日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

アカメが斬る!と日本の懊悩

2018-08-09 19:55:21 | 日記
 アカメが斬る!に付いて、あまり当時は思ってもいなかったが、それぞれの人物キャラクターが、人にとって象徴的な人物であったんだなと気付かされる。エスデスに関してだけは当時も気付いてはいたが、他の人物については分からなかった。


一番分かりやすいエスデスから行くと、己が死んでいる人物ということ。苦しすぎてと言っても良いだろう。

マインは自分自身の為に生きているという意味。

レオオーネは自分を生まれ変わらせたということその意味。

ラバーは字が違っても人にとっての愛。いい意味でも悪い意味でも。

シェーレは剥かれるその時までのモノという意味。

ブラートは昔ながらの硬い変わらぬモノとも,それともかけて刀とも掛けている。

それを受け継ぐタツミは立身と掛け立身流剣術とも掛け,更には立身出世とも掛けているのだろうとも思える。

そしてサヨは小夜だろうし始まりの予感と共に,小さき事のイエヤスと共にの素朴さの生み出すものの様にも思える。

そして,イエヤスは家康だろう。これは日本が独立して、一応の平和江戸時代の象徴。序盤で死ぬ姿と,そして事実を語る姿も歴史と言う事実を語る姿と,そして格好の良いとはどう言う事かと言うのを示して,というより明示して気力と言うのか精神性を感じさせながら,身体はとうに死んでいて逝く。というのが見事な演出で,江戸時代の美しさと匂いを感じさせると言う素敵さだ。

此れが何だか以前書いた國體を想像させる。

このアカメが斬る!が混乱しているにほんと、本来の日本と別の選択をせざるを得なかった懊悩と重なる。


それ故に、頭の中でここ最近頭の中で、アカメが斬る!のsky reach が響き続けているのか。
コメント
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