この海ドラを取り上げようかどうしようかちょっと迷わなくもなかったんですけど、あんまり深い意味のあるものではないと思ってお読みくださいませm(_ _)m
>>『ウォーキング・デッド』は、ゾンビによる世界の終末を迎えた後の物語であり、荒廃したアメリカ合衆国で安住の地を求めてアンデッドの集団から逃れつつ旅をする少人数のグループを描く。シーズン1は主にアトランタ都市圏を舞台とするが、シーズン2からシーズン4は、ウォーカーから逃れてジョージア州北部地方に舞台を移す。ウォーカーはあらゆる生き物をむさぼり食い、噛みつかれると人間は感染する。ウォーカーの群れ、事故、そして生存者による略奪など、敵意に満ちた世界で日々直面する試練にもめげず、グループが人間性を保とうと奮闘するジレンマが主に描かれる。
グループは、ゾンビが大発生する前はジョージア州の小さな町の保安官代理をしていたリック・グライムズが率いる。グループは、社会が崩壊した世界で、ウォーカーの恐怖、グループ内の力関係の変化、そして自らの生存だけを考える数少ない生き残りの人間たちに直面する。
(ウィキペディアより☆)
『ウォーキング・デッド』の中で描かれている世紀末・終末的世界観と、聖書の黙示録などで描かれているそれとは矛盾していると思うのですが、世界の人口が激減するというところや、そのような世界で人々がどう生き残っていけば良いのか……という点については若干共通点がなくもないように感じられ、なんにしてもとにかく色々考えさせられるところの多い、とても面白いドラマです
ここのブログはキリスト教や聖書について語る――といった主旨のブログですので、ここではそちらの観点の切り口からお話ししていきたいと思うのですが、登場人物のひとりにハーシェル・グリーンというおじいさんがいて、まわり中ゾンビだらけ、また今生きている人間はみな死ぬとゾンビに転化するという恐ろしい世界でも……彼は最後までキリスト教に対する信仰を捨てませんでした。
ゾンビに足を噛まれて失うという、壮絶な経験をしたそのあとですら、です。また、自分の娘たちにもそのような神を信じる心を伝えているようなところもあるのですが、その彼ですら「わたしは死後の復活を信じていますが、このような形では……」と言う場面があったりと、時に信仰が揺らぐことがありつつも、ハーシェルさんは神さまの信仰をまっとうするような形で亡くなったのではないかと、そんな気がします(^^;)
何分、善人ほど死ぬことになるというドラマ設定のゆえ、そうした傾向にある人ほどすぐ亡くなってしまったりするのですが、一方悪人のほうもまた己の悪行のゆえにというよりも、善人と大体同じ割合で死んでいく……という、ドラマ全体の印象としてはそんな感じでしょうか。つまり、善も悪も関係がない、人は追いつめられた時、生き延びるために極限状態の中で何をするかわからない、ケモノのような存在である――ということなんですよね。
主人公の元保安官だったリック・グライムズさんをはじめとする、ドラマの主要人物たちもまた、<善>というか、とにかく善的な立場で物事を運ぼうとする、いわゆる「いい人」たちです。けれど、世界は元あったようには機能していませんから、スーパーやドラッグストアなどで必要な物資を調達するといったことが必要であり、そうして溜め込んだ物資を他の人々に奪われたり、また自分たちでも奪ったりと……物語が進むにつれ、そうした傾向がどの人々にも顕著になり、それが当たり前のことのようになっていきます。
外には生きている人間の生肉を喰らうゾンビたちが数え切れないほど徘徊しているため、残された人類はお互いに助けあって結束すべきなのに――やはり、ここでもいくつかのグループの中で対立があり、このような非常事態であるにも関わらず、「やっぱり人間は人間だなあ」といった事態が続いていくんですよね。
わたし今、シーズン4まで見終えて、シーズン5の最初のほう見てるのですが、とにかくシーズン4が終わったところで(いえ、もっとそれ以前から^^;)、ひとつの結論が出ているといっていいと思います。それはとにかくただの善人は馬鹿を見て、早死にするだけということです。
主人公のリックサイドの人々もいい人ばかりではあるのですが、色々な事態を経験するにつれて、通りで人が「誰か、助けてくれーッ!!」と叫んでいても、そう簡単には助けないというようになっていきます。それは、最初はほとんど条件反射的に誰彼構わず助けようとして痛い目を見てきたという経験によるものであり、また、転化してゾンビになった人々に対しても最初は憐れみの気持ちというか、そういうものがあるのですが、だんだんそんな状態にも慣れてきて、かなりのところ冷酷というか、冷淡にもなっていくというか。。。
たとえば、生前は見ず知らずの人のゾンビでも、(この人もある人の娘であり息子であったのだろう……)といったようなある種の哀れみから弔いの気持ちも込めトドメを刺したりといったことはだんだんなくなっていきます。何故かといえば、殺しても殺してもゾンビは数が減るように見えませんし、銃弾の数も限られていれば、またナイフで頭を刺して殺すといった場合もその労力が惜しいといった事態の場合、当然放っておく――というのが、<適者生存>の当たり前の掟だからなんですよね。
生きるか死ぬか、喰うか喰われるかといった世界では、もう善は悪であり悪は善であるといったような、もう訳のわからない混沌とした事態となっていきます。主人公のリックサイドから見て、敵とされる人々にもそれぞれ事情があり、かなりのところ同情すべき点も多いことから、そう考えた場合、見ているわたしたちにしても「悪とはそもそもなんなのか」ということが、まるでわからなくなっていきます。
聖書では、悪人には神の裁きとしての報いがあり、善人には神さまからの良い報いがあるとされていますが、こうした聖書的価値観が『ウォーキング・デッド』というドラマの中では崩壊しているといっていいと思うんですよね。登場人物の中に、キャロル・ペルティエという元は敬虔なキリスト教徒の女性がいるのですが、彼女もまた神に祈ったにも関わらず娘を失うという経験をしていますし(ゾンビに転化してしまった)、その後キャロルの信仰心がどうなったかはわからないのですが、「汝、殺すなかれ」といった十戒の言葉のことなどは彼女の頭から今やすっかり消えているように見受けられます(^^;)
いえ、日本と違ってアメリカはキリスト教国ですから、いくらフィクションとはいえ、かなりのところ苦情のメールや電話などが来ているんじゃないかな……と思うんですよね。というのも、聖書の終末的世界観とは明らかに異なるわけですし、<このようなひどい事態になっても神は救いになど来ない>という暗いメッセージを多くの視聴者の方が受け取ることになると思うからなんです。
もちろん、表現の自由といったことや、「フィクションの作品にそんな目くじら立てるなっての☆」というのが主流の意見とは思います。わたし自身も「それはそれ、これはこれ」といったような感じで、ドラマを楽しんで見ていますし……。
そして、「神などいない」、「神になど祈っても無駄」……といった殺伐とした世界ではありながら、それでも微かな希望として、人々は天国といったことを信じていないわけでもないというか。はっきりと登場人物の誰かがそう語ったというわけではありませんが、お話の雰囲気として、少なくともわたしはそう感じました。
ようするに、ゾンビに転化してしまった人々にも魂といったものは当然あって、その魂は死んでから転化するまでの間に天国、あるいはどこか別の死後の世界へと運ばれていく……といったように人々の間ではそれとなく信じられているのではないでしょうか。
そして、転化したあとの肉体というのは魂のなくなった抜け殻のようなものだから、それは始末することになっても仕方がない、というか。ただ、自分的にやっぱり、このあたりは若干矛盾があって、その矛盾に人々はみんな気づいているものだから、あえて言葉にしては誰も触れない――といった印象を受けます。
死後の世界の天国があるのなら、やはり当然神という存在もいるはずなわけです(少なくともキリスト教では絶対にそうです)。けれど、その神は生きている人間の世界にはまったく無関心で、人間がどんなひどい死に方をしようとも、放っておいてある……でも、死んで魂となった人間のことは受け入れて、地上とは違ってなんの悩みもない世界で憩うことを許されているって、絶対なんか変ですよね(^^;)
けれど、そんな中でも人々は天国や神といった思想からは離れられないわけです。これは「いやますっかり無神論となった」人であっても、自分の大切な人は今天国にいる……といった考えを持っている場合が多いでしょうから、神はおらずとも天国は存在していると考えているということですよね。
正直、見はじめた頃は、「ゾンビばっかり出てくることの繰り返しでシーズン7まで続いているだなんて、見ている途中で飽きてこないのかなあ☆」などとぼんやり思っていたわたしですが、何分人間ドラマや登場人物たちの心理描写が実に濃く面白いため、まるで飽きるということがありません。
そして、最終的にこの地獄ような世界は救いを見ることが出来るのかどうなのか――最後どうなるのかがまるで予測がつかないだけに、今後も一話一話大切に見ていきたいと思っています♪(^^)
それではまた~!!
P.S.うわ~!きのう見た回(シーズン5の第2話)に、牧師さんが出てきました!!(聖公会の牧師さんです。神父さんと訳されてましたが、この場合どちらでも間違いではないですよね??^^;)。なので、わたしのこの感想文は、その前回の分までの感想ということでよろしくお願いしますm(_ _)m
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