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ええと、自分的に今年最初の記事(しかも1月1日
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というか、ひとつ下の「宇宙人・悪魔・幽霊」については、書いてたのは年末の二十何日かだったと思います。それで何かと忙しく、ちょっと時間を置いて読み返したのがたまたま1月1日だったというか
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それで、神さまの愛の深さについてなのですが、「すべての人間は公平ではないし、人生は何かと不平等だ
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わたしの持っている大好きなクリスチャン向けの本にも、次のようなことが書いてあったりします。「神さまはあなたを愛しておられる」とか、「神さまはあなたを唯一無二の者としてデザインし、他にふたりといない存在であるあなたのことを愛しておられる」といったように。
わたし、この本に書いてあることが大好きですし、著者の方も素晴らしい方と思うので、これは内容批判ではなく、こう書いてあっても、クリスチャンと呼ばれる人々でさえ「いやまあ、一応建前上はそうなんだけれども……
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まず、デザインということであれば、性別や容姿その他、わたし自身は神さまに文句言おうとまでは思わなかったにしても、「絶対これじゃなきゃいけなかった」とまでは思わない――という方は、おそらく多いのではないかと思います。また、「もっとイケメンに生まれたかった」とか、「次に生まれ変わったら絶対美人に生まれたい」とか、生まれつき何かのご病気を持っておられたり、障害があってとてもつらい思いをしながら成長した……など、自分が選択できなかったことについても、キリスト教では究極「神さまに感謝すること」が推奨されています。
つまり、「神さまがわたしを愛してるなんてほんとかな?
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わたし自身が思うに――おそらく、神さまの愛というのはむしろ、そうした表面的なところを突き抜けたところにこそ存在するのではないか……と、実は思っていたりします。キリスト教では「すべての人は罪びとである」と言われるわけですけど、そうした人間の罪性といったものは、神さまの聖らかな目にはおそらく「見たくもない、汚らわしく醜いもの」でしょうし、肉が腐ってカビが生え、ひどい匂いを放つその上をハエが飛び交い、それらが卵を産みつけ、ついにはウジがわく――というくらいのものではないでしょうか。
でも、神さま、イエスさまはそのような人間の醜い罪性含めて「ありのままのあなたを愛している」とおっしゃってくださる。普通の人間の感覚で言えば、(神さまに対してなんとも不敬な言い方ですが)「おめえ、頭おかしーんでねえの?
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ところが、創造の原理ということを考えてみると、ウジもハエもカビも、牛や馬、羊その他の動物の肉、動物そのもの自体を創ったのは神さまということになります。野生の動物の世界は弱肉強食で、テレビでドキュメンタリーを見ていても、その過酷さというのは時に目を覆いたくなるほどのものさえあります。わたしたちはライオンが鹿を襲ったりするのを見ると、「可哀想」と思いますし、どの生物にも大体天敵に当たるものが存在して、そんなふうにしてこの地球という惑星では生命が循環しています。
その昔、自然の多い山のほうへ出かけていって、イチゴが実っているのを見、持ち帰って来ようとしたことがありました。子供らしい考えで、そのイチゴを根の深いところから苗ごと持ち帰り、家の庭にでも植えれば……またイチゴが実るのではないかと単純に考えたわけです。でもそれはヘビイチゴで、ザクっとシャベルで掘り返してみると――もう、気味の悪いくらい根のところを何十匹もの蟻が蠢いていました
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地中には他にもミミズやダニその他、一般的人間の感覚として「おえっ☆
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わたし自身は自分が、「最低でも地中のダニよりは少なくともマシであろう
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実際のところ、今のように我々人間が誕生する遥か昔、地球は昆虫だらけの(わたしたちの価値基準にしてみれば)恐ろしい惑星だった時代もありますし、恐竜が滅んだのはある日突然神さまに愛されなくなったからだ……とも思いません。またその後、恐竜に踏み潰されるなどして絶滅しなかったのが不思議なくらい小さな我々のご先祖さまが――過酷な環境を生き抜き、今日の姿にまでやがて進化した……というのは、まさしく奇跡としか思われません。
まあ、キリスト教は進化論を否定してると思いますが、個人的にはそう矛盾しないような気がしています。進化論を取った場合においても、人間……というより、この地球に生命が誕生し、我々のような知性を持つ存在になるまでには、途方もない時間がかかっています。でも、ここまで神さまが人間というものを大切に育んでくださったにしても、わたしたちは自分の今日・明日・明後日、あるいは三か月後や半年後や一年後などにこれこれのイベントがあるといった、そんな短期スパンの出来事のほうが遥かに大切としか思えず、事態が悪いほうへ転がるたび「どうにかしてよお、神さま~っ!!あんた、わたしたち人間を創ったんだから、どうにかする責任っつうもんがあんでしょうが!!
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以前、イスラエルの牧師さんのレオン・マジンさんが、礼拝メッセージの中で「神さまと我々とは、たとえばアメーバと人間、人間とボールペンというくらい差がある」みたいにおっしゃっていたことがあって、自分的にポイントとして物凄くよくわかりました(笑)。我々がアメーバだったりボールペンであったとすれば、到底神さまの創造の深い真意といったものは理解出来ないでしょうし、神さまが本当はそのくらいかけ離れた存在だというのではなく、自分たち人間と同じ、ある限定された思考回路しか持たない存在として同列に捉えようとするからこそ――「なんでえ~っ。神さまって意地悪~!!ぴえ~んっ!!
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ただ、神さま、イエスさまの愛の深さ、その偉大なところは、「そんなこともわかっているよ、我が子よ」とおっしゃってくださるところだと思います。イエスさまのことを信じる告白をし、聖霊さまを受けると、内住してくださった聖霊さまが、真理の解き明かしをしてくださって、目からうろこが落ちるように霊的な分野に関しても必ず成長させてくださいます。
特にその時、「何が必要」ということもなく、ただイエスさまが十字架上でなされた血の贖いは自分の罪が赦されるためだったと信じればいいだけというところも……そして、その時には「聖霊の内住ってなんじゃろう?
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それではまた~!!
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