しとりんの食べる量が少しずつ増えてまいりました。
全粥、豆腐の味噌汁、冷凍みかんのメニューは変わらずですが、
食べられる量が増えて、その後の嘔吐もなく安定しています。
いよいよ快復の二文字が実感出来る段階にきました。
多くの人たちの祈りと励ましに支えられて、
ここまで来ることが出来ました。
心から感謝します。
皆様、本当にありがとうございます。
まだまだ油断は出来ませんので、
これからもお祈りをよろしくお願いします。
天使たちと共に。
しとりんの食べる量が少しずつ増えてまいりました。
全粥、豆腐の味噌汁、冷凍みかんのメニューは変わらずですが、
食べられる量が増えて、その後の嘔吐もなく安定しています。
いよいよ快復の二文字が実感出来る段階にきました。
多くの人たちの祈りと励ましに支えられて、
ここまで来ることが出来ました。
心から感謝します。
皆様、本当にありがとうございます。
まだまだ油断は出来ませんので、
これからもお祈りをよろしくお願いします。
天使たちと共に。
さて、推薦者の方と昼食を一緒に取り、
今後のスケジュールの話し合いをいたしました。
私が具体的にどんなことをやっていきたいのかを、
27日(月)までレポートにまとめて提出することに致しました。
その後、私は一人で再びあの礼拝堂へ行きました。
礼拝堂はとても静まり返っていました。
先ほどの一斉に寄って来る感覚はありませんでした。
私が何をするのか、息をひそめて遠くから見ているという感じでした。
またそばに寄って来れないようでもありました。
私は急遽 “神事” を行うことを決め、祭壇の前に進み出ました。
まず祝詞から奏上いたしました。
その次に「生命の贈り物」の生命の祈り1~8まで朗読しました。
朗読の最中から、祭壇の観音様の前に光の渦巻きが現れました。
そして、多くの未成仏霊や生霊さんたちが、
その光の渦巻きに吸い込まれるように昇って行かれました。
その渦巻きは竜巻のようでもあり、天までつながっていました。
色はゴールドであったり、紫だったりといろいろな色に変化していました。
ときおり稲妻のようなレインボーの光が渦巻きの中を走りました。
「生命の祈り」のあと、大祈願を3度唱えました。
すると、渦巻きは炎の柱になりました。
そして、ゆっくりと降りてこられたのは不動明王様でした。
4人の強面の方も降りて来られ礼拝堂の四隅を固めました。
(これでこの法人は大いなる浄化の炎に包み込まれることになったなあ)
と浄化のプロセスが始まったことを確認しました。
最後にまだ上がられていない未成仏霊さんを感じ、賛美歌を歌いました。
しかし、この未成仏霊さんは上がられていきません。
納得されていないのです。
この場所では納得されないのです。
「教会へ行きたい!」
突然、そんな声が聴こえてきました。
「わかりました。一緒に行きましょう、教会へ」
そう答えると、その未成仏霊さんは私の背中に乗って来ました。
身体が重くなりました。
その方は自分1人では礼拝堂から出られない状態にあったようでした。
すぐに礼拝堂を出て駅に向かって歩き始めました。
何処に教会があるかなんて分かりません。
とにかく駅に向かって歩き始めした。
向かった駅は降りた駅ではなく、ひとつ先の駅でした。
勝手にその方向に足が歩き始めたのです。
知らない道をどんどん歩きます。
5分ほど歩くと、突然大きなプロテスタント教会が目の前に現れました。
「ここだ!」と思った私は、
教会の方々に許可を得て礼拝堂に入りました。
正面に大きなパイプオルガンがありました。
こここそ、正真正銘の礼拝堂です。
私は賛美歌を2曲アカペラで歌いました。
教会員の方が聴いておりましたが、かまわず歌いました。
歌った曲はルーテル教会賛美歌の「奉献唱」と
カトリック教会「イエス・キリストの復活の歌」の2曲でした。
すると、「主よ、今あなたの御許へ行きます!」
と言って、天に上がられてゆかれました。
「名も知らぬ未成仏霊さん、教会から天に還りたかったんだね。良かったね」
と見送りさせていただきました。
少しそのまま礼拝堂で休ませていただいてから、
私はしとりんの待つ大学病院へ向かいました。
靴ずれした左足かかとの痛みは、少しずつ治まり始めていました。