旭化成建材のくい打ちが大問題になっている。そして、旭化成側は、データを流用しただけで、くい打ち作業はきちんとやっているから、建物の安全性は確保されているというような発言を繰り返している。しかし、そもそもデータを付けるようになったのはどうしてか?くい打ち作業がいい加減になされ、それを防ぐためにデータをきちんと付けなさいということになったのではないか?こう考えると、旭化成の言い分は根底から覆るような気がしてならない。
日本は高い技術力と信頼性を誇ってきた。その根底には、末端の作業員までが会社のため、仕事をきちんとする、会社も従業員の生活を保障するという暗黙の了解、信頼関係があってのことだったと思う。しかし、従業員に生活を切り詰めさせ、派遣労働者、日雇い労働者を増やし、利益追求に会社が走った。言わば、従業員を最初に裏切ったのは会社なのだ。
事は会社、個人の関係だけではない。親受け、孫受けの関係にも同様のことが言える。これだけ、従業員をないがしろにしていて、従業員を信頼していますとは良くも言えたもんだ。
かつての日本の経営者の多くは、従業員を雇ったからにはその生活を保障しなければならないという使命感があったように思う。だから、経営者はできるだけ質素な生活をし、利益を従業員に還元し、従業員もそれに応えてきた。会社の成長を経営者も従業員もともに喜び、成長を願ったもんだ。ところが、今はどうだろう?高級車が飛ぶように売れる一方、金がなくて結婚したくても結婚できない若者が増えている。格差は日に日に拡大している。こんな状況で、労使間の信頼関係などというものが存在するはずはないのだ。