日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

数学 その四  長岡亮介と小河勝

2018-05-24 14:04:53 | 日記
 言葉を書くと混乱するということを以前書いた事がある。これは以前に書いた通り間違ってはいなくて、明確な方法を知らずに書くと混乱を極める様になるという事と言って良い。けれど、その効用はあって、後から見直すときに自身がどんな状態であるのかを確認するには良い。吉本工業の首脳の方が言っていた事を思い出す。


そんなことを踏まえた上で、数学の効用としては自身の頭の中の整理を手助けしてくれるという事に他ならない。その場から進むという場合で考えれば、無数の選択肢がある場合に、それぞれを把握するという事なのかもしれない。それが抽象化と謂われるものなのかもしれないが。


そういう事を思っているとき、現実世界に戻って数学教育を考えるとする、その時に割り算を教える場合に、私が教えられた時代は円グラフを使って教えるというモノ。観察すると甥の状況を見ても、それは変って居ない様に思われるがそれで本当に理解できるものだろうか。この事について既に小河勝先生は指摘されているが、先生は戦前の教育は別の形で、この様に教えるのが一般的だったとも本で語る内容もある。この様に教えないと本質が解らないとも同時に語ってもいる。


私の様な数学的能力の低い者についてはその本質が理解できないまま進んでしまうと思うのだが。


だが、最近は敢えてそうしていると私は思って来ている。それは歴史的経緯、GHQ連合国軍総司令部のその中のWGIP War Guilt Information Program なるものがあり、此れを日本語に敢えて直訳するのではなく誠実に内容を踏まえて翻訳すれば「敗戦後 罪意識 刷り込み 設計指針機序」という風に、成るのでなないか。


私は小学時代から、これに起因する事柄を探してきた。


そう考えて行くと、合点が行く様に思える。長岡亮介先生の数学教育の深化という話でもこの割り算の話なども出てくるんだろうか。


心理学的なことも同時に浮かんでもしまうが、此れは書いてあることが混乱するので避けた。



参考

  https://www.sankei.com/life/news/150408/lif1504080003-n1.html
コメント
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