小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

性格の悪い患者

2009-01-08 08:27:44 | 医学・病気
研修病院には私ともう一人の研修医が一緒に入った。当然、親しくなった。彼ははじめ、男子病棟だった。私ははじめの半年は女子病棟で、そのあと男子病棟に行ったため、彼と入れ替わるようになった。その中で、いろいろやっかいな患者がいた。一人、劣等感が強く、性格の悪い患者がいた。私は彼と話して、すぐ彼の性格の特徴をつかんだ。彼は仏教に関心を持っていた。
「医学部では、動物の解剖をするんですよね」
「うん。するよ」
私は気楽に答えた。
医学部では、二年で魚、カエル、ネズミの解剖をする。三年の臨床では生化学でマウスの実験をした。四年では薬理学で血圧の実験の時、犬を使った。これは、ちょっとかわいそうだった。犬の頚静脈に色々な薬物を投与して、血圧の変動を調べるのである。
私は彼が医学部の様子を聞きたいのだと思った。
だが、どうもそうじゃない。
私が元気に答えたら、彼は眉を寄せて、考え込んだ。そして私に質問した。
「動物を殺す時、どんな気持ちでしたか」
彼は真剣に私に問いかけてきた。
私はピンと違和感を感じた。
その後、彼と色々話したが、彼の性格がわかってきた。
彼は実験のため、動物を殺した私が悪人で、自分は殺生をしない善人でありたいのだ。
しかし、それなら、食事で牛肉や豚肉は食うな。
医療が進歩して、多くの難病の治療法がわかって人の命が救われるようになったのは、動物実験をしてきたからじゃないか。
彼は医者を地獄に引きずり込む、あり地獄のような性格だった。
医療者が患者をもてあそび、不幸にしてやろうと思っている、という疑いを強くもっていた。
確かに、健康な人間どうしなら、そういう事はある。幸福とは相対的なものである事が多い。負ける人間がいるから勝つ人間は幸福になるのである。ライバルの不幸は自分にとっての幸福である。さらに積極的に相手をおとしめようとする事も世の中では日常の事である。(もっとも、私は、幸福相対論におちいると、この世は地獄になるから、絶対的な、相対性にならない幸福を求めていた。そもそも私はこういう事が嫌いだし、そういう事に悩むような性格である)
それは人間なら、多くの人が持つ感情である。
ジョージ・バタイユの哲学がそれである。
彼は医療者もその感情を患者に持っていると思っていた。
彼は実に多くのやっかいな悪い性格を持っていた。
彼は優柔不断が激しくて、どの辞書を買うかも決められず、前の研修医に、どの辞書がいいか、相談したらしい。そしたら、研修医は、「辞書など買うな」と言ってしまったらしい。これは、からかい、である。だが人間の本心に潜む悪の心も含まれている。
それを言われた事を彼は何度も、何度も大声で叫んで訴えつづけた。
研修医は、それで精神的にまいってしまった。
精神科の患者には性格の悪い患者も多い。
精神科医とて人間である。
嫌いな患者に、不快なことを言われると、その時は、腹が立つ。
しかし、長い目で見ると、やはり患者は、かわいそうだと思うようになるのである。
嫌いでない患者には、そんなややこしい感情は起こらず、ただ何とかしてやりたい、という思いだけである。
私は用心深い性格であり、また、人との競争や、人を蹴落として自分が幸せになりたい、などという考えの世人を嫌っているため、もちろん彼の医者地獄引きずりこみにはおちいらなかった。
スポーツにしても勝ち負けのスポーツは、興味はなく、個人競技や、運動の美しさに惹かれる。
精神科は、比較的、楽な科であるが、こういう、性格の悪い患者もいるので、気をつけないと精神的に参ってしまう。
精神科の患者にはいくつかのタイプがあるが、二年の研修で、ほとんど知り尽くしてしまった観がある。
二度目に就職した地元の民間の精神病院でも、こういうタイプの患者がいた。私は、「ははん。あの手のタイプの患者だな」と思って、彼の手には乗らなく、かえって、彼の心理を暴いて言ってやった。少し、かわいそうではあるが、そういう悪い性格はなおさないと、これからの人生で苦しむことになると思うからである。

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