ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

忘年会緑道歩き1

2018年01月21日 21時15分30秒 | ウォーキング

まだ昨年の話です。

以前、大和田街道や
淀川歩きをしたときに、
遊歩道があるのを見つけました。
そのことをブログに書いたときに、
それを読んだ歩き友達が
そこを歩いてみたんだそうです。

車も通らないし、
自転車と歩行者も
きちんと分けられ
気持ちよく歩けた
遊歩道ということでした。

ネットで調べて見たら、
西淀川区民の宝ですみたいに
取り上げられていましたね。

だったらその遊歩道を歩いて、
終点近くの十三で忘年会を
してはどうかという
歩き友達の計画ができ、
そういう歩きをすることになったのです。

最近はそんな歩き友達もでき、
いろいろと動きが活発に
なってきましたねえ。

でもこの前の神戸みたいに
日にちの決まった歩き大会に
出ることはまあそんな
しょっちゅうあることではないです。
基本的にはいつでもいいし
気軽にそれぞれの自主性に
任せて歩いていますので、
自由に参加したり、
一人で歩いたりという
のんきさがいい感じなのです。

でも、この時は忘年会と
いうことだったので
みんなの都合を合わせて
12月20日に実施することになりました。

では午後から電車でのんびり集まって
歩きはじめることにしましょう。

待ち合わせは難波の阪神電鉄の駅です。

13時半頃に集まって、
最初の場所「福」駅を目指します。



淀川歩きの後半の頃は
よくこの駅を使いましたね。



ここから淀川向いて歩いていき、
そこから川沿いを少し下って
その遊歩道の入り口を目指します。

その遊歩道の名前は

「大野川緑陰道路」。

もともと水路だったところを
埋めて高架道路を作る
つもりであったが、
公害問題が深刻になっていた
地元住民の反対を受け
結果的に大阪市が高架道路を
白紙撤回し、こういった
緑陰道路が作られたのだそうだ。

こういった取り組みは
住民の公害問題への意識の
高さを表しており、
その後地域の子どもたちへの
環境問題への素材として
住民たちにとても重宝されたそうだ。

そんな道路だから、
一方の端っこは淀川への
流入地点となっている。

福駅からまず線路に沿って
歩いていくと、



おおさすがにこの地域ですから、
高架下なんかはすっかり
阪神タイガースですな。



淀川に出たところが、
あの淀川大塚切れの災害の時に、
この地域は長期間水浸しとなり、
そんな水を排出してしまおうと、
わざと碑をきってたまり水を流した
「大塚切れ碑」のある所に出てきます。

あれ?でもその頃だったら
まだ大野川が流れていたのに、
なぜそちらに
ながさなかったんでしょうかねえ。

高低差の関係で無理だったのかなあ。
それはよくわかりません。

その碑から大野川が
淀川に注いでいたところまで、
下流へと歩いていかねばなりません。

以前は淀川の終点である、
矢倉緑地まで、堤防を
歩いていったので、
今回は堤防からおりた街中を
歩いていきましょう。

こんな狭い露地を抜けていきます。



こんなところにも地蔵さんは
デンと収まっていたりするんですねえ。



やがて前方に大きな会社が
見えてきます。

このコースのことを話したら、
この会社に仕事に行ってたことが
あるという人がいましたねえ。

その会社のそばに、
遊歩道の西の橋があって、



その人はこの道を歩いて
通勤したのが懐かしいなあ
といってはりました。

doironは昔は知りませんでしたが、
この大野川の遊歩道って
メジャーなんですかねえ。

ここから御幣島まで、
全長は約4キロくらいだそうです。
都会の中にあって、
高速道路をつけたいと
自治体が言ってた便利な土地に
それをあきらめて
歩道と自転車道しか
設けなかったという
この歩道は、さあ果たして
どんなところなのか。

道はきれいなのか、
距離表示はあるのか。

約40年前に開通したこの道を、
一杯飲む前に
きょろきょろと歩いてみましょう。

続く


お寺へ初もうで

2018年01月20日 20時49分42秒 | 生活

今年の正月は、市内四社巡りや
近くの有名神社へと
歩きで初もうでに行ったけど、
後日にまた少し離れた寺へと
初もうでに行くことにした。

その日は、大阪の山々も
うっすら雪に覆われる日で、
しかも世の中では
大学入試のためのセンター試験の
日程と重なっていたな。

このセンター試験て
どういうものなんだろう。
この結果を受けて
志望校を決めるの?
志望校ではまた試験があるの?

なんかもう周りに受験生なんて
いないから今はどんな仕組みに
なっているのかよくわからない。

年月の流れは恐ろしいね。

かつて教育関係の事務方の
仕事をしていたなんて
もう考えられませんな。

doironらの入試の頃といえば、
公立大学は一期校と二期校に
分かれていてそれぞれに
願書を出して試験を受ける
という単純なものだったのになあ。

いまは複雑でよくわかりません。

そんなセンター試験なんですが、
近頃は強い寒波の影響を
受けることがとても多いですね。
雪で受験に間に合わなかった子供には
開始を一時間遅らせた
というニュースも流れている。
時期的なところは何とかなりませんかねえ。

まあ、一時間程度の遅れで受験するなら
最初に受けた子供たちから
ニュースが流れることはないだろう。
でも、改めて日にちを変えて
受けさせたというケースもあるという。
そんな時はきっと試験の内容は
変えているんだろうね。
同じ内容だったら中身洩れるもんね。
でもそうしたときに、
問題の難易度なんかはどうなんだろう。
全受験生の点数で評価するのに、
再テストの方が問題優しかったら
後日受験の人の方が得するだろうし、
逆にむつかしかったら
損することになる。

そもそも、受験というものは・・・。

あっ、初もうでの話でしたね。
元に戻しましょう。

この日車で出かけたときには、
途中の山手の駐車場はこんな感じ。



ふわー、雪ですねえ。
さむいさむい。
ていっても、雪国から見れば
全くなんて事のない
雪景色なんでしょうけどね。

こういう道の駅なんかにある
青空市場なんか野菜が安くて
いいですねえ。
今は高くてねえ。
ここでいくつか買い物もしました。

さあ、では山を越えて
和歌山県の方に入っていきましょう。

山を越えたら雪もないだろう
と思っていたのですが、
いやあなかなかどうして。

お寺のベンチにこんな雪だるまも
載っていましたね。



最初は「根G寺」へ行ったのですが、
「ウヒャー、有料です」
そういえば昨年も来た時に
入寺は有料やったなあ。

でもあの時は通常有料だった区間にも
入れるというので、
入っていろいろ学んだのですが、
まあ今回はちょっと遠慮しておこう
という感じでした。

あかんよなあ。
かつて無料だったお寺で、
こういう取り組みはあかんよ。
せっかくの参拝の気持ちが
なえてしまいますねえ。

しかたなくこの時は、
もう少し先の「粉河寺」まで
足を延ばすことにしたのです。

農道を車で進んでいきますと、
ああ懐かしいですねえ。

この道は、皆生のトライアスロンの
練習コースとしてよく走りました。

沿線にある大学の自転車部の
練習から100m位離れて
後ろを疾走したこともありましたねえ。

そうしてたどり着いた粉河寺で



しっかりお参りしましたよ。



買ったおみくじは
「末吉」でしたねえ。

このお寺には、昔からある
立派な楠木が生えています。
今年の春に予定している
ドジ旅巨木ツアー第2弾の
こともあるので、
そこもしっかり見学してきました。



立派な巨木でしょう。

寺伝によれば西暦770年ころに
天皇がこの下を歩いたと
記載されているそうです。

ここのお寺は、
西国三十三箇所の札所ですから
昨年も納経書をもって来ましたね。

駐車場で料金を取るのはいいとしても、
やはり入寺は無料にしてほしいなあ
なんて考えながら、
犬鳴温泉経由で帰宅した
doironなのでした。


じいちゃんとバラン

2018年01月19日 20時46分32秒 | 生活

doironのじいちゃんは、
昔は百姓仕事のほか
「バラン」の販売をやっていた。

バランは漢字にすると「葉蘭」とかき、
ハランと読むそうですが、
古名としては「馬蘭」とかいて
「バラン」とも呼んでいたそうで、
我が家では昔からバランと
古名で呼んでいました。

スズランの仲間だそうです。

じいちゃんは屋根の低いところで育てて、
中腰で水をやりつつ
手入れをしていたそうだ。
バランというのはこういうやつね。



今も村のあちこちに生えている。
写真は、地元神社の裏の森に
生えているやつです。
何に使うかというと、
料理の仕切り板みたいに
あいだに敷いたりするやつね。

例えば芋の煮物ときんぴらごぼうの
あいだに敷いて、料理間の
味のうつりを阻止するものね。

しかもスズランの仲間ということで
抗菌作用なんかもあったようです。

人に話をしたら
「え~、あれってプラスチックじゃないの」
という人も多いのですが、
本来はこういう野草だったんですね。

子どもの頃の運動会や
遠足のお弁当なんかには
必ず含まれていたなあ。

僕はそんなバランを育てている
じいちゃんとあったことはない。

もうdoironが生まれるより
ずっと前に畑仕事中の事故が
原因で亡くなっていたそうだ。

そうそうそんなじいちゃんの
葬式を覚えている人が、
今も村に数人いる。

昔は棺桶をリヤカーで運んだそうだが、
そのリヤカーから棺桶が転がり落ちて、
亡くなったじいちゃんが
川の中に飛び込んだようになったそうだ。

ウヒャーである。

その景色は今も忘れないと、
その人達は語っている。

そんな昔の人にいろいろ聞いてみると、
うちのじいちゃんが作っていた
「バラン」は、実は料理屋さんではなく
主に生け花屋さんに売れたそうだ。

根元には花も咲くのだが、



うちのは、葉っぱに白いスが入ったりした
変形種で「杜夜」とか「茜雪」
とか呼ばれた人気種だったそうだ。

それをリヤカーに積んで
大阪まで押して運んで行ったそうだ。
ああ、doiron歩きの起源はそれなのか。

もちろん、我が家の庭にも
バランは生えている。



家を建て替えても、
知らず知らず生えてきたものだ。

地面の中に根っこか何か
残っていたのかもしれない。

食卓でそんな話をしてたら、
ミセスはもしかしたら両親が
こっそり植えたのかもしれないよ
というけれど、その辺はもう
確認しようがないなあ。

でも昔の家には山ほど生えていたので、
庭の地面からいきなり葉っぱが
突き出すように咲いているのを見ると
なぜか懐かしくてしかたがない。

じいちゃんの遺伝子がdoironの
細胞の中で騒いでいるのかもしれないね。

昨年末、さっきの写真のバランを見ていたら、
懐かしくなって、今回の喪中明けで
3年ぶりのおせちには、
これを飾ってみようと一枚切ってきたのだ。



きれいに洗っておせちづくりの
テーブルにのせてみた。

まずはこれ。



バランに笑顔を作って入れたら、
にぎやかになったな。
料理人ミセスにはちょっと申し訳ないけど、
ま、そんなときもあってもいいんじゃない
という感じだった。

そしてもう一枚はこんな風に加工したよ。



わかりますか?

わかりますよねえ。
バランは「富士」で、
そこに「鷹」と「なすび」を刻みました。

こんないい夢見れたらいいんやけどね。

doiron家は正月に
息子夫婦も帰省しなかったので、
正月もミセスと二人だけになり、
両親がいたころや
息子が騒いでいたころに比べて
寂しくなりました。

でも、こんな飾りを飾ったりしながら、



ご先祖様含めて
ほっこりできたいいお正月でしたね。


神戸街歩きの大会にて6

2018年01月18日 21時04分20秒 | ウォーキング

ポートアイランドには何回か行ってる。
神戸マラソンの応援にも
何回か行ったことがあるもんねえ。

もうポートアイランドが
人の重みで沈むんじゃないか
というほど大勢走ってましたねえ。

そして以前はここで開催される
バレンタインラブランを
走ったこともあるなあ。
あの頃はまだ元気な頃でしたね。
考えたらそう、そんなスポーツの
思い出ばかりの島なのです。

そんな島をぐるぐるめぐる
ウォーキング大会です。

まず地図を見てみると
みなとじまの駅を過ぎたら、
左折してアシックス
スポーツミュージアムを
目指すことになっていますね。

ここのミュージアムの見学が
コースになっているんですねえ。

あ、みなとじまの駅前で
宝くじ売り場がありましたよ。



どうもdoironの
生まれ月情報によると
住居地の西の方で
宝くじを買うのがいいと
されているので、
ここでちょうど年末ジャンボを
飼っておきましょう。

7億当ったらどうしようかなあ。
やりたいことをここにかけ
といったらいくらでもかけるなあ。
まあそれは当たってからに
しましょうか。

さてたどり着いたのが
ここです。



アシックスといえば、
doironの元気な頃の靴は
いつもアシックスでした。
その中でも愛用したのが



「ターサー」という靴。

かかと部分に衝撃吸収材が
入っているということで
売り出されたターサーを
買ったのが、もういまから
30年くらい前だ。

値段も結構したが、
その軽さに驚いたことがある。

初めてのランニングシューズだからと、
記念に置いてあったのだが、
走らなくなって処分してしまった。

でもそれ以降、doironが
履いていたのはいつも
「ターサー」だった。

この靴じゃない靴で、
フルマラソンのタイム更新を
狙ったことがなかったなあ。

トライアスロンでも
ナイキ、ランバード、アディダスと
何社か履き比べたが、
水抜きの良さ、
足の皮膚への負担、
ソールの感じとか
考えたらやはりdoironの足には
ターサーがあっていたなあ。

でもさらにもっと後期になってくると、
アディダスをよく使うようになったけどね。

ジムの靴も今は
アディダスのアディゼロを使っている。

このアシックスのミュージアムに入ると、
かく有名選手の靴なんかが
見本でおかれている。

最近だったら、100m9.98だった
桐生君の靴なんかも置かれていたなあ。

驚いたのは女子短距離のトップだった
福島選手の靴だ。

その性能どうとかいうことではなく、
彼女の足の小ささに驚いたよ。

瀬古が履いていた靴と
今のマラソン選手が
履いていた靴を比べてみると、
もうその軽さなんかも
比較にならないほどでしたね。

ソールの厚み、耐久性、軽さ、
アッパー素材の耐久性など、
あの陸王を見ていたからか
じっくりと見てしまいましたね。

歩き情報その7.
ちなみに、物語に登場した
陸王やRⅡはミズノが
作ったということだそうです。
アシックスじゃなかったんですねえ。

で、ここのスポーツミュージアムには、
その他のスポーツの靴や、
床に電動で光を走らせて
一流選手のテニスのボールの
速さなどを示す装置なんかもありましたね。

さあ、ではこれでコース上の
見学施設は終わりです。

ゴールまで約二キロの道を急ぎましょう。



受付の最終時間まであと30分です。



中埠頭の駅からIKEA神戸の
横に出て、港島クリーンセンターから



ゴールの医療センターに向かいます。



案内を見ますと
所要時間がこんな風に書かれてありますが



これだとかなり速いスピードで
歩かないといけませんね。
これくらいで歩くのが
スポーツなんですかねえ。



歩道をてくてく歩いて、
やっとゴールにたどり着いたのは、



13時58分。

受付終了まであと2分の
ギリギリでした。

ちょっときついところもありますが、
自由に参加したり途中で
やめるのもありですから、
気楽でいいですね。

こんな感じで歩きました。



で、
歩き情報その8.この団体は
ていねいな道案内や
いろんな企画も考えて
くれているのが大変好意的です。

これからもできるだけ
参加していきましょう
ということで、今回は終わりです。


神戸街歩きの大会にて5

2018年01月17日 21時02分12秒 | ウォーキング

ここを歩いたときは
クリスマスの10日ほど前でしたが、
多くの人が訪れていました。

ツリーにはみんなが願いを
書いた紙を飾り付けていき、
ギネス申請するといってましたが、
どうも枚数が足りなくて
それは無理だったようです。

そんなツリーが目の前にそびえています。



うわー寒そうな所に立っていますねえ。
まあそんな環境も反対意見として
あったようです。

でもねえ木は根をつけたまま
持ってきているし、
みんなこれを目当てにやってきて、
一本の木が人々の心を動かすのだから
いいんじゃないですかねえ。

この木の運搬や運営に努力している
人々の気持ちをかってあげましょうよ。

それがまたクリスマスの良さ、
あったかさにつながって
いくんじゃないですかねえ。

では、ここで昼飯を食べましょう。

平日なんで周りは休日ほど
人はおりません。

海辺のテーブルとベンチも
がらすきですから、
ツリーの見える場所に
どっこらしょと腰をおろしましたよ。

この日はおにぎり二個と
コンビニで買った
春雨ヌードルをいただきました。



さすがにこの季節の海辺の
ベンチでビールは無理でしたね。
電車で来てるんですけどねえ。

さあ、ではあったかい春雨を
作ってあったまりましょう・・・



ん?

ガスが少ないぞ。
最初は勢い良く燃えていたのに
徐々に弱くなってきました。

ヒャー、頑張れ~とコンロに
いいきかしたものの、
どうも燃料が亡くなってきたようです。

最後までできるだけあっためて、
これでいいかと注いだところ、
温度が低く硬めの
春雨ヌードルになってしまいましたよ。



アルコールコンロも
持ってきてたらよかったなあ。

世界一のクリスマスツリーを
眺めながら、この日は
神戸一の硬めの春雨を
食べたdoironなのでした。

ご飯を食べてると、
同じような地図を持つ
歩き人達が近くを通り過ぎてゆきます。

まああと2時間半はありますので、
焦らずのんびりしていきましょう。

このクリスマスツリーの
周りは広くいろんな施設もあります。



これがポートタワーですね。

これが海辺の波除に
見えはってる漁師さんのようなdoiron。



そして今はこんな売店もあれば



トイレもきっちりありますし、



震災メモリアルパークもあってりして、





季節のいい時期だったら、
近所のショップでの買い物や
海辺でのんびりしたりするのに
とてもいい場所ですねえ。



そんなさらにのんびり
遊びたいときにまた来てみますかねえ。

さあてここからポーアイに繋がる
神戸大橋に向かって行きます。

途中、大震災の時に壊れた
橋脚の模型なんかを見ながら、





あちこちにはられた案内の
矢印通りに進んでいきます。



するとこんなルミナリエの
飾りなんかを見ながら、



景色がいつも三宮から
帰宅するときに見なれた
景色に変わってきましたねえ。

ここがみなとのもり公園です。



あの12時間耐久マラソン
なんかが開催されてたところですねえ。

ここから橋に向かって
道路が伸びていきます。



ふきっさらしでアップダウンが
あったりで、覚悟して
進んでいかないとねえ。



ここの橋にはポートライナーが
走っていますねえ。



まず最初はポートターミナル駅を通ります。

看板を見ると、
おお~ここから上海までの
フェリーが出てるんですねえ。



ポートライナーは終点神戸空港へと
向かう電車ですが、
こういうフェリーの駅もあるんですねえ。

さあ、道は神戸大橋の上に
さしかかります。



うう~ふきっさらしです。
さむいさむい。

がんばって歩かないと
凍死してしまいそうです。

橋の上から見える景色は
とてもいいんですけどねえ。



神戸大橋は、全長300m以上で、
開通後50年近く経つ橋です。
神戸とポートアイランドを
結ぶ強大な橋ですねえ。

続く


神戸街歩きの大会にて4

2018年01月16日 21時00分04秒 | ウォーキング

西出町の高田屋嘉兵衛ゆかりの場所を、
あれこれ考えつつ歩きましたよ。

以前はこの近くにある神社に、
彼の名前が彫られているという
燈籠も見ましたねえ。



彼が寄進したそうです。

doironの頭の中では、
物語の中の単なる主人公
だという人が、実際こうして
生きていた事実とであうと
なんか不思議な感じがしますねえ。

こういう関連の地域に来ると
長い年月を経ても
いろいろと残っているもんなんですねえ。

いま歩いているこの道は
菜の花ロードと名付けられています。



あの「菜の花の沖」から
つけられた名前なんでしょうねえ。

こんな道標も作られています。



ん?この先に横溝正史の
生誕の地記念碑があるんですねえ。
ああこれは意外でした。
あまり神戸生まれという
イメージはなかったんですがねえ。

これがその記念碑です。



メビウスの輪が二本絡まってますねえ。
円の表と裏がつながっている
という奇妙な感覚に
包まれるような難事件が
探偵によって解かれていく
という感覚で作られたそうです。



この記念碑を過ぎたあたりから、
大きなビルが増えてきますねえ。

この辺りが、
神戸ハーバーランドと
呼ばれるあたりです。

でかいマンションや公共施設、
でっかい商業施設、港湾施設などが
いっぱい並んでいますねえ。

車では何度か来たことがあるのですが、
こうして歩いてきたのは初めてです。

ここが神戸市の総合教育会館。



おおきな鉛筆の碑が面白いなあ。

こんなでかい商業施設
「umie」の前の明かりにも、



こんなウォーキングの案内板が
張られていますねえ。



赤くて目立つのがいいですね。

あ、あんなところにお友達が・・・。



アンパンマンですねえ。
ここはアンパンマンの
テーマパークです。

え~こんなに人の多いところで、
変な写真を撮ってる
還暦越えのおっさんですが、
許してやってください。





ここからモザイクの中に
入っていきます。







おお~そしてここには
アンパンマンの
パン工場があります。



アンパンマンファンの方
ぜひ行ってみてくださいな。



海辺に出ました。

正面に立つのが
オリエンタルホテルですねえ。



あ、そしてその横には
これから先に歩いていく、
ポーアイへ渡る神戸大橋が
見えていますねえ。

また反対側の横にも
これから歩いていくところにある
世界一のクリスマスツリーも見えています。
頑張って進んでいきましょう。

まだこの辺りだと
5kmくらい進んだだけです。

このモザイクの横当たりの海からは、
神戸のベイクルーズの船が



結構出てますねえ。



こんな立派な船から、
小さな乗合船まで



いろいろとあるようです。

もう20年くらい前には
こんな船に乗って
遊びに行ったこともあったなあ。

あの頃は埋立地の大学なんかが
とても気持ちよさそうに
見えていたのを思い出します。

たしか、神戸の空港を作るための
埋め立てもしていたなあ。

それにしてもこの辺りは、
歩いていても広々として
気持ちよかったですねえ。
タイムも競わない
のんびり散歩が似合うところです。

あ、ここにもこの先にある
クリスマスツリーの
案内がありますねえ。



富山県氷見市から持ってきた、
推定樹齢150年、
全長約30メートル、
重量約24トンの
「あすなろの木」を
根ごとここに植えて
クリスマスツリーに
見立てています。



歩き情報その6.
生きている木で作る
クリスマスツリーとしては
この木が世界最大だそうです。



それにしても富山からここまでと
考えたら壮大な計画ですね。

新幹線を運ぶ輸送車や
巨大な運搬船を使って、
ここまで運んできたそうです。

目的は、神戸開港150年と
阪神淡路大震災の
鎮魂なんだそうです。

でもねえ、この話がネットに
現れたときは、
生き物を粗末にするななどと
賛否両論でネットが
炎上したそうです。



続く


神戸街歩きの大会にて3

2018年01月15日 21時28分40秒 | ウォーキング

清盛塚の横にある琵琶塚も
市電の工事現場にあったものを
ここに移転させてきたようです。



琵琶の演奏が上手だった
平経正の墓だといわれています。

コースはここから新川運河に
沿って進んでいきます。



以前ここに来た時は、
この公園の片隅でお弁当を食べました。



あの時は鳩だけだったのに、
今日はカモメもたくさん
飛んでますねえ。

ここに城跡の碑がありますよ。



歩き情報その4.
今回の歩きで一番最初に
訪ねた西国街道の惣門跡というのが、
この城の周りの土塁のところに
作られていた門だったんですねえ。
で、この城は池田恒興が
築いたものの、
彼は2年で移封され、
その後は代官等が住む
陣屋となっていったそうです。

そしてさらにその後、
明治時代にはここが兵庫県庁となり、
伊藤博文が初代知事に
赴任していたという
歴史あるところなんですねえ。

広い運河の突き当り部分には、
そうそう「清盛くん」が
置かれてありましたねえ。

さあ写真をとっておこうと
近づいていくと、
さっきの子供が

「おっちゃん撮って」

といわんばかりにポーズを
作っていたので、
「よっしゃー」といいつつ、
その子の両親に会釈しながら
撮影してあげました。



その清盛くんから
川沿いを歩いていきますと、
道の端に大きな磐が置かれています。



これが大和田泊の石椋
だったそうです。

今でこそ川沿いを歩いていきますと、
なんて書いてますけど、
その道は昔は海岸線でした。

川沿いではなく、
海を埋め立てたところとの
間にある海の運河沿い
だったんですね。



海の水は結構きれいでしたね。

以前この辺りを歩いたときは、
そこからまだずっと
海辺沿いを歩いていったのですが、
今回は手前の広い
道路沿いの歩道を進んでいきます。



おっ、こんなフグひれ?のような
ものが大量に干されています。
忘年会で飲んだお酒に
浸っていたあの例の奴ですねえ。
海沿いでこんな商売も
やってるところがあるんですねえ。





しばらく歩いて到着するのが



七宮神社。



なぜ七宮なのかというと
二つのいわれがあります。
ひとつが、神功皇后が征伐帰国の際に
7番目に寄った神社
という説と
7名の神様が祀られている
という説があります。

大きな交差点のところにある
神社ですねえ。
どんないわれが正解なのか
わかりませんが、
こんな神社はどうして
やっていけてるんでしょうねえ。

お祓いをする人も多くないし、
お守りなんかの収入も
限られているでしょう。

どうしてやっていけてるのか、
はたから見てても
大したことないはずなんですがねえ。

今度、神社の氏子総代になるんですが、
その辺のところもしっかり
勉強しておきましょうかねえ。

ここからまた海の方へと
向かって行きますと、
途中の歩道にこんな絵が
描かれています。



昔の帆船ですねえ。

これはそう、
あの高田屋嘉兵衛の痕跡です。
この辺りに本店があったそうです。



歩き情報その5.
彼の活躍は、司馬遼太郎の
「菜の花の沖」で
しっかりと読みましたよ。
淡路で生まれ、村抜けして神戸へ。
そしてそこで活躍して
船持ちになり北海道で
ロシアの船にとらえられて
連れていかれ、
それでもロシアと日本の
良好な関係を築いてきたという彼。

全6巻の小説を、
すべてジムで自転車こぎながら
読みましたねえ。

物語の中で、幕府は頑丈な
船を作らせないという
方針だったのだが、
その船の姿がこうして
歩道に埋め込まれてあるのでしょう。

そしてdoironは今年中に
淡路の五色台にある
高田屋嘉兵衛の記念館に
行こうと思っています。

そんな彼の船の姿を
見に行くとともに、
彼に関するお宝を色々と見ながら、
物語を復習してこようと思っています。

そうそう、そんな記念館が
これまでは2館あったのが、
見学が紛らわしいと、
昨年の三月に1館になり
運営されているようです。

その辺も注意しながら
ちゃんと訪ねて行かないと
いけませんね。

そして、そんな記念館の
近くには彼の墓もあるようです。
ここにもちゃんとお参りできたらいいね。

続く


神戸街歩きの大会にて2

2018年01月14日 20時57分17秒 | ウォーキング

日本三大大仏というのがよく言われます。

最近のテレビでが
グ-グルの宣伝で
「岐阜大仏」というのが
出てきますよねえ。

doironがみた大仏では、
石切の大仏も三大仏と
書いてあったような。

で、ちょっと調べてみたら、
奈良東大寺の大仏と
鎌倉高徳院の鎌倉大仏は、
二大大仏としては異論がないようです。

で、ここで歩き情報その1.
三大仏となると、
さっきの岐阜や石切のほか
高岡の大仏などもありますので、
現在は三つ目は事実上の空位
といわれているんだそうです。

どこが三大仏の空位を埋めるか、
そんな静かな戦いが
もしかしたら大仏間で
争われているのかもしれませんねえ。

そんな三大仏の一つといわれる
大仏が神戸にもあります。
能福寺にある兵庫大仏です。
まずはそこへ向かって行きましょう。



兵庫の駅から線路沿いを
東に向いて歩いていくと、
柳原えびす神社に出ます。



ここが西国街道の
兵庫西惣門跡です。



兵庫の町を土塁で囲い、
その入り口の一つとして
設けられた門です。

西国街道も長い長い街道です。
これを繰り返し歩いている人を
知っていますが、
延々と果てしなく
歩いているような感じだそうです。

京都から西国街道、東海道、
中山道と歩くところは
いくらでもありますが、
まあこれをしっかりと
遊ぶだけでも金銭的には
かなりしんどいですねえ。

ぼちぼちと歩いていくような感じで
旅していきましょうかね。

こんな牡蠣小屋を眺めたり、



西国街道にかかるこんな歩道橋を



渡ると「神明稲荷」があったりします。



ここで歩き情報その2.
穀物を食べて暮らす人々の人生を
「稲成り(いねなり)」というんですね。
「稲荷(いなり)」は
ここから来てるんですねえ。

ふむふむ役に立ちますねえ
(何の役や)。

コースはその先で右折して
西国街道を離れていきます。
おお~見えてきました。
これが「兵庫大仏」ですね。
お寺は能福寺といいます。

改めてここの大仏を見てみますと、
意外に髪の毛が豊富じゃないですか。
大仏によってはアフロ状態に
なっている仏像もありますねえ。



これは2年前くらいに兵庫の柏原で
見つけた大仏さん。
どうですか、すごい髪型でしょう。

それでは歩き情報その3.
大仏さんの螺髪の一つ一つは
全部右巻きです。
頭の巡りの悪い人を「左巻き」
といいますが、あれは仏像と
反対向きだからですね。
でもただひとつ左巻きの
仏像があります。
それが鎌倉大仏。
この大仏だけが左巻きとはねえ。

この兵庫大仏も以前じっくり
観察しているので
写真だけとって過ぎていきましょう。

あちこち止まっては
写真撮影したりしているので
遅れてしまいます。
ゴールは14時までと
意外に結構ハードなんですよ。
さきを急ぎましょう。

この先には須佐野公園
というところがあります。
実はこの公園の緑、
大きな松が昔の船乗りの
大きな目印になっていたそうです。

いまは埋め立てられたりしていますが、
この辺まで海が迫っていたんですねえ。

そしてその横には一遍さんの
墓所である、真光寺に出てきます。



踊念仏で全国を遊行の際に立ち寄り、
ここで入寂したというお寺です。
なんかこの辺りは色々と
歴史の絡むものがありますねえ。

ここの境内に道標や
井戸の跡なんかもあるのですが、
これもちょろみだけで
先に進んでいきます。



こうして歩いているだけでも、
こんな小さな子供が
両親とたらたら歩きに
来ているのとペースが
あまり変わりませんねえ。
平日なのに子どもが
ウロウロしているんですねえ。
色々理由があるんでしょう。

肝心な交差点に立っている
主催者側の歩く会の人たちに
誘導されて進んでいきます。

ここが清盛塚です。



昔市電の工事に伴い
塚を改修してここに持ってきたそうです。

でもその元の塚も
発掘したところ
墓であったとはいいがたく、
この辺のことはまだ
はっきりしていないようですね。

続く


神戸街歩きの大会にて1

2018年01月13日 21時54分57秒 | ウォーキング

歩くということに関して、
いろんな方面から取り組んできました。

ひとつは「完歩ウォーク」。

ある一定のロングコースを設定し、
それを歩き続けるウォークです。

これまで、淀川を琵琶湖から
大阪湾まで完歩し、
現在は対岸をまた大阪湾から
上流に向かって歩いています。

対岸はどこまで道があるか
わかりませんがね。
そして熊野古道も
一応すべて歩いて大社まで
たどり着きました。

今年は神戸リボン通りの道の
完歩を目指しています。

そして完歩というわけにはいきませんが、
根気よくツアーに参加して、
四国八十八箇所もすべて回りましたねえ。
西国三十三箇所はところどころ
歩きを入れて、訪ねて行ってます。

そうそう、街道といわれる道も
いろいろ歩きました。

紀州街道、熊野街道、大和街道、
大和田街道、高野街道、長尾街道、
竹内街道等々。

そうそう、歴史的事実を掘り起こしに、
街中コースなんかもずいぶん歩きました。

また山登りでは、各地の富士も
歩いてきましたねえ。
泉州富士、紀州富士、近江富士、大和富士。
こうして歩いていますと、
いろんな歩きのパターンがありますねえ。
そういったことを中心に
活動しているウォークの団体さんなんかも、
今まで気が付かなかったけど
いろいろあるようです。

そんな団体のイベントで
よく参加しているのが、
神戸ウォーキング協会の歩き会です。
昨年は、東灘の酒屋巡りのあと
カネテツデリカフーズの工場で
試食会というコースなんかも
行きましたねえ。

事前申し込みもいらず、
30分くらいの間に適当に受付して、
地図をもらって歩きます。

コースの途中ではいろんな催しに
適度に参加できるという
配慮もなされています。

そして決められた二時間の間に
ゴールしたら、そこにある
ゴール受付で参加スタンプを
もらって勝手に帰るという、
自由な設定です。

当日あかんかったら
何も気にせず休めばいいし、
歩いていても急用や
退屈なコースであれば途中の駅から
勝手に帰っても何の支障もありません。

そういう大会ですから、
保険なんかはどうなってるのかなあ
というのはちょっと心配ですが、
そこは自己責任で自由に歩く
という魅力がとってもいいので
気に入ってます。

今回は、その団体が企画しているという
「神戸街歩き、アシックスミュージアム体験ウォーク」
と名付けた大会に参加してきました。

集合はJR兵庫駅に10時から
10時半の間に行くことになるので、
それに間に合うように時間調節して
電車で向かいます。

その駅についたのが、
ほぼ10時です。



和田岬線の乗り場なんかを見ながら、



指定された受付会場に向かいます。

受付は資料が置かれたロングテーブルと
人が座っているだけなんですが、
おお~そこにはもう100人以上の
人々が列を作ってはりますねえ。

平日なんで、ほぼ95%が高齢者です。

今の高齢者は元気な人が多いですねえ。
これをチビチビ待つのはあかんなあと、
とりあえずトイレに行って
体制を整えているうちに
どんどんみんな受付を
終えて歩き始めます。

見る見るうちに、受付が
すいてきましたので向かいました。

受付では資料を渡すだけですから、
あっという間に人は
はけていくのです。
まあ、それだけ気軽な受付
ということです。

doironもそこで、
地図とスタンプと記念参加バッジを
もらって、さあ出発です。

天気は上々ですねえ。
寒さもかなりましです。

海辺を歩く部分が多いので、
悪天候だと大変です。

さて、コースはというと、
地図ではこんな感じになっています。



そう、この兵庫駅からのウォーキングは



今年の秋口に
「兵庫なぎさ海道」で歩いたコースと
ところどころで重なるのです。

まずは能福寺(兵庫大仏)に向かいましょう。

続く


亡き母の誕生日

2018年01月12日 21時18分58秒 | 生活

母親が亡くなって
もうすぐ3年となる。

早いものやなあ。
腰痛から始まって
骨折、認知の始まりと
まあ世の中の規定通りに
年を取り、最後は病院で
静かに息を引き取った。

doironにとっては
かけがえのない介護の8年を
すごすことになったなあ。

そんな母の誕生日が
1月10日でした。
ヤギ座のO型

子どもの頃はお年玉で
潤っていたので
母の誕生日プレゼントはいつも
えべっさんのお飾りでした。

生きていたら今年91歳の
誕生日だったなあ。

そんな10日の朝、
近所の公園へ散歩に行こうと
家の前に出ると
母の友達だった近所のおばちゃんが

「今日はスーちゃんの
誕生日やなあ。
元気やったらカラオケにでも
行くのになあ」と話しかけてきた。

「いやあ、誕生日を
おぼえてくれてたんやなあ」

「いやあ、スーちゃんが元気やったら
私ももっと外に出ていくのになあ」と
しみじみといってはりました。

きっと楽しい時間を一緒に
過ごしてくれはったんやろねえ。
いつもさみしい想いをしてるんやあ
とつぶやいてはりました。
おばちゃん同士の
深いつながりってあったんやろなあ。
そんな人と人のつながりって
本当にその人の人生に
絡まってくるもんやねえ。

「おばちゃんは長生きしてなあ」
といっておきましたよ。

そんなことをしながら
公園を散歩していると
またべつのおばちゃんが
今日はスーちゃんの誕生日やなあ
と話しかけてきました。
なんかアイドルみたいでしたねえ。

だったら、今日はいっちょう
えべっさんでも
いってみるかあ。
という気になったので
かえって仏壇にお線香をあげてから
午後からミセスと
近所の「えべっさん」を唱えている
神社に言ってみることにした。



ここの神社は
母親の母親、すなわち
おばあちゃんの出身地の
すぐ近くだ。

ああ、ここで誕生日の
熊手の飾りを買ったことがあったなあ。
とか思いながら行ってみると
出店がほとんど出ていない
大きなテントがひとはり
張られているだけで
そこで熊手や飾りが置かれているだけだ。
まあ、今は商売も仕事も
大したことは何もしていないので
本殿にお参りだけして
帰ることにしたのだが、
その帰り道、何気なく神社内の
寄進者の名札をチラッと見てみたら
ふとばあちゃんの旧姓の名字が
いきなり目に入ってきた。
地域名を見てもたぶん
そのばあちゃんの家計の人に
違いないだろう。
ああ、ここに寄進しているんだ
と気づかされた。

えべっさんに行こうと思った時に
どこに行くかて考えたら
すぐにこの神社が浮かんだのは
ひょっとしたら
母さん含めてご先祖さんが
ここへ呼び寄せていたのかも
しれないなあと思ったのでした。

家に帰ってしばらくすると
二人目のおばちゃんが
仏壇に線香をあげに
来てくれはった、
亡き母の誕生日でした。