神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

脳にとっていいこと。

2018年06月23日 | キリスト教


 前に、某有名脳科学者先生様が、「脳にとって良いこと、良い状態」について、次のように言っておられたように記憶しています。。。

「過去や未来のことを考えるのではなく、<今>を生きる」、「<今>のことだけに集中している」のが、脳にとって一番良い状態、引いてはその人にとっても幸せな状態である、といったように。

 そんで、その時はわたし「へえ~。そんなものかなあ」と思っただけだったんですけど、その後、アスリートの方の生き方などをテレビで見ていて、「あ、確かにそうなのかも!」と思ったことがあり

 いえ、試合や大会のある時に、「<今>目の前にあること」にだけ集中できることがアスリートの方にとっては一番大切なことなんだろうなあ……と、ぼんやり思ったと言いますか(^^;)

 その、これから試合がはじまるのに、試合が終わったあとのことや他の悩みごとに囚われるのはまずいことでしょうし、あるいは過去のことで「あの時ああしていれば」とか「もっと練習してれば」とか不安になったりするのも良くないことなんだろうな……と思って、「<今>目の前にあること」にだけしっかり集中できるっていうことが大切なんだろうなって思ったんですよね(ある意味、馬鹿みたいに当たり前のことですけど^^;)。

 そんで、さらにその後ものすごーく時間がたって、これもまたテレビである女性の面白くて楽しいお話を聞く機会がありまして

 子供って、ただとにかく「<今>を生きてる」らしいんですよ

 つまり、大人になると子供であった頃以上に「過去にこだわりを持ち」、「未来のことを心配するようになる」っていうんでしょうか。

 もちろんわたしも小学生くらいの頃には、「来週ある自由研究の発表、わたしの番だ。どうしよう」とか「来週あるマラソン大会、めっちゃやだな~」とか、何か色々そうした心配ごとについては持った記憶があります。

 でも、小学生の頃に自分が大学生になった頃のことを心配したりとか、専門学校に入るのにこのくらいお金がかかる……とか、そんなに遠くのことまで見通すということはなく、割と時間的に近い頃に起きる事柄について大体は心配しますよね(^^;)

 ところがそれよりもさらに小さい子ってことになると、雨に濡れてもその後風邪をひくといったことはまるで考えず、雨の中泥んこになって遊んだり、また、親にしてみると「そんなことしたら~~になるじゃないの!」みたいに、親(大人)は未来のことを心配してるか、あるいは雨の中で遊ぶにしても、過去のことに遡って「そんな薄着で外へなんで出たりしたの!」と、原因のことを考えるそうです。

 でも、子供は「<今>目の前にあること」しか見てないし、楽しんでない……そんで、親が風邪をひくといった未来のことを心配して怒ったり、あるいは「雨の日に外に出るとしたら、もっと~~しなきゃダメじゃない!」と、過去のことを叱るのを見て、まあ、色々覚えていくわけですよね

 そんでその時にわたしも初めて、「あ、あの超有名脳科学者先生がおっしゃってたのはそういうことかあ~!」と、何か妙に納得したと言いますか(笑)

 大人になると、確かに過去に失敗したことをいつまでもくよくよ悩んだり、未来のことを心配してこちらもくよくよ際限なく悩んだりとかしますよね。。。

 そして、これは「<今>のことだけに集中できるのが脳にいいんだ!」と聞かされて一応理解はしても、これを実行するっていうのが非常に難しい(^^;)

 いえ、ここはキリスト教について何か書くっていうブログなんですけど、わたし的にはやっぱりこれ、マーリン・キャロザース先生の「感謝と賛美の教え」に通じることなんじゃないかなってなんとなく思ったというか。


 >>神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

(ローマ人への手紙、第8章28節)


 >>何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

(ピリピ人への手紙、第4章6~7節)


 >>いつも喜んでいなさい。

 絶えず祈りなさい。

 すべてのことについて、感謝しなさい。

 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

(テサロニケ人への手紙第一、第5章16~18節)


 将来に暗い展望しか見えないようでも、神さまがきっと助けてくださると信じてそのことを感謝し賛美すると、だんだんに<今>に集中できるようになっていくというのでしょうか。

 このことにはちょっとコツ☆がいるとは思うのですが、とにかく毎日祈ったり、神さまとの交わりを深めていくと、自分にとっての「重荷」や嫌なこと、不愉快な出来事、そうしたものをすべて神さまにお委ねしていくことが出来るようになるんですよね。

 その件に関して自分は無力で、何かをどうかする力もない、自分なりに努力もしてみたけれど、うまくいかなかった……かくなる上は、イエスさま、あとはあなたがすべてのことを(良いことも悪いことも)益に変えてくださると信じ、お委ねします――といったように祈り、また自分に起きた不運な出来事についても、神さまのことを褒め称え感謝していきます。

 このことの裏に神さまの最善の計画があると信じます、神さまがこの事態を必ず良いほうへ変えてくださり、しもべに勝利を与えてくださることを信じます……といったように信仰告白し、イエスさまにお委ねしたあとは、なるべくその件についてはくよくよ考えないようにします。

 いえ、そうはいっても悩んでいる時っていうのは、そのことについて考えたくもないのに繰り返し考えてしまうとか心配してしまうとか、不安になりたくなくてもどうしてもなってしまってそのことが頭から離れない……という精神状態なわけですけど、実践しはじめてすぐ実感できなかったとしても、何度も繰り返していくうちにわかっていくという「経験」の領域が間違いなくあるように思います。

 そして、こうした一種のコツ☆を掴むと、「<今>目の前にあること」にだけ集中して、過去に起きたことを繰り返して思い返したり、未来について必要以上に心配するといったことも少なくするということが間違いなく出来るのではないか――と、個人的にはそのように思います。

 わたしもそんなに人に対してエラそー☆に何か言えたりはしないんですけど(汗)、マーリン・キャロザースさんの「感謝と賛美の教え」って、本当に最強だなって、実践しはじめてもう十年以上にもなる今でも、つくづく新しい新鮮さをもってそう感じる日々であります♪

 それではまた~!!





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