
引きこもってる方の場合、家族がなかなか本人がなんらかの病気を持ってることを認めたがらないことが多い……と、以前も聞いたことはあったんですけど、つい先日も同じ話を聞いて、すごくわかるなあ、と思いました。
前回のタイトルは「選択的うつ」というものだったんですけど、ある状況下においてのみというか、その嫌な予定が来月あることを思うと……その一週間前後くらいから気鬱になるとか、そうしたことなら誰でもあるわけですよね。でも、その一か月前からそのことについて思うとガリガリに痩せ細るというくらい思い詰めていたりする場合、それは鬱病や、他のなんらかの精神的疾患が疑われると思うわけです。
二つくらい下の記事のところで、「会食恐怖症」の体験談について書かれた方のページにリンクを貼ったんですけど、こちらも、重度になると家族とでさえ一緒にごはんを食べられない場合があると思います。ただ、家族やごく親しい人であれば症状が出ないか出にくかったりすることから、「実は会食恐怖症で、ランチを一緒にしなくていい職場を基準に職業選択している」とか、打ち明けられても――お母さんやお父さん、あるいは兄弟姉妹にしても、たぶん全然ピンと来ないんじゃないかなと思う、というか。
ただ、引きこもりの方の場合、社会不安障害であるとか、実際に働くということになった途端、鬱病になる、実は幻聴が聞こえているが、家族には黙っている……など、よほど突っ込んで聞かれでもしない限り、「本当はこう思っている」ということを話すことはないんじゃないかと思います。さっき軽くググってみたら、社会不安障害はどうも、社交不安障害と、病名が変わりつつあるのかな、と思ったりしました。社会不安障害は、広くいえば神経症のひとつで、赤面症や視線恐怖症、表情恐怖症、対人恐怖症などがあるわけですが、ここには電話恐怖症も含まれる……ということを、結構前に知りました。
たとえば、会食恐怖症についても、病気としてどういった症状なのか、それが何故働けないことに繋がるかなど、体験談として聞くと、「それはすごくわかる」というようになるわけですけど、病名だけ聞くと「え?それってほんとに病気なの?

今の若い世代の方だと、家に固定電話があったとしても、スマホで話すことが多く、赤の他人から突然電話がかかってくる……というシチュエーションを経験したことがない、あるいは電話で直接話すより、ラインでメッセージをやりとりすることのほうが多くなったことから、社会人になって「電話対応してください」となった時に、反射的に恐怖心が出る場合がある、ということでした。たぶんわたしと同じ世代くらいの方だと「え!?そんな馬鹿な……


また、社会人としてそのあたりのマナーを訓練するとか、特に大きな会社の場合あると思うんですけど、中小企業だと「そんなもん、説明せんでもわかるやろ」程度の感じだったり、先輩が少しくらいレクチャーしてくれて終わりとか、あると思うんですよね。つまり、このあたりのことで失敗やミスが続いてしまったことで、電話が鳴っただけでも動悸がしてくるとか、さらに次に電話がかかって来て、うまく対応できなかったらどうしようという予期不安が高じるあまり、他の業務にも支障がでるなど……本当は事務職に就きたくて、簿記その他資格も持ってるのに、電話対応が唯一ネックになってるとしたら、それは電話恐怖症が疑われるわけです。
その~、もちろん、そんなに病気だなどとも考えず、「電話対応克服しよう!」と思って、テレフォンアポインターであるとか、そうした電話専門の仕事でアルバイトでもしてみようと切り替える方もいらっしゃると思うので、そんなに恐怖症とか、大袈裟にしないほうがいい場合もあると思うんですけど……ただ、会食恐怖症その他、何かの病気に自分が引っかかると、とりあえず自分がその病気でない場合でも、病気の症状の原理は共通しているところがあるので、他のどの症状についてもすごくよく理解できるっていうことなんですよね。
わたし自身は自分が心身症になって唯一良かったと思えるのはその点かもしれません。もっとも、わたし自身、「あれがああで、もしこうだったら」心身症になんてなってないだろうなと思うので、その部分の選択として「心身症になった自分」と「ならなかった自分」のどちらを選ぶかと言えば……親のことや周囲に迷惑をかけるといった観点から見ても、「ならなかった」ほうが良かったんじゃないかとは思います(また、何より自分自身のために)。
ただ、そうなると「会食恐怖症?一体何言ってんの?


それで、電話恐怖症などについても、いつも友達と普通にスマホでしゃべってたら、「仕事の時だけ恐怖症がでる」とか言われても、全然ピンと来ませんよね。でも、やっぱり事務職とかだと、大体電話対応って含まれてくるものだし、「電話対応のない事務職を探してる」とか、ハローワークでも言いにくい気がします。また、そんなことが勤めて三か月くらいで辞める理由になりうるとか、たぶん理解不能と思うわけです。
でも、「あ、そうか。そこさえなければ続くんだ



以前、とある方がテレビで「今の時代ほど傷つくことを怖がっている世代もない」とおっしゃっていたことがあるんですけど……とりあえずわたし、人には体のみならず、<心の閾値>というものがあると思っていて。閾値=耐えられる限界ということですよね。こうした事柄については、「あなたは大して頑張っていない」、「努力してない」、「もっと努力しようと思えば出来るはず」とか、家族や親しい友達でもわからないというか、わかりにくいところがあると思います。
わたし自身は「不登校肯定派」で、「引きこもり肯定派」ではあっても、それでも個人的には「普通が最強」と言いますか、色々問題がありながらも普通に学校に通って、色々問題がありながらもなんとか働ける……ことのほうが一番いいだろうなという気はしてます。とりあえず、今の日本の社会においては、という意味であるとはいえ。
それで、不登校や引きこもりについて肯定してはいても、基本的に、「何もしないで家にいる」っていうのは、危険なことだとは思っていて。もちろん、一日二十四時間あって、「何もしてない」ということはないと思うし、漫画読んでるとかゲームしてるとか、SNSで誰かと繋がってるとか、それはそれでいいと思うんですよ。でも、「家にいてなるべく危険を回避する」とか、「自分が傷つくような選択は一切しない」っていうのも、実はある程度の時間を過ぎると、外に出て人と関わって傷ついたりすることと同じくらい、危険なことになってきます。
少なくとも、わたし自身はそうだったなと思います。人間関係的なことで傷ついたことが引きこもった直接の原因ではなかったにしても、働くことに疲れた……というか、心身症を抱えつつ働くことに疲れたというか、そこの職場は心身症的なことさえなければそのまま勤めていたい病院だったのですが、「そろそろ限界だなあ

でも、ネット関係で、これがうまくいけば、このまま引きこもっていても仕事で収入を得られるかもしれない……ということも駄目だったし、お金がなくなりそうな少し前くらいに再び就職することにしました。で、たったの一年引きこもってただけなのに、次に働こうと思ったら、なんか出来ないことが増えていて。自分でも「なんでだー!?

前にもどこかに書いた気はするものの、この間、農業関係のアルバイトをした時、何かわたし側の悩みを話したということもなく、一緒に同じように働いてた方が、「なんでこのバイト選んだの?」って聞いてきたことがあって。たぶんわたし、「短期バイトで、人間関係がのんびりしてそうだから」とか、何かそんなふうに答えたんだと思います(あんまし覚えてない)。そしたら、彼女のほうでは「結婚して子供産んですぐ離婚した」っていうことだったんですよね。それで、子供を育てていくのに働かなきゃいけないので、お母さんに赤ちゃんを預けて働きに出ていると。「妊娠して一年休んでたら、急になんか人が怖くなってて。妊娠前まではウェイトレスとかショップ店員とか、むしろ得意なくらいだったんだけど……それで農業バイトをとりあえず選んでみたっていうか」といったような話だったんですよね。
ああ、そうか……とか、自分的に思いました。誰でも、一年くらい病気その他で休職するっていうことはあるし、「前はなんなく出来ていたんだから、まあまた出来るだろう」とか思ってても、「何故か出来なくなってる」っていうことは他の方でも実はよくあることなんだと。
つまり、一年くらいでそうなるっていうことは、二~三年か五~六年も引きこもっていたら、むしろ復職時に、就労することに対する反射的恐怖感であるとか、そうしたことを克服するのはもっと大変だっていうことですよね。また、働くっていうことでなくても、とにかくなんらかの形で外部というか、社会というものと繋がってるっていうのは大切なことなんだろうなと思います。
たとえば、どこかの趣味のサークルにだけは唯一参加するとか、そういうことですけど、でも結局人間、「何してらっしゃるんですか?」と聞かれて、「ニートです」とは、答えにくい。だから「何かやってないと」社会と関わっていくのは難しいわけですよね。でもかといって働くのも苦しいし、大変だという……少し前に、ボランティアの方で、引きこもりの方と対話してくださるところがある、と聞いたことがありました。ボランティア団体の方で、引きこもりの方だけじゃなくて、子育てで孤立しているとか、介護の相談とか、専門の方ではないので、「ただ話を聞く」というだけの、ボランティア登録している方の派遣ということでした。
カウンセラーの資格を持ってるといったことではなく、あくまでボランティアとして登録した方が、ただ単に「話を聞く」というそれだけだそうです。そのことをきっかけにして、引きこもってた方が再び就労されたということではなかったんですけど、正直、誰か人に来てもらって「話を聞いてもらう」って、たまたま相性の合う人で、「あの人になら話を聞いてもらいたい」感じの人だったら……すごくいいことなんじゃないかなって思ったりしました。
それではまた~!!

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