日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

長岡亮介がくれた答え。

2018-06-25 23:07:51 | 日記
 長岡亮介が語ってくれた事が,高校の頃にずっと探していた,疑問の答えがあったとは益々好きに成るな(微笑)

 デカルトが触りしか出来ていなかったことが,現代の高校では触れられているか・・。この中で語られていた長岡亮介の言葉。中学までは文字を自在に操れるだけで問題なかったが,高校ではその次の段階の抽象的理解を駆使する事を自在にする事が求められる。か・・。


 現代の試験では必ずしもそういう問題じゃないから,歪んでいくんだろうな。昔の私はそういう試験問題から類推する傾向だったから,尚更混乱をしてしまったわけだが,戦後日本人の特に私の様に,素朴に考える者にとってはGHQに誠に真に見事に填まってしまった訳だ。


GHQが戦後日本人の頭を混乱させるには十分だった訳だな。故に本質を見えにくくし,更に其処から再生産されるという見事に嵌る状態を生ませた訳だ。ウマすか・・。確かに見事だな・・。膿ますに倦ますに績ますに熟ますか・・。


そう言えば高校の頃,何時も校門まで出て行く時からずっと2キロ位歩いている間中に,中学との違いを求められているものは何だろうかと,ずっと考えて居たんだよな。


その事が,唯の延長である筈が無いと思っていて,中学の頃に感じたのは,具体的なことを一般化するという事はどういう事なのかを理解したんだよな。其れが文字だった訳で,その様な事が必ずある筈だと思っていたが,見事に解らなかったんだよな。恐らく私の通っていた学校のレベルが低かった所為であったんだなーと思って本来必要でないのにあらゆる科目のBの参考書を母親に裏切られた時から自分のお年玉で買って行って居たんだよな。


お年玉何に使っているのと聞かれたときは参考書を買っていると言ったけど,「そう」というばかりだったんだよな。私としては未だ期待を抱いていたと言う何とも愚かだったよな。愚直なんだな・・。きっと。私は一度行った事を必ず実行してくれると期待してしまっていたんだな。。
コメント
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