日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

苛めの自殺と論文

2012-07-06 07:01:28 | 日記

 大分の書いてあることが解かるようになってきた。じゃあ今ままで解かってなかったのかって話だけど(苦笑)

まあ、伊藤和夫の本にもある様なダイタイで読んで居たって言うのが適切か。

遅いんだよ!全く。(苦笑)

自分に言いたくなる。いまさらという気もしないでもないが。

それでも、まだまだなんだよな。。要領が悪いよな本当に。

 

昔というか、前に頭の中で行っていた思考である。当時、自分が嫌いだった。だからもう一人の自分が、自己をを苛めて。「貶めるだけ貶めてやる。」のように今思えばなんとも悲愴な心の状態に陥っていた。

自分を嫌いな人は同じ様な状態に陥っているんじゃないだろうか。

 

芸能人の眼鏡を掛けた誰だったか、松浦か。彼女自身も自分自身が嫌いらしい。

周りから醜い醜いと言われ続けた結果か。

私は眼鏡は魅力的だと思うし、何よりそれも一つの個性じゃないかと思う。

それに中学のとき唯一惚れたと思った委員長さんも眼鏡を掛けていたし(微笑)

それに醜いなんて思わない。顔の造詣なんて、余程のことがない限りそうでない。

彼女だって、もう少し服装や髪型や化粧を変えれば、人から何か言われないくらいに良くなるんじゃないだろうか。

化粧のことはよく分らないが(笑)

 

絶対に裏切らない様に肯定してあげられる存在に成る事ができる存在。

それがもう一人の自分。

その存在はもの凄く厳しい存在だったのかもしれない。

 

今回の中学生の自殺の件。

可哀想だな・・。全く周りの友人も教師も、他の教師も、カウンセラーも気づきてあげられなかった。

詳細は分らないが、少なくとも教師は知っていたという話。クラスの周りの生徒談

カウンセラーに気づけというのも、在留や人数が少ない現在の体制では酷な話だろう。

学校内で話すことが出来ないなら、各地域でそこに行けば病院に行くほど、重くない。

無責任でなく、親身に成って、それで居て専門の知識を有しているような人。そんな人が居たら。。

 

日本人は欧米人などと違い心に敏感な人が多いことは遺伝子でも明らかになっている。

それ故相手を感じ取ったり、合わせるのは得意だが、現在のように心の存在を蔑ろのした教育なり、道徳なり、制度は問題。

心のことについて過剰である方が本来の日本じゃないとおかしい。

 

日本の心理学については明治から発展と在ったが、私は心についてはもっと昔から有ったと思っている。

これも、現代の学問の問題だろう。これも戦前の問題から解決されない問題。維新前の教育の方が日本人の心に近く迫った居た様に思う。

 

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ここで、心理と教育の論文が繋がったな・・。。

 

国立大の論文が書けそうだ。

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こんな感情を抱くようになるとは・・

2012-07-06 01:34:29 | 日記

 絵が金曜日迄だったか。土曜日辺りを想定していたからな‥。彼女でもいれば楽しいんだろうなきっと。   

でも、母の様な、ブスッとされていても気が滅入るだけだし。何よりも、お互いが楽しめる関係じゃないとな。それに、結構淋しいんだよね(苦笑)まあ、原発の抗議デモの様子を観に行くのも、一興ではあるが・・。

何分、寂しいんだよね(微笑)しかしこんな事を感じるように成るとはな・・。おばあちゃんに、数回だけ、抱きしめて貰ったことが浮かんでしまうよな。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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従兄弟と北斗の拳

2012-07-03 15:44:39 | 日記

 親戚の年下の従兄弟が結婚したらしい。女子大生と結婚したのかとも思っていたが、バツ一子持ちの近所のというより、3軒隣の方らしい。

自分の家と合わせて2軒分のローンを抱え込むことに成ってしまったようだ。

同い年ということからも意気投合したのかもしれない。

そんなことが起こる前、やはり母が妹の元旦那の事を話しているときに、母自身のことを話していたと思ったが、父も妹も聞いていないらしい。

 

どうやら、私は別の方を向いてしまったのだが、無意識的に何か言葉が聞こえそうになるとそういう行動を取るのかもしれない。

そういう言葉を聴いて(恐らく声が聞こえる幻聴か)何を言っていやがると、怒りにも似た感情が湧き出すのかもしれない。

 

 そういう時に尚更、優しく、そして時に厳しく、時に勝手だけど、凛としていて、詩を愛して、一途に祖父を愛していた祖母を思い出すのかもしれない。

大正二年の大正っ子。松島家。

 

こんな事と親戚の話とが重なり、ある種の諦めが、そういう方を選ばせるのだろうか。

まえに、そういう人じゃないと厳しいだろうね。と飲みながら話していたことが、やや思い出させる。

自分の専門中退だったか。というような話をしていた。

建築関係の。私も小学校の卒業文集を眺めてみると、建築家に成りたいというようなことがかいてあった。しかし、実際は結婚したいというのが1番目であったのだが(笑)

建築家に成りたいというのは今振り返って考えてみれば、人が喜ばれることをしてあげたい。というのの具体例に過ぎないと思う。

 結婚したいというのは当時から母は不義を働いていたので、本当の愛を求めていたのだろう。

 

 正に北斗の拳のケンシロウの様に。(笑) オープニングの「愛をとりもどせ!!」の歌の通りなのがなんだか、ピッタリなのがなんだか、哀しいのか、笑えるのか。(苦笑)

心理学では愛しているという事を表してあげてください、とよく言われる。母は何のかんのと、ちょっとした話でも直ぐに切れる。目の敵のように。

改善する気のないものに何を言っても駄目だとは心理でも言われることだが、正にこの種の人なのだろう。

幼いながらに好きになった身近な女性は祖母であったし。そういうは従兄弟の伯父も祖母、従兄弟も祖母、そして、長兄も祖母であることから、一種のシンボリックな人であったのかもしれない。

 裏を返せば歳を経てもそれだけ魅力的な女性であったという事なのかもしれないが。

 だが、そんな祖母に対して、伯母は他人とみなして居た節がある。

 

 男性の目から見れば当然の様に思える。

祖母は同姓で在るが故に、自分が育ってきた、女性としての理想と現実を教育しようとしたのかもしれない。

時はは大正。

巷では「良妻賢母」為る本が出回り、おおはやりであったに違いないのだし。

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