日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

記号論理学と感覚   校正20200203 追記20200525

2020-01-25 23:48:50 | 日記
 記号論理学で出て来る事と近いことが学んでいなくても、人と話していると形として頭の中によく出て来る。そんな状態が不思議で、此れは何なんだと幼い頃から疑問だった。

そういう時に他者からは人の話をよく聞いているという風に言われたり、伯母さんからは良く内容を理解しているという様に言われたりしていた。けれども、私としてはその表面的な内容よりも、この出て来るものは何なんだと言う変化が面白くて、疑問よりも先に感覚を楽しんでいた。

そんな時にフッと他者はこんな風に見えないんだろうかと思う様になったんだよな。そうしたら、身近な人は誰も居なくて、父も見えず私の頭がおかしいのじゃないかと思い出していた頃。

そんな時に本家で集まりがあり、同じ質問をして回って居たら、一人目は「家長(かちょう)に聞いてと言われ(心の中で思ったことは言葉を知らないのでカチョウ?会社の様な役職で本家は呼ぶのか?その割にはほかの役職がない様なっと可笑しい事を思いながら(笑))」二人目は「そう言う事は家督主(カトクヌシ)に聞いてみるといいよ」と言われ「なんだその主って」と思いながらも案内されて話したら、数人居たんだよな。親戚中で知っているだけで4人と聞き、二人は10年前20年前に亡くなり、残り一人は今日は来ていないって言われたんだよな。

あとの残りは?と訊いたら、私だという(笑)それで色々状態を話したんだよな・・。

そんな、不思議な感覚での疑問に思っていた事が記号論理学で似たようなものが出て来るんだから、そら驚くよな・・。




漸く少し纏められたか。
コメント
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