カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

オフ会、ちょっと疎水。

2014-12-14 11:29:35 | 京都徘徊記
社寺・紅葉巡り組、産業遺産・煉瓦組、梅小路・SL組(単独となったようです)
などに分かれて、それぞれ京都散策を楽しまれたようです。
私は少しだけ煉瓦組に同行、まだ見ていない琵琶湖疏水の産業遺産を探索となりました。
もちろん晩秋の風景を楽しみながら・・・


〈南禅寺三門〉
三門とは空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門で、
三解脱門の意を表すそうです。山門とは別もんです。(^_^ゞ
三門を構えていても山門があるお寺もありますもん♪
東福寺や知恩院と大規模な三門がありますね。石川五右衛モンの
「絶景かな、絶景かなぁ~」の台詞で有名なのはこの南禅寺の三門です。




この日は、散り落ちた楓の葉の数より人間の数の方が多かっただろうな。




水路閣も紅葉に囲まれて、この時季ならではの表情を。





〈第五トンネル〉
赤い落ち葉の絨毯の先に煉瓦の洞門が見えます。目敏く見つけられ向かうのは
煉瓦プロフェッサー、駅員3さん。




疎水沿いに歩く、もうこの辺りは観光客の姿も少ない。



紅葉と黄葉。銀杏の樹はすでにほとんど葉を落とし、裸んぼに。




さて、蹴上インクラインです。
インクラインは、標高差の大きい二つの水路の間の輸送を容易にするための装置。
レールを敷いて船を載せた台車をワイヤロープで昇降させる。琵琶湖疏水の
大津から宇治川に至る20.2kmの舟運ルートの途中、水路落差の大きい2カ所に
敷設したもので、蹴上インクラインは全長581.8mで建設当時世界最長。
伏見インクラインは全長290.8m。いずれも1890年代(明治23年~)に完成、
蹴上のみ形態保存されていて、春は桜並木の花見スポットになっています。



このインクラインの下を先述の「ねじりまんぽ」が通っています。




ちょっとした高台なので、平安神宮の朱の大鳥居なども見られますね。


〈蹴上発電所水圧鉄管〉
水運路としても画期的な琵琶湖疏水ですが、京都の近代化には大きな役割を
果たしてきました。
有効落差36m、この送水管を蹴上水力発電所に導き発電に利用された。
この結果、日本最初の電車が走り、町に電灯が灯り、京都は全国に先駆けて
近代化を実現しました。



〈合流トンネルの北口洞門〉
ここの扁額は工事責任者の田辺朔郎の揮毫による
「藉水利資人工」(すいりをかりてじんこうをたすく)。「自然の水を
利用して、人間の仕事に役立てる」って意味でしょうか。




にゃんこの役にも少しは立っているでしょう。琵琶湖疏水のお蔭で京都の
飲料水は確保できているようなものですから・・・




旧九条山浄水場ポンプ室(御所水道ポンプ室)。京都御所へ水を送るために
つくられた施設です。設計は京都国立博物館の設計も手がけた片山東熊と、
山本直三郎が行いました。



一番観たかった建物です。小さいながら何とも優美な建築、
ネオ・ルネッサンス様式でしょうか、神殿を思わすような円柱に支えられた
バルコニーまであります。かなり凝った装飾ですが中には大きなポンプが
あるだけだそうで・・・(^_^ゞ

ただここ、周りは立入り禁止区域、写真が撮り難いです。かなり望遠が必要。
この先に第三トンネル西口があり、三条實美筆の「美哉山河」(うるわしき
かなさんが)の扁額が付いているはずなのですが・・・


〈九条山ポンプ場施設〉(手前の建物)
現在、円山公園の噴水、東本願寺、渉成園などに琵琶湖疏水の水を送って
いるそうです。

蹴上、南禅寺周辺の近代化産業遺産、かなり貴重な文化財でもあり観光資源
のはずですが、少し汚れが酷い。ケルヒャーで洗いたくなるくらい。(^_^ゞ
観光資源化活用へなど検討され始めたようですが、何とか良い景観を実現
してもらいたいです。まずは電柱電線を無くすとか・・・




ちなみに、蹴上(けあげ)って土地の名前ですが、この由来が何とも・・・
九条山の刑場に罪人を蹴り上げて連れていったことから。 だそうです。
山科には「ホッパラ町」って町名がありますが死体が沢山ほったらかして
あったから。自宅の隣り町は「血洗町」でして、斬首に使った刀を洗って
いた場所…なんて説があります。おそらく事実でしょうw
私が通っていた小学校はこの血洗町にあり、校庭の隅に「血洗池」って
水溜まりのような小さな池がありました。今は埋め立てられて石碑だけ
残っていますが・・・。なお、京都と山科を繋ぐ「渋谷(しぶたに)街道」は
もともと死人谷(街道)と呼ばれていたのがなまったもの。
・・・京都ってコワイとこどすぇ~(笑)




2014.11/30、南禅寺にて。