日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

自己を確立するの二つの心と意味

2018-05-08 09:05:17 | 日記
 7日に不思議な感覚があった。それも今まで感じたことが無い初めての感覚で、数学に意識して当て嵌めようとしなくても、自然と物事が数学の式や図形や関数などになって行ってしまうという感覚。それは言葉の文章の様々な形態についてもだ。

文章理解についての話は論理トレーニングと日本語リテラでやったが、小学校の頃に言葉を把握するときの原初の記憶で、日本語についてそれぞれ向きがあるような感じを受けてそれ故に記号で言葉を把握するということを行った後に、日本語文章が書けるようになった。それは初める時は3個程であったが幾つか全体に拡張していけると思ったので模索していた。そんな話を掻い摘んで副学長に話したら採用されていて驚いたという経験は自分の中では面白い事だ(微笑)


 そんな感覚の後に、私の尊敬する父方祖父も同様の感覚を早い時期に獲得していたのだろうか・・。という思いにとらわれた。それと同時に、フッと過去の兄弟だった長男の伯父の話を思い出した。祖父がどんな考え方をするひとなのかという話で「解らない」という話で答えだったが「弟の○○は優秀だったからなー。」という言葉に次いで、それでも何か知りたい私は垣間見せる話は無かったのと継ぎ「そう言えばといって、話をしている時に急に数学の話をしだしたんだよな。」っと。伯父さんは訳が分からなかったらしいが。それ以上伯父さんに聞いても何も分らなかったが、とういう話があった。まあ、当然のことだよな本人ではないんだから。


 そんな感覚の後に人を迷わす言葉が再び目を覆う。数学の基礎をやっていると人生が終わると。あ、長岡亮介の言葉を知らないんだなぁ~という、以前の私であれば混乱してしまうような言葉に出会った。自己を確立するという言葉を思い出し、誰だったかと思ったら吉田松陰も言っていた言葉だったかと思いもし、更に思うのは自己を確立するというのは外的なものだけではなく内的なモノについても言える事だったんだなと気付かされる。何だが武道の少林寺拳法や兵法家伝書や数学の二つの心や感覚を感じだ経験の事などを思い出す。


 そう言えば昔小学時代だったか、普通の言葉を聞いていて、何だが裏の言葉が頭の中に響いている感覚があったな。。いつ頃だったか・・。
コメント
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