【ユダの接吻】ジョット・ディ・ボンドーネ
さて、今回は十二弟子の最後のひとり、裏切り者世界のチャンピオン、ユダさんのご紹介となります♪(^^)
ご紹介なんて言っても実際、聖書を読む限りユダがどんな人かっていうのはよくわからなかったりするんですよね
ユダのことは前回も少し書いたのですが、一般的にユダの裏切りの動機とされているものとして、
【1】金銭欲。
【2】政治的メシアとしてのイエスに対する期待が裏切られたこと。
【3】地上的メシア王国への期待が失われたこと。
【4】背後にサタンの働きがあり、その扇動に乗せられた。
といったことが挙げられるかと思います。
でも、イエスさまを売った銀貨三十枚は「ほんのわずかの金」とよく言われていますから、金銭欲というのは実は本当の裏切りの動機ではない……これもよくキリスト教世界では言われていることですよね。
となると、【2】~【4】が有力な説となるわけですが、まずその前に大切なこととして、ユダは普通の弟子ではないということは、間違いなく言えると思います。
特にヨハネの福音書などを読んでみますと、「わたしは天から下って来たパンである」(第6章41節)とイエスさまが言った時に「これはひどい言葉だ。そんなことをだれが聞いておられようか」と言って他の弟子たちが離れていった時にも、ユダはイエスさまの元に残ってるんですよね。そしてその上で十二弟子のひとりに選ばれてもいる。
もちろん、聖書が成就するために、イエスさまはわざとのちに彼が裏切りを働くとわかっていてあえて彼を選んだ……とも考えられるわけですが、最後の晩餐でユダがイエスさまの隣にいることから、ペテロやヨハネといった側近にも匹敵するリーダーだったのではないか、との説もあるそうです。
一番決定的なのは、【4】のサタンの働きなわけですけど、このサタンというのはイエスさまを荒野で試みたサタンと同一人物(?)であり、神の子であるイエスさま本人をたぶらかせないなら、イエスさまのまわりにいる一番弱い人間、自分の側に引かれやすい人間を使ってイエスのことをどうかしてやろうと思った……ということがあるかと思います。
さて、ここからはサタン視点(笑)。
イエスさまに直接手出し出来ないサタンは、その側近くにいる弟子たちの心をひとりひとり検分してゆきました。
ペテロ、ヨハネ、マタイ、ピリポ、(大)ヤコブ、アンデレ、トマス、バルトロマイ、(小)ヤコブ、タダイ、シモン……「あーっ!いたいた。こいつだこいつ。こいつが一番イエスを裏切る可能性が高そうだ」、とサタンに目をつけられてしまったユダ。
聖書に細かい言及はなくても、ユダがイエスさまを裏切るまでには相当の葛藤があったのではないかと思われます。
何しろ、イエスさまが悪霊を追いだし、不治の病いの人々を癒し、権威ある神さまの教えを宣べ伝えるのを間近でユダは見ていますから、「こんな奇跡の業を起こせるのは神の使い以外はない」ということは、彼もわかっていたでしょう。
けれど、そんな神性を感じる男のことを一度は師と仰いでずっとついてきたあとで裏切る……一体ユダの心の中ではどんなドラマがあったのか、ここは本当に興味深いところです。
そして【1】~【4】に加えて語られることのある説が、「不治の病いの人々を癒し、悪霊まで追い出し、天候まで操っちゃうイエスさまって凄い!!この人ならきっと、俺が裏切ったとしてももっと凄い大きな業を行って自分と自分の命を救うだろう。何しろ神の子なのだから!」とユダは考えて裏切った、というものでしょうか
他に、ユダはイエスさまの教えや考えを実はよく理解しており、自分が裏切ることで聖書を成就させようとした……という考え方もあるようです。裏切り自体が実はイエスさまの指示によるものだったという説ですね(^^;)
とりあえず、この場合の先の説を【5】、あとの説を【6】としておきたいと思います。
で、【5】の説を取った場合、ユダはイエスさまのなさる業があんまり奇跡的で素晴らしいので、彼自身が追いつめられれば追いつめられるほど、もっと凄い業をされるのではないか――という誤った期待によって裏切ったということになると思うんですね。
ところが、イエスさまは「聖書が成就するため」にあっさりお縄についてしまい、この時だけはなんの業もなさらずにただの人と同じように捕まるのを見て、ユダは愕然としたのではないかと思います。
「そんな、イエスさま。もっと凄い業を見せてくださいよ。あなたならローマ軍がここエルサレムに攻めこんできたとしても、その何十万もの軍隊でさえ撃退できるだけのお力があるはずです。それなのに、どうして……」(ガクリ☆orz)
まあ、こう考えた場合【2】や【3】の説にこの【5】も入れていいのかもしれませんね。
イエスさまがそうしたローマの支配からユダヤ民族を解放するリーダーではなかったことに対する失望、それがユダがイエスさまを裏切った動機だったという説。この場合もサタンの働きがあった可能性があるかと思います(^^;)
サタンというのは姿が見えないながらも実に巧妙に人心を惑わす存在なので、「これは裏切りなんかじゃないんだぜェ、ユダ。イエスってのはあんだけすげえことバンバンやってんだから、逮捕されたって父なる神の奴が助けてくれてさァ、もっともっとすげェ奇跡を行うかもしんないじゃん。それ、見たくない?見たいだろ?なァなァなァ」……とかって言われちゃったんじゃないですかね(笑)(←いや、この場合笑いごとでは)
なんにしても、ユダがイエスさまを裏切ったとされる【1】~【4】の動機っていうのはそれぞれが密接に結びついたものであり、どれかひとつを取ってこれ!というものではないと思うんです。
それと他に、先にあげた「ひどい言葉だ☆」というエピソードの時には「そんなことないもん。イエスさまは神の子だってオラ信じてる!」という感じだったユダも、「人の子は十字架につけられて三日後に甦らなければならない」という彼の教えには「オラ、もうついていけねえだ!そっただこと言うなら、オラ、あんたのことさ裏切っちまうから」という感じだったのでしょうか(^^;)
なんにしても、<ユダの裏切り>についての考察は尽きることがなくて本当に面白いです(色々妄想するのがww)。
ただ、聖書(四福音書)を読んだ人のうち、誰もが思うのが次のことではないかと思うんですよね。つまり、ユダが裏切らなければイエスさまに関する預言は成就しないわけですから、彼の犠牲があって聖書は成就し、今日全世界の三分の一と言われる人々がキリスト教徒になったという事実……その源を辿っていくと聖書のユダの裏切りに行き着くという。。。
そしてクリスチャンの方が信仰を持って聖書を読んでも、ノンクリスチャンの方がある物語として聖書を読んだ場合でも、多くの方はこう思うのではないでしょうか。「なんかユダって可哀想」みたいに。もちろん、特に信仰熱心な方は「あいつは悪魔に惑わされたどうしようもない罪人だった」とおっしゃるでしょうし、事実本当にそうであったのかもしれません。けれど、クリスチャンの方の中にも多いと思うんですよね。「ユダは地獄へ行った☆」とか「今ごろ悪魔に頭からバリバリ食べられてるだろう。何しろ神の子であるイエスさまを裏切ったのだから」……と言われても、「え~と、でももしユダの裏切りがなければ聖書は成就しなかったわけで」みたいに思う方って(^^;)
この部分って本当に永遠に解けない矛盾のように思うわけですけど、いつか天国へ行ったとしたら「ユダってその後どうなったんでしょう?」というのは、本当はどうだったのかを知りたい歴史的事実のひとつ、という気がします。
それではまた~!!
さて、今回は十二弟子の最後のひとり、裏切り者世界のチャンピオン、ユダさんのご紹介となります♪(^^)
ご紹介なんて言っても実際、聖書を読む限りユダがどんな人かっていうのはよくわからなかったりするんですよね
ユダのことは前回も少し書いたのですが、一般的にユダの裏切りの動機とされているものとして、
【1】金銭欲。
【2】政治的メシアとしてのイエスに対する期待が裏切られたこと。
【3】地上的メシア王国への期待が失われたこと。
【4】背後にサタンの働きがあり、その扇動に乗せられた。
といったことが挙げられるかと思います。
でも、イエスさまを売った銀貨三十枚は「ほんのわずかの金」とよく言われていますから、金銭欲というのは実は本当の裏切りの動機ではない……これもよくキリスト教世界では言われていることですよね。
となると、【2】~【4】が有力な説となるわけですが、まずその前に大切なこととして、ユダは普通の弟子ではないということは、間違いなく言えると思います。
特にヨハネの福音書などを読んでみますと、「わたしは天から下って来たパンである」(第6章41節)とイエスさまが言った時に「これはひどい言葉だ。そんなことをだれが聞いておられようか」と言って他の弟子たちが離れていった時にも、ユダはイエスさまの元に残ってるんですよね。そしてその上で十二弟子のひとりに選ばれてもいる。
もちろん、聖書が成就するために、イエスさまはわざとのちに彼が裏切りを働くとわかっていてあえて彼を選んだ……とも考えられるわけですが、最後の晩餐でユダがイエスさまの隣にいることから、ペテロやヨハネといった側近にも匹敵するリーダーだったのではないか、との説もあるそうです。
一番決定的なのは、【4】のサタンの働きなわけですけど、このサタンというのはイエスさまを荒野で試みたサタンと同一人物(?)であり、神の子であるイエスさま本人をたぶらかせないなら、イエスさまのまわりにいる一番弱い人間、自分の側に引かれやすい人間を使ってイエスのことをどうかしてやろうと思った……ということがあるかと思います。
さて、ここからはサタン視点(笑)。
イエスさまに直接手出し出来ないサタンは、その側近くにいる弟子たちの心をひとりひとり検分してゆきました。
ペテロ、ヨハネ、マタイ、ピリポ、(大)ヤコブ、アンデレ、トマス、バルトロマイ、(小)ヤコブ、タダイ、シモン……「あーっ!いたいた。こいつだこいつ。こいつが一番イエスを裏切る可能性が高そうだ」、とサタンに目をつけられてしまったユダ。
聖書に細かい言及はなくても、ユダがイエスさまを裏切るまでには相当の葛藤があったのではないかと思われます。
何しろ、イエスさまが悪霊を追いだし、不治の病いの人々を癒し、権威ある神さまの教えを宣べ伝えるのを間近でユダは見ていますから、「こんな奇跡の業を起こせるのは神の使い以外はない」ということは、彼もわかっていたでしょう。
けれど、そんな神性を感じる男のことを一度は師と仰いでずっとついてきたあとで裏切る……一体ユダの心の中ではどんなドラマがあったのか、ここは本当に興味深いところです。
そして【1】~【4】に加えて語られることのある説が、「不治の病いの人々を癒し、悪霊まで追い出し、天候まで操っちゃうイエスさまって凄い!!この人ならきっと、俺が裏切ったとしてももっと凄い大きな業を行って自分と自分の命を救うだろう。何しろ神の子なのだから!」とユダは考えて裏切った、というものでしょうか
他に、ユダはイエスさまの教えや考えを実はよく理解しており、自分が裏切ることで聖書を成就させようとした……という考え方もあるようです。裏切り自体が実はイエスさまの指示によるものだったという説ですね(^^;)
とりあえず、この場合の先の説を【5】、あとの説を【6】としておきたいと思います。
で、【5】の説を取った場合、ユダはイエスさまのなさる業があんまり奇跡的で素晴らしいので、彼自身が追いつめられれば追いつめられるほど、もっと凄い業をされるのではないか――という誤った期待によって裏切ったということになると思うんですね。
ところが、イエスさまは「聖書が成就するため」にあっさりお縄についてしまい、この時だけはなんの業もなさらずにただの人と同じように捕まるのを見て、ユダは愕然としたのではないかと思います。
「そんな、イエスさま。もっと凄い業を見せてくださいよ。あなたならローマ軍がここエルサレムに攻めこんできたとしても、その何十万もの軍隊でさえ撃退できるだけのお力があるはずです。それなのに、どうして……」(ガクリ☆orz)
まあ、こう考えた場合【2】や【3】の説にこの【5】も入れていいのかもしれませんね。
イエスさまがそうしたローマの支配からユダヤ民族を解放するリーダーではなかったことに対する失望、それがユダがイエスさまを裏切った動機だったという説。この場合もサタンの働きがあった可能性があるかと思います(^^;)
サタンというのは姿が見えないながらも実に巧妙に人心を惑わす存在なので、「これは裏切りなんかじゃないんだぜェ、ユダ。イエスってのはあんだけすげえことバンバンやってんだから、逮捕されたって父なる神の奴が助けてくれてさァ、もっともっとすげェ奇跡を行うかもしんないじゃん。それ、見たくない?見たいだろ?なァなァなァ」……とかって言われちゃったんじゃないですかね(笑)(←いや、この場合笑いごとでは)
なんにしても、ユダがイエスさまを裏切ったとされる【1】~【4】の動機っていうのはそれぞれが密接に結びついたものであり、どれかひとつを取ってこれ!というものではないと思うんです。
それと他に、先にあげた「ひどい言葉だ☆」というエピソードの時には「そんなことないもん。イエスさまは神の子だってオラ信じてる!」という感じだったユダも、「人の子は十字架につけられて三日後に甦らなければならない」という彼の教えには「オラ、もうついていけねえだ!そっただこと言うなら、オラ、あんたのことさ裏切っちまうから」という感じだったのでしょうか(^^;)
なんにしても、<ユダの裏切り>についての考察は尽きることがなくて本当に面白いです(色々妄想するのがww)。
ただ、聖書(四福音書)を読んだ人のうち、誰もが思うのが次のことではないかと思うんですよね。つまり、ユダが裏切らなければイエスさまに関する預言は成就しないわけですから、彼の犠牲があって聖書は成就し、今日全世界の三分の一と言われる人々がキリスト教徒になったという事実……その源を辿っていくと聖書のユダの裏切りに行き着くという。。。
そしてクリスチャンの方が信仰を持って聖書を読んでも、ノンクリスチャンの方がある物語として聖書を読んだ場合でも、多くの方はこう思うのではないでしょうか。「なんかユダって可哀想」みたいに。もちろん、特に信仰熱心な方は「あいつは悪魔に惑わされたどうしようもない罪人だった」とおっしゃるでしょうし、事実本当にそうであったのかもしれません。けれど、クリスチャンの方の中にも多いと思うんですよね。「ユダは地獄へ行った☆」とか「今ごろ悪魔に頭からバリバリ食べられてるだろう。何しろ神の子であるイエスさまを裏切ったのだから」……と言われても、「え~と、でももしユダの裏切りがなければ聖書は成就しなかったわけで」みたいに思う方って(^^;)
この部分って本当に永遠に解けない矛盾のように思うわけですけど、いつか天国へ行ったとしたら「ユダってその後どうなったんでしょう?」というのは、本当はどうだったのかを知りたい歴史的事実のひとつ、という気がします。
それではまた~!!
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