カッパのロードスター

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路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

戦国map?息づく地名の街。

2009-09-07 23:48:18 | 京都徘徊記
京都市にあって最も南部に位置する(奈良、大阪寄り)伏見区。
その歴史は古くは弥生時代に遡り、日本書紀にすでに記載があるほど。
古代、中世、近世、近代・・・と歴史の舞台に数多く登場する地域です。



桃山時代には伏見城城下町として数多くの大名屋敷が建ち並び
現在の地名にもその時代の名残りが、色濃く残ってます。





もちろん「桃山羽柴長吉中町」など羽柴と付く町名や『天地人』的には
景勝町(上杉景勝)、治部町(石田三成)、毛利町(毛利秀就)など
戦国大名ゆかりの町名だけでも90ヵ所近くあるようです。
郷土史家によると、これほど大名の名が町名に残る地域は
他に例を見ないとのこと。

大名の名前だけじゃなく、この辺りの地名をざっと挙げると
桃山町日向、伊庭、和泉、丹後、美濃、根来、伊賀、板倉周防、本多上野、
松平武蔵、鍋島、松平筑前、三河、下野、島津、長岡越中、正宗、讃岐、
井伊掃部、水野左近、丹下、最上、出雲、越前、越中、などなど・・・
とりあえずいっぱい。
歴史の縮図みたいな町名がひしめいてます。

他にも城下町として機能していた名残りの町名も・・・
奉行町、瀬戸物町、風呂屋町、鷹匠町、御駕籠町、紙屋町、
両替町、樽屋町・・・などなど。


造成地にもこんな名前が・・・
ちなみに、この更地の隣りの表札を見たら「石田」でした。ドテッ!

それに、お城の東側は小栗栖(おぐりす)って地名で、そこには石田って
町名もあり、地下鉄の駅にも「石田駅」があります。
・・・小栗栖に石田。大河ドラマでは小栗旬が石田三成役。
なんか縁を感じますね(^_^ゞ




Googlemap伏見桃山周辺
京都市の地名、伏見区
『京都伏見城 武家屋敷の古地図』

7時だよ全員集合!その2

ココのブログで見つけました。『醍醐櫻山城』


2009.8/29、伏見桃山城にて。


10 コメント

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Unknown (ピィ)
2009-09-08 08:12:20
天地人では秀吉と小栗旬扮する石田三成の固い絆がばっちり描かれていたみたいですね(笑)
それにしても伏見にこれほどの地名があったとは知りませんでした。
バイクで走り抜けてるから気づかないのかな・・・。
やはり思考するには歩くスピードじゃないとだめですね(^-^ )
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意外と ☆ピィさんへ (路渡カッパ)
2009-09-08 09:30:12
クルマだと渋滞にひっかかりますから
外環観月橋の東などで、美濃、根来、伊賀、江戸町・・・
何て交差点名や町名プレートを目にしてました。
大岩街道の深草辺りでも伊達町、伊達通りなんてありますから
怪しい地域だと地図で確認したら、ワンサカ地名が出てきましたよ♪
町名プレートを撮って回るにはバイクでないと無理でしたが
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地名 (jimmy.)
2009-09-08 10:44:21
地名もちょっと着眼点を変えて見るとおもしろい。
普段何気なく見過ごしているところでも実は深い由縁があったり。
奉行町、瀬戸物町、風呂屋町、紙屋町、両替町なんかは各地で見ることがありますね。
それにしても伏見の地名には驚かされました。

↓キャッスルランド・・・結婚前に家内と行ったことがあります。
時代の流れとはいえ消えていくのは寂しいもんです。
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地名の由来 ☆jimmy.さんへ (路渡カッパ)
2009-09-08 14:36:03
面白いものです。ウチの近くには血洗町ってあります。
昔、刑場で断頭処刑した刀を洗った池があったとか。
伏見は地名自体、武将に好まれたとか…不死身ッテカ!
jimmy.さん好みの地名もありますよ、紅雪町とか福島太夫
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地名を聞くと成程ですねぇ… (NCノルグリ)
2009-09-09 00:46:04
地名の中に「毛利」とあったのが歴史の由来と必然を感じました。

「毛利」は、あの毛利元就で有名な戦国時代の中国地方の覇者として名を馳せた毛利家の事なのですが、
かの有名な関ヶ原の合戦で西軍の総大将になってしまったばっかりに、戦後その領土を長門・周防の2国に削られてしまったのですが、
(要は中国地方全土から山口県のみに。石高では120万石→36万石への大削減!)
後に武家諸法度・禁中及びに公家諸法度にて全ての大名に天皇との接触を禁止した中、
時の毛利家当主:毛利秀元(毛利輝元の子)が尽力し、
中国地方平定時に皇室から「朝臣(あそん)」の位をもらい、以来慣例として続けている毎年の献金だけ続けさせて欲しいと嘆願し、家康より特例として許しを得た事を思い出しました。

家康としても領土大削減で弱体化した毛利家をこれ以上痛めつけても…という思いと、もともと保守好みなので「慣例」という事に好意的に解釈した事から…と想像しますが、結果的に徳川家以外で唯一の、皇室との直接接点を持つ大名となった事が、伏見の地名に名を残す事になったのかな?と想像しました。

(ちなみに毛利家への戦後の弾圧は、実際に萩城址に行った時に痛感したのですが、もう城とは思えない程小さい天守台でした。作る城の大きさも制限されていたそうです。萩というところ自体が交易面で要地からかけ離れた僻地の上、萩城は三角州(要は川の土砂溜り)の上、という事から事実上の「島流し」だったようです。エグイ。その恨みの大きさから、毛利家では年始の挨拶の際、次期当主が「徳川家討伐の準備が出来ました。いざ御下知を」と言い、当主が「まだその時にあらず。自重し時を待ち武芸に励むよう」と答える儀式を幕末まで続けていたそうです。スサマジイ。)

しかし、その「特例」が、後の幕末にて大いに意味を持ってきて、
吉田松陰が「日本国」という思想を持ち、
(国内的には一大名家の軍師に過ぎないが、こと対外国との戦いとなると、場合によっては「朝臣」として徳川家を凌いだ総司令官になる可能性がある。という事に気付いた。)
密航計画や松下村塾での思想普及に端を発した倒幕運動に至り、朝廷軍として成就に至った事を思うと因果応報という言葉を感じます。

※しかし、この思想のもととなっている勤皇思想が、徳川家の御三家である水戸家光圀(あの有名な黄門様)から出てくるとは、家康も創造しなかっただろうなぁ…

ま、歴史は人と人との思い・繋がりの積み重ねで綴られている、と僕は思ってまして、その足跡を辿る機会があった時、今という時代とその先に起こり得る未来を見る事が出来たらいいな、と思ってます。

長々と駄文を書き連ね、申し訳ありませんでした。
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おはようございます (京男)
2009-09-09 05:16:04
面白い町名がありますね。
住んでいる人は大変。住所が長くなるもの。郵便番号なんてあまり役に立たない。
いまだに自分の町内の漢字を思い出せない時があるし。住所欄に書き切れないのはちょっとね。
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毛利にお詳しい ☆NCノルグリさんへ (路渡カッパ)
2009-09-09 10:32:05
ありがとうございます。よく解り、勉強になりました。
因果応報、歴史はその繰り返しがよく見られますね、日本に限らず世界史においても。
戦国時代は復讐を恐れて、根絶やし、側室の腹の子まで皆殺しにしようとした。ただそれはそれで深い怒りをかったりして・・・
関ヶ原の戦いでも寝返った大名、家臣が後に栄えたというのは少ないようです。家康にしても、簡単に裏切る奴らは信用できなかったようで、逆にお家断絶に追いやったり・・・
徳川の世が15代までもったのは奇跡的?結局は関ヶ原の元西軍などを中心に倒幕されることに。永久政権は考えられませんね。
人間は歴史から多くのことを学び、また歴史を作る一員として生きてることを自覚したいものです。
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長町名 ☆京男さんへ (路渡カッパ)
2009-09-09 10:32:42
おはようございます。
この辺りの町名は長そうです。
京都府京都市伏見区深草大亀谷金森出雲町○○・・・
・・・長い!それに瓦町、川原町、新町、出町、両替町など
まぎらわしいし、美濃、駿河、因幡、日向などなど、
伏見区の町名は見てて飽きませんよ。
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Unknown (aw@bitlog)
2009-09-09 17:26:57
実に魅力ある地名の数々ですね。
地名一つに、その土地の歴史とドラマありですか。
本当に、バイクやクルマで走り抜けてばかりの私なので、
これからは、地名にも注意を払いたいです。
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地名探索 ☆aw@bitlogさんへ (路渡カッパ)
2009-09-09 19:06:02
面白いですよ、地名の由来。
伝説からきたものもありますし、諸説あるものも・・・
諸説あるってことは、自分で創作、空想してもイイって事で(^_^ゞ
これからのテーマにしようかな?
僕の説はほとんどダジャレになるだろうけど
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