小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

いじめ

2009-01-02 08:16:01 | 考察文
いじめ

大学の時のある印象のあった事を書いておこう。私は四年の時、休学したので、復学して卒業したのは下のクラスである。入学した時、一人、30代半ばの人がいた。彼は、内向的な性格で、誰とも友達をつくろうとせず、いつも一人きりだった。だが、彼は真面目な性格で、100人中、6人しか出ないような授業にも授業には全部、出ていた。もちろん言うまでもなく当然のことだが私は、6人の中の一人である。私も話し下手で、内気な性格だが、人と全く話せない事はなく、そもそも孤独に弱く、友達はほしかった。幸い、残りの4人も内気で真面目な性格だったので、私は彼らと友達になれた。だが彼は、内気の度合いがひどく、また、友達をつくろうともしなかった。そのため、いつも、後ろの席で一人きりだった。だが勉強熱心で全ての授業に出ていた。他の94人の生徒は勉強より遊びが好きで、試験は過去問を持ってれば通ることを知ってるから、授業に出ないのである。ただ、生物学など、はずしてはならない科目になると、全員出席である。成績は貼り出したが、最初のドイツ語の成績は彼が一番だった。だが、彼は過去問が無いので、二年から三年の時、落ちてしまった。あまりにもかわいそうなので、私は過去問はとっておいて、三年に進級した時、全部、彼にあげた。
四年の時、私は過敏性腸がひどくなり、また過去問が手に入らず、単位が取れず、休学することになった。だが、いい医者に会えて、いい治療を受けて、自信がつき、復学した。だが、復学後は、下のクラスである。知ってる人は一人もいない。浦島太郎のような感じである。入学した時のクラスでは、二年の時、過敏性腸の治療で、ある医院に通って精神安定剤のクロルアゼポキシドをつづけて飲んでる内に気分がハイになり、クラスの半分くらいの人と話せるようになった。
復学したクラスに彼がいた。
私が過去問をあげたために、二年から三年に進級できたのだろう。
三年から四年へは関門がないから、四年には、三年で単位が取れなくても進級できる。
実際、彼は全く単位を取れていなかった。
私は知っている人は一人もいない。
復学して最初に出た授業は、生理学(植物生理)のテストだった。試験前のお喋りは、彼が来てないことのひやかしだった。彼は授業に全然、出てないらしい。テストは、過去問が絶対、必要なのである。私も友達が少ないので過去問入手に苦労した。一度、金を払って、頭を下げて友達から買った事もある。成績の席次も、いかに頭がいいか、ではなく、いかに友達が多く過去問を集められたかの順位に過ぎない。結局、彼は卒業できなかった。彼は優秀な研究者になれる能力があるのに医学部を卒業できなかった。「他人の不幸は鴨の味」で、その人に対する陰口にはあきれるというか、うんざりした。私は彼ほど内気でなく、その点は神に感謝しなければならない。そんなことで私は大学の時が嫌で嫌で仕方がなかった。過去問が無いからテストの成績が悪く、こんなバカと教授も学生課の人も見下げていた。医学部の評価は国家試験の合格率だから、国家試験に通りそうな生徒は可愛がるが、国家試験に通りそうもない生徒はクソミソに言う。私は何度、アホだバカだと教授に言われたことか。学校の試験なんて過去問集めの能力にしか過ぎないのに。しかも私は過敏性腸で生きてるのがやっとだったほどだった。そういうことから落ちたクラスでは、さんざんいじめられ、莫迦にされた。もちろん、なかには親切にしてくれた人もいた。
学園祭の時、何やら遠回りに彼を非難した偉そうな事を言っていたヤツがいたが、人間の性格にはどうしても変えられないものもある。そもそもネアカにとっては、誰とでも話す事が楽しいのだが、内向的な人間にはそれが苦痛なのである。
だが、そういうことから、弱者をいじめ、笑いものにするクラスのやつらが嫌いだった。私は内向的人間を代表して幸せになって、そういうやつらを見返してやる。
そのためにも私は死ねない。

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