ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

西国三十三所 琵琶湖三井寺3

2018年01月11日 21時47分55秒 | ウォーキング

ここにはマスコットキャラクターの
旗が上がっています。



「べんべん」というそうです。



その名前は弁慶の引摺鐘を
引っ張てるようですねえ。

そしてここには
べんべんのショップもありましたよ。

中をずらっと見てみますと、
まあどこにでもあるような
物が並んでいましたが、
一つ面白いものを発見。

ネイルのインクです。

面白いやろねえ、
指の先に様々な仏像が
描かれていたりしてねえ。

「え~っとねえ、左の薬指は
薬師如来なので、
それでバンドエイドはってあげるね」

「え~今日は右のひとさし指が
不動明王なので、起こったら怖いよ」
なんてね。

こんなネイルがあれば
楽しいかもしれませんねえ。

まあまさか買ったりはしませんでしたがね。

そのさきでようやく、
納経所の方へと出てきましたが、
まず展望所に上がってみましょう。



うわー、きれいですねえ。

琵琶湖と比叡の山々が見渡せます。
近いうちにぜひ行ってみたい
展望所のある喫茶店は
どこかなあとか探したりしています。



そして右の方には
三上山も見えていますねえ。

ということは、
あの右手の方がドジ旅で行った
金勝アルプスかなあ。
滋賀県はなかなか気持ちの
いいところですねえ。

もし関西でどこか住むところを
探してくださいといわれたら、
滋賀県がいいなあなんて
思ってしまいます。

さあ、それでは納経所である
観音堂へ行きましょう。



手を洗い、ろうそく、線香をあげて
納札も納めていきましょう。

賽銭は5円玉が2個です。
しっかりと祈っておきましょう。

さあそれでは朱印をいただきましょう。
ここの朱印には「大悲殿」と
大きく書かれます。

大悲殿とは観音菩薩が
安置されている建物のことで、
そこで授かる衆生の苦しみを
救おうとする仏や
菩薩の広大な慈悲の心
すなわち観音菩薩のことを言います。

この時の朱印の字は
あまりくずした字ではなく、
わかりやすい字体で
doironの好みですねえ。

最後に散華ももらって終了です。

では駐車場へと戻っていきましょう。

まあ、三十三箇所も
折に触れ順調に集まってます。

遠方の岐阜や日本海側は
ちょっと泊まったりして
いこうかなあ。

行くべき近くのお寺が
なくなってきたので
ぼちぼちそういう旅も
必要になってくるかもしれませんねえ。

さあでは車に乗って
琵琶湖方面に向かいましょう。



今日ここに来たのには
もう一つ行きたいところがありました。

琵琶湖沿いに、ちょっと小粋な
お店が並ぶスポットがあるのです。
淀川歩きやドジ旅の時にも
見つけて気になってました。

琵琶湖沿いの駐車場に車を止めて、
なぎさ公園に入っていきますと、
ちょっとしたお店が並んでいます。

その中の一つを選んで
入ったお店で昼食です。



琵琶湖の湖面が目の前に見え、



遠くの景色も眺められるテーブルで、
こんなのをいただきましたよ。

あ、車ですのでビールに見えるのは
ノンアルコールです。

ここはよかったですねえ。

今回は、お寺参りだけ考えて
のんびり出てきたのに、
さらにのんびりしてしまいましたねえ。

さあて次の三十三箇所は
どこに行こうかなあ
とか考えながら、
琵琶湖の三井寺終わりです。


西国三十三所 琵琶湖三井寺2

2018年01月10日 21時10分58秒 | ウォーキング

この三井の晩鐘は、
ついて時間の流れを知らせるだけでなく、
年末にはどんどん鐘をついてほしいそうだ。
そしたら、着いた人に
幸運をもたらそうという鐘なので、
ここでは108回以上の回数鐘を
鳴らすそうだ。



ひと月300円。



この日は、障がい者の人を
連れてきてはる団体さんがあって、
順番に鐘を鳴らしてはりましたので、
doironはしっかりと
聞いておくだけにしました。

なかなか哀愁のある鐘の音に
聞こえましたねえ。

年末にニュースを見てたら
この三井の晩鐘の煤落としが
テレビで中継されていて
懐かしかったな。

そのあと国宝の本堂にお参りしてから、
反時計回りで境内を歩いていきます。

このお寺は大変広いです。
広い上に山麓にあるので
全貌が見渡せません。

いくつもある国宝や重要文化財も
どこにどれだけあるの
って感じです。

次に行くのが金堂の裏にある
「閼伽井屋」です。



仏像に関する水を組む
井戸のことなんですが、
建物の中をのぞいてみますと
ポコポコと水がわいているようです。



じつはこの井戸の水は、
天智、天武、持統の三天皇の
産湯に使ったそうです。



そのことからこの園城寺が
別名「三井寺」と
いわれるようになったそうです。
へえ~、由緒正しい俗称ですねえ。

2番札所の紀三井寺も
3か所の霊泉がわいている
ところからこの名前に
なったようですが、
向こうは真言宗系でこちら
三井寺は天台宗系であるように、
特に関連があるわけではありません。

三井寺の名前の秘密を
知りましたねえ。

ではその次にその先の奥に
収められている



「弁慶の引摺鐘」

を見に行きましょう。

これです。



どうですか、鐘に引きずったような
跡がありますねえ。
あの固い鐘がこんな風に
なるんですねえ。

いわれはというと、こうです。

以前、瀬田の唐橋を渡った時に
登場してきた侍
「俵藤太」がこれも
doironが一度上った
三上山の大ムカデを退治したときに、
琵琶湖の竜神から
鐘をもらったそうなのだ。

それを彼が三井寺に
寄進したそうだ。

そのあと、比叡山と三井寺が
宗教の争いで戦った時に
比叡山からやって来た
武蔵坊弁慶が三井寺からこの鐘を奪い、
比叡山に持ち帰ったという。

ところがこの鐘が比叡山では
ちゃんとならずに

「イノー、イノー」と鳴るだけで、

「帰りたい」という意思を
示したのだそうだ。

それを聞いて起こった弁慶が、
そんなに帰りたいのかと怒って
谷底へこの鐘を投げ落としたそうです。



鐘の表面についている傷は
その時のものといわれています。

その後三井寺に戻った金は、
つるされて三井寺に
凶事が迫るときには
音を出さなかったといわれています。

イノー、帰りたいと鳴ったり、
凶事にならなかったりと
不思議な鐘なんだそうです。

まあ、話はところどころ
色づけられているのでしょうが、
いろいろと変遷のあった
鐘だったということですねえ。

鐘堂に収められたそんな引摺鐘は
今はもう鳴らさないようになっています。

もしなるようになってて
何かあったら変やもんなあ。

でも鳴らさないように
なっているのに、「ボーン」
なんてなったらまた新たな
伝説が作られそうですね。

そんな鐘も見たら、
さあではまた境内を
いろいろ見ていきましょう。



ここは一切経蔵ですね。



建物の中にお経の箱が
ずらずらーと並んでいます。
どんな順番で読まれたりするんでしょうか。

「え~っと、今日はD-38番を
唱えていきましょう」
とか言いながら、
読経が始まったりするのかねえ。

あ、こんな映画撮影の看板も
ありましたよ。



どちらも見ていない映画ですので、
チェックしておきましょう
っていうか、今の時代、
左の映画は作者問題で
ちょっと自粛ですかねえ。

そしてやはり、
この看板は気になりますねえ。



受験生が気にならないような、
なんかいい言葉はないのかなあ。
などとつらつら考えながら
歩くdoironなのでした。


西国三十三所 琵琶湖三井寺1

2018年01月09日 20時43分11秒 | ウォーキング

この話題は、昨年に行った
お寺の話なんですが
なんと新年の話題にふさわしく
お正月にピッタリですね。

書いていきましょう。
今年もしっかり歩きますよ~

ということで
西国三十三所の話です。

今回は14寺目のお参りに行きました。
それが第14番札所の園城寺、
通称三井寺で滋賀県大津市に
あるお寺です。

ここもそうやなあ
これまで3回は行ったかなあ。

1回は働き始めてすぐのころだったなあ。
そしてもう1回は比叡山に行ったときに、
一度立ち寄ったことがある。

そしてもう一回は、
前々回のドジ旅で
びわ湖毎日マラソンを
応援しながら歩いた時だ。



このお寺、そもそも比叡山が
近くにあるので、
宗教的にはややこしい位置にあり、
比叡山との抗争戦乱で
何度か焼失もしているお寺だそうだ。

それでもこうして今も
寺業を続けているのだから、
地元の信頼も厚いのだろうし、
札所として多くの人が
やってくるということも
あるのだろう。

今、doironが新たにこの寺に
行くとなると、それはもちろん
朱印をもらうためでもあるが、
施設的にも前から気にしていたものを
見みたいという気持ちもある。

それは何かというと
ひとつは「三井の晩鐘」で、
もう一つが「弁慶の引摺鐘」だ。
いずれも鐘なんですが、
いろんな話がそれらの
鐘に込められているそうだ。



晩鐘は龍に利かせる鐘で
琵琶湖の過去の絵図でも
描かれたりしいているし、
引摺鐘は気分に応じてならなかったり、
帰ろう帰ろうと鳴く鐘だったり
と話は面白い。

これらの鐘を今回はしっかり見てこようと、
先日天気のいい暖かい日に
車で出かけて行ったのだ。

琵琶湖までは本当に近くなった。

第二京阪と京滋バイパスを利用していくと、
途中全線歩いた淀川を超え、
石山寺から岩間寺へ向かって
こえていった橋をくぐり、
すぐに近江の国へとついてしまう。

その石山寺で降りて、
今度は三井寺まで山道っぽいところを
進んでいくと、大津を超え
三井寺に到着となる。

県道から国道161に入り、
琵琶湖疎水のところで
左折して入っていきますと、
正面がお寺です。

駐車場に車を600円でとめて
入りましたが、近くで
時間制の安いところがあれば、
そちらに駐車がいいでしょうね。



お寺に入るのにまた
500円入りますから、
ここは考えておかないとね。

仁王門から入っていきましょう。

近江甲賀の常楽寺に建てられた仁王門は
伏見城に移され、やがて
徳川家康によりこのお寺に
移されたものらしいです。



檜皮葺で優しい姿で
均整の取れた建設だといわれています。

とまあ簡単に移設されたように
書いてますが、さぞや
大変だったでしょうねえ。

運搬とか考えたら部品ごとに
ばらしたんでしょうねえ。

檜皮葺だって大変だったんだろう
と想像できますね。
それを超えて進んでいきますと、
おお~紅葉がきれいですねえ。



そしてこの園城寺を立てた
「上人の遺誡」が張られてありました。



まあ仏道を修養するものは
しっかりすれば仏道は永遠ですよ、
みたいなことを書いてはります。

そしてその横の階段のところには、
こんな注意書きが・・・



「すべりやすいので 通行注意」

だって。

う~ん、受験生は別の階段を
上りましょうねえ。

その階段の上には国宝である
金堂がありますが、
まずは三井の晩鐘です。
左の方にその晩鐘堂があります。



で、なぜこれが有名な晩鐘なのか
というと、こんなわけがあります。



昔、琵琶湖の龍が人間に化けて
子供を産んだのですが、
やがて湖に帰らないといけない
ようになりました。

子どもはそれ以来、龍のところへ行き
ミルクを飲んでいたのですが、
それも出なくなりました。

すると子供は泣き叫びます。

そこで龍は仕方なく自分の目玉を外して
子供になめさせるように
したら泣き止んだとのことです。

その目玉も両方なくなり、
ついに私にはも目が
見えなくなったけど
毎日鳴らして月日が
過ぎていくのを教えてください
といったそうだ。

その鐘がこれ。



三井の晩鐘と呼ばれている。

続く


母は葛の葉、その神社

2018年01月08日 20時43分15秒 | ウォーキング

2018年になって三日目。

この日はやはり箱根駅伝の
復路が行われている。
まあ、トップから30秒くらい差だから、
山下りでは一気に追いつくような時間だ。

案の定、青学は下りで追いつき、
そして追い越して一分近い差を
逆につけた。



このあと8区にエースの
下田がいるから7区を
うまくまとめたら優勝は固い。
と思っていたら、
なんと10キロの持ちタイムが
30分近い選手が区間新記録を
作るという驚きの走りを見せたのだ。

これには青学の監督も
めちゃ驚いたそうだ。

結局、本大会のMVPにも
選ばれた林選手の走りでしたねえ。

ああ、もうこれで間違いない。
エース下田は調子も良さそうだから、
青学が優勝だろう。
だったらそのあとはどうなるの?
東洋は二位を保てるの?
早稲田は?日体は?という
観戦もしたいのだが、
まあそれは後で分かるだろうと
あきらめて、ここで
テレビの生観戦を終えて、
昨日から予定していた
葛葉稲荷への初もうでに
出かけることにしたのだ。

もちろん歩きでね。

そうそう、この神社へ行くのには
他にも特別な理由もあったのだ。

ひとつは、息子の幸せな結婚を
この稲荷にある夫婦クスに
お願いしていたので、
そのお礼参りということ。

そしてもう一つが昨年末に
歩いた巨木探索ツアーを
計画しているときに、
ここの夫婦クスが大阪で
2番目に大きいクスノキである
ことが資料に示されていたから、
ではその確認にもという
気持ちもあったんだよね。

では向かって行きましょう。

国道26号に出てそれを横切り、
富秋町から葛の葉町へと
向かって行きます。



こんな手書きの飛び出し小僧
なんかを写真にとりながら
歩いていきますと、



「おお~狸だ」と思ってよく見たら、
この家の狸は千万両と
書かれた小判を担いでいましたね。



う~ん、縁起のいい置物ですねえ。

そして2、5キロほど歩いたら、
葛葉稲荷の森が見えてきました。



この神社は、あの安倍晴明の
母親である葛の葉という
白狐を祀っているそうです。
ちょっと特異な神社なんですねえ。



しかもこの神社の中には、
それはそれはたくさんの
神さんが祀られています。

一対ずつ賽銭を納めて
全部回ったらすごいお金が
かかりそうです。

doiron達は本殿にすべての神様へと
祈りを込めてお参りしておきましたよ。

その本殿の横に生えているのが
夫婦クスです。

ミセスはここへ息子のことで
よくお参りに来たようですよ。

昨年は結婚式もあり、
その願いはかなったと
いまは大変喜んでいます。

そこにきちんとお参りしておきました。

その夫婦クスいうのがこれ。



根元の太い幹から
日本の幹が生えていますねえ。

根元の太さを考えたら、
この楠の古さを感じますねえ。



樹齢は700年程度と
考えられているようです。

いやあ、だったら本能寺の変や
関ケ原なんかも知っているんですねえ。



幹の太さは11メートル。
まるい木なら、幹の直径は
3.5m程ある木
ということになります。

大阪最大の薫蓋楠と
熊野古道の岡中の楠木の
間くらいの大楠ですね。

しっかりとお礼参りを
しておきましょう。

そしてその木の横には、
子授け石というのがありました。



「元気な孫が生まれますように」
と二人で触っておきましたよ。

はたから見てたら
「あの年で・・・」と思われませんよねえ。
まあそうは見えんか。
大丈夫でしょう。

そうして今年になってから
5社目となる歩き初もうでを行い、
帰ってきました。

で、ふと気づいたのですが
この日は何とナビを
入れておくのを忘れておりました。
歩いた距離が感覚でしかわかりません。

でもねえ、大丈夫!
アップグレード時に勝手に作られた
スマホのヘルスケアという
アプリで大体わかるのです。

こんな感じ。



これによると、大体推測で
5キロくらいであることが
わかりますね。

2018年もこんな感じで
暮らしていきましょうかね。


市内四社巡り 3

2018年01月07日 20時56分17秒 | ウォーキング

ここが一時、めちゃめちゃ走った
臨海の小松緑道に続いていく道です。



この道を走りながら、
往復5.5キロの道を
今日は何往復しようかなあ
なんて考えていましたねえ。
ああ、そんな人生の時期が
ありましたねえ。
最高この道を6往復したかなあ。

郵便局で年賀状を投函し、
少し南に進んだところを左折すると、
大津神社に到着します。



これで3社目ですね。



ここの神主は一緒に
セーフコミュニティの
取り組みをしている人ですから
良く知っています。

お参りの行列の中から
社務所をのぞいてみると
そこにおられるようです。
参拝後にあいさつに伺いましょう。



今日は四社巡りなので、
賽銭をしっかり持て来ていますよ。
さあ、それでは社務所の方に
向かって行きますと、
あれ?さっきまで立っていたところに
神主さんがおられません。

しばらく待ちましたが
やはり来られないようです。
残念でしたね。

大津神社を出たら、次が最後の4社目、
泉穴師神社です。

昔から我々はこの神社を
「あなしさん」と呼んでいます。
まずはその神社に通じていくという
勅使道に向かいましょう。

南海本線は昨年3月に
高架線路となって
この辺りの道はすっきりとしましたね。

ここが勅使道と南海電車の
交わるところです。



これが海の方を向いたところ、



そしてこれがあなしさんへの方向です。

泉大津市立病院に
近づいてきたところで、
前を見ますと、
おお~もう遠くの方に
あなしさんの緑が見えてきます。



ここは大きなクスノキが
ありますからねえ。

え~っと、そしてここが
doironの通っていた中学校ですねえ。



あの頃はハンドボールを
やっていましたね。
いまでもグランドにこうして
ゴールがあるのですから、
後輩たちも頑張って
いるんでしょうねえ。

当時は全国レベルのチームでしたからねえ。
doironは2軍でしたけど。

「あ、待ってね~。」と言いつつ
ミセスが立ち止まっています。

ここにある白長明神の横で
止まっています。



ふ~ん。

こんなところにも地蔵さんが
あったんやなあ。
ここもスポットなんですねえ
ポケモンもなかなか役に立ちますねえ。

そしてたどり着いたのが
4社目の「和泉国二宮」の
泉穴師神社です。



ここは織物と農業の神と
書かれてありますねえ。



泉大津の地盤に絡んだ宮さんですねえ。
曽根神社のある我々の地域でも
「あなしさん」と読んでいた
近しい神社です。

ここのクスノキが、泉大津では
最大の樹木でしょう。

樹齢600~800年の
古いクスノキが10本以上あります。



大阪府でもここを緑の百選に
選んでいるようです。



さて本日最後の神社です。
ここでおみくじを手に入れましょう。
あ、そうそうここの氏子総代も
知り合いです。
かつて同じジムで一緒に運動を
していた人ですが、
やっぱりいませんでしたねえ。

結局どこの神社も知り合いがいるのに、
どなたにもお会いできませんでした。
残念です~。

で、おみくじなんですが、
じゃじゃーん、「吉」でした。

まあ、こんな人生ですから
これくらいでいいかな。
詳細を見ると、一番うれしかったのが
病気直るでしたねえ。

そこから一キロちょいをてくてく歩いて、
4社巡りは完了です。

午後から歩き始めたので、
太陽の高さが低く、
暗かったりした写真が多かったですねえ。
今年もしっかり歩きつつ、
写真も頑張っていいものを
とっていきましょう。
今年も一層のご利益があればいいですねえ。



歩いた距離はトータルで
7.8kmほどの程よい
長さでしたねえ。

脂肪は燃えたかな、
尿酸は減ったかなあ。

あしたは和泉の葛葉稲荷でも
行こうかなと思いつつ、
今年最初の歩きは終わりです。


市内四社巡り 2

2018年01月06日 21時35分05秒 | ウォーキング

この神社では、東天紅と
小国鶏という鶏を飼っています。

それもただ飼っているだけではなく、
なんと放し飼いなのです。
神社からひょこひょこ
出ていくことはないのかねえ。
猫に襲われたりもしないのでしょうか。
ちょうどdoironが境内に
入っていったときも、
目の前を一羽がひょこひょこと
歩いていきはりましたね。



これが小国鶏。
小屋もあるんですがねえ。



そしてこうして東天紅も
放し飼いにしているようです。



昨年の正月に来てたら
酉年だったから、
もっと派手にしてたのかなあ。

お参りをして出社しましょう。



ここの神社の氏子総代も
知り合いなんですが、
探したけど見つかりませんでしたねえ。

ではこの神社を退出して、
次は大津神社の方へ
向かって行くために、
紀州街道の方へと歩いていきましょう。

そして紀州街道に出たところには、
泉大津市内でも珍しい
道標が建っていますねえ。
これ。



中和泉街道と書いてありますが、
これが今歩いてきた道で、
別名「ぬのびき道」といいます。

南海中央線の交差点に、
こんな案内板が立っていましたからね。



さあ、ではこの交差点から
しばらくは紀州街道を
南下していきましょう。

助松の村中には知り合いが結構います。

なぜかdoironのことを
「兄貴!」と呼ぶおっさんも
いてるんやでと、
ミセスに話しつつ、昨年末に
この道を車で走っていたら
なんとそのおっさんが道を歩いていて、
「兄貴!」といって近づいてきました。

今日は寒いねえと話を交わしてすれ違い、
その後ミセスが
「やっぱりそんな人がいたねえ」と
感心してはりましたな。

さすがに正月の今日は
誰とも会わずに、
村の中心部にある
田中邸の前を通ります。



ここは和歌山の殿様が
参勤交代するときの休憩所に
なった場所だそうです。

敷地の中はよくわかりませんが、
外から見てても広い家で、
当時のこの家の繁栄ぶりが
よくわかりますねえ。

一度中に入って見学してみたい
ものですが、居住してはるので
むつかしいですねえ。

その田中邸の案内板が、
紀州街道の門のところに
建てられているので、
読んでいきましょう。



さらに歩いていきますと、
やがて助松の村はずれに到着します。



ここには、地蔵堂と



旧石像がありますよ。



旧石像物群として
泉大津ふるさと文化遺産
に登録されています。



ああ、懐かしい徳本さんの
名号碑もありますねえ。

この辺りの地域は、
わりと村はずれのところに
作られる地蔵さんなんか
結構よく残っています。

doironが住んでいる村なんかにも
ちゃんとありますしねえ。

ここでちょっと立ち止まって、
持参しているお茶なんかを
飲みながら小休憩です。

では、さらに南下していきましょう。

このまま南下していけば、
紀州街道はやがて府道に
出て行ってしまいます。

でもdoironは追加で書いた
年賀状を郵便局本局で
投函する予定だったので、
松ノ浜駅下がりを右折して
松ノ浜町内の方へと
入っていくことにしました。

150m位を歩いていきますと、
一方通行に出ますので
その道を左折します。

ああ、この道は昔よく走ったなあ。



しばらく行きますと、
おお~ジダンのお家前です。
さすがに正月二日は家にいるでしょう。

ピンポンダッシュ!
なんかしませんがね。

やがて小学校の前に出て、



我が家の墓のある墓地の
横にさしかかります。

この墓地には、うちの村の人が
中心になっていろんな絵を描いています。



まずはこれがロシア兵墓地です。
日露戦争時に捕虜中に
なくなった89名の墓地が
ここに作られています。



そしてこれが勅使道の案内です。

ちょうどこの辺りから、
穴師神社へつながる道を
勅使道と読んでいました。

この後4社巡りで、
その穴師神社へと通っていく道です。



そしてまた後藤又兵衛が
この地域にいたという話にもとずいて、
この絵も描かれています。

続く


2018市内四社巡り1

2018年01月05日 21時44分05秒 | ウォーキング

ああ、歩き旅もいろんなところに
いきましたねえ。
その都度、ブログでも報告してきました。

するとなんと今回の話しが
ブログカテゴリー「ウォーキング」の
ちょうど1000話目にあたるのです。

初もうでの話を綴っていきましょう。

ーーーーーーー

お正月の二日、
箱根駅伝をしっかり見てから
泉O津市内にある大きな神社を
歩いて4社巡りをしました。

まずは曽根神社から回り始めます。

この神社にはねえ、
いつも正月に寄進をしているので、
松の内は名前を書いた提灯が
つるされてるよ。

これは夜景の時に撮影したもの。



この神社に来ると、
そうやなあdoironの名前を
石や名盤など4か所で
見つけることができるのです。

そして、この神社の社務所には
氏子代表の人が社務所で
お守り販売やお屠蘇のサービス
などの受付をしているのですが、
来年の正月からはdoironが
氏子総代になるので、これを
やることになるのです。

機会があれば来年来てくださいねえ。

ではお参りをしてここから
市内4社を周り始めましょう。

まずは二社目は助松神社へと
歩いていきましょう。

コースはいろんな形が取れるのですが、
この日は南海中央線を
通っていくコースです。



横ではミセスがポケモンの
ボール拾いなんかをしながら
ひょこひょこついてきます。

てくてく歩いていると、
かんじんなシーンとかになったら
「あ~」とかいって叫ぶので、
その時は止まってなあ
とのことを言ってましたね。

はいはい。

ポケモンスポットのことを
言っているわけですね。

ポケモンでは場所ごとに
名前や名所書きなんかもついてて、
画面で紹介されるように
なっているみたいで、
道にオズミンの石人形がある
ここには「オズミン1」と
名前がついているようです。



そんなところで、スポットが
あることが多いのです。

そしてこのポケモンのソフトは
結構よくできていて、
素性のよくわからん地蔵なんかでも、
説明書きとともに
内容が示されたりするので、
たまにいろんなところで
ミセスがアドバイスしてくれて、
思わぬ発見をするときもありますね。

「あ、この向こうに交通安全地蔵があるよ」、
見たいにね。

そんな機能を考えたら、
ポケモンで歩き旅をする
コースなんかも作れたら
面白いよなあ。
もしそんなソフトが
自分で作れたら配信するのになあ。

きっとそんなのも
これから出てくるかもね。
例えば旅行に行ったときに、
今日は歩いて名所めぐりするよ
と言ったら、
「そしたらこんなコースをどうぞ」
みたいに、おすすめコースが
示されるとか、
自転車だったらこのコースとかね。
ああ、カテゴリーも
お店めぐりとか、歴史巡り、
自然観察とか色々あったら
面白いかもしれんなあ。
そう考えたらスマホもまだまだ
そんな活用方法ができてくる
ようになってくるかもね。

あ、もしかしたらもうあるのかなあ。
また探してみよう。



え~っと、ここの焼肉屋には
「競馬」でちょっと稼いだら
必ず来ることになっているが、
残念ながらさほど大きな当りはない。

秋の競馬時にもそんな話をしてたら、
ミセスが
「そんなに当たるて自信たっぷりに
言うのなら、この店を予約しとこかあ」
などと、にやついて言ったりするのだが、
「ちょっと待っててね」
と頭をゴリゴリ書きながら
止めている今日この頃です。

見てろよ~春ごろのG1競馬で、
肉なんかもういらんといわせて
見せるさ。

そんな道を馬鹿なことを
言いながら歩いていきます。

あれ?ここにこんなんあるよ。
とミセスのアドバイスがありました。



これは知らなかったですねえ。
地蔵なんですから
新しくできたものでもないしなあ。

この前の道は、
祭りでもさんざん歩いているところだし、
知らないところでもないのになあ。
ポケモン活用して
ゆっくり歩いていると、
身近なところでも
こんな発見があったりするんやねえ。

さあ、さらに東向いて進んでいきましょう。

南海本線の助松駅のところで
踏切を渡ると、
右側に見えてくるのが助松神社です。



ここの祭神は菅原道真公です。
頭よくしてね~と普通はまあ
お願いするんでしょうが、
この歳になったらここでは
「頭の血管強くしてね」と
お願いするのがいいかもねえ。

そしてこの神社の特徴というのが、
もう一つあります。
鳥居をくぐって
中に入っていきますと・・・。
おお~~

続きます。


2018書初め

2018年01月04日 20時18分06秒 | 最近の出来事

さあて、今年も書初めの頃が
やってきましたていうか、
一年に一度の書道なので
書初めであったり
書き納めであったりも
するわけですがね。

まあとにかく筆を持ち
半紙に向かって何かを書く
という行為を一年に一度
するわけですね。

で、何を書くかといいますと、
去年の反省であったり、
今年の目標であったり、
あるいは常に心掛けている
ことだったりするわけです。

筆は、大したものはありません。
先の割れた安物の筆しかないので、
とんでもない線になってしまいますが、
へたくそな字ですから
へたくそな筆でも構わないのです。

きっと、二本に一本は
百均の筆だろうと思います。

墨もまた百均の液体墨ね。

じっくり硯に向かって
心静かに墨をすって、
などというような高尚なことはしません。

本当はそんなところから
じっくりするのが
書初めなのかもしれませんが、
まあそんな大した取り組みの
ようには考えていません。



今年はまず最初に描いたのが、
これ。



昨年の反省でもあり、
今年の大きな目標でもありますね。

普通にこれを書いてたら、
ミセスに
「あまり覚悟を感じられないなあ」
といわれてしまいましたので、
ちょっと頑張って
書道風な字で書きなおしてみました。



う~ん、大胆な字というのも
書きにくいねえ。

そもそも元の字が全然整ってないので、
大胆にかくもくそも
ないのかもしれません。

あ、隅っこに押している印は
doironが中学生の頃に
掘ったものですから、
そうもう50年くらい前のものです。

物持ちいいでしょ。

次に書いたのは、
正月を経て体に尿酸が
たまってきているような
気がしますので、
それを戒めるものです。

息子からのメールでも

「明けましておめでとう。
ビールとカズノコ食べ過ぎたら
尿酸たまるで」
むむむ~そんな
警告メールも来ていましたからね。

しっかりと食べるものには
注意しましょう。

ということで、こう書きました。



アトリエに張り付けて
常に警告しておかないといけませんね。
で書初めはまだまだ続きますよ。
次はこれ。
まあ、doironの体も
血の流れがよくなくて
いろんな病気になってきましたからね。

体調で一番気を付けなければ
いけないのは、こういうこと
でしょうねえ。

長い半紙に5文字書くというのは
なかなかバランスが
むつかしいのですが、
やっと何とか一枚の紙に
バランスよく収まったかなあ
という作品です。



これもアトリエに貼って
おかないといけませんね。

いやあそれにしても
体に関することばかりですねえ。
高齢者丸出しですなあ。

あと、今回はもう一枚
書いたのですが
これはちょっとこれらと違うよ
また別の機会に紹介しましょう。
これはとっても素敵な一枚なのです

で、こうして今年の書初めも
お開きです。
まあ、あっさりとですが
楽しく書けたかな。

そうそういつも書初めの時には、
ミセスもついでに横から
書いたりしています。

今回書いたのは

「一日一万歩」

まあ最近ご近所散歩に
熱中しているだけのことはありますねえ。

今日はまだ8千歩しか歩いてないから
あと二千歩歩いてくるわ
とか言いながら出ていきよるのです。

それはさておき、こんな書初めももう
10年以上続けています。

安もんの半紙に安もんの墨で
書いているので、
一年もたてばへなへなに
なってしまいますので、
一年したら処分ですね。

これらは昨年の作品です。







今は写真というのが
あるから残せるもんね。
自分の作品も、
このブログの中なんかにも
ちゃんと残っていますしね。
振り返ってみてみたら
かなりの数を書いているものです。

で、ここで疑問が一つ
本当の書道家はどんなふうに
作品を保存してるんでしょうかねえ。
一枚ずつ額に入れるというのも変やし、
表装もできないし
今の人だったら写真で残していたり
するんでしょうかねえ。
紙だったらそんなに
持たないもんなあ。
あ、そしたら耐久性のある布に
書いたりしているのかなあ。
う~ん、この辺の世界のことは
よくわかりませんなあ、

などと自分にはどうでもいいことを
考えたりしながら、後片付けをした
doironなのでした。


新年3日目

2018年01月03日 21時51分24秒 | 生活

新年を迎えて、
4社めぐりなんかもしたけど
やはり、食べ物の量に比べて
運動量はかなり低い。

あ~あ、正月終わったら
ダイエットしなきゃなあ。

昨晩なんか、お酒をかなり飲んだ

年末にいただいたお酒と
見つけて買った横山大観の
お酒「酔心」
そして、えいでいただいた
お酒を少しずつ飲みながら
のんびり正月の夜を過ごしていたよ。
昼間撮りためたビデオとか見ながらね。

いただいたお酒は
「笑う門には福来たる」というお酒。



あの葛城古道の
風の森に関するコメで作られたもので
飲んでみると
「ん?この炭酸感は」という感じ。
御酒とは思えないあっさり味で
シュワっという感覚がある。

開けた日が一番うまいといわれる
このお酒ですから
がんばって二日で飲んでしまいましたね。
ただねえ、
アルコール度が、酔心が15度に対して
笑う門には・・・は17度あるので
飲みやすいわりに濃く
かなり酔っちゃいますね。

ついでに酔心も少し飲んで



それからエイのお酒も



チビチビ飲んだ。



これがまたアルコールが
18.5度と濃ゆいのだ。

なので昨夜はこたつで
いつの間にか眠ってしまっていましたね。

まあ、そんな日も正月だから
許してあげましょう。
明日からはしっかりするよ

そして、今日は正月駅伝の
しめくくりである
箱根復路でした。

見ましたよ。
もうテレビの前に陣取って
書き溜めた資料を見ながら
途中までしっかりと見ました。

よくそんな走るのばかり
見ているねといわれてしまいましたね。
で、結果はというと

昨日の予測では
1.青学
2.東洋
3.日体
4.早稲田
5.順大

とこういう結果を予測していたが
実際は

1.青学
2.東洋
3.早稲田
4.日体
5.東海

とこうなっていた。

早稲田は目立たないけど
最近の駅伝はつよいねえ。
予測通りに復路で頑張りましたね。

日体は、去年までの
山下りの強さがイメージに
残っていたから、上がってくることは
予測していたけど、
山下りじゃないところで
盛り上げましたねえ。
山下りがもっと強かったら
ほんとに予測通りに三位に
なっていたかもしれないね。

東海はさすがに往路成績の
不振からここまで上がりました。
スピードを磨いてきた
チームの底力を感じました。

順大は復路はいつも強いのですが
今年はちょっと不振で
シード権まで逃してしまいましたね。
残念。

そして今年は帝京、法政などが
意外な活躍をしましたね。
来年はなんか戦国時代に
入っていきそうな予感を感じますねえ。

今回は青学の3人連続の区間賞が
さすがにすごく今回の結果を
作り出しましたねえ。
そんな駅伝も8区下田で
結果が見えていたので
今年はもう堪能したなと
おもいつつ、葛葉稲荷などを
歩いて回る初もうでに
出かけたdoironなのでした。

その初もうで内容は、また次の機会に
お知らせしましょう。

正月の三が日が終わりました。
駅伝観戦、歩き初詣
思いのほかの年賀状制作と
まあ、まあのお正月でありましたわあ。


新年2日目

2018年01月02日 21時00分15秒 | 生活

喪中が3年も続いていたので
みなさんの住所録なんかから
doironの連絡先も
切れていたりすることが多いとみて、
多分年賀状も途切れるかなと思い
うんと省略して
年賀状を出すことにしていた。

なので、もともとの年賀状の購入も
50枚程度とうんと減らして
買っていたのですが
今朝届いた年賀状を見てびっくり。
さらに50枚を慌てて
購入に行ってきました。

まあ、一時200枚ほど
来ていた年賀状に比べれば
半分に減りましたが
みなさんありがたいことに
喪中明けにもかかわらず
記憶していてくれてありがたい
ことですねえ。

こんな覚えにくい顔を
よく覚えていてくれました。

さっそく今日は
箱根駅伝を見ながら
追加の賀状を印刷したりしましたね。

で、賀状書き&駅伝終了後は、
年賀状の差出を兼ねて
泉O津市内の4社めぐり
歩き初もうでをいたしました。

おせちとビールを
しっかりはかなきゃね~

ま、その初もうでに関しては
別の機会に書くとして
今日はまだ記憶に新しい
箱根駅伝往路のレース
について書いてみましょう。

往路の結果は
1.東洋
2.青学
3.早稲田

あ~やっぱり一区の
区間賞がよくきいたなあ。

飛び出して、東洋は
区間を見事にどの選手も
上手にこなしていたしなあ。

そして、他の学校の
注目選手があまり良くなかったなあ
東海も早い2年生が
辺に焦ってたし
塩尻君も珍しくブレーキになってた。

明日の復路は、やはり層の厚さが
ものを言ってくるだろうから
そうなると、総合結果は
青学がやはり強いかなあ。

下田君の爆発があれば
固いでしょう。

なので今日の結果を踏まえて
明日の最終結果は


1.青学
2.東洋
3.日体
4.早稲田
5.順大

とこの辺になるんではないかなあ。

さあもう明日で正月も三日目。
楽しみにしていた駅伝も終了ですねえ。
はあ、これで陸上もマラソンや
トラックに突入って感じですねえ。

明日も朝から復路の駅伝を見て
終了後、他市の神社めぐり
でもしようかなあと
思っているdoironなのでした。