小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

東大生

2009-01-14 01:34:24 | 考察文
医学部5年の夏休みが終わった後の二学期のはじめの時の事である。二学期のはじめに臨床の全科目の中間テストが行なわれた。私はダブりで、このクラスには友達がいないので、二学期の初めに中間テストがあるという事を知らなかった。そのため、全く勉強せずに中間テストを受ける事になった。当然、結果はボロボロである。しかも私は皆が持ってる過去問も持っていなかった。中間テストの結果は発表しなかった。しかし一人だけ、中間テストの結果の悪い生徒達を発表して、さらに呼び出した先生がいた。口腔外科の教授である。先生は変人と噂されていた。先生は成績の悪かった生徒に、「懺悔」を言うよう求めた。確かに変である。しかし変な先生こそ実はいい先生ということはよくある。そういう先生は、他の人がしないことをするからである。
先生は成績の悪い生徒を呼び出した。二十人くらいいた。もちろん私もその一人である。
先生は、君達の懺悔を聞きたい、と叱った。
私は、ああ、いい事をいう先生もいるんだな、と思った。
そして先生はもう一つの話をした。
昔あった事で、先生は、学会に出席した。その年の母校の国家試験合格率は低かった。
他の、旧帝国大学医学部のある教授が、その事に対し、冗談か本気かは知らないが、先生に言った。
「君の学校じゃ、それも、しかたがないね」
この時、私はムカーと怒りが込み上げてきた。私は思わず拳を握りしめていたほどである。
当然、先生の意図は、生徒に発破をかける目的である。
私は、心の中で叫んだ。
「言ってくれるじゃねーか。やったろうじゃねーか。狂ったように勉強して東大生、見返してやろうじゃねえか」
だが、発破が効いたのは私だけだった。
みな、そんな事を言われてもポカンとしている。
中には、替え玉の生徒もいた。
説教の後、「あーあ。遊べなくなっちゃった」などと言っている生徒もいる。
私はあきれた。
こいつらには、意地ってものが無いのか。
そんな事を言われて、口惜しくないのか。
少なくとも私は口惜しい。
私はどんなに頑張っても東大理三(医学部)には入れない。
地元の横浜市大医学部にも、一次試験は通ったが、最終では落ちたほどである。
私には東大出の医者に劣等感がある。
まあ、医学部以外なら、国公立の医学部は東大の理系と偏差値は同じだから、私は東大の理系学部に入る事は出来るだろう。しかし、東大の医学部の偏差値は飛び抜けているのである。まあ彼らは日本で一番、頭のいい連中100人なのである。
まあ、東大ほどではなくとも、横浜市大医学部に入れなかった事は私の劣等感である。
父親の会社も一流で、東大、一ツ橋、慶応などを土つかずで優秀な成績で卒業したものしか採用しない。父親は高卒だか英語が出来たため、うまい具合に入社できたのである。しかし、高卒と大卒とでは、入社後の出世や給料が違うのである。そのため、父親は劣等感が強い性格も加わって、いつもその事でグチを言っていた。そして東大信仰が強いのである。私も東大理三には、どんなに努力しても入れない。なので東大出の医者に劣等感をもっているのである。
また先生は、叱ったはじめに、「哲学書でも読んでいたか?」と言った。これは、あながち私には完全には、はずれていない。5年の一学期は、私は作家として認められたく、彫心鏤骨の思いで、ある文学賞に投稿するための80枚の小説を書いていた。私は本気だったし、生まれてはじめての投稿である上、まだ文章力も十分ではない。少なくとも私は生きる事に精一杯、努力していた。また5年の夏休みは、読んでいなかったが、私は哲学書を読む変人である。
そしてポリクリが始まった。
第二内科(呼吸器)の時だった。
ミニレクチャーで、教授が東大のことにふれた。
その事は、私も以前から何となく思っていた。
教授は言った。
「東大出の医者は、大量の論文を読ませると、それを読んで理解する速さは速い。しかし、彼らは何かを発見するような独創性や創造性は特に優れているわけではない。もちろん、東大出も発見をすることはある。しかし、それは、ほとんど二番煎じ。彼らが何か発見した時には、その発見はもう他の誰かが発見している事がほとんど」
負け惜しみ、か、事実かは知らないが、教授の口ぶりでは、負け惜しみとは感じられなかった。
東大に対する劣等感とは別に、ポリクリでは、指が折れるかと思うほど一字一句、オーベンの言葉はノートした。
また、私は、自分が何かやりだすと、夜昼かまわず、とことんやり抜く人間である事に気がついた。自分でも自分がおそろしくなった。

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スクールウォーズ

2009-01-13 00:50:21 | 武道・スポーツ
ツッパリ生徒と泣き虫先生

近くの市民体育館でテニスの壁打ちをするようになった。これが手軽な運動でいい。
日曜だったので、何かの試合が行なわれていた。子供のバレーボールの試合だった。
うっ、かわいい、とロリコンの血が騒いだ。少し試合を見た。小学生くらいの子供のチームが試合をしていた。片方のチームのサービスエースが二回きまった。うまいな、と思った。決まるたびに、みんな集まって、拳を差し出し、「よっしゃ」と可愛い掛け声を出している。チームワークもいい。はじめは、弱いチームも反撃してくるだろうと思ったが、試合を観ているうちに、明らかに力量差があることがわかってきた。サービスされてもレシーブも満足に出来ず、トスも下手で、敵陣にボールを返すことも出来ない。弱いチームは一点もとれない。点差がどんどん、開いていく。20対0、30対0。
はじめは、面白いな、と思っていたが、だんだん体の奥から、堪えようもないない気持ちが起こってきた。
「この情けない子らは、今どんな気持ちだろう。メチャクチャやられて、くやしいやろなー。みじめな思いしてるだろうなー」
がんばれ、がんばれ、せめて一点だけでもとれ、と私は心の中で叫んだ。だが、弱いチームは一点も取れなかった。試合がおわった。120対0。記録的な大敗である。勝ったチームは進学校でスポーツも強い。一方、負けたチームは県内でも札つきの落ちこぼれ小学校である。小学生なのに、勉強はしない、学校にもろくに行かないで、家でファミコンばかりしている生徒が多い。
「ふん。あなた達なんか百年かかっても私達の学校には勝てないわよ」
勝ったチームの一人の女の子がそんな事を言った。
負けたチームはそんなこと言われても黙って、しょんぼりしている。
その時、コーチである教師が立ち上がって、彼らの所に行った。
教師はバレーボールの元、全日本代表だった。彼はあたたかい口調で負けて、しょんぼりしている子らに言った。
「おつかれさん。怪我は無いか。くやしかったやろな」
その時、一人の子供が倒れて泣いて叫んだ。
「くやしいー」
小学生なのにタバコを吸い、リーゼントにサングラスで夜の街をナナハンでとばしていた、不良の大畑だった。
チームみんなが泣き出した。
その日以来、大畑はタバコをやめてバレーボールの猛練習をはじめた。

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ひさしぶりにバイクに乗った

2009-01-12 02:31:05 | 武道・スポーツ
ひさしぶりにバイクに乗った。

平成19年の夏にレンタルバイクを借りて乗っていたら六会コンクリートのミキサー車にはねられた。それは去年の10月4日に書いた。もちろん、過失割合は相手100%である。原因は、バイクに乗るのは久しぶりなので、慎重になってゆっくり走りすぎていた事が、相手に追い越したい気持ちを起こしてしまったからである。ゆっくり走れば安全というものではない。バイクは、それなりのスピードを出して走らなければ、危険だと知った。腕に傷跡はできてしまったが、それほど目立つものではない。しかし、せっかくの夏を棒に振ってしまった。肥厚性瘢痕になって、治療に一年近くかかった。ケナコルト(ステロイド)の注射が非常に効いて、肥厚もひいた。機能的な後遺症は全くなかったことに神に感謝すべきだろう。だが、もうバイクは、こりごりだ、と思った。一瞬の事故で一年近く、わずらわしい思いはもうしたくない。
しかし、またバイクに乗りたくなってきた。幸い、近くにもう一軒、レンタルバイク屋が出来たので、ついに電話して乗った。バイクに乗りたい気持ちが抑えられなくなってしまった。注意一秒、怪我一生、である。事故を起こしたり、あるいは、はねられたりしたら治療は一生である。そのため、店の周りの近くを用心深く乗ろうと思った。ともかく、事故だけは絶対、起こさないように、と思った。私にとって、バイクはスポーツの一つである。車と自転車があれば生活できるので、わざわざバイクを買う気にはなれない。買っても使う事がないのだ。なので私はバイクはペーパードライバーである。ふだん乗りなれている人間なら問題ないが、たまに乗ると、バイクのテクニックは、簡単ではない。今回は400ccに乗るつもりだったが、やっぱりやめて、250ccにした。ホンダのエスティーマである。店は私の元、実家なので、地理は十分、知っている。私は人の少ない所に行って、練習し、運転のカンをとり戻した。バイクはオートマ車と違って、テクニックが必要で、操作もカチャカチャやらなきゃならない。クラッチとギアチェンジ、ブレーキも前輪と後輪の使い分け。カーブやブレーキのテクニックなど。しかし、それが面白いのである。簡単な事ならやっても面白くないのである。そもそも車はハンドルを切れば安全にまがれるが、バイクのカーブは、失敗すると転倒する。練習してるうちに、だんだんカンをとり戻してきた。カーブの原則は、スローイン・ファーストアウトである。つまり十分減速してカーブに入り、徐々にスピードを出していくのである。なにより寒かった。寒いと体が硬直して、ゆとりを持った操作が出来にくくなる。全ての事に気を使わなくてはならない。登山家が山に登る時の面白さも、自然との闘いにおける用意、準備の面白さがある。
そして、カーブでは、はじめ、リーン・インで回っていた。リーン・インとはロードレースのように体を内側に倒すのである。なぜ、リーン・インにしたかというと、リーン・インにすると、バイクを傾ける度合いを少なく出来るからである。スロットルの操作に自信がなければ、時々、クラッチをきって半クラッチをうまく使えばいい。最も、ハーフクラッチを使い過ぎると、クラッチを痛めるとか聞いた事もあるので、バイクのためには、あまりいいことでもないのだろうが。ブレーキは後輪ブレーキをメインに使った。はじめのうちは何回かエンストしたが、だんだん慣れてきた。路上の運転も全く問題なく出来るようになった。はじめは、近い所で練習するだけにしようと思っていたが、これなら大丈夫と思い、鎌倉に出て、由比ガ浜から134号線を走り、江ノ島まで行って、自分の家まで戻り、さんざんバイクを堪能した。一日の練習で十分、バイクのカンはとりもどせた。だが一日、乗れば、もう十分である。家の近くをバイクで走ったが、やはりバイクを買う必要は感じられなかった。

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過敏性腸症候群

2009-01-11 08:12:52 | 医学・病気

さて過敏性腸であるが。過敏性腸を理解するには自律神経を理解しなくてはならない。大抵の医者は基礎医学の時には、健康で試験に通る目的で勉強してるから、医者になってから発言しようと思うと、また基礎医学を勉強しなす必要が出てくることが多い。私は医学部の時、過敏性腸に悩まされていたため、基礎医学の勉強は、非常に興味があったし、必要あって真剣に勉強した。
さて、過敏性腸であるが。これは自律神経を理解しなくてはならない。まず単純に交感神経が緊張すると下痢を起こし、副交感神経が緊張すると便秘になる、と大まかに便宜的に考えるのはいいだろう。自律神経を理解するのに、これはわかりやすいのである。しかし、現実には、そう単純ではない。
交感神経は緊張した時に優位になるが、だからといって即、下痢とはいえないのである。ストレスにも悪いストレスと良いストレスがある。ノルアドレナリンが脳の中で多量に出ている事は同じでも、脳には機能局在がある。前頭葉は考える部位、後頭葉は視覚の中枢、側頭葉は聴覚、というように、脳には働きの部位が分かれているのである。良いストレスと悪いストレスとでは、おそらくノルアドレナリンを分泌する部位が違うはずである。ヤクザに取り囲まれた時も、好きな趣味のスポーツの前の試合の時もノルアドレナリンは多量に分泌される。しかし、両者が違う精神状態であることは、素人でもわかるはずである。これは、おそらく、ノルアドレナリンを分泌する脳の部位が違うからであろう。前者は恐怖の中枢からの分泌で、後者はガッツ、やる気の中枢からの分泌とでも言おうか。
この事は同様に副交感神経でも言える。同じ副交感神経優位でも、リラックスと無気力、とでは違う。
交感神経と副交感神経はどちらが優位の場合でも絶えず、両方が働いていて、綱引きをし、健康のバランスをとっているのである。そしてまた日常の生活でも、緊張のしっぱなしだけでも、休息のしっぱなし、でもダメなのである。緊張と休息のメリハリのある生活が健康にいいのである。
私はあまりミクロ的な医学の研究には意欲がないので、ここらへんは意欲のある研究者に研究してほしいものである。

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青木晃先生

2009-01-10 03:01:43 | 医学・病気
たまたま手にとった冊子で、いい記事を見つけた。「SLIM」というタイトルの冊子である。無料だが、しっかりしたつくりで、82ページもある。薄い雑誌という感じである。タイトルからもわかるが、内容はダイエットに関する事である。
その中で、いい事を言っている医者を見つけた。
私は医者としてのプライドなんてものは、ないので、いい医者をみかけたら紹介したい。
その先生は、順天堂大学院、加齢制御医学講座・准教授の青木晃先生である。アンチエイジング医学の第一人者と書かれている。確かにダイエットの事を書いているが、単に痩せる方法だけではない。健康に痩せる方法、とでも言うべきか。自律神経やホルモン、基礎代謝などで、肉体や精神の健康についてわかりやすく書いている。わかりやすい、と書いたが私は医学を勉強したからわかりやすいので、一般の人はどうだろうか、と考えてみたが、このくらいなら一般の人でも十分わかりやすい、と思う。ただ自律神経やノルアドレナリンなどの理論は、やはり一般の人では実感を持って理解するのは、少し難しいかもしれない。
私が興味をひいたのは、去年、私は健康に過ごせたが、その理由はあまり考えなかったが、先生の説明が見事にそれを、わかりやすく説明しているからである。なるほど、と思った。ダイエットでは単に痩せればいいというものではない。あくまで健康が第一であって、健康になる事が大切なのである。拒食症の患者のように無茶なダイエットでは、痩せることは出来ても健康がメチャクチャになってしまう。

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タイマンを申し込む患者

2009-01-09 12:45:32 | 医学・病気
タイマンを申し込む患者

男子病棟に行った時、一人の一番やっかいな患者がいた。彼はまだ20ちょっとで若い。が、オートバイ事故で片麻痺になってしまったのである。この患者がなぜ精神病院に入院しているかというと、事故の時、頭部挫傷して、それ以来、被害妄想が起こり出したのである。バイク乗りだけあって、高校の時はワルで、暴力団と関係までは持っていなかったが、暴力団の事は知っていて、暴力団におそわれる、だとか、いろいろな妄想が起こり出したのである。彼は病棟の問題児だった。医者や病院にも被害妄想をもって、つっかかるのである。私にも、ニセ医者だとか、医師免許証をみせてくれ、だとか言ってきた。(もっとも、これはイヤミであって、そこまでは疑っていない)彼は精神病院をホテルだと思っているので、病院の待遇にいつも不満を持っているのである。そのため、病院の職員はグルだと、いつも言っていた。看護士は事務的な対応で、あまり彼と関わりたがらない。しかし、私は、そういう人を見ると反発する性格なので、彼には体当たりで対応した。悪い事をすれば、厳しく叱った。そうしたら彼は私にタイマンを申し込んできた。私は、男の患者には腕相撲を申し込まれれば、すべて受けていた。私もタイマンを申し込まれれば、受けてたつ必要があれば、決闘する意味があるのなら、相手がどんなに強いやつでも受けてたつ。私は父親に、「男ならケンカの一つでもやってみろ」とよく注意している。
しかし、まさか、医者と患者が病院の中でタイマンするわけにもいくまい。医者は患者の病気を治すのが仕事で、患者に攻撃することは、不自然である。そんなことをしたら、新聞に載るのではなかろうか。病院の外で、医者と患者という関係でなく、男と男という立場ならやってもいいが。しかし私はそれも断っただろう。相手は片麻痺である。しかも強い精神病薬を飲んでいる。勝ち目のわかってる戦い、ハンデのある戦いなど私のプライドか許さない。彼とは本音でケンカし、また笑い合った。一時、嫌っても、長く患者をよく見るといい面も見えてくる。
彼にはいい面もあった。自分も何とか役に立ちたいと思い、頼まれもしないのに、食事の時、五つあった個室の患者に食事を知らせていた。医長は、それを誉めなかったが、私は誉めた。患者は入院する時はほとんど個室に入る。暴れて手がつけれられなくなるから家族が連れてくるのである。また、暴れる患者も個室となる。まあ、当然である。
私は個室の患者とは、よく話した。
私の性格からしても、多くの人のいる集団の中では喋るのが苦手だが、一対一でなら、私は、誰とでも話せるのである。
ある時、個室の患者と話していたら、そいつが入ってきた。
その患者は横になって顔をそむけていた。
「おい。石田(仮名)。先生が来てくれたんだぞ。起きろよ」
私はかー、と胸が熱くなった。しかし、その感情を素直に表現したくなかった。し、素直に表現すべきでもないと思った。私は逆説的にそいつを乱暴な口調で叱った。
「うるせーな。寝ててもいいんだよ」
そう言って私は彼を追い払った。

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性格の悪い患者

2009-01-08 08:27:44 | 医学・病気
研修病院には私ともう一人の研修医が一緒に入った。当然、親しくなった。彼ははじめ、男子病棟だった。私ははじめの半年は女子病棟で、そのあと男子病棟に行ったため、彼と入れ替わるようになった。その中で、いろいろやっかいな患者がいた。一人、劣等感が強く、性格の悪い患者がいた。私は彼と話して、すぐ彼の性格の特徴をつかんだ。彼は仏教に関心を持っていた。
「医学部では、動物の解剖をするんですよね」
「うん。するよ」
私は気楽に答えた。
医学部では、二年で魚、カエル、ネズミの解剖をする。三年の臨床では生化学でマウスの実験をした。四年では薬理学で血圧の実験の時、犬を使った。これは、ちょっとかわいそうだった。犬の頚静脈に色々な薬物を投与して、血圧の変動を調べるのである。
私は彼が医学部の様子を聞きたいのだと思った。
だが、どうもそうじゃない。
私が元気に答えたら、彼は眉を寄せて、考え込んだ。そして私に質問した。
「動物を殺す時、どんな気持ちでしたか」
彼は真剣に私に問いかけてきた。
私はピンと違和感を感じた。
その後、彼と色々話したが、彼の性格がわかってきた。
彼は実験のため、動物を殺した私が悪人で、自分は殺生をしない善人でありたいのだ。
しかし、それなら、食事で牛肉や豚肉は食うな。
医療が進歩して、多くの難病の治療法がわかって人の命が救われるようになったのは、動物実験をしてきたからじゃないか。
彼は医者を地獄に引きずり込む、あり地獄のような性格だった。
医療者が患者をもてあそび、不幸にしてやろうと思っている、という疑いを強くもっていた。
確かに、健康な人間どうしなら、そういう事はある。幸福とは相対的なものである事が多い。負ける人間がいるから勝つ人間は幸福になるのである。ライバルの不幸は自分にとっての幸福である。さらに積極的に相手をおとしめようとする事も世の中では日常の事である。(もっとも、私は、幸福相対論におちいると、この世は地獄になるから、絶対的な、相対性にならない幸福を求めていた。そもそも私はこういう事が嫌いだし、そういう事に悩むような性格である)
それは人間なら、多くの人が持つ感情である。
ジョージ・バタイユの哲学がそれである。
彼は医療者もその感情を患者に持っていると思っていた。
彼は実に多くのやっかいな悪い性格を持っていた。
彼は優柔不断が激しくて、どの辞書を買うかも決められず、前の研修医に、どの辞書がいいか、相談したらしい。そしたら、研修医は、「辞書など買うな」と言ってしまったらしい。これは、からかい、である。だが人間の本心に潜む悪の心も含まれている。
それを言われた事を彼は何度も、何度も大声で叫んで訴えつづけた。
研修医は、それで精神的にまいってしまった。
精神科の患者には性格の悪い患者も多い。
精神科医とて人間である。
嫌いな患者に、不快なことを言われると、その時は、腹が立つ。
しかし、長い目で見ると、やはり患者は、かわいそうだと思うようになるのである。
嫌いでない患者には、そんなややこしい感情は起こらず、ただ何とかしてやりたい、という思いだけである。
私は用心深い性格であり、また、人との競争や、人を蹴落として自分が幸せになりたい、などという考えの世人を嫌っているため、もちろん彼の医者地獄引きずりこみにはおちいらなかった。
スポーツにしても勝ち負けのスポーツは、興味はなく、個人競技や、運動の美しさに惹かれる。
精神科は、比較的、楽な科であるが、こういう、性格の悪い患者もいるので、気をつけないと精神的に参ってしまう。
精神科の患者にはいくつかのタイプがあるが、二年の研修で、ほとんど知り尽くしてしまった観がある。
二度目に就職した地元の民間の精神病院でも、こういうタイプの患者がいた。私は、「ははん。あの手のタイプの患者だな」と思って、彼の手には乗らなく、かえって、彼の心理を暴いて言ってやった。少し、かわいそうではあるが、そういう悪い性格はなおさないと、これからの人生で苦しむことになると思うからである。

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私がエロティックな小説を書くわけ

2009-01-07 21:59:04 | 考察文
私がエロティックな小説を書くわけ

それはもちろん、書きたいからである。私は、これでもか、これでもか、と自分が表現したいものを書いているのである。思想的には真面目な事を考えているのに、表現したい物はエロティックなものなのである。これほど思想と表現したいものとが異なっている人間もめずらしいのではないだろうか。しかし私は自分がどうしても書きたいと思っているものは、私の根源的なものがあると思っている。それは私の先天的な感性であり、宿命であり、私の意志であり、思想ですらある。しかし私が好きな文学は、それとは全く違う真面目なものばかりである。し、そういうものも書きたい。また、歳をとるとエロティックなものは書けなくなるのではないか、という不安もある。そのため、まだ若いうちはエロティックなものを書いているのである。

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女子医学生

2009-01-06 08:20:58 | 医学・病気
大学の時の女性

大学時代の女子医学生について書こうと思う。私は中学、高校と男子校で過ごしたため、女に免疫がない。もっとも、それと関係なく、私は内気なので女性と話せないのである。私は同じクラスの女性を心の中で切なく片思いしていた。私は女と話してる男が天才のように見える。どうしたら、ああいう芸当が出来るのか。しかし私は一人ぼっちなためか、よく女に同情された。一年の時、体育で水泳の時間があった。女は全員、見学である。しかし、女の中に、一人、堂々とした子がいて、彼女は照れることなく、男と堂々と話していた。彼女は子供の頃から野原を駆け巡っていたような子なのだろう。女なのに運動神経がよく、どんな運動をやらせても上手い。
彼女は、私を孤独をかこつ、ひねくれ者と見ていたのだろう。はじめの頃は、私など眼中に無かった。しかし、四年の時、生化学のある実習の発表の時、私が訥弁ながら熱心に説明しているのを見て、それ以来、私に対する見方が変わってしまった。彼女は積極的なので私に遠慮なく、どんどん話しかけてきた。私と友達になりたいのである。しかし私は女と話が出来ないのである。嫌ってるわけじゃない。一言でいうと私は他人に女とデレデレしてる姿を見られたくないのである。それで、よく女に誤解を与えてしまった。
ある実習の時、彼女は近くの男に顔を赤くして言った。
「好きな人がいるの」
近くの男は言った。
「じゃあ、好きだ、と言えばいいじゃない」
彼女は言った。
「でも、相手の人がどう思ってるか、わからないの」
と言って困っていた。
もちろん、私の事である。私も近くにいて私に聞こえるように言っている。私は緊張して、心臓が止まるかと思ったほどである。ややこしい性格で悩ませてしまってすまない。私は嫌ってはいないが、女と話が出来ないのである。

二年の体育の授業の水泳の時も女は全員、見学だった。だが、彼女は、運動が好きで、あっけらかん、とした性格で、男に水着姿を見られる事に何の抵抗も持っていなかった。男子の水泳がおわって、女子の番になった。だが、水着に着替えてプールに立っているのは彼女一人である。一瞬、見た彼女の水着姿が忘れられない。彼女の水着姿の女のもっこりした部分は私の網膜に焼きついて、一生、とれないだろう。
素晴らしいものを見せてくれてありがとう、と言いたい。

しかし、長く観察されると私の性格はばれてしまう。三年の時の解剖学では、四人で半年、一緒に勉強した。私の後ろの女性は、やたら明るく、しかしきれいで、入った時からドキンとしていた。彼女はゴルフ部だった。ゴルフ部を選ぶということから、その性格もわかる。ゴルフ部は男も女もいて、男とつきあいたいと思ってる女が入るのである。彼女はやたら明るく、暗い性格の私が隣で彼女に申し訳ないと思っていた。彼女は呼吸器科を選び、今も明るく、ネットでも大阪のブラックジャックとして紹介されている。

6年の時のポリクリ班も5人で、一年、一緒に勉強した。紅一点で一人かわいい子がいた。彼女も私に好意を持ってくれた。私は彼女が好きだったが、それを知られたくないため、変な態度を装った。私が彼女と全く話さないので、一人が、しびれをきらして私に、
「彼女、嫌いなんですか」
と問い詰められた。
私が全く彼女と話さないので、とうとうある時、彼女は、
「いいもん。A型(私の血液型)はB型(彼女の血液型)を嫌ってるんだもん」
とまでつらそうに言った。私は吃驚した。
ポリクリの三人の男は私が彼女をどう思っているか、気にしだした。ある時、かなりカンのいい一人が、
「冷たくするのは好意の裏返し」
といきなり言った。一瞬、しんとなった。
はい。その通りです。
彼女はかわいく、私が復学して細菌学の実習の時、彼女を初めて見た時から、かわいい人だなー、と思っていた。鳴かぬ蛍が身を焦がす、のである。彼女は麻酔科を選んだ。
もう一人、憧れていた人がいた。
その人は、おとなしい人で、ホームページのエッセイで書いた、「細雪」「詩人にならなかった人」である。私は激しく彼女に憧れた。が、育ちがよく、解剖学の実習の時、「くちゃーい」などと言っていた。私は「そんな甘い根性で激務の医者になれるか」などと教師のような事を思っていた。彼女がどんな人か知りたければ、ホームページの「細雪」を読んでいただければわかります。
小説、「岡本君とサチ子」は、入学した時の同級生がモデルで、二人ともテニス部に入った。ある時、二人は手をつないで歩いていた。私には信じられない光景である。卒業後、結婚したが、理由は知らないが、離婚した。彼女はまた内科の女医にもどった。
私が女と話せないのは、知ってる人に女と親しくしている所を見られたくないからなので、二人きりなら普通に話せるのである。

また、

「女の同情をありがたく受けるようになったら男はおしまいだぜ」

という気持ちも私にはある。


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ある内科医

2009-01-05 04:07:25 | 医学・病気
ある内科医

研修病院の男子病棟の時、ある内科の医者が毎週、見学に来た。精神科医は内科は弱いから内科の先生が来てくれると助かるので歓迎するのである。その先生は理由は知らないが、精神科に興味を持って見学に来ていた。はじめは、優れた良い先生だと思っていた。しかし、だんだん、氏が嫌いになった。一見、紳士そうに見えたが、だんだん化けの皮が剥がれてきた。まず態度がおかしい。日本の精神医療はまだまだなっていない、などと言う。男子病棟の医長が、精神科の欠点を言うと、それを逆手にとって精神科を非難してくる。こんな態度はおかしい。どんな偉い立場かは知らないが。
そもそもどんな組織でも、世の中は容易に自社を見学などさせてくれるものではない。どんな組織や企業にも知られたくない欠点や企業秘密はある。だから、見学させてくれるところがあったら、自分は部外者なのに頼みを聞いてくれたという見学者の立場をわきまえなくてはならない。その自覚が全然、無いのだ。
そして見学者や取材者が知りたがっているのは、組織の欠点、実態である。そういうのは普通の企業だったら言いっこない。しかし医長は、正直に欠点を言っていた。そしたら彼は、えー、と驚いて本気で非難してきた。私は彼が頭がおかしいと思った。
人間は普通、自分の欠点など言わないものである。言う場合は、自分を不利の立場にしてまで、あえて本当の事を教えてくれた事に、心の内に礼を言うべきだ。そして非難など、もってのほかである。しかし、その先生は、欠点を知ると、それを逆手にとって本気で非難してくるから、あきれた。物事の道理がわからないのだ。
どんなに自分が空手が上手くても、柔道を学びたいと思ったら自分を白紙にして柔道家の先生に礼儀正しく頭を下げて教えを請うべきだ。それが礼儀であり、またそういう気持ちが無ければ、人間は柔道など身につける事など出来ない。
その先生は、いくつかの学会の評議員で、「僕は日野原先生とも親しいんだ」などと言っていた。そんな事は関係ない。自分が内科で偉くても、精神科は部外者ではないか。偉そうに批判するなら自分が精神科を責任もってやってみろ。精神科医は苦しい日本の医療行政の現状の中で精一杯、頑張っているのだ。世の中や医療行政は精神科を中心に回っているのではない。さらに嫌なのは、人間が学問を超える事はないのに、その先生は、我こそは学問なり、という態度だったことである。
精神科では、結構、素人に患者を診させるということもする。
専門家の視点ではなく、専門に偏ってない一般の人の視点からどう見えるかということも参考にするためだ。そういう点で、私も男子病棟に配置された時、診断の難しい患者を全部、任された。私はそれらの患者の病態を全部、解明してカルテにびっしり書いてしまったので、その先生はもはや、私以上の考察が書けないため、病院に来れなくなってしまった。何やら、本当かな、とか、そんなにお前はすごいのか、とか疑われそうだが、事実、本当なのである。私は研修の時は張り切って真夜中まで勉強していた。私のカルテは患者の病態研究の考察論文のようなものだった。

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ブルース・リーの魅力

2009-01-04 10:44:00 | 武道・スポーツ
ブルース・リー

ブルース・リーがなぜ人気が落ちないか、と考えると。
単に技だけ見ればリーより華麗な技を使える武道家の俳優はいる。
また、リーのアクションは、コミカルな所もある。「燃えよドラゴン」では、長い棒、短い棒、ヌンチャクと短時間に武器をわざわざ替えている。武器を奪われたわけでもないのに。
色々な武器の披露としか見えない。「死亡遊戯」でのヌンチャクもかなり、戦いというより、技の披露と見える。
では、なぜリーの人気が落ちなく、ブルース・リーが、アクションスターの第一人者であるか、というと。
これはリーの怪鳥音が象徴するように、リーの怒りが本物だからだ。リーには根底に、弱者や人種差別に対する激しい怒りがあり、それを映画の中で爆発されているからだ。他のアクションスターも映画のストーリーで、怒りを演じてみせる。しかし、やはり心の中に怒りは無いから、それは演じられた怒りであり、リーの迫力にはかなわないのである。
また、リーは身長170cm体重55kgというほど小柄だった。ウェートのある格闘家には、どうしてもかなわない。だが、リーは絶対、誰にも負けたくない性格だった。そのため、ああまで筋力トレーニングをして、見事な肉体にしてましまったのだ。そして、戦い方の研究を徹底的にしてしまったのだ。そういうふうに、地の性格が本物で、それを映画で爆発させているからリーの人気は落ちないのだ。
技がリーより華麗なアクションスターはいるし、これからも出てくるだろう。
しかし技の華麗さには感心しても、リーほどの本当の怒りの迫力を感じることは出来ないだろう。

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いじめ

2009-01-02 08:16:01 | 考察文
いじめ

大学の時のある印象のあった事を書いておこう。私は四年の時、休学したので、復学して卒業したのは下のクラスである。入学した時、一人、30代半ばの人がいた。彼は、内向的な性格で、誰とも友達をつくろうとせず、いつも一人きりだった。だが、彼は真面目な性格で、100人中、6人しか出ないような授業にも授業には全部、出ていた。もちろん言うまでもなく当然のことだが私は、6人の中の一人である。私も話し下手で、内気な性格だが、人と全く話せない事はなく、そもそも孤独に弱く、友達はほしかった。幸い、残りの4人も内気で真面目な性格だったので、私は彼らと友達になれた。だが彼は、内気の度合いがひどく、また、友達をつくろうともしなかった。そのため、いつも、後ろの席で一人きりだった。だが勉強熱心で全ての授業に出ていた。他の94人の生徒は勉強より遊びが好きで、試験は過去問を持ってれば通ることを知ってるから、授業に出ないのである。ただ、生物学など、はずしてはならない科目になると、全員出席である。成績は貼り出したが、最初のドイツ語の成績は彼が一番だった。だが、彼は過去問が無いので、二年から三年の時、落ちてしまった。あまりにもかわいそうなので、私は過去問はとっておいて、三年に進級した時、全部、彼にあげた。
四年の時、私は過敏性腸がひどくなり、また過去問が手に入らず、単位が取れず、休学することになった。だが、いい医者に会えて、いい治療を受けて、自信がつき、復学した。だが、復学後は、下のクラスである。知ってる人は一人もいない。浦島太郎のような感じである。入学した時のクラスでは、二年の時、過敏性腸の治療で、ある医院に通って精神安定剤のクロルアゼポキシドをつづけて飲んでる内に気分がハイになり、クラスの半分くらいの人と話せるようになった。
復学したクラスに彼がいた。
私が過去問をあげたために、二年から三年に進級できたのだろう。
三年から四年へは関門がないから、四年には、三年で単位が取れなくても進級できる。
実際、彼は全く単位を取れていなかった。
私は知っている人は一人もいない。
復学して最初に出た授業は、生理学(植物生理)のテストだった。試験前のお喋りは、彼が来てないことのひやかしだった。彼は授業に全然、出てないらしい。テストは、過去問が絶対、必要なのである。私も友達が少ないので過去問入手に苦労した。一度、金を払って、頭を下げて友達から買った事もある。成績の席次も、いかに頭がいいか、ではなく、いかに友達が多く過去問を集められたかの順位に過ぎない。結局、彼は卒業できなかった。彼は優秀な研究者になれる能力があるのに医学部を卒業できなかった。「他人の不幸は鴨の味」で、その人に対する陰口にはあきれるというか、うんざりした。私は彼ほど内気でなく、その点は神に感謝しなければならない。そんなことで私は大学の時が嫌で嫌で仕方がなかった。過去問が無いからテストの成績が悪く、こんなバカと教授も学生課の人も見下げていた。医学部の評価は国家試験の合格率だから、国家試験に通りそうな生徒は可愛がるが、国家試験に通りそうもない生徒はクソミソに言う。私は何度、アホだバカだと教授に言われたことか。学校の試験なんて過去問集めの能力にしか過ぎないのに。しかも私は過敏性腸で生きてるのがやっとだったほどだった。そういうことから落ちたクラスでは、さんざんいじめられ、莫迦にされた。もちろん、なかには親切にしてくれた人もいた。
学園祭の時、何やら遠回りに彼を非難した偉そうな事を言っていたヤツがいたが、人間の性格にはどうしても変えられないものもある。そもそもネアカにとっては、誰とでも話す事が楽しいのだが、内向的な人間にはそれが苦痛なのである。
だが、そういうことから、弱者をいじめ、笑いものにするクラスのやつらが嫌いだった。私は内向的人間を代表して幸せになって、そういうやつらを見返してやる。
そのためにも私は死ねない。

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謹賀新年

2009-01-01 16:59:23 | Weblog
謹賀新年

今年がこのブログを読んでくださってる方に良い年でありますように。


今朝、海に日の出を見に行った。ちょうど日輪が出かかる所を見れた。「初日の出」などといっても、元旦の日の出と、毎日の日の出に違いがあるわけではない。また、私はそんなに縁起にこだわる性格でもない。なのに、なぜか、どうしても海の日の出が見たくなったのである。この理由がわからなかった。だが、だんだんわかりだした。私は湘南という土地を、そして湘南の海を愛しているからだ。海には、日の出を見にきた人達でいっぱいだった。むしろ、私は彼らを見に行きたかったのだろう。人が楽しむ湘南を私も楽しみたかったのだ。孤独をかこっていても私は人恋しい。マス大山のように片眉を剃る気にもならない。今日のこの機会は人生で二度とは無いのだ。あいかわらず、彼氏彼女のカップルは多い。私は嫉妬心をかきたてるためにわざとカップルを見に行く。羨ましさが私の生きるエネルギー源である。それを充電しに行ったのだ。

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理容店

2009-01-01 16:45:54 | Weblog
小説「理容店」が本当になった。

「理容店」という小説を以前、書いた。ホームページにのせてある。もちろん、これは、事実を脚色したフィクションだが、ある明るい女性が、私の担当になった。彼女は私が行くと、笑って、色々話しかけてきた。もしかしたら海にさそったら本当に行ってくれるかもしれない。だが、最近は行かなくなった。近くに別の似たようなのが出来たからである。

だが、私はなぜか、素直に相手に好意を示したり、望みを実現させたくない複雑な思いがある。望みは叶えられたとたん、望みでなくなってしまうからだ。むしろ、私は欲求不満のハングリーでいたい。「エエカッコシイ」もあるのかもしれない。葉隠れで言う恋愛観、
「恋の至極は忍恋にあると見立て候。会いてからは恋の丈が低し。一生、忍んで狂い死する事こそ恋の本意なれ」
この葉隠れの恋愛観が私に強くあるのである。
というより、私は安易な和解が嫌いなのだ。
私はなぜか、望んでいたものが満たされてしまうと、かえって虚しくなるのである。
激しく望んでも、望みがかなわない緊張感に興奮するのである。

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