カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

第二十番札所 西山 善峯寺

2012-09-11 23:58:04 | 西国三十三所巡礼
京都市西京区にある『西山 善峯寺(よしみねでら)』、第二十番札所です。
京都盆地は単純に言って東山、北山、西山に囲まれています。それぞれ
ひとつの山の名前ではなく連峰ですが、このお寺はその西山に創られた
広大な寺院です。春は桜、初夏は紫陽花、秋は紅葉の名所として、
関西随一の景勝地である山寺と言われています。
紫陽花の様子は前に紹介アップ済み。

とにかく広いですが山の中腹ですから平地はほとんどない。
境内での移動は坂道、石段の連続です。
土地には余裕があるので駐車場も広く、かなりの台数が停められるよう
整備されています(有料)。

バス停から徒歩だと、これまた長い階段を登ってくることになるようです。
そして駐車場の端っこのここ↓に到着です。


駐車場からてくてく坂道を登っていくと、重厚で立派な山門が現れます。






このお寺、1029年(長元2年)源算が創建。(西国三十三所の中では最も新しい)
1034年(長元7年)には後一条天皇により鎮護国家の勅願所と定められ
「良峯寺」の寺号を賜り、以来歴朝の御崇敬篤く、鎌倉時代には慈円大僧正や
浄土宗西山派の祖、証空上人が、また、青蓮院の宮様が代々当寺の住職を
されたので「西山宮門跡」と呼ばれました。
鎌倉時代初期には源頼朝との親交も深くなり、1192年(いいくに創ろう鎌倉幕府)には、
鳥羽上皇より慈円のために「良峯寺」を「善峯寺」と改め、自筆の寺額も賜ります。
このように朝廷・幕府の庇護により僧坊52の多きに及んだ善峯寺も、
応仁の乱の兵火にかかり、焦土と化してしまうのですが・・・
江戸時代に桂昌院(徳川家光の側室で、5代将軍綱吉の生母)の寄進によって
再興され、山林42万5千坪を寺領とし明治に至ります。(現在の境内は3万坪)
今もあちこちに「桂昌院寄進」が目立つお寺です。



山門には源頼朝が寄進したと伝えられている運慶作の文殊菩薩像が楼上に、
両脇には仁王像が安置されています。



山門をくぐると緩やかな傾斜の参道がありますが、
すぐに急な石段を登ることになります。



伽藍の建つ場所はさすがに平地ですが、狭いです。それらを結ぶ通路は
坂道、階段ばかり・・・
このお寺を創建するにあたり、こんな言い伝えが残っています。
 山が険しく建立は困難を極め、困り果てていた源算上人。
 ある夜、上人の夢枕に一人の老翁があらわれ、「カを貸してあげよう」
 とのお告げ、 次の夜、野猪の大群が、一夜にして牙で大岩をうがち、
 地ならしをしてくれたそうです。
そのおかげで、この山中に伽藍を建立することができたと伝えられています。
何か「もののけ姫」のワンシーンを思い出しますが・・・





「観音堂」本堂です。
ご本尊は仁弘法師作の十一面千手観世音菩薩。脇立に源算上人作の
十一面千手観世音菩薩。開基である源算上人の作が脇とは、逆な気が
するのですが何か事情があるのでしょうね。「脇の本尊」と呼ぶ人も
いるようですが、このダブル千手観音像は秘仏とされています。





「御香水井戸」
本堂の横にあります。この御香水をいただけば長寿のご利益があるとのこと。
お寺の開基、源算上人は117歳の長寿を全うされたとか、ご利益ありそうです。
生水は身体に悪そうなので飲みませんでしたが・・・(^_^ゞ



本堂に向かい合うように休憩所がありました。中には賓頭盧尊者さんや
三十三所の御本尊レプリカが並べてあります。



休憩所にはこんな貼り紙が・・・阪神大震災の際に、高架が落ちた阪神高速の
ギリギリで停止して、墜落を免れたバスの運転手さん(ミラクル・フクちゃん)が、
善峯寺のお守りを肌身離さず持っていたそうです。
そこから「落ちない」お守りとして、受験生などに話題になったのだとか。


「大師堂」             「手水舎」


「弘法大師像」


「つりがね堂」           「護摩堂」
桂昌院が徳川五代将軍綱吉公の厄除けのため寄贈されたことから
「厄除けの鐘」と呼ばれています。


「多宝塔」             「経堂」(絵馬堂)


経堂の屋根には何やらキャラクターっぽい・・・



経堂には桂昌院が鐵眼の一切経を納めらてます。
その周りには祈願成就の絵馬がたくさん並んでます。どんな願い事が
書いてあるか読むのも面白いもので・・・(^_^ゞ




これ誰やったかな・・・思い出せません。

追記>傅大士像でした。
傅大士=中国、南北朝時代の在俗仏教者。斉の東陽の人。本名、傅翕(ふきゅう)。
善慧大士と号し、双林寺を建て、大蔵経を閲覧する便をはかって、転輪蔵を創始した。
後世、経蔵などにその像が置かれ、俗に「笑い仏」といわれる。


2012.6/24、善峯寺にて。