神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

自分に甘く、他人に厳しく。

2024年02月29日 | キリスト教
【もしどうしてもと言うなら、甘えてやってもいいが?】


「自分に甘く、他人に厳しく」というのが、わたしの座右の銘です……というわけではないものの(笑)、先日、例によって(?)ラジオからとある言葉が流れてきました。。。

 その番組、わたし毎週聞いてるわけでもなく、その時間帯に家にいたとすれば、なんとなく流れてくることが多い――という感じではあるものの、いわゆる不登校というか、そうしたなんらかの事情によって学校でうまくいかなかったお子さんの通う私立校で、親御さんが卒業の言葉を贈る……みたいな、とてもいい番組だったりします

 親御さんが子供さんが不登校になったり引きこもりになったりしてどうしていいかわからない、怒ったこともあれば、「学校へ行け」とお尻を叩きすぎたこともあった、家にずっといるのをいつまで見守り続ければいいのだろうと悩む日々だった……などなど、そうした過程を経てそちらの私立校へ通い、無事高校を卒業することが出来た――いつもわたし、感動したり、「あ~、その気持ちわかるかわる」みたいに思うことばかりで、「ん?」と思ったことはほとんど一度もないものの――この間、締め括りの言葉として「自分に厳しく、人に甘い人間になってくれれば」みたいに言われていて、そこだけすごく引っかかったのです。

 その~、その文章もきっと何文字以内とある程度決められているのでしょうし、最後のほうで「ええっと、なんとなくそれっぽい言葉で締め括らなきゃ」ということで、何気なく使われた言葉だったのかもしれませんし、そもそもそんな小さなことを云々して責めたい気持ちがあるわけでもなんでもないのです。。。

 ただ、喘息持ちで小さな頃から苦しみの多い子供さんだった……ということだったので、その後も学校でも苦労したり色々あったのだとしたら、「もう自分に厳しくなんてしなくていいじゃないか」と、個人的にはそんなふうに思いました。そのご家庭によって事情はさまざまと思うので、何かエラソーに言いたいわけでもなんでもないものの、わたし、正直言って今まで生きてきて、「あの人は人に厳しいくせに、自分に甘いよなあ」みたいに感じる方って、あんまりお会いしたことないんですよね。

 まあ、ある種のお調子者というか、「わたしもあんなふうにうまく世間を渡っていければいいけど、あの人ほど図々しくはなれないや」みたいな人は、何人かいたとは思います。また、いい意味で、キャラ的に人に甘えるのがうまい人っていうのは確かにいらっしゃると思うんですよね。でもそれより圧倒的に多いのが、そもそも性格的に自分に厳しく、人に優しい傾向にある方のほうだと思いますし、そうした方が「あなたはもっと自分に厳しく、人に甘くしなきゃ」なんてあえて言われたら――「この人、わたしのことなんてなんにもわかってないや」と思う気がする。

 というか、わたしは自分がダメ人間なので、そうした言葉がまず頭に思い浮かばないのみならず、口が裂けても人にそんなことは言えない……と、即座にそうなってしまう感じです。両親とか家族とか、周囲の人見渡してみても、「いやあ、そんなエラソーなことは口が裂けても誰にも言えん。だって、そもそも自分がそんなご立派な人間じゃないんだから」という、何かそんな感じ。というか、家庭内でも職場その他でも、あえて口に出すまでもなくそんなよーな感覚をお互いに共有してる感じっていうんでしょうか。というか、家族の中で誰かがそんなこと口にしたら、それがもし冗談で言われたものでなかったとしたら、マジで喧嘩になります。

 お互い、「おまえなんか過去にあーでそーでこーだったじゃないか」と、なんらかの弱みや傷を持ってる家族なもので、下手すると笑いごとでなく家族崩壊です(^^;)

 いえ、逆にいうと、お子さんにそう言えてしまうということは――そのお父さん自身がきっと、すごく立派な方なんだろうなって想像したりもします。でもやっぱり、もし口に出して言うとしたら……「おまえ、これからは自分に甘く、他人には厳しく生きていくんだぞ」と言って欲しい。それで、お子さんのほうで「お父さん、それ逆じゃない?」と言ってお互いに笑いあうとか。だって、「自分に厳しく、他人に甘く」なんて、言われなくても誰でもわかってることだから。それより、大抵の人は自分に厳しいあまり体壊して鬱病になったり、そっちパターンのほうが絶対的に多い。というより、人との人間関係においていかにうまく甘えられるか――というのが本当は人間関係のコミュニケーションにおいて、この種の人には一番難しいことだから、せめて親くらいには「もっと甘えた、ダメ人間になれ」とでも言ってもらったほうがいいと思う。むしろ子供のほうではそんなことわかってるから、額面通りその言葉を受け止めることはなく、その後もきっと最大限どうにか努力するよ。ただ、そんなふうに言われたとしたら、「お父さん、ちゃんとわたしのことわかってくれてる」とでも思って、嬉しくなるというただそれだけ。

 あ、べつに全然知らないご家庭のことをあれこれ言いたいわけではまるでないのです。単に一般論として、「甘えた弱いダメな人間になれ」みたいに言われて、「だってあの時お父さんそう言ったじゃんっ!!」なんてふうになることはまずもってないのですし、「甘える」とか「弱い」とかって、決してマイナスじゃないんですよ。むしろ、人からよりかかられたり、他人に頼りにされたりすると誰でも嬉しい。誰かに甘えられると、そのくらい信頼してもらえてるんだなと思うし、「オレ、こういうとこ弱くてダメなんだよな~」みたいに、自分の弱さをチラ見せ(?)出来る人のほうが絶対に周囲の人には好かれます。

 その逆に、誰にも心を開かず、周囲には何故か仕事の出来る強い人と思われており、ゆえに弱さなんぞは見せられない、誰かに甘えてよりかかるだなんてとんでもないので、なんでも責任を持って自分で全部やってしまう――やってしまおうとするっていうのが一番マズいですよね。そして、そうとわかっていても、なかなか自分の弱さを見せられない、「赤の他人に甘えるって実際のとこどーやんの?」とか、「心を開くって、そもそもどーしていいのかわからん」とか、新しい環境に飛び込むたび、誰もがみなそんなことで悩むという、そうしたことなのではないでしょうか。。。

 それではまた~!!






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