カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

中山道 醒ケ井宿。

2010-08-16 21:12:56 | ふぉとスケッチ
その昔、京の都を旅立った旅人が山科から逢坂の関を越えて大津宿を過ぎると近江八景で名高い瀬田唐橋。この瀬田唐橋を渡ると草津の宿。
ここで街道は二つに分かれ、西に向かって石部、水口、土山、坂下の宿場を過ぎ関、亀山から伊勢湾に出て海沿いの道を江戸日本橋に至るのが東海道。
草津宿から琵琶湖に沿って守山、武佐、愛知川、高宮、鳥居本宿、番場の宿場を過ぎ、醒ケ井宿(滋賀県米原市)から伊吹山の南麓を辿って関ヶ原、馬籠、妻籠、塩尻、下諏訪、高崎など67の宿場を重ねる山道を江戸の板橋宿に至るのが中山道であった。
この二つの街道は江戸時代、五街道として数えられるもの。あとの三つは江戸から日光東照宮に至る日光街道。千住から白川に至る奥州道。内藤新宿から石和に至る甲州街道です。

旧街道の宿場町を訪ねて・・・なんて目的は全然無かったので
特別そんな写真は撮ってないのですが、この醒ケ井の町並、風情は
なかなか魅力のあるものでした。


駅や道のあちこちでパンフがもらえます。

「醒ケ井湧くわく街道図」

ここは「伝統的建造物群保存地区」みたいな指定は受けていないようです。
普通に生活の場の町だし、ハウスメーカーの家もあるしね。でもでも
古い宿場を思わせる建物も残っていて、町並もいい感じなんです。






「旧醒ケ井郵便局」
これは大正時代ですね。洋館建ての郵便局、やっぱりこれもヴォーリズ建築でした。今は醒ケ井宿資料館になってます。



「醒井大橋」軽四1台分くらいの長さしかありませんが、
誰が何と言っても「大橋」です。?


「十王水」平安時代中期にひらかれた湧き水。
他に西行法師の逸話が残る西行水と言うのがありますが、見逃した。(^_^ゞ


ちょうど中間地点くらいのところに・・・






冷え冷え~♪



と言うことで、ゲット。↑↓






うん~まっ! 桃の方が旨かったけど。( ゜Θ゜)



何故か美味しいんですよね、こう言うの。買うのは箱に100円入れるだけ。


醤油屋さんが珈琲ショップを兼ねてるところもあります。
みそ、しょうゆ、コーヒーも美味しそうでしたが・・・

こんな幟を見てしまうとね。




「梅花藻パウダー入り」味は? 梅花藻を食べたことないので分からん。
けど、もちろん美味しいソフトでした。



弘法大師像?



「問屋場」


醒井宿資料館になってます。











おまけ。家内が見つけて撮ってました。


僕も同じような色のんを撮りましたけど・・・



終点は「居醒の清水」になりますが・・・次回につづく。





2010.8/8、醒ケ井にて。

るり渓パラダイス

2010-06-18 23:54:00 | ふぉとスケッチ
「Soto dining」に行ったついでに、近くのるり渓温泉にも寄ってみました。
ここは以前、ぽか~んの集いを開催したところ。もう3年前になるのかな。

この日もスイフトのオフ会があったようです。




久しぶりに寄ったのですが、バーベキューエリアも整備されてました。







「Pote Pote Park」は入場無料。







自然あふれる広々した公園、特にツツジの季節や紅葉は見応えあります。

パラダイスぶりも相変わらず・・・


ポッチーって?


コイツかな、アイツかなぁ・・・



公園内のランドマーク、ネパールの塔??



これまた人気(?)の石の動物園・・・♪


ゴチゴチの池、わけわからん。干上がってるし・・・(^_^ゞ





るり渓温泉 ポテポテパーク

そんなポテポテパークを後にして、まだ行ったことのないルートを。
お寺の方へ向かってみる。






ここもちょっと不思議やなぁ。


ここまで来たら、ちょっと山登りでもしますか・・・












結構きついハイキングコースでした。相当歩いたのですが
頂上目前で・・・引っ返したw



2010.6/6、るり渓にて。

なんかなぁ世界旅行。後編

2010-06-05 17:55:25 | ふぉとスケッチ
さてさて、謎のパラダイス。続きです、もうこれで終わりにしますが・・・

このテーマパーク、どうして?何故?ってことが多くて、それを推察するのが
楽しいの何のって・・・(^_^ゞ
これを造った意図や背景、財源なども謎ですが。
このレプリカもどき、ひとつひとつとっても??なところが浮かび上がってきます。
荒探し考察してみるのも楽しみのひとつ?
確かにそれらし~く作ってあるので騙されるこんなものかなって思ってしまうのですが
本物と比べると、レプリカというよりパロディに近いかな・・・
既に前編で紹介したものもほとんど似てるけど違うなぁってものばかり。
ま、教育施設じゃなく、あくまでテーマパークだからイイのかな。

兵馬俑の兵士風石像がずらりと門前に並んでいる万里長城登城門。
おそらく現実には無いものでしょうが、あったとしても全く違うものだと思われる。
なにせ仁王さんは立ってるは、中国風狛犬も置かれている。仁王さんに至っては
左右とも口を開けてるしw。普通は阿吽だよ!狛犬も同じく。


池の向こうに何やら・・・




石貨神殿(ミクロネシア・ヤップ島)ってことですが・・・
転がってる石貨風は、ヤップ島の石貨とは全く違うし(巨大な五円玉もあるらしい)


ここまでくるともう笑うしかない。この壺は・・・

ちなみに「万里長城登城門」「石貨神殿」を検索してみても、
ここのことしか出てこない・・・実在しないもののようだ。

楽しいですな~♪


マーライオン(シンガポール)
ここには世界文化遺産レプリカが目白押しなんだが、世界三大ガッカリも
きっちり押さえてるようですね。マーライオン、人魚姫の像、小便小僧、揃い踏みです。


長寿観音、石灯籠、これまたいっぱい・・・


順路にも石灯籠並木?半端じゃない数です。ストックヤード?
それぞれちゃんと作られてます。石材会社がからんでるのかな?

坂を登って行くと中腹に、何の脈略も無く現れるのが









スフィンクス&ピラミッド!それにしてもこのスフィンクスらしきもの
顔が東洋人!いやにリアル、額のマークも意味深。2体並んだ姿は狛犬やし。


ピラミッドの入口にはギリシャ?ローマ風?もう脳みそぐちゃぐちゃ・・・


ピラミッドの中にはツタンカーメン。

見上げる先にはお寺。もうカンニンして・・・





このお寺、「鶏足寺(けいそくじ)」と言って、HPの説明によると
創建は581年、日本最古の寺院で。1587年、羽柴秀吉によって全山焼き討ちにあい
滅亡したのだとか。太陽公園を造るにあたり、ここに復興された。とあります。
だから本物のお寺?のようですが、木造じゃ無かったような鉄筋コンクリート製?
これなら焼き討ちには強いかもね。住職さんらしきお坊さんの姿もあり、
若いカップルを相手に説法?でもされていたような・・・
(後で調べたらお守りとかも売られてるとか・・・)

そして、ここの境内には大きな石版の記念碑が乱立。私はじっくり見てないが
これらには、姫路市長、兵庫県知事、兵庫県議会議長、法務大臣、厚生大臣、などの
そうそうたる人物らの名が刻まれているのだとか・・・

それで、これまた壮観なんですが









涅槃像、五百羅漢。1体1体手彫りだそうで、ほんとに500体くらいありそうな迫力。


こうして見ると、国境が無い世界が・・・

この小山を下って平地に戻ると、そこには





天安門広場。



結構、半端じゃなく本格的? これ中国で施工して、解体して運んだもので
彩色も現地の職人を呼び、手描きで描いたものだそうでお手のモノのコピーものレプリカ作り。


こんな記念碑も、寄付された方の名前も刻まれてました。


「私はしあわせ」・・・これだけ寄付金もらえたらね。

天安門広場周辺をもう少し

天安門の上から。


これまた異様な光景・・・埴輪、デカッ!


双塔寺(中国・山西省)、後の山に見えるのが双塔。
本物は蘇州にあります。ここの中には仏壇もあって法要も行われるとか。


ここからの万里長城は、いよいよ山道になります。


途中、磨崖仏への脇道があるので行ってみます。


この石段がまたキツイ、笑ってしまうほど。
1段の高さも勾配も、とても障害者も楽しめるテーマパークとうたってるところとは思えない。



しかし、これ大迫力。すぐ近くまで行けますが、カッパちゃん近過ぎ?
本当に岸壁を掘り出して作られてるようです。
磨崖仏(インド)ってなってますが、何処の“まがい”ものなのかよく分かりませんがw


遠景はこんな風に見えます。ちなみに石段、降りる方がコワイですw

もう既に足はオツカレサン。お城もずっと階段だったし、ここまでもう1万歩越えてるし
でもココまで来たら万里長城のてっぺん展望台まで・・・しっかしキツイ坂が続きます。









若いコは平気そう・・・かな。展望台でヘタってたのは年寄りばかり?



この「石のエリア」敷地内にはテーマパークとしての展示物、建造物と同時に
数多くの施設が入り組むように同居してます。
老人施設、身体・知的・精神障害者施設、生活保護施設等のようです。
写真にちらちら写ってる赤い屋根や家屋は全てそういう施設だと思われます。
太陽公園造設の目的、意義は障害者の方やホームレスの方などの就労支援という一面ももっているようです。(入場口でもぎりをされてたのは、障害者の方だったな)ここの入園料も支援に使われるとか・・・
まぁ実情がどうなのかは、私は全く知るところではありません。

そんなことより問題なのがネットなんです。
ここのレプリカ、全てとは言いませんがほとんどが前述したように変!
本物に忠実ではありません。スケールや数で迫力があるので、テーマパークとしては
文句ないのですが・・・。ネットで本物のことを知りたいと検索してみたら
やたらとココのことが引っかかって、渾沌状態。
特に画像検索だとどれが本物か分からない。おそらく当ブログの記事や画像も混乱の元かな?
と言いながら、最後まで・・・


万里長城、展望台でほぼ行き止まり。その先は工事中?立ち入り禁止になってました。
元気ならちょっと行ってみたかったけど。(^_^ゞ


韓国鐘楼、これも何処のを模してるのか分かりませんが、それらしい。鐘は日本と同じ??
奥の双塔は、上まで昇れるようです。中にある垂直ばしごをよじ登ればw

とにかく、わけわからんパラダイス。ニセモノ世界遺産がわんさか見られる楽しい場所。
少しの体力と大いなる好奇心があれば、ブツクサ言いながら楽しめますよ♪
それでは、長々とスクロール、お疲れさまでした。コレにて失礼。




2010.4/13、太陽公園「石のエリア」展望台にて。

なんかなぁ世界旅行。前編

2010-06-03 19:35:58 | ふぉとスケッチ
さて、太陽公園ですが、
白鳥城のある「城のエリア」から一般道に出て少し歩くと「石のエリア」があります。
入場料は、この2つのエリアを含んでいます。ちょっと面白そうなので当然行ってみました。
が、広いの何のって!急な石段やキツイ坂道、昇り降り・・・ヘトヘトになります。
一応パンフには、城のエリア=60分、石のエリア=120分となってますが、
写真撮りながらだとその1.5倍はかかりましたw

それではアラウンド ザ ワールド、石の文化を訪ねる旅へ・・・



石のエリア入り口にある狛犬。約200年前、中国の吉林省の豪族により、
御影石で作られたもので、紆余曲折ありここに鎮座。これはレプリカじゃなく本物。
幅 約103cm、奥行 約205cm、高さ 約270cm。デカイです。


トルハルバン(韓国・済州島)

他にも色んなものが並んでいるのですが、紹介するのはホンのほんの1部です。
それでも1回のエントリーでは済みそうにない・・・


凱旋門(フランス・パリ)、本物は見たことないけど、コレはこれで良く出来てます。


なんか色々写ってますが、ラガシュ国王グデアとその妃(メソポタミア文明)
奥にあるのは人魚像(デンマーク)。石ちゃうしw


ライオン像いっぱい(何処のん?)


これも各地にレプリカがあると思いますが、姫路にも存在!


あっ、大きさバレました? 木より低いです。
手前のは何?何かで見たけど。これもマーライオンの1種?


ヴィレンドルフのヴィーナス(オーストリア)
これの本物は高さ11cm程、デッカくなりすぎてるし・・・


いきなり小便小僧(ベルギー・ブリュッセル)、しかも団体。


マチュピチュ遺跡やらティナワク遺跡やらごっちゃごっちゃ。


同じところにモアイ像も並んでるし・・・


男女像、後ろ向きが怪しい、前に回るとやっぱり・・・


グアムの守り神、笑ってるの?


ちょっと風景が変わってきます。おびただしい数の韓国灯篭、石の貨幣?


この施設、驚かされるものが多々あるのですが、ここもそのひとつ。
てか、メインかも・・・


秦始皇帝兵馬俑坑






パンフに写真はありましたが、実物は想像以上の出来、スケール。
ミニチュアじゃありません。おそらく1/1。
「兵馬俑」Wikipediaにも取り上げられてます。
日本で本物と同じ技法様式で作られた兵馬俑坑を見られるのは、ここだけだそうです。





ご丁寧に発掘現場まで再現。



ま、もちろん本物の世界遺産、兵馬俑坑には8000体の武士俑が出土したと
言いますから、その数分の1の規模なんでしょうが、結構圧倒されます。




外にもこの兵士像が至るところにあります。作り過ぎたんかッ?








万里の長城登城門です。ここでやっと行程の3分の1来たかどうか・・・
ここからがキツかったです。足も脳もヒーハー言ってました。(^_^ゞ


今日はここまで、謎は深まるばかり?


2010.4/18、太陽公園 石のエリアにて。カッパちゃんひっついてます。

なんかなぁスポット、ドイツ編。

2010-06-01 23:58:09 | ふぉとスケッチ
ドイツ、バイエルンの山の上、ノイシュヴァンシュタイン城(白鳥城)が
・・・って? ここは兵庫県。山陽自動車道、姫路西ICを降りてすぐ。
確かにこの辺りは「白鳥」って地名のようで、山陽道には白鳥PAってあるし
白鳥池とか、住宅街は白鳥台だし・・・白鳥城も不思議じゃない?
でもこりゃどう見てもパクリレプリカ?



ここは、太陽公園ちゅーとこの「城エリア」らしいですヮ。



城のふもとにあるのは、「ウェルカムハウス スワン」「匠の街 Rainbow」



ここまでは、フリースペース。入園料要りまへん。
匠の街は棟によりガラス工房だとか、スプレーアート工房だとか
体験ショップが7棟並んでます。
ウェルカムハウスには、お土産ものショップや軽食、2階にはレストランも。





入園料は大人1.300円。城エリアと石のエリア共通です。
城のある山頂へは徒歩でも行けるようですが、モノレールでも行けるので







あっと言う間に到着・・・



それでは、登城してみましょう。



高さ45.0m、幅26.8m、奥行88.8m、7階建て。ちょっとしたデパートサイズ?



















中はどうなってるかというと、数多くの部屋があり



絵画の展示やくるみ割り人形が展示されていたり






クリスマスタワーの展示。



「王座の間」には壁画も・・・



アート展や美術鑑賞、資料室など色んなことに利用されてます。
障害者が描かれた絵画展もある意味、象徴的だったかも。

ただ、ココ何ナノか?肯定派は姫路に新名所誕生って・・・
観光地?テーマパーク?プレイランドでは無いしね、
数百年経てば間違って重要文化財に?(^_^ゞ









ま、あまり考えずに、謎として面白がるのがいいのかな。






2010.4/18、兵庫県姫路市 白鳥城にて。

なんかなぁスポット、エジプト編

2010-05-27 23:35:38 | ふぉとスケッチ
北近江リゾートに、何だろな、何だかな・・・って、気になる建物がある。
『エジプト館』 いたってマジメに造られているようで
元々は、愛・地球博の人気パビリオン「エジプト館」だったものを、
北近江リゾート内に移設したものらしい。



エジプトのイシス神殿をモデルにした建物ってことですが、そんなに
大きくは無い、いや、小さい。
ま、写真OK(ストロボは禁止)ってことだから、暇つぶしに入ってみました。



んー、いきなりこんな床が。うごめくサソリ、足を踏み入れると逃げていく
元パビリオンっぽい仕掛け・・・




3つのセクションから成っているとの説明だが、ワンルームなんで
ひと目で見渡せる。所狭しと展示品が・・・




天井には煌めくエジプトの星空?
















黄金の玉座やら何やら、もちろんこれ全てレプリカ。
それぞれに説明が書かれているのは親切かな、親子で勉強。には、なりそう。







やっぱりエジプトといえば、ツタンカーメン♪
僕らが小学生の頃だったかな、京都にもツタンカーメン展がやって来て
親に連れられ観に行った憶えがある。当時は大フィーバーしてました。
〔1965年、東京・京都・福岡で行われた「ツタンカーメン展」観客動員数400万人だったそう〕
アサヒグラフの特集号も持ってたな・・・




ちょっとコワイ写真が・・・ここお化け屋敷にした方が客入りそうだけど。
ミイラが出てくるとか。(^_^ゞ

暗い部屋で、ストロボ無し、手持ちで撮影のトレーニングにはなったかな。



キッコロ、モリゾーだったかな。愛・地球博のキャラクター。
確かアランジアロンゾ作だったはず。




2010.5/23、エジプト館(入場料500円)

好感度アップの公館どう?

2010-05-08 01:01:25 | ふぉとスケッチ
相楽園を出て、元町駅前へ向かって歩いてると
ルネッサンス様式の壮麗な建物を発見。表に回ってみると
「兵庫県公館」でした。



何とも神戸らしい雰囲気。



正門は閉まってるが、通用門が開いている。警備の方も姿が見えない
いたって気の小さい僕ですが・・・入ってみます。(^_^ゞ







この建物、1902年(明治35年)に建てられた兵庫県庁本庁舎。
1985年からは県の迎賓館および県政資料館として活用されているもの。
(県政資料館は平日と土曜日に開館、入場無料)
ちなみに初代兵庫県知事は後に初代総理大臣となる伊藤博文なんです。

竣工時は日本最大級の庁舎建築で、明治時代、東洋最大の海運市場を
有するようになっていた神戸港の往時の繁栄を映したものともといえます。

設計者は山口半六氏。享年42歳と若くして亡くなってますが
第五高等中学校本館(現・熊本大学五高記念館、重要文化財)などが
残されてますが、多くはすでに現存しないようです。
この兵庫県公館も太平洋戦争での神戸大空襲により外壁だけを残して
焼失したものの戦後修復し、兵庫県南庁舎として使われてましたが
老朽化が激しく、撤去の話も持ちあがりましたが、後世に残そうということで
1983年から大改修を実施。現在の兵庫県公館として保存されることに。






祝日だから中へは入れませんでしたが、休みでも開放されてるのは
嬉しいですね。市民の憩いの場になっているようです。











2010.4/29、兵庫県公館にて。

おまけ》元町駅の近く交差点で・・・MEDITERRASSE、目立ちますね。



さて、明日は西日本最大(?)ロードスターのお祭りOASIS開催です。
公式サイトはこちら。

ハンサムなハッサム邸。ハッ!サムゥ~ッ

2010-05-06 19:41:34 | ふぉとスケッチ
神戸「相楽園」の日本庭園も良かったのですが、それだけじゃ
わざわざ神戸まで行かなくても・・・だったのですが、
敷地内にはこの園の持ち主であった小寺家の厩舎や北野異人館街から
移築(昭和38年)された旧ハッサム住宅などの洋館が見られ、
ちょうど4月24日~5月23日は内部公開も行われているとのことで。


相楽園、正門は重厚なまでの和風。総ケヤキ造り。


樹齢500年と云われる大クスノキ、大きな石灯籠もシンボルに。



蘇鉄園の先にあるのが



『旧小寺家厩舎』〔重文〕です。
ここも内部を公開、資料の展示などありました。






この厩舎、明治43年頃に建てられたもので、円形の尖塔状の塔屋(階段室)、
急勾配の寄棟屋根、ドーマ窓、豊富な切妻飾り等変化に富んだ装飾が
施され、ドイツの民家風の意匠を取り入れてます。
設計は、神戸地裁などを手がけたドイツ派の旗手、河合浩蔵。

現在、日本に残る数少ない洋式厩舎建築として貴重な遺構です。

その先にあるのが『旧ハッサム住宅』〔重文〕です。















この建物は、インド系イギリス人K.ハッサム氏が、明治35年に
北野町の高台に自邸として建てたものです。昭和36年に神戸市に寄贈、
昭和38年、ここに移築されたものです。
木造2階建の建物は、寄棟造桟瓦葺、屋根には化粧れんが積みの煙突が
あります。南側に設けられたベランダが特徴的な明治の異人館。
設計は、数多くの異人館を手がけたイギリス人建築家A.N.ハンセルと推定。


前庭の2本のガス灯は、明治7年頃旧外国人居留地に建てられていたもので、
わが国でも非常に早い時期の街灯用ガス灯です。


前庭に置かれた煙突は、震災の時、落下したものを震災の記憶を
後世にとどめるため展示されているものです。




















今回、特別公開の内部は、そりゃもうどっぷり異人館なわけで・・・
洋館好きにはたまらない設え、調度品が見られます。

建物中央部に廊下と階段があり、両側に部屋が配置された様式。
1階は応接室、居間、食堂、書斎など、2階は3つの寝室と
子供部屋、浴室、それにベランダがあります。




























ちょっとため息ものの旧ハッサム住宅でした。


2010.4/29、相楽園にて。〔so-net blog_うろうろカッパ徘徊記〕


《予告》OASIS開催まで あと3日! 公式サイトはこちら

青葉、若葉に彩りそへて。

2010-05-05 11:41:38 | ふぉとスケッチ
GW初日の先月29日は、神戸の方へ行ってました。
高速道路、渋滞覚悟でしたが、意外とス~イスイ。やっぱ1000円ちゃうし?
京都東から西宮までは1350円、長野へ行くより高いです。

ほんで行ったのは、元町の駅からほど近く、都会のオアシス
『相楽園(そうらくえん)』、何とか楽園ちゃいまっせ。



相楽園は、元神戸市長 小寺謙吉氏の先代小寺泰次郎氏の本邸に営まれた庭園で、明治18 年頃から築造に着手され、明治末期に完成したものです。昭和16年以降神戸市の所有となり、中国の古書『易経』の一節にある「和悦相楽(わしてよろこびあいたのしむ)」からとって「相楽園」と名付けられ、一般に公開されるようになりました。なお、平成18年1月26日に相楽園が国の登録記念物(名勝地)に登録されました。
約2万平米の敷地の中にある庭園は、池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)日本庭園で、飛石や石橋を渡り、流れや滝など深山幽谷(しんざんゆうこく)の景を見ることができます。
蘇鉄園(そてつえん)や樹齢500年と伝えられる大クスノキ、春に咲くツツジの花やモミジの紅葉も見事です。
また、重厚な正門と欧風建築の旧小寺家厩舎(重文)、保存のために移築された船屋形(重文)、旧ハッサム住宅(重文)のほか、茶室浣心亭(かんしんてい) が庭園の景観と調和しています。 (HPより引用)

ってこってす。









池泉回遊式の庭園で、なかなか趣があります。
園内をまったり歩くのが楽しいです。今が一番良い季節かも。









行った時(4/29)は、まだツツジが3~4分咲き、これからが見頃かな。





借景はビル街・・・


茶室 浣心亭(かんしんてい)



船屋形〔重文〕


江戸時代、姫路藩主が河川での遊覧に使っていた「川御座船」
屋形部分だけが陸揚げされたものです。
現存する川御座船としては、国内で唯一のものだそうです。





わっ!相撃ちやん!


芝生広場でちょっと ひと休み。



僕らは お茶します・・・












新緑を目で楽しみながら ツツジの薫りに包まれる
この季節ならではの素敵なひと時を楽しめました。











2010.4/29、神戸 相楽園にて。〔So-net blogも見てね♪〕

商人屋敷がずらり。

2010-04-29 23:55:43 | ふぉとスケッチ
遊歩百選に選ばれた近江八幡、洋館もあれば古い町並も残ってます。
近江商人発祥の地と言われている日野、五個荘、近江八幡。これらの町を歩くと
あちらこちらで近江商人たちの息吹を感じることができます。
近江八幡では新町通を中心に商人屋敷が並んでいます。



旧伴家住宅は歴史民俗資料館として近江商人の帳場風景を再現したり
考古資料を展示しているようです。(入場有料)










この新町通りの景観を印象付けているのは、黒塀越しにのぞく「見越しの松」。
これ、子供の頃に聞いた(したがって知ってる方は少ないと思いますが)
春日八郎の「お富みさん」って歌の歌詞、「♪いきなくろべい~ みこしのまあ~つに」ってコレですよね。ま、歌の方はココのことを歌った訳じゃなく、歌舞伎の「源氏店(げんじだな)」が題材なんですが・・・
京都の町家の風情と明らかに違うのは道路に対する間口の広さでしょうか
鰻の寝床と言われる京町家、間口は狭く目一杯に建物を建て、坪庭を配します
が、こちらは大店(おおだな)とは、こうだな!って言いたげに威風堂々な
感じがします。







近江商人とは、大坂商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人と言われ、
時代を越え活躍してきた近江国、滋賀県出身の商人のことで
「売り手良し、買い手良し、世間良し」の三方良しの家訓が知られてます。
松下幸之助もこの経営理念を尊んだとか・・・
現在もその流れを汲む企業は数多く、例えば
高島屋、大丸、西武、伊藤忠に丸紅、日清紡、東洋紡、東レ、日本生命も
ワコール、西川産業、武田薬品などなど・・・
京都においては特に多く目立ちます。


ここの町並、保存状態が良いとはいえ、やはり老朽化が目立つところも



その反面、新たな息吹も・・・






2010.4/11、近江八幡にて。

近江八幡でヴォーリズを探す。

2010-04-28 23:48:35 | ふぉとスケッチ
近江八幡は重要伝統的建造物群保存地区(全国で62地区)に指定されていたり
遊歩百選(近畿では16ヵ所)に選ばれてたり、何かと見どころがあります。

建築・建造物は保存、復元も行き届いており楽しめます。



白雲館。八幡東学校として明治10年に建てられた擬洋風建築。
平成6年に復元され、観光案内所やギャラリーとして使われています。
国の登録有形文化財建造物、中へは自由に入れます。

洋館建て大好きな私としては、この近江八幡は聖地?
日本で多くの西洋建築を手がけたウィリアム・メレル・ヴォーリズの
活動拠点でもありました。
私がヴォーリズに興味を持ったのは最近のことですが、
この建物イイな、こんな洋館好きゃなってのを調べると悉くと言って良いほど
ヴォーリズに突き当たったもので・・・その経歴も相当波瀾万丈?

ザクッと足跡を辿ると
1880年.アメリカ合衆国カンザス州に生まれ、自国で建築家を目指すが
その夢を捨て、キリスト教(プロテスタント)布教のため
1905年(明治38年・24歳)滋賀県立商業学校に英語教師として来日、着任し
同時に布教活動もするが、この布教活動に反発する人達との
摩擦を避けるため1907年に職を辞する。
1908年(明治41年・27歳)京都YMCA会館の建築監督に指名され、
京都三条柳馬場に建築設計事務所を開設。本来の夢の実現へと踏み出す。
1910年(明治43年・29歳)海外伝道のため日本を離れ各国を渡り米国へ帰国。
米国で建築活動を行う傍ら伝道援助としてメンソレータムの日本での販売権を得て再び来日、近江八幡に本社を置く建築設計監理会社「ヴォーリズ合名会社」設立。
この頃、米国から建材や雑貨の輸入も行う(後に近江セールズへと発展)
同時期、近江基督教伝道団(近江ミッション)、後の近江兄弟社を結成。
1918年(大正7年・37歳)私設としては日本初の結核療養所「近江療養院(近江サナトリアム)」開設。
翌年、子爵令嬢一柳満喜子と結婚。
1920年(大正9年・39歳)ヴォーリズ合名会社を解散し「W・M・ヴォーリズ建築事務所」および「近江セールズ株式会社」を設立する。
メンソレータムが主力商品となり、利益の大部分を伝道資金とし、近江ミッションの経済基盤となった。1934年には近江ミッションを「近江兄弟社」と改称。
1941年(昭和16年・60歳)日米が対立を深め多の外国人が日本を離れる中、ウィリアム・メレル・ヴォーリズは敢えて留まり日本への帰化を選択。
妻満喜子の姓を名乗り、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。
米来留は米国より来たりて留まるって洒落らしい。
同年、太平洋戦争始まる。翌年、ヴォーリズ建築事務所も一柳建築事務所と改称。
戦後はマッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力し「天皇を守ったアメリカ人」とも称される。
戦中、解散していた建築事務所は終戦をむかえて各方面に散らばっていた社員が再び集結、近江兄弟社内に建築部門として復活。
1957年(昭和32年・76歳)クモ膜下出血に倒れ、近江八幡の自宅で療養生活に入る。
1961年(昭和36年・80歳)本社を大阪とする一粒社ヴォーリズ建築事務所が設立され、現在に至る。
1964年(昭和39年・83歳)近江八幡の自宅(現ヴォーリズ記念館)2階の自室にて永眠。

明治、大正、昭和と人生の大半を日本で過ごし、遺したものは建築家として全国に数々の「ヴォーリズ建築」のみならず、多くの賛美歌などの作詞、作曲。ハモンドオルガンを伝えたり、家庭薬メンソレータムの普及。YMCA、病院、学校、図書館等をつくり、地域に貢献し社会の必要に応えた。
藍綬褒章、黄綬褒章、正五位勲三等を授けられ、瑞宝章が贈られたり名誉も与えられている。ちなみに近江八幡市名誉市民第1号に選ばれたのも当然でしょう。

2007年(平成19年)には全国にあるヴォーリズ建築の保存のため、滋賀県近江八幡市や兵庫県西宮市のNPO法人など9団体・個人が呼びかけ人となり、北海道から山口県までの約20団体が参加し、「ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク」が設立されている。

そんなヴォーリズの自宅が「一柳記念館」として残されている。



お休みだったようで残念ながら中へは入れなかった。予約制だが
聞くところによると相当、詰まっているようだ。



池田町にはヴォーリズ建築群として洋風住宅街が現状保存されている。













この住宅街は今も住まわれているようです。したがって中は非公開です。



アンドリュース記念館。旧YMCA会館 1935(昭和19)年


近くにはこんな小学校も・・・









この小学校はヴォーリズの作品では無いようです。設計者は田中松三郎。
しかし彼は滋賀で洋風建築を本格的に学んだとされ、何らかの関わりが
あったのかな。改築を一粒社ヴォーリズ建築事務所が行ったとも。(未確認)


ヴォーリズの作品は1500とも1600とも・・・多種、多様式に亙ってます。
代表作を挙げればキリがないのですが
明治学院大学礼拝堂、関西学院大学西宮上ヶ原キャンパス、神戸女学院大学、
六甲山荘、山の上ホテル、大丸心斎橋店、もちろん多くの教会も。
京都にも数多くの建物が残されている。同志社大学啓明館、京都大学YMCA会館、大丸京都店、大丸ヴィラ、東華菜館、哲学の道にある喫茶「GOSPEL」も。


ヴォーリズの西洋館―日本近代住宅の先駆
山形 政昭
淡交社

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ヴォーリズ評伝―日本で隣人愛を実践したアメリカ人
奥村 直彦
港の人

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詳しいサイトもあります。「ヴォーリズを訪ねて」

いざ!八幡山へ。

2010-04-26 23:09:51 | ふぉとスケッチ
近江八幡の市街を見ると、ほぼ碁盤の目状態、明らかに造られた町。
それもそのはず、1585年、羽柴秀次が築城した八幡山城の城下町。

今は城跡として残ってるだけの八幡山城跡ですが、
ロープウェーまであるとなれば行かずにおれない・・・









このロープウェー、往復800円、片道460円だったかな、わずか4分。
ミジカッ! 標高約272mの八幡山山上へと運んでくれます。




着いたら城跡をぐるりと巡る周遊歩道をえっちらおっちら昇り降り。

まずは「村雲 お願い地蔵尊」へと







自由に入れますが、夥しい地蔵像とお子ちゃまの玩具や食べ物、
帽子なども置かれていて ちと・・・

山道を進んでいくと



西の丸跡や



北の丸跡は展望場になってました。


正面の低い小山には安土城跡が・・・

さて、少し歴史を追ってみましょう。
安土城はご存知、織田信長の城。その信長が討たれた後、天下人を目指した
羽柴(豊臣)秀吉、その甥である秀次は戦功報酬として43万石を与えられ
この地に城を築き城下町を造ります。秀次は当時18歳!
築城の際は安土城の部材も使われ、そのため安土城は廃城。
秀吉の嫡男、鶴松が死去すると、秀吉の後継者として養子に迎えられ
関白職を継ぐことになる。しかし、秀吉に、側室茶々(淀殿)との間に
秀頼が生まれると、秀次は謀反の疑いをかけられ高野山に追放され、
切腹を命じられる(享年28歳)。その際、家族(遺児4男1女含む)や
側室、侍女らに至る39名が京都三条河原で処刑され、切腹にもかかわらず
秀次の首は晒されることとなる。この秀次事件を語ると長くなるので・・・
ちなみに非運の人生のようですが、風説によると
相当破廉恥なヤツだったようで>秀次。

そんな訳で主を無くした八幡山城は廃城となったと、カンタンに説明される。
が、細かく言うと事件の5年前に秀次は尾張清洲城に移り、その後
京極高次が城主となり、秀次切腹の年に大津城に移ったため八幡山城は廃城。

それより、この城下町、近江商人発祥の地とされているのだが、これも
城下町造成の際、安土の城下を引っ越し移設されたものと云われ、
信長の楽市楽座の影響も軽んじられないと思うのですが・・・

なんて、うだうだ思いを馳せながら



登り着いた先には



瑞龍寺門跡 村雲御所がある。



ここからは下り、ロープウェー駅近くの「二の丸跡 展望館」へと。






展望館の2階は資料室にもなっています。









さ、また町へもどろ~!




2010.4/11、八幡山城跡にて。


近江八幡うろうろ

2010-04-24 23:59:00 | ふぉとスケッチ
今月11日の日曜は、ぶらりと琵琶湖の東側、近江八幡に行ってみました。
何が目的ということも無かったのですが、意外と見どころが多くて・・・
それと桜も見納めかという時期でしたから、臨時駐車場も満車。
駐車場を探してウロウロ、かわらミュージアムの駐車場にやっと辿り着いた。



ここを起点にいろいろ見て回り、最後にミュージアムに入ろう
と思ってたのですが、戻った時にはもう閉館されてました。(^_^ゞ

まずは『かわらミュージアム』周辺を・・・












近江八幡が瓦の産地というのは知らなかった。
江戸中期から続いてるのだそうで、↓これは再現された「だるま窯」







この建物を巻くように流れているのは『八幡掘』と言われる運河。
1585年、豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町した際、
城の防御と商業発展のために造られたものですが、近年荒廃が進んでいた堀を
1970年から市民運動で復旧されたのだとか。
今では時代劇の格好のロケ地になってるようです。
















この日は『日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)』の例祭「八幡まつり」の
準備「松明結い(たいまつゆい)」が行われてました。





4月14日、宵宮祭(松明まつり)に、どうやらこの大松明に
火がつけられるようだ。15日本祭、16日と3日間続く祭りのようです。













どこかで聞いたタイトルですが「さくら回顧」

2010.4/11、近江八幡にて。

今日はこんなところへ

2010-04-18 23:56:07 | ふぉとスケッチ
朝からまたしても姫路に行きました。



お城です・・・ドイツじゃないです。



こんなのも・・・中国じゃないです。

何ともはや 説明のしようがない所でした。
近々レポートを(何時になることやら・・・ですが)



今日はこれだけ・・・

姫路へは休憩しても2時間足らずで着くのですが、
帰りの中国自動車道宝塚周辺の渋滞がひどくて、先日の姫路城からの
帰路は5時間もかかってしまいました。
今日も吉川JCTからすでに20km渋滞の表示・・・
迷わず舞鶴若狭道に入り南丹篠山ICから下道R372で亀岡を目指し
京都縦貫道に千代川ICから入る大回りコースを選択。
R1で京都市街地を抜ける渋滞さえなければ行きと変わらないかも。
とりあえず宝塚をパス、大回りコース。大正解でした。

ラストエントリー? by D40

2009-11-05 18:46:33 | ふぉとスケッチ
まだ10/25に行った「花フェスタ記念公園」ですが・・・もうこれでお終いにします。
実は、この翌日、発作的に(?)新しいカメラをネットでポチッしました♪
今後はそのカメラをメイン機に、楽しんでいくつもり
なので、2007.10/26日に購入した Nikon D40、家内に払い下げ。
2年間お疲れさまってことになりました。







園内ではまだコスモスが咲いてました。かなり終わり掛けでしたけど・・・







ついついこんな写真を撮ってしまいました。(¨)nnnnn



この時点では、まだカメラを買う決断はしてなかったのですが
ま、時間の問題でもありましたが・・・






買い替える理由をいろいろ探していたり・・・
キャッシュバック・キャンペーンで、かなり気持ちが揺らいだのを抑え
キャンペーン期間終了が目前、物欲を抑えきった!エライエライと、思ったら

キャッシュバック、期間延長!ですワ・・・やられました(^_^ゞ




D40デビューのエントリー


D40のショッピングデータ

D5000のショッピングデータ(2009.10/27購入)
NIKON D5000 ボディ 66,800円 10年保証〈5,000円キャッシュバック〉
NIKON バッテリー EN-EL9a 1,400円
NIKON リモートコード MC-DC2 2,800円
Nikon 接眼補助レンズ DK-20C+2 640円
ケンコー 液晶プロテクター(ニコンD5000用)850円
サンディスク VideoHD SDHC 8GB(SDSDHV-008G-J15) 3,000円
送料、代引き手数料を含めて総額 79,090円
ここからキャッシュバック受けるので、実質74,090円。
今回もネット通販で購入(D40を買ったところと同じく三星カメラにて)
ちなみに、価格.COMの最安に比べて7,500円ほど高かったと・・・
現状は8,320円高になってますが、このショップは付属品など全部揃うのと
一応、無料10年保証もついたりするので。



2009.10/25、岐阜県「花フェスタ記念公園」駐車場にて。
(こちらにもラストの写真が)