好ましい批判 (PART 1 OF 3)
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あなたは狙われている!
豚インフルエンザに気をつけてね。
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デンマンさん。。。、今日も漢字馬鹿さんの愚かな批判を取り上げるのですか?
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いや、いや。。。、そうではありません。漢字馬鹿の愚かさを晒すのが目的ではないのですよう。でも、漢字馬鹿の事を取り上げないと、何が好ましい批判なのか?それが分からないから、どうしても反面教師として漢字馬鹿を取り上げざるをえないのですよう。
そのように反面教師にされてデンマンさんに利用されるのがイヤなので、漢字馬鹿さんは、めれんげさんの『即興の詩』サイトにコメントを書くことを止めてしまったのですわね?
そうですよう。漢字馬鹿が“アザイゲ”と“なつみ”君に成りすまして、次のような愚かなコメントを書いたことを僕にすっかり暴(あば)かれてしまったのですからね。やりにくくなったのだろうし。。。何よりも、絶対分からないと思ってやったから、漢字馬鹿も少しは自分の愚かさが分かったのですよう。
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頭は固いがチ○コは柔い粘着自演ジジイなんか相手にするなよ。
言いたい事があるなら
レンゲのフォーラムに来るんだYO!!
って言われんぞ。
アザイゲ
2009/04/14 4:15 PM
『即興の詩 青空』のコメント欄より
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めれんげさん、はじめまして。
気になることがあって、コメントいたします。
2月12日の記事(裏切りはやさしく)で、
(心の恋人)と名乗っておられる方のコメントに、
差別用語が含まれていることに、気づいていますか?
それは、障害を持つ方を、意味する言葉です。
インターネットを利用して、差別用語を書くことは、
テレビなどで、差別的発言をすることと同様です。
あのようなコメントを、放置しておくべきではないと思います。
発言された方は、ご年配の方なのでしょうか。
相当、古い感覚を、お持ちなのでしょうか。
現代的感覚と、知識を持っている人間ならば、
公共の場、不特定多数の相手の面前で、
あのような言葉を吐くことなど、ありえません。
言葉狩りをするつもりはありませんが、
他人(めれんげさん)のブログに、コメントするのであれば、
最低限のマナーと常識を持つのが当然だと考えます。
めれんげさんは、当該の発言者を野放しにせず、
アクセスを制限すべきではないでしょうか。
長文失礼いたしました。
なつみ
2009/04/14 3:56 PM
『即興の詩 青空』のコメント欄より
『未熟な判断と稚拙な批判 (2009年4月22日)』に掲載。
上の2つのコメントはマジで漢字馬鹿さんが書いたのですか?
僕は大真面目ですよう。「なつみ」と名乗っているけれど、実は、漢字馬鹿が成りすましている訳で、「アザイゲ」と同一人物ですよう。
信じられませんわ。
これが「2ちゃんねるシンドローム」ですよう。うしししし。。。2ちゃんねるにハマッてしまうと成りすます事など何とも思わなくなってしまう。「言葉狩りをするつもりはありませんが」と言いながら、言葉狩りをしている。しかも、そう書いている本人が「アザイゲ」に成りすまして、女性のサイトに“頭は固いがチ○コは柔い”と書いている。
「なつみ」さんと「アザイゲ」さんは、本当に同一人物なのですか?
マジで同一人物ですよう。だから、漢字馬鹿は、めれんげさんのサイトにコメントを書く事を止めたのですよう。もう、書けないでしょう!
どうしてですか?
消しがたい証拠をさらにめれんげさんのサイトに残すからですよう。漢字馬鹿は、めれんげさんも馬鹿にしているけれど、めれんげさんは、実は、システムエンジニアで漢字馬鹿よりもコンピューターの事、ネットの事を良く知っているのですよう。漢字馬鹿は完全に墓穴を掘ってしまったのですよう。あとは、自分が掘った墓に入るだけですよう。うしししし。。。
人間って、そこまで愚かになれるものでしょうか?
なれますよう。2ちゃんねるで匿名で遊んでいると、漢字馬鹿のような愚かな成りすまし人間が出来上がってしまうのですよう。僕は漢字馬鹿のような底抜けの馬鹿を何人も見てきましたからね。うへへへへへ。。。
やっぱり、デンマンさんは、漢字馬鹿さんを晒し者にするために今日の記事を書き始めたのですか?
もちろん、違いますよう。僕は、いつまでも漢字馬鹿の事を書いて時間を無駄にしたくないのですよう。
。。。で、今日は、これまで書いてきて、一体何がおっしゃりたいのですか?
だからねぇ、どうせ、コメントを書くのだったら、どのように批判する場合でも、批判される人がすがすがしく感じるような文章を書け!と僕は言いたいのですよう。
それでデンマンさんは、次の記事の中で徳保隆夫 (とくほ たかお)さんのコメントを紹介したのですか?
■ 『デンマン批判 (2009年5月8日)』
その通りですよう。
。。。で、徳保さんは他にもデンマンさんを批判する記事を書いているのですか?
直接僕を批判するために書いた訳ではないけれど、僕の記事をかなり読んで、僕と言う人間をかなり理解していますよう。ちょっと読んでみてください。
はてなダイアリーで更新していた
日記のアーカイブ
by 徳保隆夫
2005-12-08
(中略)
2.
■ 誤読としての批判への批判~都合のいいときばかり「子ども」を持ち出す大人~
コメント欄より転載。
徳保隆夫
『少し反論しますと、satoshi さんは「大人になると」間違いを指摘されなくなる、と書きました。ということは、「子どもの頃は」は間違いを指摘されたわけですよ。くどい表現を避けて、省略されているだけ。私は書かれていないことを勝手に推測しているのではない。当然の読解を行っているのです。
そうして私は、子どもの頃に間違いを気軽に指摘されたのは「尊敬されない」ことと引き換えだったとして、子どもの頃を安直に古きよき時代として思い起こすことを否定したのでした。』 (2005/12/08 01:00)
■ 大人だから間違いを指摘してくれない時もある。
問題は、satoshi さんこと snakajima さんのコメント。
snakajima 『life is beautiful のSatoshiです。私も「間違いを指摘しないのは聞いてる側の選択の結果」で、「自称ワイン通」氏の責任ではないと思います。
つまり、大人になると特に負のオーラを出していなくても、間違いは指摘してもらえないんですね。しかし、それでは悲しいので、何とかして「間違いを指摘しやすい」人になりたい、なる方法はないかな、という宣言であり問いかけなんです。』
umeten さんのところでは、以下の通り。
snakajima 『 私のエントリーに関して、こんなに深く分析していただき、ありがとうございます。このエントリーは、ご指摘されているように、「度量のある懐の深い人間になろうと思う」という宣言であるとともに、私の知り合いやブログの読者に対しての「もし、私が間違っていることを言っていたら、教えてください」というお願いでもあります。「子供のころは、まわりの人が親切に色々と教えてくれた」というノスタルジーに浸っているだけでは何も得るところはありませんからね。』 (2005/12/08 01:55)
k3jaco さんが結論に困ってしまったのは当然で、Satoshi さんの主張は袋小路への道である。ワイン通に問題がないとすれば、Satoshi さんにできることは何もない。闇雲に「改善」を目指しても、空虚な宣言にしかならない。
しかも驚くべきことに、Satoshi さんは間違いを指摘する側に問題の原因を見出している。だったら、そもそも Satoshi さんの記事は転倒しているわけだ。「大人に対して大人は間違いを指摘できない」というところから、話を展開するのが本来の筋だったはずだ。
おそらく、子どもに対してであれば、仮に少々態度が生意気でも、Satoshi さんは「きみの説明は、間違っているんじゃないかな?」といえたろう。そうであればこそ、「大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる」という言葉が出てくる。
もし Satoshi さんが正しく記事を書き始めていたのなら、必ずこの問題に行き当たったはずだ。そして、なぜ子ども相手なら根拠不十分でも間違いを指摘できてしまうのか、考えたはずだ。
私は「間違いを指摘されるようになること」について、ひとつの回答を暗示した。ここは補足記事だから、はっきり書こう。
● 指摘がほしければ、ガキ扱いされるような人間になればいいのだ。
● 大人が大人であり続ける限り、指摘する側は躊躇する。
だから、大人であり続けることを前提とすれば、有効な解を発見できない。「子供のころは、まわりの人が親切に色々と教えてくれた」というノスタルジーに浸っているのでは、残酷な結論に気付かない。
おいしいところだけ、
つまみ食いすることはできない
大人たちは、大人になりたいから、大人になった。子どものままでいたければ、そうすることもできた。
大人たちの、子どもに対する「間違い」の指摘は、なるほど親切心から出たものかもしれない。だが、親切心はどのような場面で発現するか。そして大人たちは、本当に親切にされたいのか。なぜ、大人たちは、子どもであることをやめたんだ?
子どもは、いくつかの特権と引き換えに、非常に多くの忍耐を強いられる。親切な指摘を無数に受ける特権は、本来、ノスタルジーを感じ、羨むようなものではない。大人たちに精神的にも物理的にも支配されている、血涙の滲むような服従の記憶とともにある。何をいっても簡単には信じてもらえない、正しい主張も簡単には通らない、それが子どもの支払っている犠牲である。
ある種の間違いだけを、プライドの傷つかないような形でピンポイントで指摘される、そんなつまみ食いは、不可能だ。
根拠不十分でも気軽に指摘されるようになれば、間違っていないことまで指摘されるようになる。気軽に指摘されるような状態では、異論・反論が気軽に提出され、自分の意見がなかなか通らない。そのつらさ、悲しさに、耐える覚悟はありますか。
(中略)
(すぐ下のページへ続く)