日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

数学 その三  8分の1国民と武田邦彦  追記

2018-05-22 05:27:57 | 日記
武田邦彦のこの動画を見て,あることを思い出した。

本家で昔聞いた伯父さんの子供である人から,勿論私からしても,同じ字の伯父さんであるが,別人である人が,父である伯父さんとの話した事とはその後に,当時の状態で「今の日本の状態は~」と話した事があり,その時にこの後に載せている,数字の状況を同じ数字で話した。

以前書いたように私は数学の数的感覚を理解していないので,何故そういう話が出てくるのか当時意図が理解出来なかった。「追記」 否、意図は理解できても、数学の数字をそのように充てて良いモノなのか確信が持てなかったと言うのが正確かもしれない。



それ故に,記憶の片隅へと追い遣られて,繋がりを失っていく事になってしまった。聞いた話では伯父さんも,私の祖父がどんな風に考える人なのか追っていたらしいことを話していた。今書いていて当時話した事を思い出した。

不思議だな,感覚が繋がると新たな記憶と思考が結びつく。


それと同時に,幻術に付いても思ってしまったんだが・・。何故かな・・。此れは次回か,,



8分の1国民
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数学 その二

2018-05-20 23:22:42 | 日記
 数学に付いて理解が深まっていると思え感じることがあった。

そのことの影響が及ばない時は何故私は物事を理解するのに,人より時間が掛かるのだろうかと己自身で疑問があった。

そこで,数学の理解が深まる前と後はどうだろうかと過去と比較し思い返すと,最近は考え方を系統の他に列を付加して考えるように最近なってきたと言うことに気付かされる。

以前の私はそんな思いもあり,理解と問題を抽出し易くする為のという思いもあって,情報社会の可視化が出来るようになる必要性があると思って学習に至った。

対面で学習してみると,確かに数学の理解が深まっている事で,今までよりも大分理解が早くなっている事を感じた。それまでは今回のような学習は頭が痺れて来てしまって何も言葉にする事が出来なかったように思う。

更に今回はその学んでいる時の事以上の成果があった。今回の学習で理解の深層クラスが具体的に確認できた事で,その全体の概念図を三次元モデルとして全体を捉えられる様に成った事は大きい。

具体的な形としては,悩まなければ三次元モデルが考えられなかったものがそのまま構成で理解できる様に為ったのは大きい。それまでは私が自然に浮かんでしまうのは二次元モデルの理解の仕方だったから,それから脱したのは目に見える形での成果と言えるのではないだろうか。

また,この技術を高めていけば,理解できていなかった幾何アルゴリズムと図アルゴリズムの深化に貢献してくれそうなところが大きい。
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数学 その一

2018-05-16 11:23:09 | 日記
阿呆だな。数列の計算法でどうしてこの消える所の-が+に変わってるんだと思ったら、前の章の話からだったのか。此なんだよなぁ~。急に出てくるから困るんだ。

しかし、こう言う基本的な事が章が進むと繋がるところに苦戦する。此処で繋がって来るんだと一言でも在ればすんなり進めるんだが、此処で10回以上聞き、5回位やり直して理解とは情けない。

しかし、学校でやってなかったからなぁ。当時のAは厚い方の教科書は全くやらなかったもんなぁ。今はBの範囲に入るらしいが。

此が積分で急に文字が変わって、追えなくなって訳が解らなく為るところだったんだな。これで空間に向けての可換が出来るのか?
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自己を確立するの二つの心と意味

2018-05-08 09:05:17 | 日記
 7日に不思議な感覚があった。それも今まで感じたことが無い初めての感覚で、数学に意識して当て嵌めようとしなくても、自然と物事が数学の式や図形や関数などになって行ってしまうという感覚。それは言葉の文章の様々な形態についてもだ。

文章理解についての話は論理トレーニングと日本語リテラでやったが、小学校の頃に言葉を把握するときの原初の記憶で、日本語についてそれぞれ向きがあるような感じを受けてそれ故に記号で言葉を把握するということを行った後に、日本語文章が書けるようになった。それは初める時は3個程であったが幾つか全体に拡張していけると思ったので模索していた。そんな話を掻い摘んで副学長に話したら採用されていて驚いたという経験は自分の中では面白い事だ(微笑)


 そんな感覚の後に、私の尊敬する父方祖父も同様の感覚を早い時期に獲得していたのだろうか・・。という思いにとらわれた。それと同時に、フッと過去の兄弟だった長男の伯父の話を思い出した。祖父がどんな考え方をするひとなのかという話で「解らない」という話で答えだったが「弟の○○は優秀だったからなー。」という言葉に次いで、それでも何か知りたい私は垣間見せる話は無かったのと継ぎ「そう言えばといって、話をしている時に急に数学の話をしだしたんだよな。」っと。伯父さんは訳が分からなかったらしいが。それ以上伯父さんに聞いても何も分らなかったが、とういう話があった。まあ、当然のことだよな本人ではないんだから。


 そんな感覚の後に人を迷わす言葉が再び目を覆う。数学の基礎をやっていると人生が終わると。あ、長岡亮介の言葉を知らないんだなぁ~という、以前の私であれば混乱してしまうような言葉に出会った。自己を確立するという言葉を思い出し、誰だったかと思ったら吉田松陰も言っていた言葉だったかと思いもし、更に思うのは自己を確立するというのは外的なものだけではなく内的なモノについても言える事だったんだなと気付かされる。何だが武道の少林寺拳法や兵法家伝書や数学の二つの心や感覚を感じだ経験の事などを思い出す。


 そう言えば昔小学時代だったか、普通の言葉を聞いていて、何だが裏の言葉が頭の中に響いている感覚があったな。。いつ頃だったか・・。
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線型性と宿命  20180508追記21修正

2018-05-06 01:23:21 | 日記
 情けない。線型性とはどういうモノであったのかを理解して居なかったから訳が判らなくなったのだな。それを数列の応用で否、基礎だな・・で解るとは。。コレが線形代数への踏み台になるのにな…。


 これが判ったのは数学的思考を体験と言うのを大学でやったからなんだけどな。


周りは解って居るようだったもんな。高校の頃授業で全く遣らなかった訳だけど。周りは予備校とNHKの数学でやっているようでいたけど、当時ラジオを録音なんて無理だったもんな、、。今みたいにスマフォやメディア機器がmp3なんかで気軽に手に入る時代出もなかったし、環境的にも追い詰められていた訳だしな…。
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