日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

赤毛とフレデリカ

2018-05-25 23:23:52 | 日記
大好きなばあちゃんの形見とも言える、河豚尻尾があったりする丸い形の和風醤油皿が割れてしまい、とても哀しいと言う話をした。私はとても気に入っていたと何度も話して、母は私はこう言うのは買わないし気に入っても居ないと言うのに、私には別のどうでもいい皿を使わせて、自分は私の気に入っていると言っている皿を使う。


こう言う所だよこう言う所が本当に、嫌な過去を思い出させて、やっぱりこの人なんだなぁ〜と思わせる。


xファイルのスカーリーや銀河英雄伝説のフレデリカだったらこう言う事はしないだろうな。。

フレデリカが苦しんで居た時の私の女神に思えて居たんだよな。それは今でも変わらないか(微笑) なぜかと言えば人に薦めることができる作品であるという事は今でも変わらず好きでもあるという事だし、前の作品の方が音楽も最高だったし。


フレデリカは赤毛じゃないけど、今までだったら赤毛で描かれる人物だと思うんだけどな〜。
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エーリッヒフロムと河合隼雄  20180525‐26

2018-05-25 22:34:52 | 日記
 人間の幻術や幻想に付いて考えていた。


とりとめの無い事のようにも思えて,深い事でもある。自分が何年も勉強している,心理学ではどの様に考えていただろううかと思うとき,様々に考えるが,先ず思うのは日本人の場合と非日本人の場合に付いてだと思う。


この場合やはり原初の統一意識のようなもの,記憶と呼べるものかがある様に思えて,具体的にそれは何であろうかと思うとき,一夜明ける前から考えていて,漸く今になってしっくり来る感覚が浮かんできて文字化してみようと現在に至るが,それは日本人に付いては日本神話であり,非日本人はギリシャ神話であったかということがあった。


日本人については日本神話と何処か繋がっているような気はするが,何処か切れているような感覚もある。この奇妙さは何だろうかと随分昔から思っていた。いつ頃からかと思い返すのも難しい程であったので時間が掛かったが,恐らく初めからだと思う。詰まりは小学校一年生の時だ。


あの時代は不思議な感覚が溢れていた記憶がある。絵画の溢れている二階の廊下があり,其処を歩ける時に歩くのが好きで,帰りにも其処を歩いて帰るのが好きだった。歩いて来ている時に何度も不思議な感覚になり,絵から人々の感覚がダイレクトに直接に語りかけてくる感覚が在り,何度か暫らく,自分の周りの世界が暗転し空中に浮いている感覚になり,直接語りかけてくる場所から深く入っていったような感覚が在った。

今の表現で言えばダイブしている感覚で,それを繰り返しているうちに深さがある事に気づき,更にそれを(ここでは「を」で好い何故なら感じる主体のままであるから)気づいたすぐ後に共通の意識の様なモノがあるのに気づかされたのだった。それが何であるのか,当時は解らなかったが,文字も怪しい時であったし。

それから文字が少し解るようになって,それを求めるかの様に図書室に通いだしたのだったな。通っている時もその現象が良く起こって入るんだったな。。そういえばそれを体験した後は他の場所でも,濃淡はあるが常に存在している感覚が在ったんだった。全体を意識したのはその時だが,それより随分幼い頃に,母方祖母の家で感じる感覚があり,寝ている幼い私の囲いの中からの記憶と自宅に戻った時の感覚の違いだったか。その時は間欠に感じるという感覚だったか。


学習した中ではギリシャ神話の事が良く述べられていた,科目であったので日本人の事が余り述べられていないのが私としては不服であった。そこで本を買う事になって河合隼雄を買ってあったんだと思い返すに至る。


私の場合この様に,二重の要求の様な事があり,本を読み始めるのだが,此れが何だか煮詰めるという巷でよく聞く現象の様に聞こえてしまって私としては実際にはどうなんだろうかと気になる所ではある。
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