとても楽しい人生での課題です。その課題に挑戦しつつあちこちの大学主催の学会に、またはwsに参加してきましたが悔いのない人生です。:<心の世界を飛び回る:220>

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幸福感と魂の関係

2012年11月12日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
古代エジプト、その他古代文明の全てで、魂について触れていない文明が無いのは何故でしょう?現代でも魂についての諸説は万とありますので人々はそれぞれ勝手に信じるものを信じています。その結果、霊感商法のようなもので膨大な経済的損失を被り悲劇的なニュースがNHK等をにぎわせます。魂論についてはきちんと比較宗教学等で学習する必要があり、その上で、どれを選択するか思索したほうが良いと思います。この比較宗教学を日本の大学で教えている講座はないものでしょうか?
:<心の世界を飛び回る:219>

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復活したキリストを信じた私

2012年11月11日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
第14話を読みながら、私はしみじみと自分に与えられた信仰に感謝しました。どんなに厳しい現実に遭遇しても私はキリストの復活を信じていたらしく最終的には絶望と失意から立ち上がり今日に至りました。不信仰な私が今でも生きる希望に満ち溢れるのは、この小さな私の信仰心とは言え、キリストの復活を信じ、魂の存在を信じ、息を引き取るときに、真っ直ぐ神様の所へ行きたい一心ゆえに、こうして明るく元気に生きているのでしょう。信じて見えてくるもの、その見えてくるものが素晴らしいので、私は生きているようです。:<心の世界を飛び回る:218>

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沈黙の死は素晴らしい!

2012年11月10日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
キリストが死ぬ、その壮烈な叫びと臨終後の静寂と沈黙は素晴らしい。この静寂がなければ私は洗礼を受けなかったに違いない。解釈は色々あり、難しいと思いますが、私の解釈はキリストが息を引き取った瞬間の天地雷鳴のあと、三日目に復活されるまでの、その沈黙の意味です。この三日の静寂の意味について私は生涯、思索してきましたが、洗礼を受けた高校時代ですら、この沈黙にとても魅力を感じました。父や母が死に、その後も沈黙ですが、あの世についての哲学は沢山あり、誰もその世界を見た頃がありません。信じて見えてくる世界がこの世にあるという事が何とも魅力的で、全てが見えたら生きる希望はなくなるように気がします。欠けているように思える世界があればこそ、神様の愛の深さが哲学出来ます。:<心の世界を飛び回る:217>

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我が神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか?

2012年11月09日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
第12話のこの有名なキリストのセリフは私の青春の大事な哲学でした。この意味を考えるのに何十年もかかりました。今は、この言葉ゆえの安心感にみたされていますが、当時の私はこの言葉の意味を探るのにわざわざお金をかけて海外の学会、メキシコ、アメリカ、イギリス等の学会に足をのばします。思索し命をかけて探究する人生は面白い!:<心の世界を飛び回る:216>

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あなたは今日、私と一緒に楽園にいる!

2012年11月08日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
死ぬ時は、覚悟を決めれば、それ相応の落ち着きが出るのは私も海外の事故や暴動の際に経験していますが、十字架上で、今から共に死んでいく隣のキリストに「あなたは今日、私と一緒に楽園にいる」と言われた人は本当に幸せだなあ、と私はしみじみと思います。同じ死に際に、キリストにこう言われた人の人生は何と幸せ者、羨ましい限りです。この人の人生はテロリストとか強盗とか言われていますが、真実は果してどんな人生だったのでしょう。:<心の世界を飛び回る:215>

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公衆の面前で恥をかかされる!

2012年11月07日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
公衆の面前で恥をかかされ侮辱された経験をお持ちですか?第10話はそんな話です。私の事例は大した話ではないのですが、大学病院で徹夜の治療が終わり疲労困憊して中央線で居眠りしていると、誰かが今の若いものは恥をしらないと会話しているのが耳にぼんやりと、聞こえだしてきました。老人に席も譲らない、けしからん、と隣の人と話しているようす。おれは剣道4段、体を鍛えていて強いんだ、とも言うのも聞こえてきます。そろそろ目が覚めた私は、ひょっとして私が特別席に座りこんでいて、段々と混んできているのかもしれない、と確認して窓を見ると、私が座った席は特別席でした。私が40代頃の経験です。あ、寝たふりをした奴が目を覚ました、とその人は叫びます。しまった、自分の事だった、と私は思い、急に恥ずかしくなり、降りる必用のない駅で降りようと席を立ちます。失礼しました、と私が言えば、図に乗り更に悪口を言いそうな人物でしたので、ここで私が言えば、私も腕に自信があるので、暴力ざたになるな、と危険を感じましたので、沈黙の我慢で、降りる必用の無い次の駅で、おりようと席を立ちますと、その人は、やっと降りやがる、と叫びます。この恥ずかしさは今でも忘れません。第10話と比較するにはあまりにも次元が低いのですが、生涯、面前で辱めを感じたのはこの場面だけなので、お許し下さい。公衆での恥はこの程度でも忘れないのに、キリストの十字架の第10話は世界中で有名な場面です。この場面を人々は2000年も黙想し生き抜く知恵の一つとしてきました。この10話から沢山の音楽、絵画、文学が生まれます。私の場合は不徳とは言え、恥ずかしさには変わりがありません。今更のようにキリストのこの場面に感謝です。
:<心の世界を飛び回る:214>

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ああ、父母の愛が懐かしい!

2012年11月06日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
自分が無実の罪で死刑台に向かう、私はそんな体験が無いので何とも理解出来ませんが、歴史上の人物で、自分の事でななく、周囲の人々の幸せを心底願う人物も案外いるようです。自分が体験しないのに、語るのは少々気がひけますが、想像するだけでもぞーっとする、そんな場面の時でも、周囲の人々の事を気遣いながら死んでいく人物もいるようです。第8話はそんなキリストの物語ですが、考えてみれば、私の身近にもいました。臨終のときに、自分のことよりも子供たちの将来の幸福を苦しい息の下から語り続けた母親と父親の事を考えて、改めて親の愛に感謝しました。
:<心の世界を飛び回る:212>

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恩人の愛を忘れないようにしたいなあ!

2012年11月05日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
私は何回も恩人を裏切り、そして生き延びてきたような気がします。私に期待して援助してくれた沢山の先輩、しかし、色々の事情で道を変えて生きねばならない環境でもありました。その良心の呵責について今、再考すると、もし、あの時、先輩の期待を優先していたら、私は事故死していたし、病気になっていたでしょう。沢山の事例を今、どう解釈したらいいか、結論が出ませんが、天国で再会した時、多分、許してくれているのを確信します。生き延びる事が、案外、最大の十字架なので、人生の折々に、必死で生きてきた自分を、そろそろ許したあげようとも考えています。この十数年は何とも幸せで沢山の仲間に恵まれ、生き甲斐支援活動が自分の生き甲斐ともなり、家族、知人、恩人たち、そして神様に感謝です。:<心の世界を飛び回る:213>

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心は燃えても肉体は弱い!

2012年11月04日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
十字架の道行くの第7話は、こんな事を私に思いださせました。正しい事をしたのに何故、世間は自分を叩くのか?20-50代くらいの時に、このような正義感に苦しんだ事のない人生は少々、問題があるかもしれません。正しいと信じて事をなす、しかし、世間は認めてくれない、この悩みがある人生と、そうでない人生は再考の余地があります。誰でも正義感というものがありますが、その正義感はどこからくるかといえば、魂から来ている、と言われています。段々とその正義感も世間から、もまれていく内に儚く消えていくようです。正義、正義と叫んでいると周囲がその人を排除していくからです。その人に相応しい正義の発露の姿を悟るのでしょう。どれが良い、悪い、は言えません。表題の言葉は、キリストが十字架を背負い、倒れ、もう疲れ果てた時に、つぶやいた言葉らしいのですが、私たちも、しばしば、心は燃えても肉体は弱い、とつぶやきながら、それでも自分の人生を明るく元気に生き抜いていきたいものです。
:<心の世界を飛び回る:211>

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恥を受けている時に私に手をさしのべてくれた恩人たち

2012年11月03日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
人生の途上で恥を受けている最中に私に手をさしのべてくれた恩人を思い出しています。恥を受けた原因が私の至らぬ所から生まれた場面であろうがなかろうが関係なく辱を感じている最中に、堂々と私の味方となり共に世間に立ち向かってくれた人々、その人々を今、想い出しています。十字架の道行・第6話にベロニカという女性がキリストに汗と血を拭う為に布を差し出す場面がそれです。私のベロニカには男性も女性もいますが、特に30-40代にかけての男ざかりでは海外を含め見も知らぬ人々がそうでした。冷戦時代のモスクワのあの神父さん、文化大革命での逃亡劇でのあの農夫の方、今は、もうこの世にいませんが、こうして私は生き残り、今、本当に幸せな日々を送っています。恩人たちに感謝。:<心の世界を飛び回る:210>

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巻き込まれたり巻きこんだりして生きていく!

2012年11月02日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
人間は無意識に事件に巻き込まれたり巻き込んで生きていきます。人にしばしば見られる現象ですが、自分をさしおいて人を咎める現象がありますが、自分の理想の領域から人を批判してしまう現象は互いに戒めたいところです。私も今まで随分と人を巻き込み迷惑をかけましたし、巻き込まれて困り果てました。第5話はたまたまシモンという人がキリストが十字架を背負い疲れ果てて倒れた現場にいたばかりに、その十字架を背負わせられた事件がありました。キリストも、あーあ、申し訳ないなあ、と思ったでしょうし、シモンも、ああ、馬鹿馬鹿しい、運が悪いなあ、と感じた事でしょう。後日談ですが、このシモンという人は信徒になったそうです。ゴルゴダの丘で磔にされ死んでいったキリストに何かを感じたのでしょう。:<心の世界を飛び回る:209>

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自分の可愛い息子が十字架に!

2012年11月01日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
第4番目に出てくる「十字架の道行」の場面は自分の息子が十字架にはりつけにされ、苦しんだ後に息を引き取るのを見守る母親の心境を考えさせられる場面です。聖母マリア様のこの場面は絵画、音楽でも表現されている場面です。この出来ごとの解釈を私は無駄にしたくありません。贖罪と復活の思想があるので私は自分の成育史での罪悪感や周囲の人々へ迷惑をおかけした咎の意識から解放されて元気に明るく生き抜いていますが、この贖罪の思想を信じるかどうかは人類一人一人の自由意思の問題なのですが、この成育史上の咎の意識だけは信仰の領域で哲学や科学では解決できません。息を引き取るときに素直に神様に自分の魂をゆだねて死んでいってほうしいなあ、と親友達に心の底で願っています。:<心の世界を飛び回る:208>

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