昇華とカタルシス (PART 1 OF 3)
レンゲなら、こういう下着で
勝負しますよ。
投稿日時: 2004-09-08 16:55
ずばり!Dを選びます!
レンゲなら、こういう下着で
勝負しますよ。
意外ですか?
思ったとおりですか?
それはそうと、上記の会話には
なかなかリアリティがあると思いました。
かわす言葉もそうですが、
わたしは、寂しがりやのくせに、
束縛やしがらみを
死ぬほど嫌っています。
一匹狼ですよね?
野心家というのも、大当たりです。
ひとたび、野心が芽生えたら、
自分を満足させるために、
異常なほどの努力をします。
なので、これまでの
仕事上での評価は、
おおむね高かったと、感じています。
今は、何もかもが過ぎ去って、
廃人のような生活をしていますが。
結局何事においても、
極端から極端へ走ってしまうんです。
グレーゾーンのない人間なのです。
by レンゲ
『萌え萌えでも過激ではないわ』より
(2007年7月28日)
デンマンさんは、あたしが書いたものならば何でも、マジで保存しておくのですわね!?
そうですよう。いつも言っているでしょう。レンゲさんの書いたものは、レンゲさんが愛(いと)しいように愛しいものだと。。。うしししし。。。
なんだかキモいですわ。
あのねぇ~、レンゲさんが書いたものがないと『レンゲ物語』にならないのですよう。だから僕はレンゲさんの書いたものを大切に保存しているのですよう。
でも、これって5年も前に書いたものですわぁ~。
そうですよう。レンゲさんとの付き合いも5年になるという事ですよう。。。どうですか?。。。上の手記も、しばらくぶりに読んでみると懐かしいでしょう。
それで、あたしが黒い“ひもパン”を選んだことがロマンチストと関係あるのですか?
そうですよう。ゴスロリの黒パンツは、レンゲさんがブチ切れる時に穿くものという印象を僕は持っていたのですよう。レンゲさんがムカついた時に書いた次の手記を見ると良く分かるのですよう。
オマエと対話しないのは、
わたしはオマエが嫌いやからです。
2005/01/09 08:56 編集 返信
オマエに暴言吐かれてバカにされて憶測でわたしを非難した。
オマエのコロコロ変わる態度も不安感を与えてるんや、
今は耳障りのいい言葉を使ってるけど、
いつお気に召さないことがあって
コテンパンにやられるかって不安な相手と付き合いたかないやろ。
オマエと対話するって事は、
一か八かのバクチみたいなもんや。
わたしはおべんちゃら言う気はないからな。
でもオマエは自分の周りに、
耳ざわりのいい事ばかり言ってくれる
おべんちゃらの上手な、
オマエの思い通りになる、
ふぬけばっかり集めたいんやろ?
太鼓もちみたいな人間、
それでいて対話してて手応えのある
知性も兼ね備えた人材がほしいんとちゃうか?
甘いな。
そんなヤツおらへんわ。
頭のいいヤツは、そんなバカげた輪の中には、はいらへん。
入ってもすぐ気付いてどっかいってまうわ。
残ってるのは、かしこくない・気がついてない人間とちゃうか?
それに、何も裏づけもないのに、
わたしの事決め付けて余計なこと書くのもやめや。
オマエ、わたしに対話を申しこんでるんやろ?
あんだけクソミソに書かれて、
オマエのことなんか考えたくなくなるんちゃうん。
普通の神経やったらな。
あいかわらずの北風さんやな。
上着ぜったいぬがへんわ。
オマエの価値観、人に押し付けて洗脳でもしたいん?
オマエのせいで、「精神的な苦痛」を与えられ続けてるの、わかる?
告訴したろか?
さっきの不法アクセスの事も含めて。
by レンゲ
『ゴスロリと黒パンツ (2009年5月6日)』より
レンゲさんは、このようにムカついていたけれど、勝負のパンツとして黒い“ひもパン”を選んだ事もあったのですよう。
■ 『ゴスロリと黒パンツ (2009年5月6日)』
上の記事の中でA子さんは、ひもパンの時には清純なピンクで大胆に迫るのよう、と言っていたけれど、レンゲさんは、ひもパンの時にはセクシーな黒で大胆に迫るのですよねぇ~。。。うしししし。。。
だから、あたしがロマンチストだとおっしゃるのですか?
A子さんは、ヨレヨレになった勝負の下着も捨てないで保存しておくのですよう。。。なぜ、保存しておくのか?。。。それは、ヨレヨレになった下着にもA子さんの夢とロマンが染み付いている。だから、捨てがたい。
あたしも、ヨレヨレになった“ひもパン”を取り出して、しみじみと眺めながら夢とロマンを偲(しの)んでいるとデンマンさんは思っているのですか?
違うのですか?
あたしはA子さんのように、それほど勝負の下着にこだわっていませんわ。
それでもレンゲさんはロマンチストなのですよう。
どうしてですか?
なぜなら、もしレンゲさんが現実主義者だとしたら、ゴスロリの黒パンツを穿いてブチ切れた時に、すべては終わっていたはずなのですよう。
つまり、デンマンさんと仲直りはできなかったと。。。?
そうですよう。。。おそらく、この記事を読む100人に95人までが、ブチ切れた時にレンゲさんが書いた上の手記と、“デンマンさんを信じて、これからもおつきあいさせていただきたいことを、わかっていただきたくて、忌憚なく書かせていただきました”と書いた次の手記を、同一人物が書いたとは思いませんよう。
脳の発達しすぎた生物から生じる感情を、 美しいものだとは思わないのです。 2007-04-28 08:17 わたしの創作についても、そのことは言えるのです。 自分の書いたものは、どのようにも解釈していただくことも、まったく読者のみなさまの自由です。 しかしながら、完全なる戯作が多い恋愛詩から、わたしの精神が、性愛への渇望に悩まされているかのように、解釈されてしまい、それを事実として認識なさっておられるのだとすれば、少々残念なことです。 わたしのテーマは、あくまでも人生観,世界観であり、寓意的な言葉の中に、恋愛の陰喩はほとんどありません。 それは少女時代から今にいたるまで、性愛はわたしのテーマではないからなのです。 実生活での最大の関心事が、恋愛ではないからです。 例えば、どれほど好きな相手がいても、その気持ちを,詩にあらわすことはほとんどないのです。 人間とは、脳の発達しすぎた生物にすぎず、そのために生じる感情を、美しいものだとは思わないのです。 わたしが特に、追求したいものは、血なまぐさい生命の持つ、発達しすぎた頭脳が引き起こす醜い事件、戦争、葛藤などなのです。 わたしはロマンチストではないのだと思います。 恋愛を描くのは、あくまでも小説のための習作の延長なのです。 話がそれてしまって申し訳ありません。 デンマンさんを信じて、これからもおつきあいさせていただきたいことを、わかっていただきたくて、忌憚なく書かせていただきました。 どうか、この気持ちを察してください。 by レンゲ 『性愛と真心』より (2007年5月11日) |
上の2つの手記は間違いなくあたしが書いたものですわ。
そうですよう。でもねぇ、それを信じることができるのはロマンチストだけです。レンゲさんもロマンチストだから、2つの全く別人が書いたような手記を書くことができたのですよう。現実主義者で、夢とロマンを信じない人にはそのような事はできません。
なぜですか?
江戸川乱歩も、そのように言ってましたよう。
つまり、乱歩先生が言ったので、デンマンさんも信じたのですか?
違いますよう。レンゲさんが乱歩先生の熱烈なファンだから、乱歩先生がそうだと言えば、素直に納得すると思ったのですよう。
でも、あたしは乱歩先生がそのように書いていたのを読んだことがありませんわ。
だったら、証拠を見せましょう。乱歩先生は次のように書いていたのですよう。
芸術とカタルシス
江戸川乱歩(左)と三島由紀夫
古代ギリシャの残酷このうえもない血なまぐさい運命悲劇が、いかにして最上の詩であり、なにゆえにあの大観衆を引きつけたのか、アリストテレスの「詩学」は、これを「カタルシス」によって説明した。
肉体の健康を保つためには、無用の体液のカタルシスを行わなければならないと同じ理由によって、魂の健康を保つためには、心に巣くう、非道徳的な情緒(じょうちょ)のカタルシスが必要である。
あの無残なギリシャ悲劇が呼び起こす悲痛と恐怖とは、観衆の心から、それらの実生活上の無用の情緒を、洗い流す作用をなすものだ。というのがアリストテレスの美学であった。
犯罪という観念のはるかなる前身が、トーテムやタブーであったとしても、さらにさかのぼった原始人類に、それらの観念が存在したとは考えられぬ。
犯罪とは人間社会生活が作り出した人為的なものであって、その長年月にわたる禁圧によって泥棒や人殺しの原始的本能は正常人の心の表から影をひそめたとはいえ、決して亡びてしまったのではない。
どんな道徳的な人の心にも少なくとも潜在的には、それらのいわゆる犯罪本能が、根強く巣くっている。
精神分析学の言い回しを借りるならば、その人が実生活上、道徳的であればあるだけ、この忌(いま)わしい潜在願望はいっそう強烈なのだ。
したがって、意識下にそのような反社会的願望を蔵する人類が、その心の健全を保つためには、上述のアリストテレスの「カタルシス」が必要であり、我々は無意識にそれを求めているのだと考える事ができる。
この意味で、ギリシャ悲劇以来今日に至るまでどの時代の文学も、犯罪と絶縁できなかったのは、少しも不思議とするに足らぬ。これは(無用の情緒のカタルシスは)人類にとって、その社会生活上、むしろ欠くべからざる欲求であったのだ。
精神分析学の発見したところによると、ヒステリーその他の神経的疾患(しっかん)の大部分は、かくのごとき反社会的願望の抑圧が原因となっている。
精神分析療法は、一口に言えば、意識下に抑圧し切れなくなった過剰願望の「カタルシス」である。
この場合カタルシスは、分析者が患者自身の口から、その密(ひそ)かなる願望を詳細に物語らせ、心理的抑圧を解放することによって行われる。
夢が同じ意味で「カタルシス」である。
そして、芸術もまた、別の意味での夢として「カタルシス」の作用を行うのだ。
pp.113-114
「探偵小説とカタルシス」より
『江戸川乱歩全集 第25巻 鬼の言葉』
監修: 新保博久・山前譲
2005年2月20日 初版1刷発行
発行所: 株式会社 光文社
カタルシス
ギリシャ語 katharsis=浄化
1) 劇、特に悲劇を見ることによって日ごろのストレスを解消し、
さっぱりした感じになること。
2) 自己の直面する苦悩などを表出する事によって
コンプレックスを解消すること。
三省堂 「新明解国語辞典 (第2版)」より
このカタルシスがロマンチストと関係あるのですか?
ありますよう。
どのように。。。?
実生活上の無用の情緒を、洗い流す作用と乱歩先生は書いている。つまり、三省堂の国語辞典に書いてある「浄化」にあたるわけですよう。
あたしが上の手記を書くことによって実生活上の無用の情緒を洗い流したと、デンマンさんはおっしゃるのですか?
そうですよう。ムカついた感情をいつまでも体の内に貯めておく事は良くないのですよう。
ムカついた感情をいつまでも溜めておくとどうなるのですか?
めれんげさんのように爆発するのですよう。
(すぐ下のページへ続く)