親戚の年下の従兄弟が結婚したらしい。女子大生と結婚したのかとも思っていたが、バツ一子持ちの近所のというより、3軒隣の方らしい。
自分の家と合わせて2軒分のローンを抱え込むことに成ってしまったようだ。
同い年ということからも意気投合したのかもしれない。
そんなことが起こる前、やはり母が妹の元旦那の事を話しているときに、母自身のことを話していたと思ったが、父も妹も聞いていないらしい。
どうやら、私は別の方を向いてしまったのだが、無意識的に何か言葉が聞こえそうになるとそういう行動を取るのかもしれない。
そういう言葉を聴いて(恐らく声が聞こえる幻聴か)何を言っていやがると、怒りにも似た感情が湧き出すのかもしれない。
そういう時に尚更、優しく、そして時に厳しく、時に勝手だけど、凛としていて、詩を愛して、一途に祖父を愛していた祖母を思い出すのかもしれない。
大正二年の大正っ子。松島家。
こんな事と親戚の話とが重なり、ある種の諦めが、そういう方を選ばせるのだろうか。
まえに、そういう人じゃないと厳しいだろうね。と飲みながら話していたことが、やや思い出させる。
自分の専門中退だったか。というような話をしていた。
建築関係の。私も小学校の卒業文集を眺めてみると、建築家に成りたいというようなことがかいてあった。しかし、実際は結婚したいというのが1番目であったのだが(笑)
建築家に成りたいというのは今振り返って考えてみれば、人が喜ばれることをしてあげたい。というのの具体例に過ぎないと思う。
結婚したいというのは当時から母は不義を働いていたので、本当の愛を求めていたのだろう。
正に北斗の拳のケンシロウの様に。(笑) オープニングの「愛をとりもどせ!!」の歌の通りなのがなんだか、ピッタリなのがなんだか、哀しいのか、笑えるのか。(苦笑)
心理学では愛しているという事を表してあげてください、とよく言われる。母は何のかんのと、ちょっとした話でも直ぐに切れる。目の敵のように。
改善する気のないものに何を言っても駄目だとは心理でも言われることだが、正にこの種の人なのだろう。
幼いながらに好きになった身近な女性は祖母であったし。そういうは従兄弟の伯父も祖母、従兄弟も祖母、そして、長兄も祖母であることから、一種のシンボリックな人であったのかもしれない。
裏を返せば歳を経てもそれだけ魅力的な女性であったという事なのかもしれないが。
だが、そんな祖母に対して、伯母は他人とみなして居た節がある。
男性の目から見れば当然の様に思える。
祖母は同姓で在るが故に、自分が育ってきた、女性としての理想と現実を教育しようとしたのかもしれない。
時はは大正。
巷では「良妻賢母」為る本が出回り、おおはやりであったに違いないのだし。