万物に神が宿ると信じ、
平和に感謝して生きる民族。
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それが古代日本人で
ござ~♪~ますのよ!
そして現在、
北海道の片隅で
生活しているアイヌ人です。
この人たちこそ、
直系の古代日本人の
子孫ですわぁ。
おほほほほ。。。。
デンマンさんが
出ろっつうんでぇ~
また、出てまいりましたのよ!
戦争を無くす事は
できますよね?!
ん?
あなたは、そう思えないのねぇ~?
思いなさいよォ~!
信じる者は救われると
言うざ~♪~ますでしょう?
おほほほほ。。。。
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卑弥子さんも、そのように言っているので、この際、信じることにしましょうね。
ところで、僕が6月15日にフルーツ・ブログで、かなり力(りき)んで書いた長い記事(『戦争を無くす事はできますよね』)にメンバーのじゅぁきさんから次のようなコメントをもらいました。
いつものことですが、ありがとね。
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アイヌの話はどこかで聞いた事があって、
正直すばらしい民族だと思いました。
確か宗教も万物に神が宿り、
全てに感謝して生きるというものだったと記憶しています。
もし、この文化が根付いていれば
戦争なくなる第一歩なんですが。
それと戦争インフラはものすごくわかります。
明らかに日本の政府は取り込まれてますよね?
ケネディがそうだったという噂はありますが、
まぁ内心事実と思っていますが、
一応証拠ないですので^^;;。
お金儲けのために何でもありの武器商人。
でもアメリカだけでなく三菱系や住友重工系でも武器って作ってませんでしたっけ?
こういった戦争インフラが戦争を好むんですよね?
どうやって失くせばいいんでしょう・・・。
最近は戦争とずれますが、
障害者自立支援法案という悪法が通ってしまいました。
無力を感じたできごとでした。
まずは声を出して言うことから始めるしかないですかね?
黙っていても何も変わらないのはわかってるし。
今はそんな気分です(笑)。
by じゅぁき 2006/06/16 09:19
『戦争を無くす事はできますよね。(2006/06/15 Thu)』のコメント欄より
天智天皇は暗殺された!
ここで僕が急にこんな事を言ったら、あなたには、戦争がなくるものだ!と僕が素直に信じている程度に、こっけいな事だと聞こえるかも知れませんよね。
でもね、小休止のつもりで、ちょっとばかり僕の話すことに耳を傾けてくださいね。
なぜなら、この歴史的事実(?)は平和を愛し万物に神が宿ると信じていた(今でも信じている)アイヌ人とも関係があることなのです。
これまで、あなたが歴史の時間に聞いたこともない、隠された事実ですから。。。
では、前置きはこのぐらいにして。。。
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これはかなり血なまぐさい絵ですよね。
実は、この絵は板蓋宮(いたぶきのみや)における蘇我入鹿(そがいるか)の暗殺の場です。
この暗殺によって、現代の日本の“基礎”ができあがった!
。。。と言っても決して言い過ぎではない程の事件なのです。
なぜか?
太刀を振り上げているのが中大兄皇子(後の天智天皇)。
つまり、入鹿の首をたたき切ったのが後の天智天皇だったのです。
弓を手にしているのが中臣鎌足(後の藤原鎌足)です。
この鎌足こそ藤原不比等の父親なのです。
この不比等は日本史ではもちろんのこと、世界史でも他に例がないほどの“とんでもないこと”をやり遂げた人物なのです。
詳しい事は次のリンクをクリックして読んでみてください。
『愛なき批判は空虚にして、批判なき愛は盲目なり - 歴史書を私物化することは許されないということ!』
この首を切られた入鹿の父親の名前が蝦夷(えみし)なのです。
つまり、当時の“アイヌ人”という意味です。
“蝦夷(えぞ)征伐”をするために、当時の大和朝廷は古代アイヌ人を悪者に仕立て上げた。
『日本書紀』には古代アイヌ人のことを太平洋戦争時代の“鬼畜米英”というスローガンのように、悪口だけしか書いてありません。
つまり、何が何でも古代アイヌ人を悪者に仕立て上げてしまった。
この『日本書紀』の編集長こそ藤原不比等です。
一口に言えば、蘇我氏を滅ぼした事を正当化し、“藤原政権”を確立すための書物が『日本書紀』と『古事記』だと言う事ができると思います。
詳しい事は次の記事を読んでみてください。
■ 『真理は作られた?日本書紀と古事記』
■ 『なぜ、蝦夷という名前なの?』
つまり、蘇我蝦夷という人物は“蝦夷”の他にも名前を持っていた。
しかし、藤原不比等はこの人物を “蝦夷のように悪いやつ” という事を印象付けるために、そのように呼んだ訳です。
要するに、“蘇我氏という氏族はアイヌ人のように悪い奴らなんだよ!”という事を読む人に訴えたわけです。
そうやって、蘇我氏を滅ぼしたことを正当化しようとした。
しかし、じっくりと歴史を見れば、決して蘇我氏は悪者ではないのですよね。
それが証拠に、大化の改新で中大兄皇子が成し遂げた事は、すでに蘇我氏が考えていた事をそのまま継承して実行したに過ぎない。
中大兄皇子は実権を握りたかった。
つまり、権力闘争だったんですよね。
その事を『日本書紀』で正当化した。
中大兄皇子は後に天智天皇になって、日本史ではすばらしい人物として教えられてきた。
僕も歴史の時間に、天智天皇はすばらしい人間だと教わった。
もちろん、現在でも、僕は天智天皇が下らない人間だったとは思っていません。
その実行力と行動力、すばらしいと信じているアイデアを実施してゆくというエネルギーとガッツには目を見張らせるモノがあります。
しかし、やりすぎてしまった。
庶民の心、アイヌ人の心を、(そして、女性の心も。。。)充分には理解していなかった!
天智天皇は、どういう失敗を
しでかしてしまったのか?
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古代韓国で戦争に加担した。
それで、663年に白村江の戦いで敗れた!
天智帝(まだ正式には天皇ではありませんが、政治を担っています)にとっては、決定的な痛手だった。
先ず人望を失います。
これとは反対に、多くの人が、大海人皇子(後の天武天皇)になびいてゆきます。
ちょうど、太平洋戦争に負けた日本のような状態だったでしょう。
当時の大和朝廷は、まだ唐と新羅の連合軍に占領されたわけではありません。
しかし、問題は白村江で大敗したという重大ニュースです。
おそらく、天智天皇は『一億玉砕』をさけんで、しきりに当時の大和民族の大和魂を煽り立てたでしょう。
しかし厭戦気分が広がります。それを煽り立てるのが大海人皇子を始めとする新羅派です。
国を滅ぼされてしまった百済人が難民となって続々と日本へやってきます。
天智帝が援助の手を差し伸べます。
しかし戦費を使い果たした上に、さらに重税が割り当てられるのでは、大和民族にとっては、たまったものではありません。
そういう税金が百済人のために使われると思えば、ますます嫌になります。
天智天皇の人気は底をつきます。
そればかりではありません。天智天皇はもう必死になって、九州から近畿地方に至る大防衛網を構築し始めます。
664年
「甲子の宣(かっしのせん)」を出して豪族の再編成をすすめる。
対馬・壱岐・筑紫に防人(さきもり-東日本出身の兵隊)や
通信手段としての「烽(とぶひ)」を置く。
戦前に造った山城を強固にする。
博多湾岸にある那津官家(なのつのみやけ-筑紫大宰)を
南の内陸部(現太宰府市)に移転する。
百済からの亡命者の指導によって,大宰府を守るための水城を築く。
665年
新たに,大宰府の役人たちが逃げ込むための城として大野城や基肄(きい)城、
長門城などの朝鮮式山城を築く。
11月さらに大和に高安城、讃岐に屋島城,対馬に金田城を築く。
667年
飛鳥から大津に都を遷都する。
668年
中大兄皇子、正式に天智天皇として即位する。
大津遷都には多くの豪族が不満を持つ。
常に急進的な政治を行う中大兄皇子の一大決心だったが、
大和の豪族たちは大反対運動を起こす。
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しかし、天智天皇は重大な間違いを犯してしまった。
唐・新羅同盟軍の侵攻を防ぐために、天智帝は上の地図で示したような、一大防衛網を築いたのです。
(現在で言うなら、テポドンに備えるようなものですよ!
その防衛網を実際に構築したんですよ!
その実行力は確かにすごい!)
そのために、一体何十万人の人々が動員されたことか?
しかし、天智天皇の防衛計画を本当に理解している人は、おそらく10パーセントにも達しなかったでしょう。
「何でこんな無駄なことをさせられるのか?」
大多数の人は理解に苦しんだことでしょう。
魏志倭人伝に書いてあるとおり、原日本人(アイヌ人の祖先)というのは、伝統的に町の周りに城壁を築くようなことをしません。
したがって、山城を築くようなこともしません。
これは朝鮮半島的な発想です。
原日本人にとって、山は信仰の対象です!
聖域に入り込んで、山を崩したり、様相を変えたり、岩を積み上げたりすることは、神を冒涜することに等しいわけです。
このことだけをとってみても、天智天皇は土着の大和民族、古代アイヌ人から、総スカンを喰らう。
「今に見ていろ。きっとバチが当たるから!」
しかも、これだけでよせばいいのに、東国から、防人(さきもり)を徴用する。
東国には、当時アイヌ人の祖先がたくさん暮らしていた。
つまり、大和人に同化したアイヌ人もたくさん居た。
この人たちは、文字通り、万物に神が宿ると信じて、平和に感謝して生きる人たちだった。
この防人というのは、九州の防衛に狩り出される警備兵です。
そのような素朴な人たちまでもが警備兵として狩り出される。
往きは良い良い帰りは怖いです。
というのは、帰りは自弁当です。
つまり自費で帰国しなければなりません。
したがって金の切れ目が命の切れ目で、故郷にたどり着けずに野垂れ死にをする人が結構居たそうです。
それはそうでしょう、新幹線があるわけでありませんから、徒歩でテクテクと九州から関東平野までテクシーです。
ホテルなんてしゃれたものはもちろんありません。
途中で追いはぎに襲われ、身ぐるみはがれたら、もう死を覚悟しなければなりません。
さんざ、こき使われた挙句、放り出されるように帰れ、と言われたのでは天智天皇の人気が出るわけがありません。
人気どころか怨嗟の的になります。
「今に見ていろ。きっとバチが当たるゾ!」
それで、バチが当たって暗殺されたわけです。
うへへへへ。。。
失礼!天智天皇ファンには申し訳ない失笑でした。(ハンセ~~)
何代かさかのぼれば、天智天皇の祖先は古代朝鮮の任那(みまな)からやってきたんですよ。
だから、古代日本人の気持ちが充分に理解できなかった!
詳しい事は次の記事を読んでください。
『天武天皇と天智天皇は同腹の兄弟ではなかった』
つまり、僕が何を言いたいかというと。。。
古代日本人は万物に神が宿ると信じ、平和に感謝しながら生きていた、という事ですよ。
つまり、戦争など馬鹿馬鹿しくてやらなかった。
だから、中国やヨーロッパのように町を城壁で囲む事もしなかった。
万物に神が宿ると信じている!
戦争などできるはずがないんですよ!
山を崩したり、岩を押し上げたりして山城を築く事なんて神を冒涜する事ですよ。
山は聖域だった!
戦火で森や林を焼く事も神を冒涜する事です。
現在だって、素朴な農村に行けば、今でも万物に神が宿ると素直に信じているお年寄りが日本にはたくさん居ます。
我々の血の中にも、古代日本人の血が少しは流れているんですよ。