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「宇宙人・悪魔・幽霊」、この三者の共通点はたぶん、この三つとも今のところ科学的にはその存在が証明されていないということだと思います。
でもこの三者とも、「絶対にいる」とする信者(?)の方がたくさんいらっしゃり、意外にこの三つの中で人気ないのって悪魔かなあ
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たとえば、漫画やアニメの世界における悪魔って、今もすごく大人気と思います。でも、死んだあとに地獄というものがあって、そこで本当に悪魔が三椏の矛みたいなものを持ってて、人間を火の池にスープの具よろしく何度も叩き込むとか……生前悪いことした人は、こんなふうになりますよ、とかいうのは「え~、今時流行んないから、そーゆーの☆
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また、「宇宙人はいると思うかい?
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宇宙人はいるともいないとも今のところ断定できないものの、もしいたとして、地球までやって来ていたとした場合、それは相当高度な文明を持っており、地球側はこちらと何か戦争といったことになった場合、まず持って勝ち目はないそうです。
何故かというと、今現在地球から確認できる限りにおいて、「生命がいそうな星」、「いる可能性がある星」から地球までやって来る、さらにその外側から宇宙船的なものに乗ってやって来たとした場合――そんなにも遠くから地球へやって来ることが出来る技術があること自体、相当高度な、地球文明より何倍、何十倍、何百倍もの進んだ科学技術を持っているということであり、戦争になった場合、映画で描かれるような形で勝利するとか、まずもって難しいということになる……ということだったと思います。
また、「宇宙人に攫われた」とか「妊娠させられた」とか、そうした事柄について精神の問題として片付けるのはわたし自身「ロマンがないなあ」と思ったりする部分もあるわけですけど、ある一定数そうした主張をされる方がいるというのは事実と思います。また、「イエス・キリストは宇宙人」といったように捉えている宗教もあると聞いたりするわけですけど、その場合もしかして「キリストの再臨」というのは、イエスさまが宇宙船的なものに乗って自分の信者を迎えに来る――といったような解釈なのかどうか、ちょっと調べてみたいと前から思ったりしてます(^^;)
まあ、宇宙人については実在が確認されてから考えればいいのでは……という意味で、次が悪魔(サタン)と呼ばれる存在で、キリスト教の場合はおそらく、幽霊というのも悪霊であるとして、この勢力の範疇に入れるのではないか、と思うんですよね。
また、悪魔というのは、キリスト教のみならず、仏教、イスラム教などにおいても言及のある点が面白い点と思うわけですけど、そうした存在が「なんかいるな」とは思う――ということについて頷かれる方というのは、これだけ科学の進んだ現代においても結構いらっしゃると思います。
それと、日本の場合は幽霊に関して言えば、「自分の目で見ない限りは絶対信じない」とか、「幽霊とかそういう現象について、絶対信じなさそう」な方の中にも、「いる」と信じてる方はある一定数必ずいると思います。というのも、「そうした事柄についてまったく興味がなかった」、にも関わらず、ある建物で暮らして以来、明らかに幽霊に足を引っ張られるであるとか、おかしな経験が続いたことで「オレ、絶対信じないんだよ、そーゆーの
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それで、今回の記事で何が書きたかったかというと、そうした存在にどの程度実害があるか、ということだったりします。たとえば、よく旅館とかホテルの△□号室には「出る」という噂があって、最初は「うっそだあ~
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それはさておき、クリスチャンの悪魔・悪霊に対する対応は、ノンクリスチャンの方には馬鹿らしく聞こえることと思いますけれど、「イエス・キリストの御名において命じる!悪霊よ出てゆけ!!」とか、「イエス・キリストの御名において命じる!悪霊よ、去れ!!」といったように叱りつけて命令する、というものです(^^;)
(^^;)なんて書いてしまいましたけれども、イエスさまの御名に力があるので、映画かドラマのように「ぐわあああ~!!こりゃ参った、勘弁してくれや~
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それで、「やっぱりちょっとこの人、頭おかしいよな
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いえ、以前精神科医の先生の本だったと思うのですが、患者さんに催眠療法を行う過程で、そうしたサタン的な存在というのがご本人の潜在下に存在するということがあるということでした。わたしも詳しい記述について忘れちゃったんですけど、「小さい頃から自分はあーでこーでそーで、なんともついてない。損ばかりしてる。少しもいい人生じゃなかった
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ここまでなら、誰でも多少なり心当たりがあるというか、何人かでトランプゲームをしてると、何故自分のところに必ずジョーカーがやって来るのだろうか……といったような、引きの悪い人生を自分は生きてる――みたいに感じることって、そこまでならそれほど特別なことじゃないかもしれません。でも、この女性はようするにある種の不幸のループに嵌まり込んでいて、実際「次はああしてこうして今度こそ頑張ろう!
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また、この女性は腰痛を抱えていて、「こうしたことの上に、自分は腰に痛みまである。嗚呼、わたしという人間はなんて不幸なんだろうか……
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この催眠療法については、カウンセリングを受けた方が前世を言い当たられたり、誰も知らないはずの心の秘密を言い当てられるなどして、カウンセラーの人に多額のお金を騙し取られたりで問題になってたと思うのですが、この精神科医の先生はそういったおかしな先生ではないと思いました。とりあえず、本を読んだ限りにおいて
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ただ、この女性がその後亡くなってしまい、この先生は「そのほうが彼女にとって幸福だったと思う。あのまま不幸な人生を続けていくよりは……」的なことを書いておられて、わたし自身は「う゛~ん」と思ってしまったんですよね。
信じる・信じないについては、ノンクリスチャンの方は複雑に感じられるかもしれませんが、「イエス・キリストの御名」に力があるというのは本当のことです。霊感の強いお坊さんなどが、幽霊の出る建物までやって来て除霊するとか、わたしもテレビで見たことありますが、キリスト教徒には「イエスさまの御名に頼ることが許されている」という大きな特権が与えられているわけです。
わたし自身は、その本の中に出て来た女性は「サタンの縛りのきつい女性」だったのだろうなと思いますし、そうしたなんらかの悪い霊が取り憑くなどしていて、人生において苦しみばかりがある……という方が、イエスさまのことを信じて霊に解放を受けるということが、本当にあります。
自分的にも、「年始の記事がこれで良かったのかしら
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それではまた~!!
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>>悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。
これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
(エペソ人への手紙、第6章11~18節)
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