日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

國體と明治時代 20180807 訂正0908

2018-08-05 23:38:15 | 日記
 國體とは何だったのかとよく保守派の論客たちが言い、それは人によって違うと曰う。私としてはそんな訳あるかと何時も思う。


それは何処かで錯覚させられているという事が今なら分かる。


國體という概念を具体的に考える時など何でもそうだが、基本は経緯から見なければ為らないが、この場合歴史からという事になるのだろう。


それが明治時代に作られた、比較的新しい観念であると凡そ明らかになるを知った時、此処に浸け込まれたな・・という思いが、以前の記事の「予断と錯覚」で述べた「侵されている」という部分の一部になる。


何処まで侵されているかと考えるとき、やはり科学的手法が一番正確という事か。更にそれは自然科学と社会科学的と人文科学的な手法が必要という事か。


それで、祖母の話の誠の境と言う話が思い出すのか。それで父の話と祖父の話とが交差するのか。


それでその事と同時に、青山繫晴の坂本竜馬の話が何だか思い浮かぶのか。坂本竜馬が何だか私自身は好きになれないというか、イマイチ信用に足る人物では無い所が、それを、「訂正(尊敬している)」好きだと青山繫晴にどうしても信用に足る人物に思えないという感覚が重なるのか。


明治時代以降の日本の歴史がどうも、オカシイと思えるのはその時代が続いているからなんだろうな。


やっぱり私は会津側でありながらの、開明派だな。



コメント
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