我が家には、固定電話もあるが
電話を受ける人間は
すべて携帯を持っているため
そこにかかってくることはほとんどない。
しかし、この前の休みの夜、
その固定電話のベルが鳴った。
こういう場合は
たいていはどこかから流出した
名簿をたよりに手当たりしだい
電話をかけてくる勧誘の用件が多い。
受話器をとって
〇〇サンでしょうか?と
聞いてくるのが
よく間違えられる
doironの苗字の別の読みだったりすると、
これは、そういう勧誘の電話だろうから
先手必勝
「いいえ、違います!」とキッパリ
言ってあげることにしている。
たいていはこれで切れるけど
あまりしつこい場合は
切り札を用いて撃退する。
え、どんな切り札かって
それは言うと切り札じゃなくなってしまうので
ネット上に書くことは
遠慮しておきましょう。
(出し惜しみ~)
ま、そんな電話がとにかく鳴ったのだ。
出てみると
「もしもし、親父?」
そ、その声は
数年前に生き別れになったままの息子?
じゃなかった
家を出て長野県で働いている息子の声では
あ~りませんか。
久しぶりに
クラークゲーブルのような
甘いdoironの声によく似た声を聞いて
(はいはいそうですか)
瞬間的にいろんなことが
ぜんまいを巻きすぎた走馬灯のように
次々と頭に去来した。
そもそも、息子から電話がかかるときは
あまりろくなことがなかった。
「保険証を失くした」
だの
「車に追突された」
はたまた
「彼女にふられた」
みたいなね。
三番目は冗談ですが・・・
これまではそんな電話が多くて
しかもたいていは携帯にかかってくるのに
固定電話とはどういうことだ。
とめまぐるしく頭が動いた。
脳みそもがさごそ動いていたほどだ。
歳をとったら脳みその
不用意な動きに注意しないと
いけませんな、kaisan。
とりあえず、
「どうした?会社クビになったんか?
だったらいつでも帰って来いよ」と
言ってあげようと思ったら
「湖に携帯を落としたんで
携帯を替えたから携帯番号と
メアドを送ってほしい」んだと。
さすがに、長野やな。湖とは・・・
ロマンチックやないか~
さすがにdoironの息子やないか~
こちらやったらせいぜい池に落としたか
ドブに落としたかが精一杯やで。と
返事をしてあげたら
「変なところに反応したらあかん」と
諭されてしまった。
「で、誰と湖に行ったん?」と続けて
聞こうと思ったが
また怒られそうなので
「どんな携帯に替えたん?」て聞いたら
「スマートフォンやで」だって。
長野県にもスマートフォンがあったんですねえ。
そりゃあ、あるか。
とにかく
他愛のない会話ですが
久しぶりに交わした言葉でした。
そうか、doironも人の子の親やったんやと
思い出させてくれた一本の電話でした
岸和田祭りが終わった。
といっても、泉州はまだまだ熱い。
だんじりが疾駆する祭りは
岸和田祭りだけではない。
むしろ、他のほとんどの地域が
10月最初に祭りを迎える。
doironが住む地域でも
祭りは10月の体育の日周辺だ。
岸和田では片付けも終わったが
それらの周辺地域は
これから準備が本格化する。
岸和田は、交通規制も
面で実施されるが
その他の地域は
線で規制が行われる。
この道路は何時から
何時まで通行止め!みたいなね。
そのため、通行止め時に
その道路入り口に
祭り関係者で通行止め看板を置くのだ。
そこには、〇月〇日の13時から15時まで
とか書いてある。
この日付が年によって異なるので
看板のその部分を
整備したりしないといけない。
派手なだんじり祭りも
こんな地味な作業に支えられているわけだ。
先日もそんな看板を整備したり
激突が予想される電柱や
ガードレールに、クッション材を
巻きつけたりをみんなで
手分けして実施しているときだ。
doiron父が杖をついて
ひょこひょこ歩いている光景に
出くわした。
堂々と道の真ん中を歩き
後ろからやってくる車に
「ひけるもんならひいてみい」オーラを放っていた。
それを見た村のものが
doironに
「あのさあ、お父さんが歩くときには、
〇〇さん通行中につき通行止めの
看板置かなあかんな」だと。
まったくできるもんならそうしたいぜ。
できれば、電柱やガードレールの
クッションも年中巻いたままに
しておいてほしいくらいや。
そんな話をしてたら
友達が
「通行止めと書いたシャツを着て
身体にクッション巻いといたらいいやん」やて。
ごもっとも!
ま、そんな話をしながら
ビール好きはビールを飲みつつ
うだうだと準備を進めていく。
ま、これも祭りの一部なんやね。
稲穂が頭を垂れ、
虫の音がいよいよ高まる秋の初め。
各地の村々から聞こえる、祭囃子の練習が
高くなった空に響き渡る
泉州の秋はまだこれからだ。
先日、薬のことを書いたら
体調のことを心配する友人から
メールをいただいた。
大丈夫です。
doironは健やかに過ごしています。
懲りない人やなあ、と
笑っていますか?
ま、馬鹿っちゃあ馬鹿なんやけど
自分なりには
ちゃんと心得てはいるつもりだ。
そりゃあ、前みたいには
ガシガシと走ったりはできない。
でも、あんなことがあったからこそ
今、運動できる喜びを
きっと、ひと一倍感じて
身体を動かしている自分がいる。
走るということの意味が
あの頃とはずいぶん変わったと思ってます。
”復活”をと励ましてくれる
友達もいるけど
もうこうして生きて
心地よく走っているだけで
十分復活なんだと思っていますから。
こんな風に思えるまで
たくさんの時間が必要でしたけどね。
いろいろと励ましてくれる
友達の皆さんのおかげです。
いや、本当。
そしてそんなdoironが
こうして、日常の中に
運動を取り入れて健やかに
過ごしていることが
もしかしたら
どこかで誰かを励ましているかもしれません。
そうですね、そういう意味でも
自分本位のスポーツライフから
変わってきたのかもしれません。
周りの人の気持ちや
頑張りや後悔にも
以前よりは敏感になれたのかもしれません。
そしてそれは介護でもそうです。
義理の両親も含めて
日々、介護をしているわけですが
これも両親のためだけではなく
この頃は、介護を通じて
いろいろ教えられている自分がいます。
ある意味生きていることの
尊厳さえ損ないかねない
老いの状況を目の当たりにし
自分に何ができるのか
毎日そのことを
突きつけられているようです。
そんな中で、自分の役割を
自覚しながら
精一杯生きることが
大切だと、この頃は
自然体で思えるようになってきました。
たいしたことはできませんが・・・
介護をしてあげているつもりが
だんだんと自分を育ててもらっているんではないか
とそんな気がしている今日この頃です。
繰り返しますが
doironは元気です。
三日に一度くらいは
ゆっくりと10kmを走っています。
何かあったらと思うと
怖くて一人では走りづらかった公園も
最近はようやく一人でも不安なく
走れるようになりました。
もう山歩きも
普通のハイカー並みには
できるだろうと思ってます。
今はそんな感じで元気です。
あとは、心のわだかまりを
自然体の日常の中に
どれだけ包み込んで隠せるかでしょう。
木の葉のように波に翻弄されつつ
海を泳いでたあの頃。
顎から汗を滴らせながら
バイクを漕いでたあの頃。
気を失いそうになるほど
全身全霊で1秒でも早く
一歩でも遠くへと願いながら走ってたあの頃。
今は、浴びる太陽の光の表情も
全身で聴く風の声もあの頃とは違うけど
まあそれはそれで
これも運命であろうと思っとります。
車にはコーティングがしてあるので
雨上がりなんかに
ささっと拭いておくと
汚れも落ちてピカピカになる。
運動で汗まみれになって
ジムで風呂に入るようなもの・・
とはちょっと違うか。
ま、とにかく今日も雨上がりに
拭いていた。
そして車の後部を拭こうとしたときだ。
あれっ、あれあれ、あれ~
バンパー下部に5cm角程度の傷が
あるではないか。
よく見ると、バンパーとボディの隙間も
少しおかしい。
こ、これは
食い逃げ
じゃなかった
当て逃げ
いつからそんな状態なのか
わからない。
表面には明らかに何かで
こすったような跡。
やられちまった。
前の車のときもそうだった。
買ってしばらくして駐車場にいったら
激しく凹んでいた。
今回は、傷は浅そうなのだが
いつやられたのかよくわからない。
コンビニか?
スーパーか?
ジムか?
わからない。
気がついたらこうなっていた。
ぐやじー
犯人に告ぐ
自首するのなら今のうちだぜ。
自首しても許さないけど。
百叩きのおしりペンペンだあ。
宝塚大事件以来
doironが飲み続けている薬がある。
それは、血液系、血管系、そして胃薬なのだが
ちょっと前に調べたら
この血管系の薬に
グレープフルーツがよくないとのことだ。
初めて薬を処方されたときには
そんなことは聞いてなかったけどなあ。
奇跡の積み重なりで
一命を取り止めたんだから
薬の副作用なんて
たいしたことじゃない。
生きてること、そして社会復帰していること
それ自体が奇跡なんだから
副作用なんてとるに足らんことだと
思った医者がちゃんと説明しなかったんだろうて。
あの宝塚大心災のあとでも
グレープフルーツは
知らずに数回食べている。
チューハイグレフル生絞りなんて
思いっきり飲んでいる。
それどころか
グレフルを半分に切って
朝食にいただいた後
薬を飲んだなんてことは
ざらにある。
知らないってことは
強いもんだね。
もともと、食べることには
何も制限がないとおもっていたし
寝る子は育つ
食べる子も育つとばかりに
それが元気の源だと思いつつ
食生活には何の制限も与えていなかった。
強いていうなれば
運動量が減ったので
カロリーには気をつけようと
ポテトチップなどの
スナック菓子には
手をつけないようにしていたくらいだ。
でも先日、北海道土産で
いち時幻の商品といわれていた
ジャガポックルをいただいたときには
「う~ん、これはジャガビーと同じではないか」
と思いつつ、人気の秘密を探ろうと
むさぼり食ったこともあったけどね・・・
かように、これまで
食べ物には何一つ
自ら制限を課したことがない
松阪牛の霜降りでも牛ばら肉でも
ゴールドタグのズワイガニでも
ザリガニでも
およそ口にできるものは
なんでも食べたら健康にいいんだ
と思っていたけど、
唯一今は
グレープフルーツが
食べられない身体になってしまった。
ぐすん
doironと飲みにいっても
グレフルは誘わないで
くださいね~
それにしても、グレフル、
好物だったのになあ。
神様も意地が悪い。
いっそ、
キャビアは一生食べられません。
フォアグラも避けてください。
ぐらいだったらよかったのになあ。
それだと日常生活には
なんの影響もないもんね。
チューハイグレフルと
生グレフルをスプーンで食べる
ささやかな楽しみを奪われた
doironの悲しみはいかばかりであろうか。
ま、こうして歳をとるにつれ食事制限は
少しずつ増えていくのかな。
でも、doiron大好物の
イカを食っちゃイカん
なんて制限はごめんだな。
そのときはいさぎよく
イカと心中かな
やられたあ、やられたよ。
かつてエボルタ君が
東海道を走破したときから
思ってたんだよう。
いつかトライアスロンに
挑戦すればおもしろいのになあ
って、思ってたんや。
そしたらさあ、なんとこのエボルタ君
今度はハワイでトライアスロンに
挑戦するんだとか。
スイム3.8km
バイク180.2km
ラン42.2km
その距離を、トライアスリートの聖地
ハワイ島のアイアンマンコースで
挑むのだそうだ。
使用するのは
充電式乾電池の
エボルタ君3本だ。
あの小さな電池で
憧れのアイアンマンコースに挑むんだとさ~
そのアイアンマンコース。
スイムでは当然流れもあろう。
小さなエボルタ君が泳いでいたら
あのカジキマグロがひと飲みなんて
ないのだろうかねえ。
そして何をおいてもそのコースは強い風が
選手を死ぬほど苦しめるという。
出場したことのある人に聞いたら
向かい風バイクでは
下りでさえも漕がないと進まないほどだそうじゃ。
小さなエボルタ君には
それほど風の抵抗はないのだろうか。
でも、バランスを維持するだけでも大変だろうよ。
ランでは火星を思わせるような
灼熱の溶岩台地で、
電池の強制的な放電を促す
南国の高温に耐えれるだろうか。
鍛え上げた肉体を凌駕し、
過酷な自然に打ち勝って、
エボルタ君が
「アイアンマン」の称号を
手に入れることができるのか。
挑戦が始まるのは来月24日。
制限時間は一週間だそうだ。
この挑戦を乗り越えた
エボルタ君を待つ次の挑戦は
もう世界一周あるいはエボルタで
月面到達しかないかもなあ。
最近、仕事がかなりたてこんでいる。
神経をすり減らし
心を削る仕事が続いている。
今日の夕方
そんな中でほっとするひと時があった。
この湯呑みは
その側面に書いてあるように
5年前にハワイへ行ったとき
現地の日本料理店で
ホノルルマラソンの完走記念にいただいたものだ。
そして中身は
先日、中国で開催された
世界水泳に参加された知人から
いただいた、リラックス効果もあるといわれる
ジャスミン茶。
アメリカから持ち帰った湯呑みで
中国のお土産のお茶。
海外といえば
これまでこのときのハワイが
唯一の経験というdoironが醸せる
精一杯の国際色なのだ。
次に海外に行くとすれば
どこかなあ。
doiron的には
モルディブかなあ。
でも本当は海外ではなく
トライアスロンで泊まった徳之島の宿に
また行って見たいな。
というのが、切なる願いだ。
などと、忙中に茶を飲みながら
デスクで頬杖ついて遠くに思いをはせていた
doironでした。
それにしても
疲れた一日でした。
なので、例によって手抜きでスンマソ
今日も仕事でメいっぱい動いてきた。
といっても、doironの場合
肉体労働ではないので
調整や交渉、調査などで
もっぱら脳細胞を総動員する仕事だ。
なので、仕事で疲れるというのは
マラソンやトライアスロンの
疲れとは、かなり質が異なる。
なんて書くと
知力満載のように聞こえるが
ない脳力をメいっぱい搾り出しての
仕事だから
変に疲れるのだ。
こんなときに効くのはやはり
アルコール
う~、先人の人類たちは
偉大な物質を発掘してくれたものだ。
そして神様も、この物質に
酔うという奇跡の反応を我々に与えてくれた。
出会うべくして出会ったのかもしれない。
人類とアルコールだ。
そんな変な疲れを抱えて
家に帰って引っ掛ける
一杯のビールのなんとうまいことか。
変な疲れが深ければ深いほど
その一杯のうまさが増幅するってなもんだ。
doironは、いつも
べろべろになるまで飲むという
酒飲みではない。
どちらかといえば
その最初の一杯を
感動的に味わえばそれでいいのだが、
ま、友達と飲むときは
われを忘れる寸前の飲み方が
もっとも最高のお酒であると思っている。
要するに、
酒癖は悪いほうではないと思っている。
それにしても
最初にアルコールを飲んで
いい気分で酔えることに
気づいてくれたひとには感謝するばかりだ。
医学が発達し
身体だけでなく精神の制御
脳の活動制御も
かなりの部分で解明されてきている現在。
人類の更なる進歩のために
そろそろお酒に代わる
新物質が発見されても
いいんじゃないかと
最近時々思う。
ドーパミン
エンドルフィン
アドレナリン
言葉は聴いたことはあるけど
人類にどんな作用を及ぼすかは
よく知らない。
でも、そんな物質を
副作用もなく
また習慣性にとらわれることなく
自由自在に制御できる
飲み物や薬や食べ物が
開発されたらいいのになと
思っている今日この頃だ。
アルコールを発見した人類だ。
ほどなくそういう未来にも
いきつくんだろうなあ。
さ、チューハイ飲んで寝よっと。
9月も中旬とはいえ
まだまだ暑い日が続く。
昨日の日曜日も
気がついたらビールを
冷やし忘れていたので
冷凍庫で急速冷却をしてみたのだが
ついつい忘れてしまい、
ふと気がついたら
こんな状態になっていました。
これは、もしかしたらもしかするかもと思い
玄関の外に持ち出して
開缶してみた。
するとやっぱりそのもしかしての
予感は的中!
プルトップを引いた途端に
ブシュ~~ッ
玄関がビールまみれになってしまいました。
こんな感じ。
秋の初めにそんな目にあってしまいました。
秋の初め・・・・・そうです。今日は中秋の名月です。
月見のために
かつてのランニングコースの
雑草地にススキが咲いていたのを思い出し
いただいてまいりました。
おりしも、見ごろの月が
鏡のように空に浮かぶ月見日和。
お団子をいただきながら
しっとりと眺めました。
今年もいろいろありました。
喜びの出会いや悲しい別れ。
仕事も今は、嵐の中で
もまれ続けています。
もちろん、介護も苦難の日々が続いています。
あなたは今日の月を
どんな思いで眺めましたか?
幸せの象徴のようなまんまるお月さん?
大粒の涙のような悲しいお月さん?
それとも
恋しい憧れのお月さん?
あなたの夢の象徴?
希望の光?
doironは、遠くに浮かぶ月を見てると
ちっぽけな自分が
何をはかなむことがあるのだと
そんな気になっちゃいますねえ。
ゆっくりと、静かに眺めた今日の月見。
来年はどんな思いで
眺めているんかなあ。
山とマラソンの友達から便りが届いた。
毎年8月末に行われる
立山登山マラソンの結果報告と
先日8月26日のブログに掲載した
山小屋についての資料を送っていただいた。
登山マラソンでは、
例年よりも楽しくあっという間に終わったとのことであるが、
距離で67キロ、標高差3003mが
あっという間に終わったというのは、
あまりにもすさまじい感想ですねえ。
学生のころからの記憶をたどってみると、
立山には7回ほど登っています。
おもに夏から秋にかけての登山です。
それぞれの山旅に、それぞれの思い出が宿っています。
なかでも記憶に鮮明に残っているのは、
雄山神社から一ノ越までの約600mを、
友達と3分くらいで脱兎のごとく駆け下りたときのことです。
他の登山者が事故で落下してるんではないかと
悲鳴を上げたほどでした。
若いときには無茶をやったもんです。
思えば昔から下りが早かったんですねえ。
今までトレイルランの時に、
「下りがめちゃ早いですねえ」
と3人くらいに言われたことがあるもんね。
でも今は、脚も身体ももちろんそうですが、
なにより目が追い付いていかないでしょうね。
山を駆け下りるときは、
走りながら瞬間的に5歩くらい
先を読んでいたように思います。
今は目の前の一歩も怪しい状態ですわ。
悲しいものです、歳をとるというのは。
友達の郵便に同封されていたのが、これ。
山頂のお札に、
鈴が付いたもので、
さっそく部屋の中の最も立山に近い壁に
据え付けさせていただきました。
家に居ながらにして雄山神社に詣でたつもりで、
これからいろいろと無理もお願いしちゃいましょう。
それと同封されていた資料なんですが、
船〇小屋の主の方の手記が書かれてありました。
いろいろと便利な食材がある中で、
できるだけ自然の幸を味わっていただきたい
という思いで小屋の食事を作られていることが
書かれてありました。
なるほど、あの時いただいた天ぷらは
こういうこだわりの出発の頃だったんですね。
残念ながら水場のことは書かれてありませんでしたが、
機会があれば、立山を駆け下りたようにはいきませんが、
そこはそれ熟練の山歩きで、
難所を越えてふたたび出かけてみたいと
あらためて強く思った次第です。
babiさん、ありがとうございました。