神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

わたしは神の子。

2022年08月19日 | キリスト教
【聖母子(書物の聖母)】サンドロ・ボッティチェッリ


「わたしは神の子」なんていうタイトルだけ見ると、「なんだコイツ、ヤベェ奴だな」といった感じですが、もちろんこれはイエスさまのことです(^^;)

 イエスさまの肉体上の死因は十字架上での窒息死ですが、何故十字架にかかることになったかの原因は……極簡単につづめて言えば、「自分のことを神の子であると名乗ったから」ということでないかと思います。そのことが宗教的権威者らの反感を買い、逮捕されて死へと売り渡された……ここに弟子であったユダの裏切りが関与していたことは、超有名なエピソードと思いますので、特に説明もいらないほどだと思います

 普通に考えた場合、「わたしは神の子です」と名乗ったとしても……「あいつ、頭おかしいんとちゃうか?」と、頭の横あたりにクルクルパーを描かれる程度で終わりそうです。けれども、イエスさまは霊的権威者として、人々の罪を赦し、病いの癒し、悪霊の縛りからの解放といったことを行い――自分が確かに神の子である、救世主(メシア)であるという証しの数々を行なっていたわけです。そこで、とても贅沢な暮らしをしていたパリサイ派といった宗教権威者たちはイエスさまの民衆の大人気に嫉妬し、さらにはこのままでは自分たちの地位も危ういと感じて……一計を案じたわけですよね。

 けれど、それが成功してイエスさまが十字架におかかりになったのは……旧約聖書に書かれたメシア預言が成就するためであり、「時がきた」ことがわかっていたイエスさまは、あえて自ら逮捕され、さらし者となり、恥辱を受け、十字架上にて苦しみの極みを味わわれました。

 そして、こうしたことすべてが起きたのは、実にわたしたち人間のため、御父なる神の人間に対する愛のためでした。イエスさまには無論、この御父に背くという自由もあったと思います。けれども、そうした悪魔(サタン)の誘惑にも屈せず、御自身の御父からの使命をまっとうされ、今はもともといらっしゃった天において「永遠の勝利者」として、この同じ勝利に与ることが出来るよう、人々を招いておられます。

「イエスは神の子」という言葉は、たぶんノンクリスチャンの方でもなんとなーく聞いたことのある言葉ではないかと思います。実際、わたしも自分がクリスチャンになる前、某看板(笑)にそう書いてあるのを見ては、「やっぱりキリスト教っておかしいよねえ」みたいにぼんやり思っていたものでした。

 けれども、このイエスさまの十字架の血の贖い、そして三日後の復活を信じる者は、やはり同じように「神の子」としていただけるのです。イエス・キリストはその長兄であり、それ以後の信者たちは血の繋がりはなくても、同じ聖霊を受けているという意味で、霊的な兄弟であり姉妹であるというわけです。

 イエスさまは神の子として、すべての人間のもっとも最上の地位におられるのと同時に、わたしたちの中で、もっとも最下位の者でもあります。クリスチャンの方の中にはもしかしたら、こうした表現の仕方というのは聞いたことがない……と激怒される方もおられるかもしれませんけれども、神さまはわたしたち人間の中でもっとも尊ばれない者、もっとも下位の者、社会的地位の低い者、ひとりぼっちで孤独な人など、そうした人々を一番下のところで受け止めてくださる方だ――という意味で、御父なる神の右の座、その最上の座におられるのと同時に、自分が一番最下位の地位にも就くことで、この世のもっとも低い、貧しい地位にいる人々よりも下の場所でそれらの人々をしっかり受け止めてくださる方でもあるわけです。

 イエスさまはお優しい方なので、一番最後の者、一番下の者を作りません。そこに御自身か天使を遣わすことによって、むしろそのような人をこそ助けてくださいます。


 >>主は巌、わがとりで、わが救い主、
 身を避けるわが岩、わが神。
 わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
 ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、
 私は、敵から救われる。

 死の綱は私を取り巻き、
 滅びの川は、私を恐れさせた。
 よみの綱は私を取り囲み、
 死のわなは私に立ち向かった。

 私は苦しみの中に主を呼び求め、
 助けを求めてわが神に叫んだ。
 主はその宮で私の声を聞かれ、
 御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。

(詩篇、第18編2~6節)


 また、こうした神さまの喜ばれることに協力する者、助ける者、祈る者のことをこの上もなく祝福してくださいます。このイエスさまに、これからも栄光が永遠にありますように!!

 それではまた~!!






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