ガルシア・マルケスの「百年の孤独」を読んで、これに影響を受けた作品に興味がわきました。
そのひとつが、この「同時代ゲーム」です。
双子の妹に宛てた6通の手紙の形式で、物語が進みます。
大江健三郎の小説は、わかりにくいユーモアというか、真面目にふざけてるというか、作者の心情が捉えにくい作品が多いのですが、この作品も例に漏れません。
最初の手紙で、主人公の「僕」は、妹の恥毛に励まされつつ、歴史を綴り始めます。その表現は、「妹よ、きみがジーン・パンツをはいた上に赤シャツの裾を結んで腹をのぞかせ、広い額をむきだしにして笑っている写真、それをクリップでかさねた、きみの恥毛のカラー・スライド。メキシコ・シティのアパートの眼の前の板張りにそれをピンでとめ、炎のような恥毛の力に励ましをもとめながら。」
といったところです。
その後も石斧で歯ぐきを突きさし、血と膿を吹き出して気絶したりと、いったい、この「僕」とはなにものなのだ?「僕」から何を感じ取ればいいのだ?と、つかみどころのない気分のまま、読み進めました。
登場人物がまた凄い、というか、キャラ立ちしているのばかり、アポ爺とペリ爺から始まり、壊す人、父=神主、オシコメ、シリメ、メイスケサン、牛鬼、無名大尉、露一兵隊、露・女形、ツユトメサンなどなど個性的(?)な登場人物ばかりです。
ハイライトは第4の手紙(五十日戦争)かなと思いますが、第5の手紙(「僕」の兄弟に関する)は、とりわけ奇想天外な展開続きで、作者が自由奔放に書きまくっているなという雰囲気がひしひしと感じられました。
筒井康隆がこの作品をSF大賞に推したとかで、どこがSFなんだ?と全然わからなかったのですが、第6の手紙を読むと、ああなるほど、SFだったのか、と思えるような思えないような^^;
大江健三郎の文体はなかなかに読み難いのですが、それにもだいぶん慣れて、「みずから我が涙をぬぐいたまう日」でこの文体はクリアした、と思ったのですが、ところがどっこい、この作品の読み難さもかなりのものでした、読み終えるのにけっこう時間かかった。
この作品の補注的位置づけの作品に、「いかに木を殺すか」、文体を平易にして書き直したものに「M/Tと森のフシギの物語」がありますが、これらもいずれ読んでみようと思います。
作者プロフィール。
書誌事項。
初出は書下ろしで、1979年に新潮社から発刊されました。
p.s. 暑さ和らぎ過ごしやすい。
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