呉港に戻り、一度は見ておきたかった『大和ミュージアム』に行きました。
僕が生まれたのはもう戦争も終り、戦後の混乱も感じられず
ベビーブームのピークも過ぎた時代。とはいえ、国際法上の戦争終結である
サンフランシスコ講和条約が発効されたのが1952年だから、
その翌年に生まれたことになる。
両親は戦争体験者であり、特に父親は戦場で戦闘を体験していた訳だから
生々しい体験談も聞かされることがあった。
今、この大和ミュージアムに来られる方は、ほとんどが戦争を知らない世代。
僕らよりも若い、僕らの子供、孫の世代が多いと思う。
戦争を知らない世代である僕らですが、子供の頃はプラモデルと言えば
戦艦大和、零戦・・・などなど、戦争ものが多かった。
見ていたTV番組も「コンバット!」や「ラットパトロール」など
アメリカ兵が活躍するTVドラマ・・・今とは随分違うね。(^_^ゞ
遊びといえば、刈入れが終った田んぼや造成地で戦争ごっこをよくしていた。
青春期になると一転、ベトナム戦争に対する反戦運動、安保反対闘争。
その間、高度経済成長期。バブル期で豊か過ぎる平和にどっぷり・・・
しかしながら今もなお、地球上から戦火、紛争が絶えることは無く。
悲しく不幸な歴史が続いている。
この施設が戦争を知らない日本人にとって、戦争の悲惨さを伝える場であって欲しい。
でないと先人たち、と言っても今まだ生きていてもおかしくは無い同胞達が
血を流し、無念にも散って往った、その魂に報いることができない。
ここに来ている若い人達は何を感じて帰るのだろう・・・
自らの世代、次の世代へこの戦争をどう伝えて行くのだろう。
近年、今もなおこの戦争に関する新たな資料、証言が続々と出てきているようだ
当時の政治家、官僚、軍部。そして世界情勢も。教科書で習うだけではなく、
少しそういう情報にも目を向け耳を傾けてみてはどうだろう?
僕らも「戦争を知らない爺ちゃんたち」になってしまった。孫にはできるだけ
正しい戦争の姿を伝えてやらないとね・・・
2013.1/3、呉港にて。
僕が生まれたのはもう戦争も終り、戦後の混乱も感じられず
ベビーブームのピークも過ぎた時代。とはいえ、国際法上の戦争終結である
サンフランシスコ講和条約が発効されたのが1952年だから、
その翌年に生まれたことになる。
両親は戦争体験者であり、特に父親は戦場で戦闘を体験していた訳だから
生々しい体験談も聞かされることがあった。
今、この大和ミュージアムに来られる方は、ほとんどが戦争を知らない世代。
僕らよりも若い、僕らの子供、孫の世代が多いと思う。
戦争を知らない世代である僕らですが、子供の頃はプラモデルと言えば
戦艦大和、零戦・・・などなど、戦争ものが多かった。
見ていたTV番組も「コンバット!」や「ラットパトロール」など
アメリカ兵が活躍するTVドラマ・・・今とは随分違うね。(^_^ゞ
遊びといえば、刈入れが終った田んぼや造成地で戦争ごっこをよくしていた。
青春期になると一転、ベトナム戦争に対する反戦運動、安保反対闘争。
その間、高度経済成長期。バブル期で豊か過ぎる平和にどっぷり・・・
しかしながら今もなお、地球上から戦火、紛争が絶えることは無く。
悲しく不幸な歴史が続いている。
この施設が戦争を知らない日本人にとって、戦争の悲惨さを伝える場であって欲しい。
でないと先人たち、と言っても今まだ生きていてもおかしくは無い同胞達が
血を流し、無念にも散って往った、その魂に報いることができない。
ここに来ている若い人達は何を感じて帰るのだろう・・・
自らの世代、次の世代へこの戦争をどう伝えて行くのだろう。
近年、今もなおこの戦争に関する新たな資料、証言が続々と出てきているようだ
当時の政治家、官僚、軍部。そして世界情勢も。教科書で習うだけではなく、
少しそういう情報にも目を向け耳を傾けてみてはどうだろう?
僕らも「戦争を知らない爺ちゃんたち」になってしまった。孫にはできるだけ
正しい戦争の姿を伝えてやらないとね・・・
2013.1/3、呉港にて。
やはり感慨深かったです。この大和ミュージアムでも、若い命がと考えさせられました。
難しいことかも知れませんが、戦争が地上から無くなることを願い、信じて。
そのためにも、このような資料館はこれからも必要になってくるでしょうね。
私も一昨年行きました。
『戦艦大和のデカイ模型が見れる♪』くらいに思ってたのですが、、予想に反してリアルな戦争資料館で、ほんとに行ってよかったと思いました。つか、原爆記念館とセットで、「日本人たるもの一度は見ておくべき」と思いましたね。
「核兵器はダメだ!」と「やっぱり戦争はダメだ!」という、どちらも頭では「そんなの当然」と思っている大切なメッセージについて、本気で考えるいい機会になりますね。
領土問題だって素人じゃあるまいし、どんなことになるかは判ったはず。
アメリカを含めたフィクサーが暗躍しているような・・・
これでオスプレイ、30機は発注ですね!?
・・・って映画の見過ぎ?
ちなみに大艦巨砲主義を終らせたのも日本軍だった。航空機のみによる艦隊攻撃の有効性を世界に知らしめたのに、大和のような戦艦を造ったのは・・・?
いずれにしろこの大戦で多くの尊い命を失ったのは事実。これが無駄になってはいけないですね。
色んな事を考えさせられる資料館でした。
大本営発表も酷いがGHQの検閲、情報操作も酷いものです。
これからは右、左に偏ることなくできるだけ多くの資料、証言から真実を浮き彫りにして行かなければ・・・遅過ぎる気もするけれど、蓋をして埋めてしまってはいけないですね。
大和、零戦を見ていると何かそんな気にさせられました。
その悲惨な末路と、でもその建造技術が戦後の大型タンカー製造に大きく寄与し、日本の貿易に多大な貢献をした。
資料室でそんなナレーションが流れてましたね。
この資料館は、かなり心に来るものがありました。
おっしゃるとおりだと思います。
4月28日の「サンフランシスコ講和条約」締結を日本の独立記念日にして、しっかり考えた方がよかった。世界にもう終わったことは触れないでおこうといっても周りが許さないでしょう。
いい意味で戦争のことを子供たちに伝えておかないといけないですね。
最近の子供は、大和やゼロ戦のプラモデルをつくったりしないんだろうな。戦争したことをしらない子も多いだろうしね。
ちゃんと事実を伝えていくことが大切ですね。
それと大和はすばらしいけど、実際の戦闘では役にたたずに、沈んだ理由もね。