20世紀は、もっともっとの『欲求の時代』だったと思う。
ああなりたい、こうなりたい。もっとこうしたい、もっとああしたい、もっと、もっと、、、とあくなき欲求が時代を牽引してきたんだ。目に見えるものだけが、その欲求を満たしてきた。その恩恵は絶大だ。
でも、いまはどうだい?
いまなにが一番食べたい? いま一番なにがほしい? 将来どんなふうになりたい?
まともに答えられる人は少ないだろうな。もっともっとの『欲求の時代』は終わったからだと思うよ。
じゃ、いまのぼくたちはなに?????
ぼくは、『渇きの時代』だと思う。みんな、カラカラに渇いてしまっているように見えるよ。こころが、魂が、まるで砂漠のように見える。その渇きは、決して今までの価値観では理解できない、感じることができない。
この渇きを癒してくれる唯一のもの。
それは、愛。
そして、わたしがわたし自身で在ることができるときに、私の中の愛は満たされ、その渇きは癒え、潤うのだと思う。私を愛する分だけ、ひとを愛せるんだね、きっと。
もう、手放してもいいんだよ。
ではまた。
おさむ
ああなりたい、こうなりたい。もっとこうしたい、もっとああしたい、もっと、もっと、、、とあくなき欲求が時代を牽引してきたんだ。目に見えるものだけが、その欲求を満たしてきた。その恩恵は絶大だ。
でも、いまはどうだい?
いまなにが一番食べたい? いま一番なにがほしい? 将来どんなふうになりたい?
まともに答えられる人は少ないだろうな。もっともっとの『欲求の時代』は終わったからだと思うよ。
じゃ、いまのぼくたちはなに?????
ぼくは、『渇きの時代』だと思う。みんな、カラカラに渇いてしまっているように見えるよ。こころが、魂が、まるで砂漠のように見える。その渇きは、決して今までの価値観では理解できない、感じることができない。
この渇きを癒してくれる唯一のもの。
それは、愛。
そして、わたしがわたし自身で在ることができるときに、私の中の愛は満たされ、その渇きは癒え、潤うのだと思う。私を愛する分だけ、ひとを愛せるんだね、きっと。
もう、手放してもいいんだよ。
ではまた。
おさむ