カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

曹源池庭園、巡る。

2009-07-17 22:44:39 | しゃじ
京都観光の名所でもある天龍寺。嵯峨野、嵐山の中間に位置してることもありますが
この天龍寺には名園中の名園として著名な「曹源池(そうげんち)庭園」がある。
庭園は「大方丈」の西側に嵯峨野や嵐山を借景として展開している。



天龍寺は、後醍醐天皇の霊を鎮めるため、夢窓国師を開山として、
足利尊氏が亀山離宮を禅寺に改めたとされている。
庭園は、開山である夢窓国師の作庭とされていが、亀山離宮の庭園を
利用したとの説もあるようです。



当寺は京都五山の第一位に格付けされている。
ちなみに、第二位以下は相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺の順であり、
南禅寺は五山の上とされている。

天龍寺船による対明貿易により利益を上げ、15世紀前半に最も栄えたが、
足利家の没落や、戦乱により次第に衰退したようである。
一時、豊臣秀吉により復興されたが、幕末の戦火に遇い、建物は明治以降に
再建されたものらしい。

幸い庭園は昔のまま残り、よく手入れされた庭園の花々、紅葉は見事。
それ故、京都観光の人気スポットなのですが、私は初めて・・・(^_^ゞ


修業してる訳ではありません。大方丈から曹源池を眺めているところです。
セコイのが、大方丈や建物を回るのと、庭園を巡るのは入り口も別で
拝観料も別料金。当然ながら往来は禁止されてます。


アッ!スリッパ!・・・知らずに降りて来られたようです。
「写真撮ってくれへん」って事で、家内が撮ってましたが
(↑ちなみに何語だったかは分からず)


セキレイ



半夏生(ハンゲショウ)


捩花(ネジバナ)

















ちょっと涼しげ・・・






山瑠璃虎尾(ヤマルリトラノオ)



半夏生(ハンゲショウ)
















2009.7/12、天龍寺 曹源池庭園にて。

十兵衛は何処じゃ!

2009-06-20 23:37:57 | しゃじ
奈良県 柳生と言えば、言わずと知れた 柳生一族の郷。



柳生一族の墓地を目指して、芳徳寺の麓 紅葉橋の近くにクルマを停めて
旧参道を歩いて行くことに・・・



歩いてと言うより かなりの勾配を登って行く感じ。途中引き返そうかと・・・



この近くに柳生石舟斎宗巖(せきしゅうさいむねよし)の家があったようです。
石舟斎と言えば、宮本武蔵の最強のライバルとして知られてますね。



柳生三厳(みつよし)=十兵衛は石舟斎の孫にあたります。
父は徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた柳生但馬守宗矩(むねのり)。
十兵衛のいとこである柳生兵庫助利厳(としとし)は、柳生新陰流を
完成させたとされてます。兵庫助は徳川尾張家に仕えたため
以後その系統は尾張柳生と呼ばれます。それに対し但馬守の系統
十兵衛の弟、飛騨守宗冬(むねふゆ)は、江戸柳生と呼びます。



やっと芳徳寺に辿り着きました。



ここの境内を抜け、一族の墓は まだ先にあります。

ちなみにこの芳徳寺、宗矩が亡父(石舟斎)を弔うため沢庵和尚を招き
開いたお寺で、京都大徳寺で出家した十兵衛の義母兄弟 列堂義仙(れつどうぎせん)が
初代の住持となる。列堂和尚・・・柳生烈堂。聞き覚えがありますね、
「子連れ狼」公儀介錯人拝一刀(おがみ いっとう)の宿敵、大五郎にとっては
母の仇・・・として描かれたため、悪者イメージ?



そんな事を考えてる内に 一族の墓地へ到着。まるで映画のセットのよう・・・









中央右に写っているのが三厳(十兵衛)の墓。その左、斜め後ろは父、宗矩です。
なお、十兵衛の墓所は東京都練馬区桜台の広徳寺にもあるようです。

波乱万丈の柳生家(武家家伝 柳生氏)
謎めいた部分も多いため、小説、劇画、映画、テレビで数多く描かれてます。
柳生一族の陰謀、柳生武芸帳、魔界転生・・・数えきれないほどです。

The Yagyu Conspiracy - Opening







2009.6/7、柳生の里、芳徳寺にて。

柳生の里イラストマップ


佐々木さ~ん、しゅうごぉ!

2009-05-25 23:58:43 | しゃじ
なんじゃもんじゃの花が咲いているというので見に行った
沙沙貴神社は、滋賀県は琵琶湖の東、蒲生郡安土町にあります。

安土と言えば、織田信長が築いた安土城。そして室町幕府崩壊、戦国時代、
天下統一に努めた織田信長、豊臣秀吉の時代を安土桃山時代って呼ぶので
知られてます。












沙沙貴? 佐々木じゃないのって疑問も・・・
天下の大姓、全国に300万以上あるという佐々木姓のルーツが
ここにあるとみた。

ちょっと歴史のお勉強です。
この神社の由緒、由来はとても古いです。
神社の場合、そこの祭神を見ると由来が分かります。
ここの祭神は四座五柱の神々。

主祭神は「少彦名神(すくなひこなのかみ)」
少彦名神とは神話に登場する神で、国津神の総領である大国主神と共に
国土経営を行った重要な神です。
その少彦名神さまがササゲの豆の鞘(さや)に乗って海を渡って来た伝説から
「ササキ神社」が始まったと伝えられています。

古墳時代の「大毘古神(おおひこのかみ)」は、
当地居住の沙沙貴山君(ささきやまきみ)一族(=少彦名神の末裔)の祖神。
「仁徳天皇」は、その幼名が大鷦鷯尊(おおささきのすめらみこと)。
その名代※(=雀部(ささきべ)と称していた)が当神社に仁徳天皇を
奉祭したとされています。
※名代(なしろ)とは、古代ヤマト王権において、
天皇の死後、その天皇の業績を語り継ぐ部民の総称です。




これが有史前の沙沙貴神社の由来で、これをもって全国の佐々木氏の総鎮守として
沙沙貴神社があるとみなされているのです。
近江國蒲生郡の一帯を古くは「鷦鷯郷(ササキノゴウ)」・
「篠笥庄(ササケノショウ)」・「沙沙貴郷(ササキノゴウ)」・
「佐佐木庄(ササキノショウ)」などと称し、鷦鷯の歴史や、
沙沙貴山君(狭々城山君)の歴史から始まり、
中世以降の「佐々木源氏発祥之地」となっていきます。

さて祭神「宇多天皇(51代)」「敦実親王(あつみのみこ)=宇多天皇の皇子」は
宇多源氏の始祖であり、その一派が佐々木源氏(近江源氏)なんです。

そして佐々木源氏をルーツとする姓は佐々木家、六角家、京極家、朽木家、
黒田家、馬淵家、堀部家、青地家、曲直瀬家、森川家、三井家、乃木家など
二百二十余姓あるとされ、現代もその末裔の篤い信仰を集めているとのこと。







境内の随所に佐佐木氏の「四ツ目結い」の家紋が見られるのも
一族のゆかりの地だという現れでしょうか・・・

年間を通じて祭事も行われるようです。
よくあることですが、ここも岩石信仰が目に付きました。


君が代でお馴染の「さざれ石」(天然記念物)


「少彦名神の磐境」少彦名神が降臨した場所。
立石の形状からなのか、匂玉を模した石が手前に安置されています。


願かけも小さな白い石で・・・


陰陽石(男石・女石)「目をつぶりながら、片方の石からもう片方の石まで
たどり着くことができたら、男女の出会いや縁結びに効果がある」のだそうで。



2009.5/17、沙沙貴神社にて。