愛と性の破綻
恋仲を裂かれた男
藤原道雅(ふじわらのみちまさ)
正暦三年(992年)生まれ。
天喜二年(1054年)に亡くなる。
平安時代の歌人・公卿。
伊勢の斎宮であった
当子(まさこ)内親王との
恋仲を裂かれてしまう。
中関白・藤原道隆と高階貴子の孫。
道隆は、あの有名な藤原道長の実兄。
貴子は円融(えんゆう)天皇に
内侍として宮中に出仕し、
漢才を愛でられ殿上の詩宴に
招かれるほどであった。
女房三十六歌仙に数えられるほどで
紫式部とは同時代の人。
貴子は末流貴族の出身ながら
関白の嫡妻、かつ中宮の生母として
栄達した。
ところが、長徳元年(995)に
夫・道隆が病死すると、
息子の伊周(これちか)と隆家は
叔父・道長との政争に敗れ、
権勢は瞬く間に道長側に移った。
これが『長徳の変』
翌年になって、伊周と隆家は、
花山院に矢を射掛けた罪によって
大宰権帥・出雲権守に
それぞれ左遷される。
貴子は出立の車に
取り付いて同行を願ったが、
許されなかった。
その後まもなく貴子は病を得て、
息子の身の上を念じながら亡くなった。
まだ40代だったと言われている。
この伊周が道雅の父親。
才名高かった母・貴子から
文人の血を享けた伊周は
漢学に関しては才能を公認され、
早くから一条天皇に漢籍を進講した。
また伊周の容姿は端麗だったと、
『枕草子』『栄花物語』などに見える。
『大鏡』は彼の不遇を
器量不足に求めつつも、
その学才が日本のような
小国には勿体なかったという。
伊周は失意のうちに37才で没した。
臨終に際し、
彼は皇后になるように育てた
二人の娘へ「くれぐれも、宮仕えをして、
親の名に恥をかかせることを
してはならぬ」と、
また息子・道雅には
「人に追従して生きるよりは
出家せよ」と遺言したという。
当子内親王の歌は
一つも残っていないのに
道雅の歌がいくつも残っているのは、
貴子と伊周の血筋をひいて
歌人としての才能があったためか。。。?
しかし、道雅には悪い評判が
伝えられている。
『小右記』によると、
花山院女王を殺させた、
敦明親王雑色長を凌辱した、
博打場で乱行した、など
乱行の噂が絶えなかったらしい。
そのような訳で
道雅は三位であったことから、
荒三位とか悪三位と言われた。
道雅は長保六年(1004年)、
14才で従五位下に叙せられ、
寛弘八年(1011年)には
春宮権亮となって
敦成親王(後一条天皇)に仕え、
長和五年(1016年)正月、
後一条天皇践祚の際には
蔵人頭に補せられ、
翌月、従三位に叙せられた。
しかし、長和五年九月に
伊勢斎宮を退下し帰京した
当子内親王と密通し、
これを知った内親王の
父・三条天皇の怒りに触れて、
恋仲を裂かれてしまった。
万寿三年(1026年)に罷免され
右京権大夫(正五位上相当官)
に左遷される。
その後、出世できぬまま
天喜二年(1054年)七月、
出家の直後に亡くなった。
享年62才。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デンマンさんは当子(まさこ)内親王と藤原道雅(みちまさ)の引き裂かれた恋にこだわるのですね?
こだわるというよりも、レンゲさんと坂田さんの関係を考える時に、この引き裂かれた恋と比べてね、僕はレンゲさんの恋物語に救いを見るのですよ。
救いですか?
そうですよ。レンゲさんも坂田さんの“幼な妻”になって、つらい思いをしてきた。幼な妻事件でレンゲさんとお母さんの溝は決定的に深まって、それが大きな原因の一つとなって、もう8年もレンゲさんはお母さんと会ってもいないし、電話で話した事も無い。そこまでお母さんとの関係がこじれてしまった。でも、レンゲさんは生きているし、坂田さんと再会して愛し合うことも出来た。
当子内親王は、会いたいと思っていたにもかかわらず、愛(いと)しい藤原道雅と2度と会えずに22才の短い生涯を閉じてしまった。その事があまりにも痛ましい。。。、不幸だとデンマンさんはおっしゃるのですか?
そうですよ。レンゲさんも坂田さんから引き裂かれたわけだけれど、でもね、当子内親王のように監視付きで徹底的に引き裂かれてしまったわけじゃない。レンゲさんは高校を退学になったけれど、髪を下ろして尼になったわけではない。社会的に葬(ほうむ)られたわけではなかった。レンゲさんは家出までして坂田さんに会いに行った。お母さんも仕方ないと諦めるところがあった。
でも、当子内親王は自殺したわけではないのでしょう?
確かに自殺したわけではありません。でもね、悲観して生きる意欲がなくなってしまった。髪を下ろして出家して世を捨てたわけですよ。女と生まれてきて初めて生きる悦びを見つけたというのに、その夢もはかなく消えた。愛しい人に会うことは絶望的だと言っていい。それが元で病状が悪化して死期を早めることになった。つまり、社会的に女としての当子内親王の命は葬られてしまった。父親の激怒はすさまじかった。天皇までも動かした社会的な制裁だった。今で言えば、裁判で有罪の判決が下って、内親王は出家という刑務所に入獄させられたようなものですよ。
それ程ひどかったのですか?
そうですよ。天皇を動かして“勅勘”まで出した。親がドラ息子を勘当するという話をレンゲさんも聞いた事があるでしょう?
えぇ、時代劇などでよくやりますよね。。。
そうですよ。つまり、親が子供との縁を切ることですよ。子供はその時から、無宿人になるんですよ。そうやってドラ息子はヤクザの世界に足を踏み入れるわけですよ。江戸時代などには大勢、こういうドラ息子が出てくる。藤原道雅の場合には、天皇が公式に勘当のお達しを出したわけですよ。裁判所命令のようなものですよね。すべての縁を切る。当然、当子内親王に会ってはいけないことになる。しかも、監視役まで付けてネズミ一匹でも内親王のソバに寄せつけない。こう言う事をされたものだから、藤原道雅もたまらない。それで次のような歌を詠んだのですよ。
逢坂はあづま路とこそききしかど
心づくしの関にぞありける
(後拾遺748)
【デンマン私訳】
逢坂の関は、そこを越せば
東(あづま)へ通じる道と聞いていたけれども、
あなたと逢ったのち、お父さんが激怒して
あなたに監視役を付け、もう2度と会えなくなってしまった。
吾妻(あづま)とすることは適(かな)わない。
あなたを妻に迎えることなど不可能だ。
逢坂の関と思ったのは、心魂尽きさせる、
筑紫の関だったのだなあ。
心が削られるように苦しいですよ。
あたしのように家出して坂田さんに会うこともできないのですか?
だから、厳重に監視が付いたのですよ。藤原道雅が手紙を書いても相手に渡す事など不可能なんですよ。もちろん、会うことさえできない。とにかく、勅勘なんですからね。天皇の勅命なんだから。
それを破ったらどうなりますの?
天皇の命令に従わない事は犯罪ですよ。
それで、藤原道雅さんはどうなさったのですか?
もう、やるせない思いを歌に書くより他に何も出来ないですよ。
それで、また歌を書いたのですか?
そうですよ。
榊葉(さかきば)のゆふしでかけしそのかみに
おしかへしてもにたる頃かな
(後拾遺749)
【これは馬酔木(あしび)の花】
【デンマン私訳】
伊勢の斎宮(いつきのみや)であった貴女は、
榊(さかき)の葉の木綿で作った布を玉串に用(もち)いて、
伊勢の神に仕えていた。
決して触れることのできない存在だったが。。。
しかし、今のあなたは斎宮ではない。
恋をしたっていいはずではないか?
まるで、今の貴女はその当時に
戻ってしまったような状態ですよ。
ひどすぎる。
道雅さんの気持ちが分かるでしょう?内親王は、もはや斎宮ではない。今の言葉で言えば、“自由の身”ですよ。レンゲさんは退学にはなったけれども、坂田さんの懐に飛び込んで行った。監視役が24時間見張っていたわけではない。内親王だって自由があってもいい。なぜなら、もう内親王は神に仕えてはいない。それなのに、斎宮であった時のように、近寄る事も出来ない。そういう事を嘆いているんですよ。
それで、道雅さんはどうしたのですか?
どうする事も出来ないでしょう?監視が厳しくて、近寄れない。だから、もう、歌を作って憂さを晴らす以外に無いんですよ。
それで、また歌を作ったのですか。
そうですよ。次のような歌を詠みました。
今はただ思ひ絶えなんとばかりを
人づてならで言ふよしもがな
(後拾遺750:小倉百人一首)
【デンマン私訳】
今はただ、僕はこう思うだけですよ。
あなたのことは諦めよう。
でも、せめてね、この気持ちを、
人伝でなく、なんとか直接あなたに
言いたいのですよ。
この気持ちを本当に分かってもらいたいと思います。
どうですか、レンゲさん。。。道雅さんの気持ちが分かるでしょう?レンゲさんは、幼な妻事件で高校を退校処分になってしまった。お母さんからも坂田さんに会うことを禁止されていた。でも、レンゲさんはどうしても坂田さんに会いたかった。それで家出までして坂田さんに会いに行った。。。そうでしょう?
内親王には家出する事は出来なかったのですか?
出来ませんよゥ!ミーちゃんハーちゃんじゃないんだから。。。元天皇の娘ですよ。皇太子妃の雅子さんの事をちょっと考えてみてくださいよ。皇室の中に居ると、個人の気持ちなど尊重されない。まず、昔ながらの伝統的な封建的な宮内庁の考え方があって、それを変えることはできない。だから、雅子さんのように聡明で自由の空気を吸って育った人であればあるほど、精神の葛藤は大きくなって、ノイローゼになってしまう。精神にも体にも不調をきたしてしまう。つまり、皇室の中では“個人の自由”はほとんど無いと言っていい。当子(まさこ)内親王は、そのような自由の全く無い環境の中に居たわけですよ。しかも、父親の激怒の結果、厳しい監視役がつけられて、ネズミ一匹近寄れない。家出などできるはずが無い。
つまり、ミーちゃんハーちゃんと違って内親王は高貴なお方だから、あたしのように家出して坂田さんに会いに行く事はできなかったと。。。そうデンマンさんはおっしゃりたいのですね?。。。
ぼ。。。ぼく。。。僕は。。。何も、レンゲさんがミーちゃんハーちゃんだと言う事を強調しているわけではないのですよ。内親王が非情な境遇に置かれて居たと言う事を強調しているのですよ。その事を思えば、レンゲさんはつらい思いをしたとは言え、坂田さんに会えて愛し合うことが出来た。そうですよね?
ええ。。。あたしはどうしても会いたかったから。。。
でも、内親王にはそれができなかった。道雅さんだって、内親王に会えば、天皇の命令に背く大罪人になってしまう。だから、会いに行く訳にもゆかない。その事を思えば、レンゲさんは幸せだったわけですよね。
でも、あたしだって苦しみましたわ。
しかし、内親王ほどではなかったですよ。内親王は絶望して、世をはかなんで生きることに希望が持てなくなってしまった。もうこれなら死んでいるのと同じわぁ~と思ったわけですよ。ちょうど、レンゲさんが次の手記を書いたように。。。
不安と焦燥感と寂しさ
2004/10/03 18:28
もう、このままで生きてるんなら、
命いりません。
ドナーカード持ってるから、
心臓でも角膜でも、
なんでも持っていって下さい。
家族はいません。
承諾とらなきゃいけない人は
誰もいません。
by レンゲ
『事故死するみたいなことが書いてあって。。。』より
分かるでしょう、レンゲさん。。。内親王はちょうどレンゲさんのような気持ちになって死にたくなってしまった。もちろん、その当時ドナーカードなんか無かったから、余計な事は思わなかったかもしれない。でも、本当に死にたくなってしまった。
でも、自殺したのではないのでしょう?
自殺はしなかった。けれどね、レンゲさんのように、ただ死にたい、死にたいと言っていたわけじゃない。本当に死にたかった。それ程絶望してしまった。だから、病状が悪化して、22才の若い身空であの世に旅立ってしまったわけですよ。
デンマンさんは、あたしが死ななかったことを非難しているのですか?
ち。。。ち。。。違いますよ。誤解しないで下さいよ。レンゲさんの場合には、内親王のような絶望的な状況に追い込まれていなかった。でもね、もし。。。もしですよ。。。レンゲさんが現在の皇室に生まれていたら、これはもう、目も当てられないような、ひどい状況になっていたでしょうね。
デンマンさんは。。。デンマンさんは。。。また、そうやってあたしをコケにするのですか?
ちがいますよ。。。僕は、レンゲさんを馬鹿にしようなどという気持ちは、これっぽっちもありませんよ。何度も言っているように、僕はレンゲさんを心の恋人として誰よりも愛していますからね。。。僕はね、レンゲさんがいかに幸せな境遇に居たかと言う事をしみじみと味わって欲しいと思っているんですよ。
デンマンさんは、あたしが幸せな境遇に居たとおっしゃるのですか?
そうですよ。少なくとも内親王のように絶望しきって死ななかった。それどころか、レンゲさんは坂田さんに再会し、腕に抱かれて生き返った。その悦びを余すことなく謳(うた)い上げていますよ。