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【荒野のエリヤ】フレデリック・レイトン
ええと、この記事は前回まで書いてきた「なぜ、人はがんになるのか」の続きとしてお読みください、ということでよろしくお願いしますm(_ _)m
>>どういうことかというと、従来の緩和ケアが主として考えていたことは、もっぱら終末期患者の痛みをいかにおさえてやるかという身体的苦痛の取りのぞきでした。
しかし、がん患者の苦痛というのは、身体的苦痛(痛み)だけではありません。次頁図に見るように、身体的苦痛は患者の苦痛の一部でしかありません。身体的苦痛以外に、患者たちは、家庭の問題、仕事の問題、金銭的経済的サポートの問題等の社会的苦痛もかかえていれば、不安、不眠、うつ状態といった精神的・心理的苦痛もかかえているのです。
また、近い将来の自分の死すべき運命を考えるところから、自分の人生にどんな意味があったのだろうと悩んだり、あるいは迫りくる死の恐怖にどう耐えたらいいのか、死の向う側に神や仏のような絶対者がいるのだろうかと悩んだりするスピリチュアルペインもかかえています。
(『がん 生と死の謎に挑む』立花隆著NHKスペシャル取材班/文藝春秋刊より)
スピリチュアルペイン――ホスピスとか、終末期医療に関わっている方、あるいは医療関係者の方にはお馴染み(?)の言葉かもしれません。でも、スピリチュアルと聞いて江原啓之先生のことをまず最初に思いだされる方のほうが多いかもしれませんよね(なんとなく、イメージとして^^;)
↑に「次頁図」とあるのですが、それを表せないため(すみません
)、手書きしますと。。。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0169.gif)
全人的苦痛(トータルペイン)とは?
・身体的苦痛
痛み・他の身体症状・ADLの低下
・社会的苦痛
家庭の問題・仕事上の問題・金銭的な問題
・精神的苦痛
不安・不眠・うつ
・スピリチュアルペイン
人生の意味への問い・死の恐怖・絶対的な存在への追求
(『がん 生と死の謎に挑む』立花隆著NHKスペシャル取材班/文藝春秋刊より)
ちなみに、身体的苦痛の中のADL(activities of daily living)というのは、食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動を指す、ということでした(便利なウィキぺディア様よりm(_ _)m)。
がん、あるいは他の病いによる身体的苦痛というのは、説明が必要ないかもしれません。日本は他の国に比べて緩和医療については遅れている……と長く言われてきて、モルヒネの使用についても「本当のギリギリまで使ってはいけない」的な、そうしたモルヒネ=麻薬=悪といった図式が昔は根強かった気がしますよね(^^;)
その、わたし自身ががんになったことがあるわけではないので、決して軽々しいことは言えないのですが、がんによる身体的苦痛は「その人の人間性を奪うほどに激しいものだ」とお聞きします。アメリカなどでホスピスが誕生するきっかけになったのも、やっぱりこの部分がまず最初に大きかったと、昔何かで読んだ記憶があります(あ~、例によって記憶が曖昧ですみませんww
)。
これは確か、その後ホスピスに携わることになったアメリカの女性であったように記憶してるんですけど、彼女がある病院に入院することになった時(1970年代のことだったと思います)、隣の患者さんが苦しみに苦しんで呻いているのに、看護師さんらがその女性のことをほとんど無視するような態度を取っていることにとても驚いたそうです。
そこで、この女性のほうからも「こんなに苦しんでいるのに、何かしてあげてください」的に言ったら(カーテン越しに相手の苦しみを感じるというのもつらかった)、相手の看護師さんは「もう他にどうしようもないんです」みたいにおっしゃったそうなんですよね。そしてこの女性はその翌朝亡くなったそうですが、病名のほうを聞いてみると末期の乳がんだったそうです。
この、「その人の人間性すらも奪う苦しみ」……ようするに、想像を絶する痛みということですが、日本ではこうした状態が欧米や他の国以上にモルヒネを禁忌とする意識が強かったことから、長く続いたと言いますよね。
まあ、これは半分冗談みたいなものだと思って読んでほしいんですけど(汗)、
患者A:「せ、先生。く、くるしい。た、頼みますからモモ、モルヒネを……
」
医者:「Aさん、もうちょっと我慢してください。いや、あなたはまだ我慢できるし、我慢すべきだ
」
~1時間後☆~
患者A:「せ、先生。あれからもう十時間もたった気がします。お、お願いですから、モ、モモ、モルヒネを……
」
医者:「Aさん、まだあれから一時間しか過ぎてませんよ?まったく駄目な人だなあ。もう少し我慢できるでしょ?
」
~2時間後☆~
患者A:「せせ、先生。モモ、モルヒネ……た、頼みます。お願いですから……
」
医者:「そうだなあー。ま、もう一時間くらいしたらね。そんじゃまたー
」
~三時間後☆~
患者A:「せせ、先生。モモ、モル、モルヒネ……
」
医者:「うーん?よく聞こえなかったなあ。でもそろそろ呂律もまわらなくなってきたみたいだから、そろそろモルヒネ使ったほうがいいかな。良かったね、Aさん。さあ、これがお望みのモルヒネ……オピオイドですよ
」
患者A:「(言葉もなく、安堵の涙
)」
もちろんこんなお医者さん、いるわけないんですけど(^^;)、昔漫画で「痛いからモルヒネを使ってくれ」とヤクザみたいな患者さんが言ってて、その人がヤクザみたいな人なもんだから、麻薬を使って欲しくてたまらない……みたいにまわりの看護師さんにも思われ……みたいなのを読んだことがあります。
実はこれ、日本の医療現場でそう簡単にモルヒネを使ってもらえない現状に異を唱えるといった漫画だったんですけど、わたしがこの漫画の載ってた雑誌を読んだのって1980年代くらいだったように記憶してます。
まあ、今はこんなこと、日本でもなくなったとは思うんですけど……でも実際はがんじゃなくても、手術後の夜に尋常ではない痛みに襲われたにも関わらず、看護師さんには「少し大袈裟なのでは?」的に扱われ、結局何もしてもらえなかった、また、翌日の回診で医者に痛みを訴えたらすぐに痛みどめを使ってもらえたのに、なんできのうの夜にすぐそうしてくれなかったのか……といったようなことは、退院後の患者さんの苦情として聞いたりすることがありますよね(^^;)
それはさておき、体のどこかに痛みがあって、それが自分の人格すべてを奪うほどに強いものだと、まともな思考能力は奪われ、その痛みをとにかく感じ続ける以外にその方には他に出来ることがなくなる……これが「その人の人格さえも奪うがんの痛み」ということなのではないかと、個人的には想像しています。
そして、次に社会的苦痛ということですが、これもある程度想像できる気がしますよね。
当然、がんになれば治療のために会社を休んだり、奥さんや家族に心配をかけたり、何分治療費もかかることですから、色々な不安やストレスが増大します。
これもわたしに体験がないので、軽々しいことは言えませんが、でもやっぱりまわりの人に「実は自分、がんなんだー」みたいに告白するのって、とても勇気のいることだと思うんですよね。
それが仮に家族でも、子供さんが小さかったら奥さんにだけこのことを伝えて、本当にかなりのところ悪くなってからでないと子供たちには言わないとか、それが自分の両親でも、父親なり母親なりも別の病気で入院加療中だったりした場合、心配かけたくないと思って、手術が成功してからそのことを伝えるとか、ケースバイケースで対応しなくちゃいけないというか![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
他に、それが会社の同僚でも友達でも変に心配かけたり同情されたくない……とか、色々あると思います。そして、真実を伝えていない、伝えられない相手に対してはがんという病気があって責めさいなまれていても、「これまでどおり」、「いつもどおり普通」に振る舞わなくてはいけないこと……このことも本当にストレスとして大きいと思うんですよね。
ただ、これもがん患者さんの実際にあった体験ということなんですけど――まわりの人に「がんだ」と言ったら、突然自分に嫌なことばかり押しつけていた上司が優しくなり、それまでは家事ロボットのように見なされていた感のある家族もみんな優しくしてくれ、PTAや町内会の面倒な役割も一切まわってこなくなった……がんになるというのは嫌なことだけど、どんな不幸にもやはり、少しくらいはいいところがある……みたいにおっしゃってる方もいました(^^;)
それとやっぱり、金銭的な問題も大きいですよね。がんって治療に一体どのくらいお金のかかるものなのか……また、特殊ながんの特殊な治療で、もしお金が続かなかったらそれは諦めるべきなのか、それとも借金してでも望みに縋って治療を続けるべきなのかとか……がんになった部位、どのステージなのかによっても色々あると思うんですけど、やっぱりがん保険に入ってるかどうかって大きいのかなって思います![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
なんにしても、健康であったら出て行かない分の出費がある、その部分の負担が大きければ大きいほど「金銭的苦痛」もまた増大する……この部分も大きなストレスだと思うんですよね。
そして次に精神的苦痛ということですが、「不安・不眠・うつ」って、それはこれだけのものがのししかっていたら、当然不安で眠れなくなり、うつになるのも当たり前……といったように思うんですよね(^^;)
ここから次に「スピリチュアルペイン」ということに触れたいと思ったんですけど……なんかここまででも随分長くなってしまったので(汗)、「スピリチュアルペイン」についてはまた次回以降にまわしたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
ええと、この記事は前回まで書いてきた「なぜ、人はがんになるのか」の続きとしてお読みください、ということでよろしくお願いしますm(_ _)m
>>どういうことかというと、従来の緩和ケアが主として考えていたことは、もっぱら終末期患者の痛みをいかにおさえてやるかという身体的苦痛の取りのぞきでした。
しかし、がん患者の苦痛というのは、身体的苦痛(痛み)だけではありません。次頁図に見るように、身体的苦痛は患者の苦痛の一部でしかありません。身体的苦痛以外に、患者たちは、家庭の問題、仕事の問題、金銭的経済的サポートの問題等の社会的苦痛もかかえていれば、不安、不眠、うつ状態といった精神的・心理的苦痛もかかえているのです。
また、近い将来の自分の死すべき運命を考えるところから、自分の人生にどんな意味があったのだろうと悩んだり、あるいは迫りくる死の恐怖にどう耐えたらいいのか、死の向う側に神や仏のような絶対者がいるのだろうかと悩んだりするスピリチュアルペインもかかえています。
(『がん 生と死の謎に挑む』立花隆著NHKスペシャル取材班/文藝春秋刊より)
スピリチュアルペイン――ホスピスとか、終末期医療に関わっている方、あるいは医療関係者の方にはお馴染み(?)の言葉かもしれません。でも、スピリチュアルと聞いて江原啓之先生のことをまず最初に思いだされる方のほうが多いかもしれませんよね(なんとなく、イメージとして^^;)
↑に「次頁図」とあるのですが、それを表せないため(すみません
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0169.gif)
全人的苦痛(トータルペイン)とは?
・身体的苦痛
痛み・他の身体症状・ADLの低下
・社会的苦痛
家庭の問題・仕事上の問題・金銭的な問題
・精神的苦痛
不安・不眠・うつ
・スピリチュアルペイン
人生の意味への問い・死の恐怖・絶対的な存在への追求
(『がん 生と死の謎に挑む』立花隆著NHKスペシャル取材班/文藝春秋刊より)
ちなみに、身体的苦痛の中のADL(activities of daily living)というのは、食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動を指す、ということでした(便利なウィキぺディア様よりm(_ _)m)。
がん、あるいは他の病いによる身体的苦痛というのは、説明が必要ないかもしれません。日本は他の国に比べて緩和医療については遅れている……と長く言われてきて、モルヒネの使用についても「本当のギリギリまで使ってはいけない」的な、そうしたモルヒネ=麻薬=悪といった図式が昔は根強かった気がしますよね(^^;)
その、わたし自身ががんになったことがあるわけではないので、決して軽々しいことは言えないのですが、がんによる身体的苦痛は「その人の人間性を奪うほどに激しいものだ」とお聞きします。アメリカなどでホスピスが誕生するきっかけになったのも、やっぱりこの部分がまず最初に大きかったと、昔何かで読んだ記憶があります(あ~、例によって記憶が曖昧ですみませんww
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
これは確か、その後ホスピスに携わることになったアメリカの女性であったように記憶してるんですけど、彼女がある病院に入院することになった時(1970年代のことだったと思います)、隣の患者さんが苦しみに苦しんで呻いているのに、看護師さんらがその女性のことをほとんど無視するような態度を取っていることにとても驚いたそうです。
そこで、この女性のほうからも「こんなに苦しんでいるのに、何かしてあげてください」的に言ったら(カーテン越しに相手の苦しみを感じるというのもつらかった)、相手の看護師さんは「もう他にどうしようもないんです」みたいにおっしゃったそうなんですよね。そしてこの女性はその翌朝亡くなったそうですが、病名のほうを聞いてみると末期の乳がんだったそうです。
この、「その人の人間性すらも奪う苦しみ」……ようするに、想像を絶する痛みということですが、日本ではこうした状態が欧米や他の国以上にモルヒネを禁忌とする意識が強かったことから、長く続いたと言いますよね。
まあ、これは半分冗談みたいなものだと思って読んでほしいんですけど(汗)、
患者A:「せ、先生。く、くるしい。た、頼みますからモモ、モルヒネを……
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医者:「Aさん、もうちょっと我慢してください。いや、あなたはまだ我慢できるし、我慢すべきだ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_keibetsu.gif)
~1時間後☆~
患者A:「せ、先生。あれからもう十時間もたった気がします。お、お願いですから、モ、モモ、モルヒネを……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0210.gif)
医者:「Aさん、まだあれから一時間しか過ぎてませんよ?まったく駄目な人だなあ。もう少し我慢できるでしょ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0206.gif)
~2時間後☆~
患者A:「せせ、先生。モモ、モルヒネ……た、頼みます。お願いですから……
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医者:「そうだなあー。ま、もう一時間くらいしたらね。そんじゃまたー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/sayonara.gif)
~三時間後☆~
患者A:「せせ、先生。モモ、モル、モルヒネ……
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医者:「うーん?よく聞こえなかったなあ。でもそろそろ呂律もまわらなくなってきたみたいだから、そろそろモルヒネ使ったほうがいいかな。良かったね、Aさん。さあ、これがお望みのモルヒネ……オピオイドですよ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_grin_m.gif)
患者A:「(言葉もなく、安堵の涙
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
もちろんこんなお医者さん、いるわけないんですけど(^^;)、昔漫画で「痛いからモルヒネを使ってくれ」とヤクザみたいな患者さんが言ってて、その人がヤクザみたいな人なもんだから、麻薬を使って欲しくてたまらない……みたいにまわりの看護師さんにも思われ……みたいなのを読んだことがあります。
実はこれ、日本の医療現場でそう簡単にモルヒネを使ってもらえない現状に異を唱えるといった漫画だったんですけど、わたしがこの漫画の載ってた雑誌を読んだのって1980年代くらいだったように記憶してます。
まあ、今はこんなこと、日本でもなくなったとは思うんですけど……でも実際はがんじゃなくても、手術後の夜に尋常ではない痛みに襲われたにも関わらず、看護師さんには「少し大袈裟なのでは?」的に扱われ、結局何もしてもらえなかった、また、翌日の回診で医者に痛みを訴えたらすぐに痛みどめを使ってもらえたのに、なんできのうの夜にすぐそうしてくれなかったのか……といったようなことは、退院後の患者さんの苦情として聞いたりすることがありますよね(^^;)
それはさておき、体のどこかに痛みがあって、それが自分の人格すべてを奪うほどに強いものだと、まともな思考能力は奪われ、その痛みをとにかく感じ続ける以外にその方には他に出来ることがなくなる……これが「その人の人格さえも奪うがんの痛み」ということなのではないかと、個人的には想像しています。
そして、次に社会的苦痛ということですが、これもある程度想像できる気がしますよね。
当然、がんになれば治療のために会社を休んだり、奥さんや家族に心配をかけたり、何分治療費もかかることですから、色々な不安やストレスが増大します。
これもわたしに体験がないので、軽々しいことは言えませんが、でもやっぱりまわりの人に「実は自分、がんなんだー」みたいに告白するのって、とても勇気のいることだと思うんですよね。
それが仮に家族でも、子供さんが小さかったら奥さんにだけこのことを伝えて、本当にかなりのところ悪くなってからでないと子供たちには言わないとか、それが自分の両親でも、父親なり母親なりも別の病気で入院加療中だったりした場合、心配かけたくないと思って、手術が成功してからそのことを伝えるとか、ケースバイケースで対応しなくちゃいけないというか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
他に、それが会社の同僚でも友達でも変に心配かけたり同情されたくない……とか、色々あると思います。そして、真実を伝えていない、伝えられない相手に対してはがんという病気があって責めさいなまれていても、「これまでどおり」、「いつもどおり普通」に振る舞わなくてはいけないこと……このことも本当にストレスとして大きいと思うんですよね。
ただ、これもがん患者さんの実際にあった体験ということなんですけど――まわりの人に「がんだ」と言ったら、突然自分に嫌なことばかり押しつけていた上司が優しくなり、それまでは家事ロボットのように見なされていた感のある家族もみんな優しくしてくれ、PTAや町内会の面倒な役割も一切まわってこなくなった……がんになるというのは嫌なことだけど、どんな不幸にもやはり、少しくらいはいいところがある……みたいにおっしゃってる方もいました(^^;)
それとやっぱり、金銭的な問題も大きいですよね。がんって治療に一体どのくらいお金のかかるものなのか……また、特殊ながんの特殊な治療で、もしお金が続かなかったらそれは諦めるべきなのか、それとも借金してでも望みに縋って治療を続けるべきなのかとか……がんになった部位、どのステージなのかによっても色々あると思うんですけど、やっぱりがん保険に入ってるかどうかって大きいのかなって思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
なんにしても、健康であったら出て行かない分の出費がある、その部分の負担が大きければ大きいほど「金銭的苦痛」もまた増大する……この部分も大きなストレスだと思うんですよね。
そして次に精神的苦痛ということですが、「不安・不眠・うつ」って、それはこれだけのものがのししかっていたら、当然不安で眠れなくなり、うつになるのも当たり前……といったように思うんですよね(^^;)
ここから次に「スピリチュアルペイン」ということに触れたいと思ったんですけど……なんかここまででも随分長くなってしまったので(汗)、「スピリチュアルペイン」についてはまた次回以降にまわしたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!
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