9日間の女王(PART 1 OF 3)
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デンマンさん。。。 どういうわけで“9日間の女王”というタイトルにしたのですか?。。。 もしかして、デンマンさんが女王になった夢を見て、イギリスのエリザベス女王に成りすまして、バレて殺されてしまったわけではないでしょうねぇ~!? (微笑)
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そういうヤバい夢を見るはずがないでしょう!
でも、デンマンさんのことだから、とんでもない夢を見ることだって考えられますわァ。
あのねぇ~、“9日間の女王”というのは夢の話ではないのですよ。
じゃあ、実際にあった話なのですか?
もちろんですよ!
でも、そんな話を聞いたことがありませんわァ~。
やだなあああァ~、ジューンさんが日本人ならば、知らないで済ませられますよ。。。 でもねぇ~、ジューンさんの祖先はイギリスからカナダに移住したのですよ。
つまり、“9日間の女王”というのはイギリスにいた実在の女王のことなのですか?
もちろんですよ。
でも、どうして急に、そのような女王の話を持ち出してきたのですか?
もちろん、バンクーバー市立図書館でDVDを借りて観た映画に出てきたのですよ。
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■『実際のリスト』
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上のリストの赤枠で囲んだ 1049番目に観た映画の中に“9日間の女王”が出てきたのですか?
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そうですよ。。。 赤枠のタイトルをクリックすると次のページが出てきます。
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■『実際のカタログページ』
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この題名の Lady Jane というのが その“9日間の女王”なのですか?
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ジューンさんも歴史の時間に勉強したでしょう!?
わたしはイギリスの歴史があまり好きではなかったので、よく覚えていませんわァ。
でも、レディー・ジェーンはジューンさんの名前とよく似ているのですよ。。。 一度聞けば忘れないでしょう!?
だってぇ、歴史があまり好きでない人にとっては、どのような名前であっても、“馬の耳に念仏”ですわァ~。。。
そういう日本の諺はよく覚えているのですねぇ~。。。
ええ。。。 日本語は わたしにとって好きな外国語ですから。。。(微笑)。。。で、レディー・ジェーンという人はどのような女王だったのですか?
ウィキペディアには次のように書いてありますよ。
ジェーン・グレイ
(1537年10月12日? - 1554年2月12日)
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異名に九日間の女王(Nine-Day Queen)がある。
数奇な縁でイングランド史上初の女王として即位したが、在位わずか9日間でメアリー1世により廃位され、その7か月後に大逆罪で斬首刑に処された。
そうした経緯から、イギリスでは古来彼女のことを「クイーン・ジェーン」(Queen Jane、ジェーン女王)とは呼ばずにレディー・ジェーン・グレイ(Lady Jane Grey、ジェーン・グレイ令嬢)と呼んできた。
ジェーンを正統なイングランド君主とはみなさない史家や学者も少なくないが、今日のイギリス王室はジェーンをテューダー朝第4代の女王として公式に歴代君主の一人に数えている。
父は初代サフォーク公爵ヘンリー・グレイ、母は同公爵夫人フランセス・ブランドン。
母方の祖母がヘンリー8世の妹でプロテスタントのメアリー・テューダーだったことがジェーンの王位継承権の根拠となった。
来歴
ジェーンの血統に着目したウォリック伯(のちのノーサンバランド公 ジョン・ダドリー)は、政敵サマセット公 エドワード・シーモア(エドワード6世の母方の伯父)に反逆の汚名を着せ処刑した後、自分の息子ギルフォード・ダドリーとジェーンを結婚させた。
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そうして、王位継承のライバルとなるヘンリー8世の子メアリーがカトリックであることを利用し、熱烈なプロテスタントのエドワード6世を説き伏せ、病床の王からジェーンへの王位継承を指示する勅令を得た。
ノーサンバランド公の最終目的は、ジェーンとギルフォードの息子(つまりノーサンバランド公の孫)を王位につけることにあったという。
エドワード6世が崩御すると、ノーサンバランド公はジェーンの即位を宣言したものの、陰謀を察知したメアリーが逃亡し、身柄を拘束できなかった。
そのためメアリー派の反攻を許すこととなり、1553年7月19日にサフォークでメアリーが即位を宣言、ジェーンと夫ギルフォードらが逮捕された。
続けてギルフォードの兄弟、ジョン、アンブローズ、ロバート(のちにエリザベス1世の寵臣となる)、ヘンリーらダドリー一族も逮捕された。
その後、ジェーンはロンドン塔幽閉を経て、1554年2月12日、夫ギルフォードとともに斬首された。
王位に就いたメアリーは当初、ジェーンの処刑に躊躇したといわれるが、スペイン王カルロス1世と王太子フェリペの婚約解消の脅しに屈し、処刑の命令を下したという。
なおこの1554年2月というのは、ジェーンを王位に即けることを要求したワイアットの乱の起きた月でもあり、その影響もあったと考えられる。
処刑後、遺体は夫ギルフォードと共にセント・ピーター教会に葬られた。
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出典: 「ジェーン・グレイ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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なるほどォ~。。。、こうして読まされると、どこかで聞いたような覚えがありますわ。
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。。。でしょう!?。。。 ジューンさんもバンクーバー市立図書館でDVDを借りて この映画を観てくださいよう。
でも、"現在、4人が このDVDを借りようと待っている。"と書いてあるではありませんか!
分かりました。。。 じゃあ、ジューンさんが今すぐに観られるように YouTube の予告編をここに貼り出しますから観てください。
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つまり、ジェーンさんは満16歳で結婚させられて女王に即位させられたのですか?
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そうですよ。
でも、系図を見ると女王になるには、ちょっと無理があるのではありませんか?
その通りですよ。
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エドワード6世が亡くなったとは言え、ジェーンさんを女王につけるのだったら、エドワード6世の姉さんであるメアリーさんがまだ生きていましたからね。。。
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どうして、メアリーさんを初めに女王にしなかったのですか?
だから、ノーサンバランド公の陰謀ですよ。。。 最終目的は、ジェーンとギルフォードの息子(つまりノーサンバランド公の孫)を王位につけることにあったのですよ。。。 だから、系図を見れば、誰が見たってジェーンさんを女王にするのはヤバいのですよ。。。 それで、案の定、ノーサンバランド公の陰謀を知ったメアリーさんは逃亡してしまった。
ノーサンバランド公は、あらかじめメアリーさんを亡き者にしようとは考えなかったのでしょうか?
あのねぇ~、メアリーさんをあらかじめ殺していたら、ノーサンバランド公の陰謀は丸見えになってしまうから、もっとヤバい事になってしまいますよ。。。 それに、メアリーさんをあらかじめ殺したとしても、その妹の、将来女王になるエリザベスさんも生きていましたからねぇ~。。。 メアリーさんだけを殺しても意味がない。。。 エリザベスさんも一緒に殺さなければならない。。。 そうなると、もっとヤバいことになる。。。 ノーサンバランド公の野望が丸見えになって、悪者の烙印を押されて宮廷の支持を失ってしまいますよ。
要するに、ノーサンバランド公の陰謀は失敗する宿命になっていたのですわねぇ~。。。
確かに、そう言われても仕方がないのですよ。。。 この当時、宮廷でもカソリック教徒は嫌われていて、プロテスタント派が優勢のように見えた。。。 カソリックのメアリーさんが将来 女王になるなどとは誰も思わなかった。。。 それで、ノーサンバランド公も陰謀がうまく行くだろうと思ったらしい。
じゃあ、何が原因でノーサンバランド公の野望が失敗に終わったのですか?
簡単な理由ですよ。。。 ノーサンバランド公の最終目的が見え見えだった。 だから、宮廷の廷臣や官僚の信頼を失ってしまったのですよ。。。 映画の中でも、即位したジェーン女王が廷臣を集めて会議を開こうとするのだけれど、会議室に出向くと誰も居ないのですよ。
どうしたのですか?
会議に出てくるはずの すべての廷臣が逃げ出して メアリーさんの味方になってしまったのですよ。
要するに、ノーサンバランド公の人望がなかったのですわねぇ~?
そういうことです。。。 廷臣たちにソッポを向かれてしまったのだから。。。
つまり、この事実を言うために、デンマンさんは わざわざ“9日間の女王”を話題に選んだのですか?
いや。。。 違いますよ。
じゃあ、この映画のどこに感動したのですか?
あのねぇ~、ジェーンさんが断頭台の露と消えたのはわずか16歳の時ですよ。。。 ジューンさんは16歳の頃何をしていましたか?
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わたしは16歳の頃はバンクーバーではなく オタワに住んでいましたわ。 日本で言えば高校1年生か2年生ですわね。。。 上級生の男の子からよくデートに誘われて、映画を観たり、お友達の家のパーティに呼ばれたり。。。 とにかく、よく遊んでいましたわ。
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勉強は。。。?
一応、学校はサボらずにまじめに出ていました。。。 宿題なんかも真面目にやってました。。。でも、特に成績が良かったわけではありませんでしたわ。
うん、うん、うん。。。 なんとなくその当時のジューンさんのイメージが僕にも浮かんできますよ。
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デンマンさんのオツムの中では16歳のわたしはこんなイメージなのですか?
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そうですよ。。。 ジューンさんは男子生徒にモテたでしょう?
確かに、16歳の頃は 勉強よりもデートに忙しかったのですわァ。。。
。。。で、ジューンさんも めれんげさんのように16歳の頃に処女を失ったのですか?
デンマンさん!。。。 そのような事は今日の話題とは関係ありませんわ。
いや。。。 関係ありますよ。。。 ジェーンさんも16歳で結婚して処女を失ってますから。。。
つまり、処女喪失を話題にするために、わざわざ“9日間の女王”を話題に選んだのですか?
もちろん、違いますよ!
だったら、じらさないで細木数子さんのようにズバリ!ズバリ!と核心を突いてくださいなァ。
分かりました。。。 ジューンさんがそれほど僕をせかせるのなら、細木数子のようにズバリ!と言いますけれど、ジェーンさんは16歳でラテン語とギリシャ語とヘブライ語が読めたのですよ。
マジで。。。?
このような時に僕は悪い冗談やデマカセを言いませんよ。。。 なにしろ、日本語が読める世界のネット市民の皆様がケータイとパソコン画面の向こうで見ていますからねぇ~。。。
その証拠でもあるのですか?
あるのですよ。。。 実は、ロジャー・アスチャム(Roger Ascham)という学者がジェーンさんの思い出を書き残しているのですよ。 このアスチャムさんはエリザベス1世女王が少女だった頃のラテン語とギリシャ語の家庭教師をしていた。
。。。で、アスチャムさんは何と書いているのですか?
当時の宮廷ではハンティングが一大イベントで多くの人たちが参加して楽しんだのだけれど、ジェーンさんは狩には参加せず 本を読むことが多かったと言うのですよ。。。 ある日、アスチャムさんが宮廷に出向くと、窓辺でジェーンさんが一人で本を読んでいた。
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