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どういうわけかばあさんが漱石を読んでいたので、わしも読むことに。
「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」、「こころ」は読んだことありますが、初期三部作は未読です。
裏表紙の内容紹介。
この本は高校生のときに読んでおきたかった。
九州の田舎から上京した三四郎、自己形成の途中にある彼の3つの世界(実家、学問、恋愛)が描かれています。学生の頃に読んだ「青春の門」の伊吹信介を思い出しました。
三四郎が最後につぶやくストレイシープは、三四郎自身のこと、美禰子のこと、その両方を指しているように思えました。また、美禰子の最後のセリフ「我は我が咎を知る」の咎とは、三四郎に対するもの、よし子に対するもの、こちらもその両方を指しているように思えました。このように解釈が複数あるのではないか、というような箇所がいくつかみえました。
印象的だったのは、広田先生の言葉で、そこには含蓄があり、これを若いときに読むのと、じじいになってから読むのとでは、その感じ方も違ってくる気がします。
時代は日露戦争直後、その後にくる太平洋戦争の愚、さらにその後にくる経済優先の愚、そして現在の腐敗した社会の愚と、広田先生にはすべてがわかっていたのかもしれません。
高校生のときに「こころ」を読んでそこで夏目漱石を読むのを止めてしまったのが悔やまれる一冊でした。
書誌情報。初出は朝日新聞連載で、1908年9月~12月。単行本は1909年5月。
文庫化は1948年で、2015年までの67年間で151刷。
p.s. 魚の在庫はけた。
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