神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

宇宙人・悪魔・幽霊。

2024年01月01日 | キリスト教

「宇宙人・悪魔・幽霊」、この三者の共通点はたぶん、この三つとも今のところ科学的にはその存在が証明されていないということだと思います。

 でもこの三者とも、「絶対にいる」とする信者(?)の方がたくさんいらっしゃり、意外にこの三つの中で人気ないのって悪魔かなあ……と思ったりしなくもありません。

 たとえば、漫画やアニメの世界における悪魔って、今もすごく大人気と思います。でも、死んだあとに地獄というものがあって、そこで本当に悪魔が三椏の矛みたいなものを持ってて、人間を火の池にスープの具よろしく何度も叩き込むとか……生前悪いことした人は、こんなふうになりますよ、とかいうのは「え~、今時流行んないから、そーゆーの☆」みたいなイメージがあります、なんとなく(^^;)

 また、「宇宙人はいると思うかい?」と聞かれた場合、「いない」と答えたりすると、なんかロマンを理解しない人みたいに思われそうですし、幽霊は現実問題として「いる」と思ってる方はたぶん多いと思います。ただ、キリスト教の場合はこの幽霊もまた「悪魔(サタン)・悪霊」の範疇に入れてしまうので、ここからは一般的にクリスチャンの人々はこんなふうに考えるらしい……といったような話だったりします。。。

 宇宙人はいるともいないとも今のところ断定できないものの、もしいたとして、地球までやって来ていたとした場合、それは相当高度な文明を持っており、地球側はこちらと何か戦争といったことになった場合、まず持って勝ち目はないそうです。

 何故かというと、今現在地球から確認できる限りにおいて、「生命がいそうな星」、「いる可能性がある星」から地球までやって来る、さらにその外側から宇宙船的なものに乗ってやって来たとした場合――そんなにも遠くから地球へやって来ることが出来る技術があること自体、相当高度な、地球文明より何倍、何十倍、何百倍もの進んだ科学技術を持っているということであり、戦争になった場合、映画で描かれるような形で勝利するとか、まずもって難しいということになる……ということだったと思います。

 また、「宇宙人に攫われた」とか「妊娠させられた」とか、そうした事柄について精神の問題として片付けるのはわたし自身「ロマンがないなあ」と思ったりする部分もあるわけですけど、ある一定数そうした主張をされる方がいるというのは事実と思います。また、「イエス・キリストは宇宙人」といったように捉えている宗教もあると聞いたりするわけですけど、その場合もしかして「キリストの再臨」というのは、イエスさまが宇宙船的なものに乗って自分の信者を迎えに来る――といったような解釈なのかどうか、ちょっと調べてみたいと前から思ったりしてます(^^;)

 まあ、宇宙人については実在が確認されてから考えればいいのでは……という意味で、次が悪魔(サタン)と呼ばれる存在で、キリスト教の場合はおそらく、幽霊というのも悪霊であるとして、この勢力の範疇に入れるのではないか、と思うんですよね。

 また、悪魔というのは、キリスト教のみならず、仏教、イスラム教などにおいても言及のある点が面白い点と思うわけですけど、そうした存在が「なんかいるな」とは思う――ということについて頷かれる方というのは、これだけ科学の進んだ現代においても結構いらっしゃると思います。

 それと、日本の場合は幽霊に関して言えば、「自分の目で見ない限りは絶対信じない」とか、「幽霊とかそういう現象について、絶対信じなさそう」な方の中にも、「いる」と信じてる方はある一定数必ずいると思います。というのも、「そうした事柄についてまったく興味がなかった」、にも関わらず、ある建物で暮らして以来、明らかに幽霊に足を引っ張られるであるとか、おかしな経験が続いたことで「オレ、絶対信じないんだよ、そーゆーの」って方でも、自分で経験して「確かにいる」と確信を持つようになった方や、「悪魔だのユーレイだの、バッカじゃねえの?」といったタイプにしか見えないのに、御本人がもともと霊感が強すぎるあまり、幽霊については絶対いると信じている……といったような方とか、色々いらっしゃると思います。

 それで、今回の記事で何が書きたかったかというと、そうした存在にどの程度実害があるか、ということだったりします。たとえば、よく旅館とかホテルの△□号室には「出る」という噂があって、最初は「うっそだあ~」と思った、かなりのところ懐疑的な方が、実際金縛りその他気味の悪い経験をすることはありえると思います。でも、翌日その建物を出てさえしまえば、後ろをついてきたとか、そうした話はあまり聞かない気がします。ただ、引っ越しても引っ越しても、一緒について来るといったケースについて、わたし自身はホラー映画などで見て「実際にありうるんじゃないかなあ」と思ったりはしてます。まあ、「映画かよ!」って話でもありますが(笑)、海外のホラー映画などは、キリスト教の悪魔・悪霊に対する考え方が根底にあったりするので、そうした意味でも見ていて面白いポイントが多かったり。。。

 それはさておき、クリスチャンの悪魔・悪霊に対する対応は、ノンクリスチャンの方には馬鹿らしく聞こえることと思いますけれど、「イエス・キリストの御名において命じる!悪霊よ出てゆけ!!」とか、「イエス・キリストの御名において命じる!悪霊よ、去れ!!」といったように叱りつけて命令する、というものです(^^;)

(^^;)なんて書いてしまいましたけれども、イエスさまの御名に力があるので、映画かドラマのように「ぐわあああ~!!こりゃ参った、勘弁してくれや~」といったようになって出ていくとか、基本的にそうしたことではないにしても、信者の方が実害を受けなくなるっていうのは本当と思います。また、それでも出ていかないとか立ち去らないといった場合は、自分ひとりで対応するのではなく、教会の牧師さんなどに相談してみる必要があると思うんですよね。そうした形でかなり大人数の方に祈ってもらう……ということも、対応策として非常に重要なことだと思います。

 それで、「やっぱりちょっとこの人、頭おかしいよな」と思われかねないことを何故わざわざあえて書くかというと――御本人がもしそれを「悪魔」といったように呼ばなかったとしても、「悪魔(サタン)の縛りのきつい人」というのが、この世界には結構な数いらっしゃると思うので、その解放を祈るということは、個人的に非常に大切なことと思うからなのです。。。

 いえ、以前精神科医の先生の本だったと思うのですが、患者さんに催眠療法を行う過程で、そうしたサタン的な存在というのがご本人の潜在下に存在するということがあるということでした。わたしも詳しい記述について忘れちゃったんですけど、「小さい頃から自分はあーでこーでそーで、なんともついてない。損ばかりしてる。少しもいい人生じゃなかった」みたいな、ある女性が大体カウンセリングのたびに同じ話ばかりしていくということだったんですよね。

 ここまでなら、誰でも多少なり心当たりがあるというか、何人かでトランプゲームをしてると、何故自分のところに必ずジョーカーがやって来るのだろうか……といったような、引きの悪い人生を自分は生きてる――みたいに感じることって、そこまでならそれほど特別なことじゃないかもしれません。でも、この女性はようするにある種の不幸のループに嵌まり込んでいて、実際「次はああしてこうして今度こそ頑張ろう!」と思っていたら交通事故に遭うなど、確かに何か明らかにツイてないというか、そうした不幸のオーラのある人には、人が近づいて来なかったりもして、仕事もすぐクビになってしまったり、何か色々ある。

 また、この女性は腰痛を抱えていて、「こうしたことの上に、自分は腰に痛みまである。嗚呼、わたしという人間はなんて不幸なんだろうか……」といったような話をこの先生の前で何度もしてゆく。それで、催眠療法を施してみたところ、この悪魔というのが言ったそうなんですよね。「この女が惨めな思いをしている時、自分はこの女の腰を突いてやって、さらに惨めにさせてやる。また、前向きに明るい気持ちになってる時にも腰を突いてやる。そうしたらこの女はより一層惨めな思いを味わうことになる」――といったようなことを潜在下に潜む悪魔のような存在がしゃべった、ということだったわけです。

 この催眠療法については、カウンセリングを受けた方が前世を言い当たられたり、誰も知らないはずの心の秘密を言い当てられるなどして、カウンセラーの人に多額のお金を騙し取られたりで問題になってたと思うのですが、この精神科医の先生はそういったおかしな先生ではないと思いました。とりあえず、本を読んだ限りにおいて

 ただ、この女性がその後亡くなってしまい、この先生は「そのほうが彼女にとって幸福だったと思う。あのまま不幸な人生を続けていくよりは……」的なことを書いておられて、わたし自身は「う゛~ん」と思ってしまったんですよね。

 信じる・信じないについては、ノンクリスチャンの方は複雑に感じられるかもしれませんが、「イエス・キリストの御名」に力があるというのは本当のことです。霊感の強いお坊さんなどが、幽霊の出る建物までやって来て除霊するとか、わたしもテレビで見たことありますが、キリスト教徒には「イエスさまの御名に頼ることが許されている」という大きな特権が与えられているわけです。

 わたし自身は、その本の中に出て来た女性は「サタンの縛りのきつい女性」だったのだろうなと思いますし、そうしたなんらかの悪い霊が取り憑くなどしていて、人生において苦しみばかりがある……という方が、イエスさまのことを信じて霊に解放を受けるということが、本当にあります。

 自分的にも、「年始の記事がこれで良かったのかしら」と思ったりしましたが、教会でイエスさまのことを救い主、我が罪の贖い主であると信じ、聖霊さまを受けることで霊に解放が起きる、その時は何も起きたようにもし感じなかったとしても、「イエスさまの霊を受ける」、「聖霊さまが内住されるってこういうことなんだ!」と、その後実感できるようになると、その後だんだんに色々なことが変わってくるという意味でも――福音宣教はとても大切なことだとあらためて強く思います。この腰痛の女性が、教会でイエスさまのことを信じていたら、霊に解放が起き、悪魔が出ていくことで、人生が変わっていったに違いないと、個人的にその本を読んだ時そんなふうに思ったので。。。

 それではまた~!!




 >>悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。

 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。

 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

(エペソ人への手紙、第6章11~18節)






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