前回の同タイトル記事の続編です。今回は、将来に希望を持てず、彷徨い、自殺願望を抱く若者と教育について書きます。
教育の無償化について、今、政府が取り組んでいるようだが、無償化を云々する前に、きちんと教育できる教員の養成や教育環境を整える方がずっと大切なのではないでしょうか?
極く一部の優秀な生徒を除いて、ほとんどの生徒は優秀な生徒と比較され、やれ「努力が足りない」とか、「もっと勉強しろ」と尻を叩かれ、挙句の果てに、「何て馬鹿なんだ」、「そんな生徒は邪魔だ」とか公然と蔑まれ、地獄のような日々を送っているのが現状だ。それでいて、表向きだけ相対評価ではなく、絶対評価だ、個人の能力や志向に応じて教育していると教育関係者は言う。小学校の教科をきちんと理解できているのは恐らく生徒の半数に満たないだろうし、中学校ではせいぜい三分の一程度、高校に至っては、一割いるかいないかだろう。残りの生徒は、分ろうとして必至に頑張っているか、その努力も諦め、漫然と学校に通っているだけなのだ。そんな状態で、将来に希望を持てと言ってもそれは空論に過ぎないように思う。義務教育の9年間、そして、高校の3年間、人によっては大学の4年間の人生の基礎を築く大事な時期を「失敗体験」の連続で終わらせているのが現状なのではないだろうか?
確かに、その9年間、12年間全てが辛い体験だったというつもりはないが、大筋では周囲から認められることがない生活を送ってきて、やっと社会に出て自由になれるかと思いきや、非正規労働者として、将来に見通しが持てない立場に追いやられ、人生に絶望するなと言うこと自体に無理があるのではないかと思う。
まあ、義務教育の9年間、同じ内容を教えるということはしょうがないことなのだろうが、児童生徒の能力に応じ、分かりやすい教え方、身に付く教え方というものがあるだろう。優秀な成績を収めている生徒は、努力をしているから優秀なのではなく、さして努力をしていなくても、分ってしまうから優秀なのだということをもっと教育関係者は認識するべきだろう。高校に至っては、理解できるはずもないことを教えるのではなく、もっと現実に即して、日常生活や仕事をしていく上で必要な知識や技能を教えるべきだと思う。そうすれが、もっと自分を前向きに、肯定的に捉えることができる生徒が増えて、人生の始まりにおいて自殺願望を持つような生徒はずっと減ってくるだろう。
日本の教育は、戦後、教育は一本化され、誰しもが大学を進学するという方向を転換した。それ以前は、複線教育で、尋常高等小学校から旧制中学から旧制高校、大学へと進むコースと、尋常高等小学校高等科へ進み、そこから各種の専門学校へ進むというコースがあったように思う。人の潜在能力の差は非常に大きく、これを一本の路線に従って教育を進めていくには相当無理があり、どうしても「落ちこぼれ組」を生んでしまい、結果的に若者を蝕んでしまうのだと思う。そろそろ能力に見合った教育内容の充実を図っていくように教育制度を見直す時期が来ているのではないかと思うのだが、いかがなものだろうか?