カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

85年前のまなびや。

2013-11-09 23:20:45 | 京都徘徊記
昭和初期(S3:1928年)に小学校校舎として建てられ、今は閉校(H4:1993年)
になった校舎を自治会行事やイベントの拠点として活用されている元・立誠小学校
河原町の東、鴨川の西、木屋町通りの四条を少し上ったところ、花街として
名高い先斗町(ぽんとちょう)もあり、繁華街の中心と言えるところに
存在しています。

この日(10/27)通りがかると、何やらイベントが・・・





トラベルフェスタ『旅days』と言うものらしいが、屋台も出ていたり
若者で賑わっていました。
民族楽器の音楽ライブもあって、踊りまくっている方も・・・(^_^ゞ

ちょっくら中に入ってみます。




中まで入るのは初めてだったのですが、そこには取り残されたような
懐かしさを感じるところでした。










よく使う表現ですが、タイムカプセルのような空間。



時が止まったような佇まいは、幼い頃へタイムスリップしたような・・・











懐かしい焼却炉、掃除道具は今も使われているのかな。




ここは「日本映画原点の地」といわれています。
その理由は、1895年にフランスのリュミエール兄弟により発明された映画の元祖
シネマトグラフが、発明された2年後の1897年にパリから日本へ輸入されます。
この最初の映画であるとされるシネマトグラフが日本で初めて投影されたのが、
ここ元・立誠小学校。当時の京都には京都電燈(現・関西電力)があり、
この場所で日本初の「映画」の試写実験が成功したことから、
日本映画原点の地とされています。

その後も京都・太秦(うずまさ)には、大映、東映、松竹など多くの撮影所が
できて、日本の映画文化を発展させていき、今日に至っています。
京都・太秦は日本のハリウッドとも言われますね。
ちなみに太秦で生まれた私は、ハリウッド生まれってことに?(^_^ゞ

今年になり『立誠・シネマ・プロジェクト』が立ち上がり、校舎3階に
特設スクリーンを設け、シアターをオープン。
イベント性の強い映画や弁士を迎えた無声映画なども上映されているようです。




そう言えば、階段の踊り場って生徒たちの社交の場だったような・・・









まだそんな温もりが残っているような、元・立誠小学校でした。





2013.10/27、元・立誠小学校にて。