今、65歳!若いといえばまだ若いし、年寄りと言えば年寄りかも。まだ、自分では車の運転には自信があると思っている。最近まで、マニュアル車を運転し、ダブルクラッチを多用し、カーブのときは必ずシフトダウンし、加速気味に曲がっていた。6年位前には、ミニサーキットで、エンジン全開で、コーナーで急ブレーキを掛けて原則、曲がるときにはGを感じ、心を躍らせていた。そんな楽しさは、自分の車を廃車して妻の車を運転するようになっても、まだ、変わっていない。
ところが、助手席に乗っている妻が、運転に口を挟むようになった。「信号赤だよ!」、「歩行者が渡っているよ!」等々、うるさく言うようになった。ということは、何か怪しい運転をしていたのを傍で見ていたのかもしれない。自覚しているのは、信号が青なのに止まろうとしていることがあること。たぶん赤の信号を見て、止まろうという動作を取った後に、信号が青に変わったのを見落としているのだろうと思う。また、隣の車線の車が急接近して、慌てたことも1,2回あった。隣の斜線に車がいることを気付かずに、隣の車線に入ろうとしたのかもしれない。考えてみれば、怖い話だ。事故にならなかったのは幸運だったから・・・・。妻がうるさく言うようになったのも、まあ、納得せざるを得ない。
私たちの年代は、車を運転するようになること、すなわち、大人の仲間入りすることに繋がっていた。どこに行くのも車、ちょっと近所の店にタバコを買いに行くのも車なしでは考えられない。とにかく、車は生活空間を大きく拡大し、世間を広くしてくれた存在だったし、自分の力ではできないことでも、車が私の手先になって動いてくれた。そんな大きな存在だったのだと今更ながら思う。
今、車に乗るのは週1回、テニスに行くときに乗る程度で、それも自転車やバスを使えば良いことで、決して必需品という程のものではなくなった。月1回妻を病院に乗せていく必要があるが、車の維持費、駐車場代を考えれば、タクシーを使った方が余程良い。今回、車検で車を捨てようかと何度も考えた。レンタカーを借りるということも、検討してみた。通院の時、家を8時前に出なくてはいけないが、レンタカーの店が開くのが8時となっているため、時間的に間に合わない。まあ、病院の予約時間を少し遅らせれば、済むことなのだろうが、一方で、まだ車に対する未練もまだあるということなのだろう。
駅前に住んで、市内へのバスや空港への高速バスのターミナルも目の前にあるなど、他の交通手段は幾らでもある環境にいても、車を捨てることに悩むのだから、少し郊外に住んでいるような場合、車の運転をやめるという決断は相当難しいということは想像に難くない。
一方、高齢者による交通事故の増加は著しく、高速道路を逆送したとか、歩行者の列に突っ込んだとかいったニュースは後を絶たない。いったん事故を起こしてしまったら、これまでの人生いったいなんだったんだろう?それこそ、取り返しのつかないことになってしまう。自分ではまだそんなに衰えていないと思っていても、傍目にはどう映っているのだろう?実際、きちんと運転できているか、怪しいものだ。そう考えると、運転をやめる決断をする時期が近づいてきているのを実感せざるを得ない。